回想のブライズヘッド 下 (岩波文庫 赤 277-3)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (387ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003227732

感想・レビュー・書評

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  • 主人公の在り方は好きではないが彼/彼女がそのようでしかいられないことは理解できる、というタイプの小説がすきだ。その観点で、本書は自分にとっては優れた小説だった。彼らの言動の背後にある原理は小説内で語られない、想像して心に浮かぶものも自分には一生実感できない、しかしこの結末はこのようにしかならないと思った。悲劇の美しさを愛でられる自分が少し嫌になった。

    本書の映画版『情愛と友情』でマシュー・グードが演じていたせいで、どうしても好青年で脳内再生されてしまうライダーの言動は必ずしも褒められたものではない。しかし人間の言動に良いものを見出したいのはこちらの勝手な願望なのだった。戦争、他者支配欲、時代が変わること、依存症、仕事がないということ、罪悪感、恋だと勘違いして自分の心の穴に落ちることについて考えた。

  • ブライズヘッドという広大な邸宅、そこに住む人々――。華麗にして、精神的苦悩に満ちた回想録。

    やはりなんといっても、主人公の友人・セバスチアンの人物造詣が魅力的であった。
    貴族の次男であり、大変な美貌の持ち主、そして人を魅了せずにはいられない人柄。
    そんな彼が、厳重なカトリックの家(この家がブライズヘッドである)にどんどん蝕まれていく様子が読者をひきつける。家族が彼に構えば構うほど、荒廃していくセバスチアン。ああ、なんと繊細でいて純粋な存在。しかも美しいと来た。彼がその生来の魅力ゆえに、家族の影響を受け流すことができずにいる様が、鮮やかに描かれている。
    純粋なものがその純粋さゆえに傷つくのを描写するのは、ときにあざとくなりがちだと思うけれど、本書ではそれが必然的に描かれていて違和感がなかったと思う。
    その友人の姿に傷つきながらも、どうすることもできずにいる主人公が、非常に冷静でこれまたよい。彼は後年画家になるのだが、その鬱屈しているとも取れる芸術への傾いだ態度が面白く、説得力があった。

    全体的に文章は美しく感傷的なのだが、一方で皮肉っぽく、ときにそれは辛辣にも感じられた。しかし解説によると、この著者の著作ではこの本はむしろ異例で、他の本はもっと突き放した書かれ方だそうである。こ、怖いなぁ。この本でもかなり突き放してると思ったのに。

    ちなみに、この本ではセバスチアンの家族をめぐって、かなり宗教的(ほぼカトリック)の話も展開されるが、素人にはそこらへんのニュアンスがさっぱりであった。
    カトリックの人が読んだらどう思うのだろう。

    下巻では話の展開がややまどろっこしく感じられるところもあったが(ジューリアのところ、私は少々長いと思った)、やはりセバスチアンの存在が大きくて、全体の話を上手く引き締めてくれていたと思った。
    しかし私は、話の本文とは関係ないところでちょっと気に入らないところがあったのだ。それは、上巻に解説が載っていて、その解説内で下巻の内容がネタばれされていることである。
    どうして下巻に解説をつけなかったのだろう・・・それがわからない。どうして全てを読んでしまう前に、読者の可能性を狭めるようなことをしたのだろう??

    感想を書いてみるとたくさん褒めているのに、評価という点になるとあまりぱっとしない本があるが、これはどうもそれらしい。解説だけが不満の全てではないけれど、なぜか☆3つ。

  • セバスチアンはなにに苦しんでいたのか。
    戦争が人の運命をどう変えたのか。
    ジューリアがねぇ。
    お父さまはの中国の間。
    ひととひとか分かり合えるってことは
    あるよだろうか。
    信仰とはなにか。
    カトリックとプロテスタントの違い
    雑婚。
    結婚は人に幸せをもたらすか
    信仰がある人とない人との隔たり
    レックスとベリルの嫌悪を感じずにはいられない描き方。

    うーん。
    古き良き時代を懐かしむ長い長い回想。

  • 宗教からむと実感なくて今ひとつ。
    セバスチアンはあれきりか?

  • これの上巻も含めて何冊か自分が読んだウォーの本の中で、一番文章が心に響いた。英国貴族の没落を描いてアメリカでウケたという内容(ヒイ)。テーマはカソリックにこだわって自分の幸せを見出だせない愚かな生き方なのだろうか。メンツって大事だけど「なんのためのだ?」と気付いちゃうと全てが崩壊する。下巻で全く出てこないセバスチャンのように酒浸りになる。その行為こそが神に近付くことだそうで。まあ働かなくても生きてけるならそれも良し。

  • 2012-12-22

  • 最初は大学で知り合ったセバスチャンを通じてブライズヘッド家の人達と知古を得たチャールズだったが,セバスチャンが壊れてしまってからは,疎遠になる.思わぬ再開を果たしたジューリアとの間に恋が燃え上がるのだが,結局,心の底からわかり合うことが出来ずに別れることになる.
    途中まではモームの小説のようであったが,最後の最後で不幸な結果となる.結局,ブライズヘッド家の人達は皆,カトリック信仰のために不幸になったように思える.

  • チャールズは途中からセバスチアンとジューリアをいっしょくたにしてしまっていたのかな。なんだかそんな気がする。でも結局、どちらとも別れなくてはならなかった。だからこそこの物語は美しく見えるのだろうけど。
    「生まれてからずっと他人に世話してもらってばかりいたものが、誰か他人の世話をできるようになるというのは嬉しいものだよ」
    自暴自棄になったセバスチアンの中に芽生える、誰かに必要とされたいという願いはごく自然なものだと思う。そういうシンプルな欲求を、わざわざ信仰に結びつけなくてもいいんじゃないのかな。
    信仰が邪魔になって家族や夫婦が引き裂かれるのを見るのは切ない。相手の信じているものを同じように信じることはできなくても、尊重はできるようにしたいと思う。

  • 上下巻で話が断絶した感がある。下巻の最後で上巻の最初の場面と繋がっている。スティーブン・キングが推薦しているのはイギリスを味あわせる小説である。

  • 上巻とはうってかわって皮肉な口調の背後に深い悲しみが満ちる、斜陽のブライズヘッドを描いた下巻。オクスフォード時代のきらめく日々は遠い思い出となり、光の子どもの如きセバスチアンは酒に溺れ英国を去った。マーチメイン夫人は故人となり、再会したチャールズとジュリアはお互い既婚の身でありながら恋に落ちる。

    初読の時は若きセバスチアンの存在があまりにも眩しく、それが消失しチャールズも浮世の些事にすり減ってゆく下巻は楽しめなかった。今回はこのほろ苦い後半部の襞のようなものを多少感じられた気がする。歳を重ねれば重ねるほど、その味わいは深まるのかもしれない。

    ただやはりわたしはセバスチアンを中心に置かずにこの物語を読むことはできない。人生ってこういうもので目の前の風景もどんどん移ろっていく。チャールズの人生の様相が変わっていくのも理解できる。それでも後半でセバスチアンが背景と化していくことをわたしはどうしても受け入れられない。

    チャールズはなぜジューリアと恋に落ちたのか?彼はセバスチアンとともにあったすべてを愛した。その一部がジューリアであり、ブライズヘッドの館であり、彼らをあらしめるカトリックという信仰だった。それらはみな失われゆく美の世界に属していた。チャールズはその一員にはなれず、その崩壊を止める力も持たなかった。

    エピローグで荒れ果てた礼拝堂に火がともっている。チャールズもまた信仰に目覚めたことを示唆しているが、彼の愛するものが再び戻ることはない。チャールズはこれからも思い出を愛で、滅び去った美を追い求めながら生きていくのだろう。

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著者プロフィール

Evelyn Waugh(1903-1966)
イギリスの著名な出版社の社主で、文芸評論家でもあったアーサー・ウォーの次男として生まれ(長兄アレックも作家)、オクスフォード大学中退後、文筆生活に入る。デビュー作『衰亡記』(1928)をはじめ、上流階級の青年たちの虚無的な生活や風俗を、皮肉なユーモアをきかせながら巧みな文体で描いた数々の小説で、第1次大戦後の英国文壇の寵児となる。1930年にカトリックに改宗した後は、諷刺の裏の伝統讃美が強まった。

著作は、代表作『黒いいたずら』(1932)、ベストセラーとなった名作『ブライヅヘッドふたたび』(1945)、T・リチャードソン監督によって映画化された『ザ・ラヴド・ワン』(1948)、戦争小説3部作『名誉の剣』(1952-61)など。

「1996年 『一握の塵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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