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Amazon.co.jp ・本 (398ページ) / ISBN・EAN: 9784003224519
感想・レビュー・書評
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古本市で岩波文庫赤版をまとめ買い。その中からのレビュー第2弾。
ちなみに私が読んだのは旧版の「ドリアン・グレイの画像」で、現在岩波文庫から新訳版で刊行されている「ドリアン・グレイの肖像」ではない。でも旧版でも古臭さを感じなかった。それは翻訳が清新で、年数の経過をものともしないということだ。
この小説を数章読むだけで、登場人物の造形がほかの小説では見られない独特な色彩をもっていることに気づいた。例をあげてみよう。
・ヘンリー・ウォットン卿のシニシズム(この本の訳者はそれを「皮肉癖」と書く)。しかし冷笑と言うのとは違う。教養を織り交ぜ(たぎらせ)つつ、箴言を発するように言葉でまとめないと気が済まないのだ。そう、まるで芥川龍之介の「侏儒の言葉」のように。
・画家バジル・ホールワードの、自分が描いたドリアン・グレイの肖像画に対する倒錯的な心酔。それ以上に、肖像画と現実のモデルとの同一化による心酔。
・ドリアン・グレイが自己の美しさを永遠に持ち続けたいために彼が選んだ方法。それは信仰や博愛などの善なるものではなかった。彼は自分が美しいゆえに、自分には選ぶ特権があると考えた。そして彼が選んだものは、驕奢、放埓、快楽。その結果、この小説の終幕で彼は自分自身の“美”から、極めて“芸術的な”返答を得る。
これはまさに三島由紀夫の小説のようではないか。ああ、英国をはじめとする世界中の人々は、実在しそうでしない“美を纏う者”が存在する世界を、オスカー・ワイルドの作品から読んでいたのだ。しかし私はそれを三島由紀夫の作品から読んでいた。つまり、私が三島由紀夫のオリジナルと思っていた数々の人物造形は、もしかしたらワイルドに原型があるのかもしれない。
いや、こんな考えは不毛だ。ワイルドだって、エドガー・アラン・ポーの小説の影響下で作品化したかもしれないのだ。考えたって意味がない。
それにしても、ドリアン・グレイに対して、自分自身もそして他者も、肖像画のように永遠の美を求め続ける考え方は、現代に生きる私たちが、例えば女性アイドルに可憐さや処女性を求めるように、いつの時代でも不変のテーマなのかもしれない。しかしそれが現実的でないのはアイドルの例のとおり私たちは痛いほど知っている。では私たちはどうすべきか?
もちろん私自身はドリアン・グレイのように美を纏ってはおらず、泥にまみれながら生きている現実的存在に過ぎない。したがってこの小説を自分の実生活と比較しながら読んでもまったく面白くない。それで私はこの小説をどう読めばいいのか?
この小説はモナ・リザのように材質上は劣化が進んでいるかもしれない。だがフレーズの1つ1つを注意深く見れば、綺羅星のように輝くものが多く隠れている。したがってこの小説から宝石を取り出すように気に入ったフレーズを抽出してコレクションすれば、この小説がたとえ古びているとしても、いつの時代でも読後の喜びへと昇華できるのかな、と私は考えた。
ヘンリー卿「実意のある人間は恋愛の些末な側面しか知らないものだ。恋愛の悲劇を知るは不実の徒なりだ。」そういってヘンリー卿は趣味のいい銀のケースで火をつけて、自分を意識した満足げな様子でたばこを吸いはじめた。一言にして全宇宙の真髄を要約しつくしたといわんばかりに。
バジル「芸術家は美しいものを創造すべきではあるが、しかしそのなかにいささかも自己の人生を注ぎこむべきではない。現代は芸術がまるで自伝の一形式にすぎないようなとり扱いをうけている。ぼくらは抽象的な美の感覚を失ってしまった。他日ぼくはそれがどんなものであるかを世間に見せてやる。だからドリアン・グレイ像は断じて公開しないのだ。」
ドリアンに関してのヘンリー卿の感想「かれは、また、ひとつの驚嘆すべき典型なのだ…優雅はかれのものであり、少年らしいあの純白も、古代ギリシアの大理石がとどめてくれているような美も、かれのものなのだ。かれにたいしてできないことなどひとつもない…このような美しいものが褪せるべき運命にあるとはなんと残念なことであろうか!…」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
時はきみの百合や薔薇と戦っている
所蔵情報
https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=B17376 -
美しかった。
ヘンリー卿は実に魅力的だ。彼の吐く言葉が毒であったとしても、それは魅惑されずにはおられない美しい毒だ。 -
登場人物は少なく、会話だらけの小説で、読みやすかった。
広がったり、感情的になったり、心の変化が見える誰かの会話を一歩ひいて見れる。読書って、やっぱり面白いなぁ。作者も書いてて楽しかったんじゃないだろうか?
あと、名言集なみに、引用文であろう金言が多い。そんな読み応えのある会話小説。
映画「(500)日のサマー」のヒロインのサマーが、この小説を読んでいる時に出逢った結婚する人。華麗で、哲学的で、奇矯で、無責任で、この数奇な小説がなぜサマーの運命の鍵になったのかをを感じながら読む楽しみ。青春と常識、幻想と現実に揺れて。
そうした官能性が高いぶん、文学的リアリティは欠けていると思われる、でもせっかくなので、この不思議に身を委ね、あちこちに散らばった作品の持つ美学を捕まえようと読んで、楽しかった。 -
登場人物の考えや動機付けが適当で、しっくりこない。
ディティールが適当で、リアリティーが感じられない。
ネタありきで、後は終わらせるためにダラダラ書かれた感じを受ける。
あと、この本の会話部分は洒脱で皮肉な感じだが個人的にどうも好かん。 -
デカダンスを愛する人ならば必読書。
絶世の美青年ドリアン・グレイが次第に退廃生活を始めるが、彼の美貌はいつになっても衰えず、代わりに肖像画に老醜があらわれる・・・という話。
文学を愛する若者ならば一回は夢中になる本じゃないだろうか。
かくいう私もノックダウン。
めくるめく唯美主義的生活が、くらくらするような美文で綴られている。
人間には根源的に、悪に惹かれる要素があるとしか思えない。
美を求める心と同じ強さで。 -
1/7 読了。
『禁色』だー!!! -
以下引用。
とりわけ、作家であり美術批評家であったユイスマンスの『さかさまに』(一八八四)の投じた影は、あまりにも濃いものがあった。なぜなら、ワイルドのこの長編の思想的極限とも称すべき第十一章の、その冒頭に、「数年のあいだ、ドリアン・グレイはこの本の影響から脱することができなかった。いや、おそらくそれから脱しようとつとめなかったといったほうが正確であろう。」とある、「この本」が、『さかさまに』を指すことは、否みがたいところだからである。(解説、p.388~389) -
純真な美貌の青年ドリアンの肖像画は、彼の外面と内面の美しさを反映させ、完璧に仕上がった。ドリアンは描かれた自分の画像がいつまでも変わらない半面、彼自身は醜く老い、純真さを失うであろうことを恐怖し、どうか絵ばかりが変化して実物の自分は美しい見栄えを保てるようにと祈る。いつの間にか青年のその願いは叶っていた。どれほどの悪徳にドリアンが手を染めても、彼の外見はいつまでも穢れを知らない若き日の美貌を保ち、反対に肖像画のドリアン自身はあらゆる悪を身に受けて醜く、老い、下卑た姿になっていく。
良い味出しているなと思うのはヘンリー卿である。ドリアンを本能と官能の道へと誘ったヘンリー卿が諸悪の根源のはずが、別に彼自身はただの傍観者、ドリアンの変化には一切かかわらない人間として、平穏に物語を完走する。
対してドリアンは最後に全ての恐怖から逃れるために良心を殺そうとし、自らに殺されてしまう。この対比には、訳者解説にある、「因果応報めいた陳腐な道徳律の響き」が意図されたものではないはないか、と思わせる。
芸術についての描写は、すんません、難解すぎて分からない。
個人的に大好きなのは、ドリアン自身は一切の芸術を作らなかった。美しいショパンを、空気に流れて消えてしまう形に残らない芸術を、ピアノで弾いただけ、という点である。快楽ばかりを追う自らの人生を芸術にした、というのも、納得の言葉かも。 -
会話の随所に価値観の違いや、ついていけなさを感じるが、そりゃ時代も国も違うわけで。退廃的な雰囲気を楽しむのかもと思いつつ、あまり楽しめなかった。ストーリーは分かりやすく、お芝居みたい。
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某映画を観て大まかな内容は把握しつつ、ずっと手を出してなかった。
主人公の人生よりもその合い間に描かれる美しい描写が魅力的でした。 -
新潮文庫から出ている福田恒存さん訳のものは未読だが、いつか読みたい。私の中で、色々なきっかけとなった一冊。
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前半の描写で飽きて、今は放置状態・・・。
いつか続き読みます。 -
青春の光と影。
苛烈で毒のある青春を謳歌するドリアンの物語。
こんなドリアンみたいな青春を送ってみたい、とは思いませんが…ヘンリー卿の思想は、現代でも刺激的で魅惑に溢れてる。
何冊か読みましたが、西村さんの訳が一番しっくりきて、綺麗だと思う。 -
あぁぁぁぁぁ、かわいいドリアンがぁぁぁぁ
「男は目で恋をする、女は声で恋をする」 -
ショッキングな設定と展開。
「芸術家たるものは道徳的な共感をしない。」
とは、作中序文でワイルドが書いた言葉。芸術は無用のものである、と。芸術は生活に必要なものではなく、ただ芸術のためにだけあり、美しいものを描ければ道徳的な配慮はする必要はない、ということでしょうか(笑)?その言葉どおり、芸術至上主義のワイルドの魅力が十二分にひき出された作品です。
ドリアン・グレイ・・・なんとも印象的な名前です(笑)。この名前に魅かれて(しかもアドニス並の美少年だなんて!“ドリアン”が!笑)つい手にとってしまった作品ですが、相当ハマりました。面白かったです。ヘンリー卿の言葉が絶妙に悪魔で惚れました(笑)。
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岩波は「画像」と言うタイトルにしているのかな?一般的には「ドリアン・グレイの肖像」との認識が多いのでしょうか。私は最初に出会ったのがこちらなので【画像】で(笑)<br>【若い】と言うことは、ただそれだけで素晴らしい…そして、それだけで未熟。今になれば、そんな事を思います。<br>逆に言うならば、その”若さ”は永遠ではないのだから、尊い一瞬をステキに生きていたかったものです。<br>いま、中年になった自分、高齢者となった方たち・・・【まったく若い人ったら!】「未熟な若者よ!」ってそれだけで見下ろす言葉を投げかける…そんな姿はみっともないよ?<br><br>読んだあとに偶然、尊敬に値する(笑)ZIGGYの森重さんがこの本をお気に入りに入れているということを本で読み、えらく感激しました…ああ、あたしも若かった♪それだけで、素晴らしかったなあ。
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「ドリアン・グレイの画像」と「ドリアン・グレイの肖像」ではずいぶん受けるイメージが違うと思うのですが、個人的には「肖像」を取りたいとこです。筋が面白かったです。ヘンリー卿という登場人物の警句に注目してみると、また別観点で当時の社会が覗けたりするかなと思いました。
西村孝次の作品
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