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Amazon.co.jp ・本 (174ページ) / ISBN・EAN: 9784003224816
作品紹介・あらすじ
アフリカの奥地に象牙採集をする人々の上に起こった事件を作者自身の体験にもとづいて書いた作品。『颱風』『青春』と共にコンラッドの中短篇の代表作であるが、作品の芸術的根強さにおいて他の二つを凌ぐ。ここには作者の原始に対する驚異と文明に対する呪詛とが熱病のような激しさであらわされている。
みんなの感想まとめ
人間の本質と文明の矛盾を深く掘り下げた作品は、19世紀の海外文学ながらも読みやすさを保っています。物語はアフリカの象牙採集を背景に、主人公マーロウの経験を通じて、文明と野蛮の境界線を問い直します。彼は...
感想・レビュー・書評
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19世紀の海外文学ということで難しいかもと身構えていたけれど、思っていたより文章は読みやすい。
訳者によってかなり読みやすさ変わりそう。
でも内容はやっぱりちょっと難しかった。
労働力として一緒に働いていた黒人に対しては少なからず言動の規制が緩かったり、命を落とした黒人にマーロウは悲しんだりと人間として扱う様子もあったけれど、それ以外の黒人に対しては「敵」とすら表現して支配し、搾取する。
この時代の白人は自分たちを文明人、黒人を野蛮人と差別しているけれど、黒人には黒人の「文明」があるわけで…
それをなんで理解しようとしないんだろう、なんで支配しようなんて考えるんだろうとも思うけれど、今私が生きている時代とは当然価値観が違うわけで、こういう考えの押し付けや不理解が差別の始まりなのかなと思ったり。
クルツの人物像など、理解しきれていない点がところどころあるので少し時間を空けて再読したいです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画『地獄の黙示録』の元になった小説ということで。地獄の黙示録とはかなり違うんだけどあれを見返す体力はなかった(^_^;)
以下、かなりネタバレしています。
テムズ川に停泊中の遊覧船で、船主である重役、弁護士、会計士、”私”は潮の変わり目を待っていた。その間に船乗りのマーロウが過去の体験を語り出す。
物語は、マーロウが過去を振り返りつつ、現在の考えを入れたり、聞き手に語りかけたりする。
マーロウは以前、ヨーロッパの貿易会社にアフリカ大陸のコンゴ川を遡り、奥地の出張所に食料などを運び変わりに象牙を集める蒸気船の船長として雇われたことがある。
事前に健康診断を受けた時に医師が「頭蓋骨を見せてくれ。(当時の頭蓋骨学)」という。マーロウが「帰ってからも見るんですか?」と聞くと「いや、変化があるとしたら内部だろうから」という。アフリカ行くと変わるっていうのがこの後の話になる?
このコンゴ川沿いの出張所の役割は、原住民の黒人たちから象牙を集めて他の品物と交換する。しかし原住民たちは鎖で繋がれて働かされて病気になったら打ち捨てられている。出張所も品物を入れた倉庫が焼けたり船が沈んだりも日常茶飯事、象牙を運び込む原住民も「何かが足りなくてここから出発できないが、その何かはいつ届くかわからない」という「巡礼者」のようだった。川沿いには「土民」がいて、マーロウの前の船長は盗みのトラブルで槍で突き殺されたらしい。
ヨーロッパが「未開の地」で会社経営するには「現地の人たちを我々ヨーロッパ文明に導いてやろう」という建前があって、でも実態は「我々白人と彼ら現地人には数千年の隔たりがある」と扱って奴隷経営(これはいろいろな本で読んだ…)。マーロウはある意味冷めていて「綺麗事言ってるけど要するに金儲けが目的ですよ」なんて言っている。
そんな行く先々でマーロウは「クルツ」という奥地出張所の責任者の噂を聞く。彼は何年も奥地から出てこず、しかし送ってよこす象牙は大量で極上品だった。会社では利益をもたらせ、本社に変えれば出世間違い無しなんだが、自ら奥地に引きこもる不気味な男だとして怖れられてもいる。
マーロウはクルツに興味を持つ。
<目の当たりにクルツを見たような気がした。鮮やかな映像だった。独木(まるき)船、土人の漕手、なそして最期には、突如として本部に背き、交代になることを拒み、そしておそらくは家郷の思い出にさえ背いて、あの荒野の奥地、荒涼たる無人の出張所に向かって進んでいく一人の孤独な白人の姿。(P65)>
マーロウの語りは、叢林(ジャングル)を遡っていけばいくほど「既知の世界とは永久に隔離され」ていく様子を深く、静かに描写していく。全てが終わってからの語りなので、時間もあっちへ行ったりこっちへ行ったりという感じもあって、何があったのかを把握するのはなかなか難しい。
会社の白人社員や出張所の支配人たちは「クルツはもう死んでいるのではないか」とも噂している。どうやら彼らはそれを望んでいるようだ。クルツは奥地から報告書?などは送っているらしいが、ヨーロッパの理論とアフリカ叢林(ジャングル)奥地のクルツの理屈はまったく噛み合わなくなっている。さらにクルツが本社に戻れば出世は間違いない、今のところは奥地に引きこもるので自分たちの地位が脅かされる心配は無かったが、どうやらクルツは病気らしく、治療のため引き上げさせなければいけない、するとクルツが治ってしまうと自分の地位が危ない。
マーロウにとってのクルツとは、何かを語る姿で、ただ「声」として存在していたのだ。その彼が語ることを聞けないのは残念だと思った。だがこのあとクルツに会うのだが…。
マーロウと、支配人、使用人の現地「巡礼」たちは、船や徒歩で(途中で蒸気船が沈んだ)奥地へ奥地へと遡る。ある時白人がいたらしい小屋を見つける。後で分かるんだけど、ここは放浪の末に流れ着いたロシア人青年の小屋だった。そこには操舵術の本があり書き込みもある。文明人らしい。そして薪の山には「使っていいよ」とかいうメモも残してある。
蒸気船が直りクルツのいる出張所に近づいた時に、原住民に襲撃された。投げられた矢や槍がマーロウの現地の黒人火夫で操舵士を殺した。この操舵士のことは「ズボンを履いて、羽根帽子を冠り、後足で立った犬芝居そっくり」で「言われたとおりにやらないとボイラーの悪霊に復讐される」と教えられて働いているような扱い。そして原住民は腐った肉だとか、死んだ操舵士だとかの肉を食べたがっている。どうやら本当にあった風習のようだが、これは何か宗教的とか意味があるの??
さらに上流に上ると叢林(ジャングル)から「なにか異様な喚声、限りない荒涼さを思わせるような喚声」が沸き起こり、消える。
ついにマーロウと支配人はクルツのいる奥地の出張所にたどり着く。そして小屋に住んでいた全身パッチワークの道化のような装束のロシア人(ウクライナ)青年と出会いクルツの事を聞く。ロシア人青年はクルツと一晩話をして「ぼくの心をすっかり広げてしまいました」彼を崇拝するようになった。そして昨夜の喚声は原住民たちが、蒸気船はクルツを連れに来たのだと思って嘆きの声だと教える。原住民たちはクルツを神のように思っている。クルツはそんな原住民たちを戦士として略奪させ、その品を貿易会社に送っていたのだ。
ロシア人青年はクルツを崇拝しつつも「私はすっかり帰り道がわからなくなりましたが、自分のことは自分で面倒を見ます。でもクルツを連れ帰って欲しい」とも願う。この青年、自然そのもののジャングルに分け入っていくのにいきなり赤青黄色のツギハギの人工物!で出てくる。クルツに浸透しながら軽さもある。なかなか面白い人だ。
マーロウは出張所の杭の上に丸い装飾のようなものを見たんだけど、よく見たらそれは彼に逆らった現地人の首だった??(「柵」というのはイギリス人が持ち込んだ風習)
そして「とつぜん即席担架を運ぶ一団が現れた」この現地人にかしずかれて戦士たちを従えて担架に乗っているのがクルツ?この小説は大体160ページで、実際にクルツが出てきたのは120ページ!そしてロシア人青年は「彼が死んだら、彼の崇拝者に自分たちも殺されるかも」とか予言する?
支配人とマーロウは小屋でクルツと対面する。この場でも支配人とクルツの間の意思の齟齬が見られる。会社はクルツに「未開拓地に関するレポート」を依頼していた。マーロウが見たそれはかなり知的で有能さを感じるものだったが、「彼ら野獣を根絶せよ」という書き込みがされていた。マーロウは現実での昇格にしか興味がなく白人の綺麗事を述べる支配人よりも、この奥地で人々に神聖視されるクルツに興味を持っている。その彼は死にかけている。「あの人の死後の評判が気がかりです」というロシア人青年に「それは任せておいて欲しい」と請け負う。そして「そろそろ引き上げ時」と、独木船に乗って消えていった。
クルツの死を待つ描写はかなりの圧力。全身を装飾した現地の女がマーロウの船に近づき、そして去る(この女は描写だけの存在だが印象深い)。夜の闇から唱和のような声が立ち起こる、篝火が照らす戦士や影、そしてカモシカの角をつけた悪魔のような形相の魔法使いのクルツ。
夜の叢林(ジャングル)でマーロウはクルツと相対する。自分は大地に立っているのか、中空に浮いているのか。それでもクルツは「一切の関心が自我の上にだけ集中された明晰」な男であって狂気ではない。だがたった一人で荒野に住んで自分の魂を見つめ続けてついに常軌を逸してしまった、自分も自分の魂との格闘をしなくてはならないのだろうか。
<もし、誰か、一つの魂と格闘した者がいたとすれば、それはこの僕だ。(P164)>
マーロウと支配人は瀕死のクルツを船に乗せてコンゴ川を下る。
<「私の象牙、私の婚約者、私の象牙、私の出張所、私の河、わたしの…」一切が彼のものだった。(P100)>
<「地獄だ!地獄だ!」>
そしてクルツは死んだ。
ヨーロッパにいた頃のクルツは、知的で芸術家で政治に出ても成功しそうで、任務についた最初は野蛮なアフリカ人たちを文明に導きたいとも考えていたんだろう。しかし自分が(コンラッドが筆を尽くしたように)叢林(ジャングル)の奥地へ向かい文明から離れると、クルツ自身も文明から離れてしまった。動物としての本能が表に出てきた?
実際に貿易会社本社や、ヨーロッパ本国ではクルツは「アフリカ植民地の原住民に仕事を与え、会社にも利益をもたらせた」人物となっている。(マーロウもクルツの評判を保つ証言に協力する)
マーロウはクルツが国に残した婚約者に会った。そして彼女が望むままに彼への称賛を聞き、「彼の最期の言葉はあなたの名前でしたよ」と嘘を付くのだった。しかしこの、天地がひっくり返るほどの嘘にも天が落ちてくることはない。
こうしてテムズ川の遊覧船でのマーロウの語りは終わる。すっかり暗くなっていた。 -
「地獄の黙示録」の元ネタとして有名な(?)コンラッドの「闇の奥」。
いろいろなところで言及されたり、分析されたりすることも多いので、なんとなく知っている気になるが、ここは一応読んでおこうということで。
なんで、そんな気になったかというと、ここ数年、全体主義について調べているところなのだが、アーレントの「全体主義の起源」の第二部の「帝国主義」のなかで、「闇の奥」についての分析があったからかな?
という流れなので、読む視点がどうしてもアーレントの読解に引っ張られるわけだが、それにしても、これはなんだかディープな本だった。
設定としては、マーロウという船乗りが、船が停泊しているなかで、仲間に自分の体験を物語るという体裁をとっているのだが、読んでいて、誰が誰だか、わからなくなってしまう複雑さがある。
訳文も1958年のもので、原文をしっかり訳そうとしているのか、かなり読みにくい感じ。なかなか、話の筋がわかりにくい。(もう少し、新しい訳を読めばよかった)
この難しさはたんに訳文のせいだけではないはずで、まさに「暗黒大陸」アフリカの奥にむかって、川を遡行していくにあたって、なにがなんだかわからないことがどんどん起きて、悪夢のなかに迷い込んでいくような物語そのものの構造からやってくるのであろう。
なんだかよくわらないにもかかわらず、かなり衝撃的な本だった。(読みにくかったのには、最近、わたしが小説をほとんど読まないということも関係しているかもしれない)
アフリカの奥地、闇の奥(Heart of Darkness)に入ることによって、理性と非理性の対立、文明と原始との対立が浮かび上がるとともに、人間の心の闇(Heart of Darkness)に分けいっていくことが主題なんですね。
と言っても、これは19世紀のヨーロッパ人の社会的な構築の文明観なんだけど。
アーレントは、「帝国主義」のなかで、ヨーロッパの植民地経営のなかで、人種主義的な暴力が蔓延していったことが、人の命を軽くみてしまう感性を生み出したこと、そして、ヨーロッパで余計ものになったいかがわしい人々が植民地に行って、傍若無人な行為をおこなっていたことが「全体主義」を生み出す一つの要因になったとしているが、まさにそのあたりの分析を裏付ける本だな〜。
「裏付ける」と言っても、これは小説であって、歴史家には、アーレントの論立ては、まったく許し難い論理であろうけど、アーレントは客観的な事実というより、主観的、心理的な経験というところから、全体主義的な暴力の一面を描こうとしていたんだなとあらためて納得した。
もうちょっと新しい翻訳で、再チャレンジしてみたい。 -
和訳でしか読んでいないけれども、飾ったレトリックに若干抵抗があったものの、肥大化した人間の自我の恐ろしさを描いた本書のインパクトはすごい。しかもこれぞ文学だ、と思わされるところは、語り手マーロウは、なんやかんや言いながら、クルツを畏敬しているところ。友という言葉すら使う点。皮肉がききまくっている。
ポーランドに生まれ英語で書いた、いわばマイノリティ感覚をいやでも意識している作家が書いた作品であることもかんがみるなら、本書はすさまじい批評意識に貫かれた本だ。
マーロウが向かった叢林(ジャングル)は、コンラッドにとってのポーランドでもあったはずだと断言できる。
けれども本作のもっとも驚くべき点は、まだ存在していない、未来のナチスドイツおよびヒトラーを、「クルツ」(ドイツ語で『短い』『短命』という意味だそうな)として「あらかじめ」(!)戯画化しているということだ。 -
かなり乱暴にまとめると「ある船乗りのアフリカ思い出話」になると思うのですが、読後には重苦しさと、言葉にできない感情が残りました。それを無理矢理文章にするとしたら、的外れかもしれませんが今のところ「人間とは本来、自然の一部であったのに、いつしか文明や経済という実体のない物に支配され不自然な存在となってしまった。かといって原始的な生活は、今の人類には恐怖や荒廃という闇でしかなく、狂気である。もう戻ることはできない」という文明批判と焦燥でしょうか。この作品は、時間を置いて再読する必要があると感じました。
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最後まで読みたくなる力がある、しかし、なんとも言えない不思議な小説だ。
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船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに昔話を語るところから物語は始まる。マーロウの話し言葉で物語は進み、時折、船上の仲間たちの視線も描写される。マーロウと言うのは作者の分身で、この作品は自伝的らしい。
マーロウは貿易会社に入りアフリカへ行く。それも、何だか誘われるような行動で、白鯨のイシュメールを思わせる抗えない磁力を感じる。アフリカでは黒人が持ってくる象牙を薬莢やガラス玉と交換していた。ここで黒人はかなり搾取されていたことが分かる。文明の対立がある。
仕事仲間から、ある男の話を聞く。それがクルツという人物で、彼はジャングルの奥の出張所で暮らしていて、非常に優秀で天才だと聞かされるのだ。マーロウの中でクルツという存在が、どのように大きくなっていったのかはよく分からない。話を聞くうちに、まるで尊崇するかのような気持ちになっている。クルツに会って、クルツが死んでからも、彼のことを一番知っているのは自分だと思っている。これは自惚れなのか、それとも真実なのかを読み解く力は、今の私には無い。
クルツは狂ったように象牙を集める。ジャングルの奥で土人の支配者になっていたのだ。クルツはジャングルの奥の、闇の奥でどれだけの狂気に取り憑かれていたのか。クルツが連れていかれるときに、周りに住んでいる土人たちは必死に抵抗する。クルツの命令もあるだろうが、心から止めているようでもあった。クルツは搾取する側の人間で、安く象牙を買い叩いて莫大な利益にしている。土人にとってクルツは英雄なのか、それとも初めて見た光に釣られてしまったのか。
クルツは死ぬ前に「地獄だ! 地獄だ!」と二度叫んだ。それはジャングルの闇がそうさせたのか。はたまた、人の奥に真の闇を見たのか。ずっと闇の中にいて、考えすぎておかしくなってしまったというのも現実ではありそうだが、マーロウとクルツの動機は分からない。支配人や、最後に出てくるクルツの許婚などは分かりやすいので、比べてマーロウとクルツの思慮深さが際立つのかもしれない。
物語は中ごろまで来て、マーロウの話が進むとともに、冒頭の船上は夕方になり薄暗くなってきた。彼らがいると分かる描写は、これが最後だ。その後は過去の話が闇の中を進むように、現在の彼らの姿も闇に消えたような感じがした。 -
コンラッドは、自身が船長として、現在のコンゴ民主共和国のキサンガニ(スタンリー・フォールズ)に遡行した時の経験を基に、この小説を書いたとあとがきにあります。
主人公がアフリカの奥地で出会うクルツという人物の心の闇、そして19世紀当時のアフリカのジャングルの闇が不気味に描写されています。
このあたり、映画の「地獄の黙示録」は、この小説の雰囲気を良く伝えています。実際、フランシス・コッポラはこの作品の映画化を真剣に検討していたようです。マーロン・ブランド演ずるカーツ大佐の名前が、クルツに似ているのは偶然ではないでしょう。
異郷であれ、大都会であれ、そこに住む人間の寂寥を描く、というのは文学の一つ大きなテーマなのでしょうか。この小説が書かれた19世紀末、植民地の開拓への野心華やかりし時代にアフリカへと渡った人たちの懊悩が垣間見えた気がしました。 -
映画「地獄の黙示録」の原作といわれる作品とのこと。コンゴの奥地への異様に薄暗い旅。真夏に汗だくでもう一回読んでみよう。
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高校生のころ観たコッポラの『地獄の黙示録』は衝撃的だったが、下敷きになったこの小説をあらためて読んでみると、ただただ圧倒される大迫力の物語。わずか160ページ(第31印発行分)近い中編小説の中で、気が付けば私は、世界の端々から文明の心臓部に至るまでをマーロウと共に旅したのだ。本を閉じてしまうと、まのあたりにしたはずの印象的な断片の数々が、私とは関係のないどこか遠くの記憶に感じられるのが未だに信じられない。
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F・コッポラの映画の原作として興味を持ち、オーソン・ウェルズも映画化を企画していたと知り手に取った。
人物・言葉・風景、どれも霧がかかったように曖昧としており、読後には何とも言えないもやもやが残る。
誰もが一目を置いた男クルツは未開の密林の奥に踏み込み、その闇にのまれた。
彼の考えも、彼の言葉も、私にはいまいち読み切れなかった。ふと霧が晴れたようにクルツの輪郭が感じられる場面もあった。もう一度読み直せば更に鮮明になるかもしれないと思う一方で、闇の中ではっきり見える事はない。何度読んでも変わらない。そうも感じた。 -
19世紀,諸西洋籍の船舶(作品ではフランス)が“未開の地”アフリカへ渡り起こった『象牙』に纏わる出来事たち.
教科書に載った「事実」とは別の観点から眺めることで,当世の彼ら西洋人の高慢,貪婪,凶暴,盲目さが何より現実味を帯びて感じられる.
語り部のマーロウの口上は情緒に溢れ,一人の人間の感情と自意識が鮮やかに伝わってくる.彼の言動,苦悩は――私たちにはまず経験しえない,世にも哀しい侵略に向かう船上での物語だとしても――純然たる現実として,感情の深淵に強く訴えかけてくる.その愚かな高慢さまでも,我々に共感を呼ぶ不思議.
つまり私たちは誰でもマーロウになりうる.アフリカという原始の闇の世界,そして,人心の奥底に潜む闇は,21世紀の我々に対しても強い共感と教訓を投げかけてやまない.
どう見ても誤訳な瞬間も見受けられるが,訳者あとがきの腰の低さには噴く. -
もちろん人間の中には、道を踏み外すことさえできないほどの馬鹿もいれば、──闇の力の強さを意識することさえしない鈍感者流もいる。僕は思うに、馬鹿が悪魔に魂を売った例はないのだ。どちらだかは知らないが、──馬鹿が馬鹿すぎるか、悪魔が悪魔すぎるか、そのどちらかなのだ。もっとも中には神の姿、神の声以外にはなに一つ見えない、聞えないという、途徹もない人間放れのした聖人もいるのかもしれない。だが、彼等にとっては、もはやこの地上はただ立って呼吸をしているというだけの場所であり、──そうなることが、果して僕等の幸福だか不幸だか、知れたものではない。そして僕等大多数の人間というものは、馬鹿でもなければ、聖者でもないのだ。
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227P
ジョセフ・コンラッド Joseph Conrad
生年:1857年
没年:1924年
ロシア占領下のポーランドで没落貴族の家に生まれる。父が独立運動に関与したため一家は流刑、両親を早くに亡くす。16歳で船乗りをめざし、仏英の商船で世界各地を航海する。このときの見聞が、後の創作活動に大きな影響を及ぼす。ポーランド語、フランス語を操り、小説は英語で書いた。1886年イギリスに帰化。1895年『オルメイヤーの阿房宮』で文壇にデビュー。他の代表作に、『シークレット・エージェント』『ロード・ジム』など。晩年は痛風と鬱病に悩まされた。1924年、ナイト爵叙勲を辞退。同年、心臓発作のため自宅にて死去。 -
難しかった。クルツは声や言葉が優れている描写だったので神を象徴しているのかと思いつつも、やってることが残忍だったり象牙の亡者だったりするのでやっぱり違うか、と思ったり。マーロウが語る形式で、頭に入って来づらかった。
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