ギャスケル短篇集 (岩波文庫 赤 266-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003226629

作品紹介・あらすじ

ごく普通の少女として育ち、結婚して子供を育て-とりたてて波瀾のない穏やかな生涯の中で、ギャスケルは、聡明な現実感覚と落ち着いた語り口で人生を活写した魅力的な作品を書いた。本邦初訳四篇。

感想・レビュー・書評

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  • 挫折

  • エリザベスギャスケルという名前は、正直リチャードアーミティッジ主演のドラマ、北と南でしか知らなかった。ブロンテの伝記書いたりディケンズと文通とか多彩な人だなあ、としか思ってなかった。
    でも短編を読み終わって、胸に澄み切った優しさがいっぱいに満ちた。(気がする)キリスト教的なメタファーを多分に盛り込んだ、大人のための童話。お気に入りの作品が異父兄弟と、一番最後に乗っていた短編。
    ちょっとゴーストストーリー的な話もあったのも良かった。
    宮沢賢治に雰囲気が似ている気がした。弱者への優しい視点や、キリスト教的な教訓。オーヘンリーっぽさもあったなあ。
    あまり期待してなかった笑けどすごく染み入った作品。

  • けっこう楽しめた。授業の関係で読んだ。

    授業で書いたれぽもはっとく。

    ■リジー・リーと現代社会における家族のかたち

     物語はクリスマスの朝にはじまる。リジー・リーにおいて死の床につく直前に、物語の主人公のひとりであるアン・リーの夫ジェームズ・リーはこのような台詞を残す。
    「アンや、わしはあの子を赦してやるよ!わしにも神様のお赦しがありますように!」(p.251)と。
     このような運命的ともいえる冒頭部は、物語全体を宿命付けているといえるだろう。夫のこの言葉をきっかけとして、妻アン・リーは遠く離れたマンチェスターで行方がしれなくなった娘、リジー・リーを探しに残された家族ともども旅立つ。夫の生前、この家族においてリジーの話はタブーとされていた。なぜなら、リジーは女中奉公に出された先で道を踏み外してしまい、奉公先を首になっていたからだ。そのようなことは、当時「一家の恥」とされており、リジーは死んでしまったものとされる。
     マンチェスターについた後、母は自身の勤めをこなしながらも懸命にリジーを探し続ける。しかしその懸命な様子に同情せずにいたのがウィルであった。そんな日々のなかでウィルはある女性―スーザンと恋に落ちる。そのきっかけとして父の不在に触れられていることが示唆的だが、この家庭には父が、そして娘が欠けている。その欠落を埋めようと必死になる母の姿をみることが、ウィルにとっては、その欠落を意識せざるをえないという不安をつくりだしていたのではないだろうか。そのことは、「母が社会から除外されたり家族に見捨てられた者たちの中へ夜ごと捜索に出かけるために、常に彼の頭から離れることはなかった。」(p.271)からも推察される。現代社会において、アダルトチルドレンとよばれるひとびとが増えている。そのようなひとびとは、機能不全家族で生まれ育ったことが多く、彼らの多くが家庭に飢えているといえるだろう。リジー・リーの場合、母はいつまでも失われた娘を捜し求めており、ウィルやトムといった家族への配慮に欠けている。もちろん、ここで母がリジーに対して示す愛情は「無償の愛」といって差し支えないだろう。しかしながら、それが家族全体ではなく個人にむけられた場合、残された家族にとってそれは必ずしもよい方向に働かない。そのような例は、この短編集に収められたほかの短編(たとえば、家庭の苦労など)にも見られ、妻に求められる義務と愛情といった伝統的規範(p.252)を放棄することが家族というひとつの共同体を内側から蝕んでしまう様子が描かれている。
     この後物語は新しい展開を見せる。ウィルの様子がおかしいことに気づいたトムは、母にウィルのことを気にかけるよう促す。ウィルの話を聞いた母は、ここではじめてリジーだけでなくウィルやトムにも同様に愛情を注がなければいけないことに気づく。 ここではじめてこの物語の先行きに光が射したかのように思われる。
     その後、母はスーザンに会いに行き、すべてを告白すると、スーザンの育てていた赤ん坊こそがリジーの実のこどもであることがわかる。ここでスーザンはリー家の家族を結びつける架け橋の役割を負わされており、「あの方はそれはもう優しくて哀れみ深く、行方不明のわたしの娘のことを話す時も、決して希望を失うことのない人」(p.294)などと叙述されるとおり、彼女は一家にとって希望の光となる。スーザンはアンに対し、次にリジーが訪れたときを見張っておくことを約束する。しかしその約束が果たされないうちに、彼女は過失から赤ん坊を永遠に失ってしまうのだが、それがきっかけでリジーが姿を現す。「わたしが殺したようなものだわ!」(p.300)とリジーはひどく取り乱して叫んでいるが、そのとおりで、この物語において赤ん坊の喪失はリジーに対する罰として作用していると考えられる。またこの後、赤ん坊が犠牲になったことで家族がふたたび結ばれたと考えることもでき、その上でこの赤ん坊はキリストさながら十字架に架けられたと解釈することもできよう。
     この後、家族は故郷へと戻り、ウィルとスーザンはアップクロース農場で、またアンとリジーはそこから離れた小屋で生活をしている。リジーは購いを求めひとびとのこころを慰め、また母はリジーに寄り添って生活し、ウィルとスーザンは幸せな結婚生活を送る。ここでリジーとスーザンの間に見られる断裂―住居を異にし、またリジーがこどもを亡くしたのに対しスーザンは子どもを生む―は、一度過ちを犯したか、犯していないかという違いに基づいて創作されたのだろう。しかしながらリジーに母が寄り添っていることは、罪びとでも改心すればキリストの無償の愛が与えられることを示唆しているかのように思える。
     このような母の無償の愛は、現代社会にも変わらずに存在し続けているもののひとつのようにも思えるが、実際には、機能不全家族が増えており、そのような家庭で育ったこどもが大人になってふたたび子どもを育てる際、適切な愛情をかけることが困難だ。また、家族という集団は極めて閉鎖的であり、そのような問題が明るみに出にくいことも問題に拍車をかけているといえる。このようにして、社会全体が病んでいくことを、わたしたちは防いでいかなければならない

  • ギャスケル(1810−65)はごく普通の少女として育ち、結婚して子供を育て、とりたてて波瀾のない穏やかな生涯をおくった。ディケンズ、ブロンテ姉妹ら同時代イギリスの錚々たる作家たちに比べ、地味な印象を受けるが、聡明な現実感覚と落ち着いた語り口で人生を活写した多くの魅力的な作品をのこした。8篇中4篇は本邦初訳。

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ギャスケルの作品

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