闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

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レビュー : 60
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003224816

感想・レビュー・書評

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  • 難解だった・・・。そもそもおれの読解力が稚拙なんだけど、テーマが抽象的なうえ翻訳のむずかしさも手伝って、ぜんぜんわからんかったです。
    再読しなくちゃいけないとおもうけれど、とりあえず、今回の読書では「孤独」の重さを感じた。
    自然、自然であること(おのずからしかるべく)は、少なくとも現代社会をいきる人にとっては、とてつもなく「孤独なもの=不明なもの、闇」であって、その闇は未開の自然の象徴であるアフリカの奥地だけでなく、ひとのなかにもある。

    ホルクハイマー=アドルノらがいう「理性による同一化作用」と親和性がある気がしたんだが、そうすると、人は孤独=闇をもとめているということでもあるのかね。

    やっぱよく分からん。もう一回よむ!

  • かなり乱暴にまとめると「ある船乗りのアフリカ思い出話」になると思うのですが、読後には重苦しさと、言葉にできない感情が残りました。それを無理矢理文章にするとしたら、的外れかもしれませんが今のところ「人間とは本来、自然の一部であったのに、いつしか文明や経済という実体のない物に支配され不自然な存在となってしまった。かといって原始的な生活は、今の人類には恐怖や荒廃という闇でしかなく、狂気である。もう戻ることはできない」という文明批判と焦燥でしょうか。この作品は、時間を置いて再読する必要があると感じました。

  •  船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに昔話を語るところから物語は始まる。マーロウの話し言葉で物語は進み、時折、船上の仲間たちの視線も描写される。マーロウと言うのは作者の分身で、この作品は自伝的らしい。
     マーロウは貿易会社に入りアフリカへ行く。それも、何だか誘われるような行動で、白鯨のイシュメールを思わせる抗えない磁力を感じる。アフリカでは黒人が持ってくる象牙を薬莢やガラス玉と交換していた。ここで黒人はかなり搾取されていたことが分かる。文明の対立がある。
     仕事仲間から、ある男の話を聞く。それがクルツという人物で、彼はジャングルの奥の出張所で暮らしていて、非常に優秀で天才だと聞かされるのだ。マーロウの中でクルツという存在が、どのように大きくなっていったのかはよく分からない。話を聞くうちに、まるで尊崇するかのような気持ちになっている。クルツに会って、クルツが死んでからも、彼のことを一番知っているのは自分だと思っている。これは自惚れなのか、それとも真実なのかを読み解く力は、今の私には無い。
     クルツは狂ったように象牙を集める。ジャングルの奥で土人の支配者になっていたのだ。クルツはジャングルの奥の、闇の奥でどれだけの狂気に取り憑かれていたのか。クルツが連れていかれるときに、周りに住んでいる土人たちは必死に抵抗する。クルツの命令もあるだろうが、心から止めているようでもあった。クルツは搾取する側の人間で、安く象牙を買い叩いて莫大な利益にしている。土人にとってクルツは英雄なのか、それとも初めて見た光に釣られてしまったのか。
     クルツは死ぬ前に「地獄だ! 地獄だ!」と二度叫んだ。それはジャングルの闇がそうさせたのか。はたまた、人の奥に真の闇を見たのか。ずっと闇の中にいて、考えすぎておかしくなってしまったというのも現実ではありそうだが、マーロウとクルツの動機は分からない。支配人や、最後に出てくるクルツの許婚などは分かりやすいので、比べてマーロウとクルツの思慮深さが際立つのかもしれない。
     物語は中ごろまで来て、マーロウの話が進むとともに、冒頭の船上は夕方になり薄暗くなってきた。彼らがいると分かる描写は、これが最後だ。その後は過去の話が闇の中を進むように、現在の彼らの姿も闇に消えたような感じがした。

  • コンラッドは、自身が船長として、現在のコンゴ民主共和国のキサンガニ(スタンリー・フォールズ)に遡行した時の経験を基に、この小説を書いたとあとがきにあります。

    主人公がアフリカの奥地で出会うクルツという人物の心の闇、そして19世紀当時のアフリカのジャングルの闇が不気味に描写されています。

    このあたり、映画の「地獄の黙示録」は、この小説の雰囲気を良く伝えています。実際、フランシス・コッポラはこの作品の映画化を真剣に検討していたようです。マーロン・ブランド演ずるカーツ大佐の名前が、クルツに似ているのは偶然ではないでしょう。

    異郷であれ、大都会であれ、そこに住む人間の寂寥を描く、というのは文学の一つ大きなテーマなのでしょうか。この小説が書かれた19世紀末、植民地の開拓への野心華やかりし時代にアフリカへと渡った人たちの懊悩が垣間見えた気がしました。

  • 和訳でしか読んでいないけれども、飾ったレトリックに若干抵抗があったものの、肥大化した人間の自我の恐ろしさを描いた本書のインパクトはすごい。しかもこれぞ文学だ、と思わされるところは、語り手マーロウは、なんやかんや言いながら、クルツを畏敬しているところ。友という言葉すら使う点。皮肉がききまくっている。
    ポーランドに生まれ英語で書いた、いわばマイノリティ感覚をいやでも意識している作家が書いた作品であることもかんがみるなら、本書はすさまじい批評意識に貫かれた本だ。
    マーロウが向かった叢林(ジャングル)は、コンラッドにとってのポーランドでもあったはずだと断言できる。
    けれども本作のもっとも驚くべき点は、まだ存在していない、未来のナチスドイツおよびヒトラーを、「クルツ」(ドイツ語で『短い』『短命』という意味だそうな)として「あらかじめ」(!)戯画化しているということだ。

  • 高校生のころ観たコッポラの『地獄の黙示録』は衝撃的だったが、下敷きになったこの小説をあらためて読んでみると、ただただ圧倒される大迫力の物語。わずか160ページ(第31印発行分)近い中編小説の中で、気が付けば私は、世界の端々から文明の心臓部に至るまでをマーロウと共に旅したのだ。本を閉じてしまうと、まのあたりにしたはずの印象的な断片の数々が、私とは関係のないどこか遠くの記憶に感じられるのが未だに信じられない。

  • F・コッポラの映画の原作として興味を持ち、オーソン・ウェルズも映画化を企画していたと知り手に取った。
    人物・言葉・風景、どれも霧がかかったように曖昧としており、読後には何とも言えないもやもやが残る。
    誰もが一目を置いた男クルツは未開の密林の奥に踏み込み、その闇にのまれた。
    彼の考えも、彼の言葉も、私にはいまいち読み切れなかった。ふと霧が晴れたようにクルツの輪郭が感じられる場面もあった。もう一度読み直せば更に鮮明になるかもしれないと思う一方で、闇の中ではっきり見える事はない。何度読んでも変わらない。そうも感じた。

  • 19世紀,諸西洋籍の船舶(作品ではフランス)が“未開の地”アフリカへ渡り起こった『象牙』に纏わる出来事たち.
    教科書に載った「事実」とは別の観点から眺めることで,当世の彼ら西洋人の高慢,貪婪,凶暴,盲目さが何より現実味を帯びて感じられる.

    語り部のマーロウの口上は情緒に溢れ,一人の人間の感情と自意識が鮮やかに伝わってくる.彼の言動,苦悩は――私たちにはまず経験しえない,世にも哀しい侵略に向かう船上での物語だとしても――純然たる現実として,感情の深淵に強く訴えかけてくる.その愚かな高慢さまでも,我々に共感を呼ぶ不思議.

    つまり私たちは誰でもマーロウになりうる.アフリカという原始の闇の世界,そして,人心の奥底に潜む闇は,21世紀の我々に対しても強い共感と教訓を投げかけてやまない.

    どう見ても誤訳な瞬間も見受けられるが,訳者あとがきの腰の低さには噴く.

  • マーロウという青年が一旗揚げるつもりで未開の地におりたつ。

    白人が黒人を使い、象牙で儲ける。あれ、勝手にやってきた白人がなぜ勝手に元々住んでいる人を顎で使い、(金なんて払ってないんだろう?)利益も自分達の物に。あれ、色々おかしいぞ。

    出会う人出会う人、「クルツって奴はドープな奴だぜ」みたいなことを言う。本人に会ってみると、死に際で、まさに死に水をとるはめに。
    その瞬間に主人公は何かを悟ってしまう。そしてその説明なし。多分作者しか理解してないし、全世界の人間がおあずけをされている。

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