月と六ペンス(新訳) (岩波文庫 赤254-2)

  • 岩波書店 (2005年7月15日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (380ページ) / ISBN・EAN: 9784003225424

感想・レビュー・書評

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  • The Moon and Sixpence(1919年、英)。
    芸術に魅せられた男の純粋性と、それと表裏一体のエゴイズム。結構重いテーマのはずだが、読後感は意外と爽快だった。クールで湿っぽくない筆致、あまりに的を得ているので腹が立つ前に苦笑してしまう皮肉、そして、クライマックスの鮮烈な印象のためだろう。読了後、ラストの壁画のヒントになったというゴーギャンの絵を画集で見た。タヒチの森の奥で、壁画サイズのあの絵を見たら、確かに鳥肌が立つような感覚に襲われるだろう。

  • これまでに読んだ小説の中でも特に好きな作品。
    とはいえ約10年ぶりの再読だったため、ストリックランドはかのゴーギャンをモデルにしているという概要しか覚えていなかった。

    ゴーギャンといえば、タヒチ。この作品でもタヒチが舞台として出てくるが、それは全体の3分の2あたりから。
    それまでは主人公が初めてストリックランドに出会ってから、ある日突然家族を捨ててパリに移り、パリでストルーブ夫妻との間で起きたあれこれに費やされている。

    ここまでのストリックランドは、家族や恩人を傷つけてまで芸術に身を捧げようとする奇人にしか見えない。理解し難く、不愉快な人間。女性蔑視もひどい。タヒチでもそれは変わらないが、主人公いわく周囲の受け止め方が変わり、そして作品にも磨きがかかっていく。
    最後に病に侵されながらも描ききった壁画に医師が立ち会うシーンでは、読む者にも息を呑むような美と凄みを感じさせる。

    月(夢や理想)と六ペンス(現実、世俗的な喜び、富、名声)の間で普通の人間は六ペンスを捨て去ることなどできない。
    ここまできっぱりと六ペンスを捨て去り、己の魂の情動のまま美の追求を極めたストリックランドという人間の複雑さを小説として読ませるこの作品の傑作ぶりを改めて堪能した。

  •  〜無人島で君は絵を描くのだろうか?〜

     タイトルの印象が強いためか、読んだことが無いのに、どこか頭の片隅にあったような一冊。

     まずは「平凡からの逸脱」これが骨子になっているように思う。

     平凡で善良で幸福に見える諸条件が揃っていたストリクランド家の家長チャールズの失踪そのものじゃないか?もちろん、その後に続く、ストルーフェ夫人事件、マルセイユ浮浪、タヒチ篇の入り口に過ぎない。でも骨子にはこの逸脱がある。

     どうして充分な社会的成功を収め、安定もしている人間が、その安逸な生活を投げ捨てでまで、極貧のその日暮らしへと足を踏み出したのか?
     動機もさることながら、(当時の現代生活で)娯楽なしに生きた彼の人間性とか、極貧生活を支えた何かとかにこそ、物語の比重が置かれているような気がする。

     この話をそっくりそのまま2023年に置き換えると、東京のアパートの一室で、スマホやインターネット設備もなく、コンビニで買ったおにぎり(チャールズは自炊したことがない)以外の食べ物には目もくれず、社会の中央に位置する場所にありながら、社会とは隔絶された生活をしていたことになる。ミニマリストでさえ、スマホなしには生きていないこの東京でだ。ほとんどの人間がスマホなしの生活なんて考えられないんじゃないか?

     徹底的に平凡の持つ価値観が解剖されていく。
     
     女性蔑視そのものの「女とは」に続く文章には、
    芯を食った女性批判が続く。

     同じように「恋愛」「家庭」「親切さ」「常識」「軍人」「地位と名誉」と、(恐らくは)当時のフランスのナショナリズムや道徳/モラルの負の側面を浮き彫りにさせていく。

     逸脱者の人物はストリクランド以外にも登場する。医師のエイブラハム・退役軍人のブリュノ船長もまた、約束された地位・都市文明の生活がある社会からフェードアウトしている。
     一般的な社会価値への挑戦が散見された。

     自殺したブランシュ夫人の姿は、硫酸を飲んでの自殺から見えてくる、彼女の女としての一生とともに、とても白けて感じられた。
     家庭教師をしていた公爵家の息子に誘惑され、子供を孕んだ状態で捨てられた一時期。
     ディルクに拾われて夫人として過ごした一時期。チャールズに恋し、それが叶わないと知って自殺。すべてが自分の女性性に振り回され、その奴隷としての肉体と精神が自立しないままに細胞の命令によって酷使され、ボロボロになって死んでいったような印象を受ける。「馬鹿な女」の代表格だ。
     男にではなく、結局は、自分自身に弄ばれた女といった感じが決定的に描写されてしまっていて、あまりにも同情の余地が無い。

     その点では、チャールズの女性批判がすっと耳に入って来て、彼によって狂わされたエミ夫人やブランシュのくだらなさが目立ってくる。チャールズが異常者であると言ったような考え方はあまりできず、寧ろ異質なのは彼女たちとその道徳感なのだろうなと感じられてくる。
     家庭という道徳空間での男の従属というのが見えてくる。もちろんそれを望んでいるような男女ならば、すんなりと問題もなくその関係を続けられる。  
     ただ、互いの利害が一致した経済的な関係で、互いの利己的な部分を目撃して傷つくような人間ならば、実は、ひとりで生活するのがいいのかもしれない。今日の相手は、今日の自分のためにあるのではないという根本的な意味の理解ができるかもしれない。

     ディルクに関しては、あまりに物語の促進人物としての側面が強すぎるので、思うところは少ない。彼においても、芸術を見極める真贋と芸術賛歌の価値のその下に、ブランシュがいたことが分かる。(彼の愛情が多分に自己充足的で独りよがりな性質であったにせよ)彼のような愛情に溢れた人間でさえも、愛情という価値が、ひとりの人間の最上の価値でなかったという部分が見られる。

     わたしたちの社会は、他の動物と変わらず、究極的な利己動物である人間が、高度な知性と理性とで作り上げた、演技舞台に思われてくる。
     モラルとそれに基づく儀礼通りに振る舞うよう訓練され、自らを訓練し、その舞台にいることを忘れるまでに習慣化した人間たちの集合体だ。

     タヒチに渡ったチャールズが、アタの庇護のもとに製作をしていく。アタはエミ、ブランシュと異なる文明領域の価値・道徳に支配されていない女性だった。自分の土地と収入を持った自立した女性では珍しかったと言える。そこにチャールズは囲われていて、死ぬときに、山へ入ることを止められ他は、何一つ強制されることなく自由に存在し、自由に存在することをアタというひとりの女性に許されたこと。もしくは、自由に存在する彼を愛したアタには、どこか愛情のなかでも利他的な性質が感じられた。

     このことを発展させて考えて行けば、誰もが自分の利権に囚われて思考し、行動するよう最適化されている資本主義社会が見えてくる。自分で何かを生み出すことができず、おこぼれを貰い続けるしかないハイエナたちの社会だ。

     逆に、タヒチでは、自立して自由に存在することのできる領域が残っていたと言えるだろう。
     もしこの地で育まれた芸術性がメッセージを放つとすれば、それはやはり、資本、文明、都市社会の一種の芸術的/力学的な限界かもしれない。

     無人島では絵を描くのかという問がこの物語を象徴していると感じる。
     無人島とは非人間社会だ。人間社会も異なる性質を持った複数のグループに分類されるが、画一的な社会の病理ととともに、その症状に描くものがあるかもしれない。
     しかし、描く/書くという行為は社会に依存したものではない。
     文字は社会の発明品かもしれないけれど、社会の外にあっても文字を持ちだすことはでき、芸術は社会のなかでは寧ろか細く存在する見方もできる。

     最後に13シリングという安値で近海養殖カキを買えた時代を覚えている叔父が引き合いに出されたが、現代では、こんなにも都市社会と自然とが乖離されてしまったこと。アタの息子が太平洋の島で自然と戯れながら豊かな生を謳歌していることを脳裏に浮かばせたこと。これらが、自然への憧憬とともに、この都市社会に幽閉されてしまったわたしたちを憂いているのがひしひしと伝わってきた(2023.06.10)
     

  • 画家のゴーギャンをモデルにした「ストリックランド」と言う英国人の半生を交流のあった人物の視点から書かれた作品。
    ストリックランドの絵画への情熱や他者の目を気にしない行動力には圧倒された。

  • 主人公のストリックランドのアクと神聖性の共存っぷりが素晴らしい。これ系のキャラクターの源流らしい完成度。これを読んだ作家志望は、きっと皆「俺もこういう人物を書いてみたい」って思ってしまって、それで後世の作品の手本になってきたんじゃないか。
    また、本作で最も気の毒な男、ダーク・ストルーヴ氏のキャラクターも白眉。正反対の要素をごった煮に詰め込んだ挙句にあくまで善人という、かなりアクロバットな人間。ストリックランドの凄さとはちょっと違って、ストールーヴは比類なさという点で作品の魅力の大きな部分を担っていると思う(全体の三分の一ほどにしか登場しないにもかかわらず!)。
    色々と人間性についての洞察についても、感心させられるところはあるのだけど、どうも「主語がデカい」「小賢しい」という印象が拭えず。この時代のイギリス人の小説にありがちな勿体なさ。
    あと、後半のタヒチの自然の描写が美しい。行ってみたくなった。しかし、遠い……。

  • 初めてのモーム!
    素敵だなあと思う言い回しが所々にあって、引用文をたくさん保存した。

    人の心は周りには見えないし、変わりうる。でもその変化さえ、私たちは予想することしかできない。本人にしか分からない、そして自分自身でさえも理解出来ない感情がある。
    相手からの評価を気にせずに理想を追求して生きることが、モームが描いた「月」なのだとしたら、しんどいけど崇高で、美しいけど醜い部分もあるなあと思いました。
    どんな人にも二面性、多面性があり、善悪が混じり合っていると何度も作品中で強調されるけれど、それはストリックランドにも言えることなのかもしれない。

  • 『お菓子とビール』があまりにも面白かったので、今さらモームの有名作品を初読み。いろんな翻訳者で出ていますが『お菓子~』の訳がとても読み易かったので、迷わず同じ翻訳者の岩波文庫版で。これもとても面白かった。

    形式としては『お菓子とビール』と同じく、作家の「私」が、ストリックランドという破天荒な画家との関わりについて回想する形なのだけれど、通常一人称の小説は主人公=語り手であるのが一般的だと思うのですが、モームの場合は語り手の「私」がいつも傍観者なんですよね。語り手はあくまで語り手に徹して、主人公は語られる側として存在する。モームの語り口が軽妙で客観的なのは、一人称でありながら語り手が「私が私が」と自己主張せずあくまで人間観察に徹しているこのスタンスのせいかなと思いました。

    語られる側のキャラクターたちは皆とても魅力的です。ゴーギャンをモデルにしたというストリックランド(しかしある意味全くの別人でモームの創作だったと思う)は、傍若無人な天才で、人として明らかに最低な部類に属しているのだけれど、その理想のあまりの潔癖さにどうしても憎むことができないし、彼に妻を奪われる道化のようなダーク・ストルーヴは、すごく善良なのに滑稽という不幸なアンビバレンツを抱えながらもとても魅力的な人物。

    悪漢も俗物も天才も善人も、それが一面だけではない多面性があって、モームという人は人間を観察するのが面白くて仕方なかったんだろうなと感じさせられます。だからモームの書くものはきっと面白いんだろうな。

  • 好きな本

  • 初めて読んだ時は、語り手である「僕」がストリックランドに初めて出会った頃と同じくらいの年齢だったが、今はむしろフランスに渡った頃の「僕」に近くなった。「僕」の物事の捉え方が変わったように、私もまた変わったことに気づいた。

    同じ人間の中に相反する性質がいくつも存在していることが巧みな人物描写で表現されている。

    女性蔑視的な文章が多いが、身につまされる表現もあって苦笑する。ミセス・ストリックランドみたいな女性、今の日本にもいるよ、なんて思ったり。

    ストルーブ夫妻の関係は、最初牧歌的な雰囲気を持って描かれるが、ストリックランドの看病を引き受けるにあたっての夫婦の言い争いから、結婚に至った経緯が明かされるまでの流れを読んだら、ブランチの不幸に同情を禁じ得ないし、ダークに薄気味悪さというか生理的嫌悪感のようなものを感じる。

    クライマックスで、タヒチに渡ったあとのストリックランドの日々が語られ、あの有名な絵画をヒントにしたと考えられる最期を読み終えた時の感動は、やはり何度読んでも変わらない。

    そして、最終章、ロンドンに帰国したところで徹底的に落とされるのも皮肉っぽくてよかった。

    全体を通して皮肉っぽい名言だらけ。文章も美しい。

  • 高校生の時、初めて読んでもう二度と読まない!こんな読後気分が悪くなった本は初めて!と主人公にムカムカ腹が立った。
    その後留学し働くようになり改めて読むと、主人公の気持ちが本当によくわかった。
    残された家族に深く同情するか、自分の人生を真っ直ぐに生きる主人公が理解できるか、自分の立場によってこんなに180度見方の変わる事があるんだなと。
    家族を持ち母となった今、もう一度読み返したいと思います。

  • 月と六ペンスってのはまたなんだかシャレとるというか、気が利いた題名だわね。まぁ読み切った後も、なるほどー、と思うわけでもなく、なんかシャレとるってだけだけども。大体六ペンスっていくらだって思ったら今は10円くらい。昔だと100円くらいだったりするんだろうか。月と100円かー。
    そしていつもの何故か人を惹きつけるという芸術家なのである。そして凡人であるが故に人目を気にして生きる自分にとって、そんな好き勝手やっても好きになってもらえてイイナーって思ったりもするし、やっぱ地道にしっかり生きていく方が良いよね、って思いこもうともするわけである。
    しかし50年以上前だろうと、フランスだろうが英国だろうが、下らんこととかいじいじ気にしたりして、大雑把に言えばみんな変わんないよねー、人類皆兄弟ってのも分かるわ、ってところだわね。

  • 「人間の絆」よりもこちらのほうが有名な気がするのは何故だろう、と思ったら発表時期の問題だったとはじめて知った。どうりで、「人間の絆」のほうが良かった。
    モームの人生観はやはり一本通ったものがあって、私はそれがかなり好きだから読むことができる。思い悩む時期に、モームに支えられたということを思いだす。

    今回の「月と六ペンス」では、ストリックランドの人生を追いながら、彼と関わった人物たちの人生もささやかではあるが印象に残る描かれ方をしている。彼との対比としても、彼の輪郭としても生きていて、あたたかいなあという印象がのこった。

  • ストリックランドの自分勝手なふるまいは病的な程でしたが、痛快で気持ちよかった。芸術的な描写を読んで、実際、絵をみるわけでもないのに、ぼんやり頭に浮かんできます。

  • 「僕」を語り手とし、途中で人生の軌道を大きく違うものにしたストリクランドの人生を描く一作。

    物語が動き始める前の部分を堪えられるかどうかが、この本の唯一の山かと思われる。

    イギリス、パリ、そしてタヒチと、ストリクランドの人生を追う物語は、見たことないけど脳裏に映画のシーンが浮かび上がる。絵画の知識がゼロの私でも、絵の描写が具体的で、ストリクランドの絶筆も、頭に直撃した。

  • 能力主義は正義か?に通じるものがあるような気がした。
    1919年の作品が100年を超えて読まれているのも納得できる。

  • 六ペンス。イギリスでは結婚する花嫁がラッキーアイテムとして身につけると幸せになれるとされているそうで、現在は発行されていない幻のコインだそうです。

    『月と六ペンス』というタイトルに惹かれて読みました。
    ゴーギャンをモデルにしているという予備知識はあったけど、それほどゴーギャンについて詳しいわけでもなく物語として楽しめました。
    イギリス文学らしいというのか、結末が「こういう終わり方か…』と少し拍子抜けする感もありましたが、タイトルが意味するところは何なのか?など、読後に自分なりの解釈をあれこれ考えることが出来る作品だと思います。

    個人に取っての幸せとは? 作家が作品のなかで表現しようとした幸せとは? それぞれの国・環境・立場で見いだす幸せとは? そして読者が感じる幸せとは?

    夜空に浮かぶ月を眺めるも良し、手中に収まる六ペンスを大切にするも良し。タイトルが秀逸すぎる。

  • すごく面白かった。
    人間に対する描写は冷ややかで辛辣だけどそこがいい。
    ストリックランドの最期の描写で感動した直後に、英国に残された妻と子供達の描写で一気に現実に引き戻されたりする皮肉なところが好き。
    また読みたいし、他の作品も読んでみたい。

  • 取り憑かれたように激しく一途で芸術に心を支配されている…。
    芸術家と呼ばれる人々の性質や生き様について、思い描いていた姿が物語のかたちでここまで深く綴られている本を初めて読んだ。
    ゴーギャンの人生に着想を得たものだそうだが、実際のゴーギャンとはほど遠い気がする。
    芸術家の満たされない気持ちや苦悩など心理描写がすごくリアルで、読んでいて納得させられてしまった。
    女性蔑視のような文章が目立ったのは、著者が妻と上手く行ってない時期に執筆されたためらしい。そして著者自身は金や欲など世俗的なことから逃れられない人生であったらしい。
    こういうモームの人生を知るとなおさら彼の語る芸術観に面白みを感じるとともにタイトルの素晴らしさに気づかされる。

  • 画家の一生を第三者目線で書いた作品。常人には理解しがたい、その熱意を、どちらかというと冷めている主人公の目線で目撃したことを書き連ねることで、より一層、その狂気がよく描かれている。

  • 主人公(作者)の人間分析というか、観察眼が面白かった。
    ストリックランドと元家族との価値観の違いが最後の最後まで埋められていないのを見て、人の幸せをどの基準で決めるのかはその人次第、でも、本人にも自分の本当の幸せがどんなものかわかっていない場合がある(かもしれない)、ということに怖さを感じた。

    ストリックランドのように、自分の幸せ(求めるもの)が何であるかを知り、他人のどのような言葉や態度にもそれが揺らがないという人は少ない。
    世間一般の常識や幸せの基準を自分のものとすれば、とりあえずの安心は得られるからだ。

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