灯台へ (岩波文庫)

制作 : Virginia Woolf  御輿 哲也 
  • 岩波書店
3.95
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本棚登録 : 479
レビュー : 42
  • Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003229118

作品紹介・あらすじ

スコットランドの孤島の別荘。哲学者ラムジー氏の妻と末息子は、闇夜に神秘的に明滅する灯台への旅を夢に描き、若い女性画家はそんな母子の姿をキャンバスに捉えようとするのだが-第一次大戦を背景に、微妙な意識の交錯と澄明なリリシズムを湛えた文体によって繊細に織り上げられた、去りゆく時代への清冽なレクイエム。

感想・レビュー・書評

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  • 灯台の見える別荘での半日と、その10年後の数時間。それだけなのに400ページ、まったく飽きさせない。登場人物は少なくないからろくに名前を覚えないまま読み進めてしまったのだけれど、彼らの思ったことがゆるゆる流れていくばかりなのに、だれがどういう人なのかはっきりわかる。植物や海の描写も細やかで美しくて、うっとりする。自分が体験したこともこういう風に書いて残しておけたら、どんなにいいだろうと思う。

    タブッキの『レクイエム』でもそうだったけれど、いずれ取り戻せなくなるであろうものごとを想わざるをえず、読み終わってからしばらくぼんやりしてしまった。今大切に思っている、人とか関心とか場とかひっくるめた状況は、いつか必ず失われてしまう。外側が変わるだけではなくて、自分だって変わってしまう。もうそのことを知ってはいるのだけれど、次に何かが消えてしまうときはどんな喪失感が待っているのだろう。適当なことをして後悔したくないから、眼を開いて、耳をすませているしかないのだけれど。

    • baudelaireさん
      大学時代、英文学のテキストでした。当時は、英文を読むのに必死で内容を味わう余裕が無かったので、今度は日本語でじっくり味わってみたいと思います...
      大学時代、英文学のテキストでした。当時は、英文を読むのに必死で内容を味わう余裕が無かったので、今度は日本語でじっくり味わってみたいと思います。レビューを読ませて頂きありがとうございます。
      2016/12/08
    • なつめさん
      baudelaireさん こんにちは。ウルフはもったいなくて続けて読めない作家なのです。次は『ダロウェイ夫人』にしようかななどと考えています...
      baudelaireさん こんにちは。ウルフはもったいなくて続けて読めない作家なのです。次は『ダロウェイ夫人』にしようかななどと考えています。
      2016/12/08
  • 小説を書くときには一人称にするか三人称にするかを決めること。文章中で観察者の視点がブレると、読みづらい文章になるのでやめること……こういった『小説作法』がいかにいい加減なものか、この小説を読むと良く分かる。

    ――「ええ大丈夫です、ありがとうございます」とリリーはおずおずと答えた。だめだわ、やっぱりわたしにはできない。本来なら広がる同情の波に乗って、思い切りよく漕ぎ出すべきで、そう仕向ける圧力も甚大だったのに。ところが彼女はかたまったようにじっとしていた。きまずい間があった。二人とも海の方をじっと見ていた。いったいどうして、と氏は思う、ここにわしがいるというのに、彼女は海など眺めているんだろう? 灯台に無事たどり着けるぐらい、海が穏やかだといいですね、とリリーが言う。灯台だって! 灯台だって! それが何の関係があるんだ、といらいらしながら彼は考えた。

    これは『灯台』が実験的に書かれた小説であるということではなくて、むしろ言葉への深い信頼があってのことだと私は思う。ビジネス作法のような決まり事を守らなくても、作家に明確なヴィジョンが見えていれば、小説は成立するのだ。

    ――極度の疲れの中で絵筆をおきながら、彼女は思った、そう、わたしは自分の見方(ヴィジョン)をつかんだわ。

    小説中、あらゆるシーンで、この「ヴィジョン」というルビがふられた言葉が出てくる。この小説における「ヴィジョン」は観察した表象であり、また表現の技法なのか、あるいはその間にあるもののように思える。

    ――言葉なら思いつくし、ヴィジョンも浮かんでくる。それなりに美しい光景だし、美しい言葉だとも思う。だが本当につかみたいのは、神経の受ける衝撃そのもの、何かになる以前のものそれ自体なのだ。

    テキストとして見ると、浮かぶ感想はこんなものだが、それだけではない深い情感がある。登場人物から登場人物へと移り変わる心理描写は、ウルフの深い人間観照を思わせる。重厚に描かれる風景は非常にたくみで、先ほど挙げた観察者が存在しないシーンもある。冷たく観察しても、暖かく眺めても、たっぷりと楽しめる素晴らしい小説だった。

  • フォローしているある読書家さんの
    素敵に面白いツイートを読んで
    心惹かれ、買ってきて本棚に置いたままになっていた
    こちらを読んでみた。

    マンスフィールドの、大好きな短篇、
    「湾の一日」に似ている気がした。

    神様は、こうやって時折、
    地球の色々な人の気持ちをのぞいては
    楽しんでいるのではないかな?
    そんな風なことを思った。

    途中で、私としては最高に吃驚することが起こった!
    何かの「例え」なのかと思ったら
    本当にそれが起こったのだった!

    でもその後、しばらく読み続けていくと、
    「そうか、そういうことか…」と至極腑に落ちる不思議。

    この世のすべては万物流転なんですものね。

    長きにわたり、愛読し続けている方が
    多くおられることに納得。

    私もずっとずっと大事に何度も読みたい!

  •  ヴァージニア・ウルフというイギリス人女性作家を、わたしはシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』のなかで知った。ボーヴォワールが引用するウルフの文章に惹かれ、とりあえず図書館ですぐみつけることのできた本書を読みはじめた。
     本書の特徴は、小説であって詩のような、あるいは小説でなくて詩でもないような、「前衛的」といえばそれまでなのだが、その新しさにあるように思う。作者自身、「小説(ノヴェル)にかわる新しい名前を考案したい・・・でも何と?エレジー?」と述べている。
     たとえば、第一部と最終譚である第三部との間に第二部が時として「嵐のように」過ぎるという構成は、作品にある種の断絶をもたらす。実際、第一部と第三部では趣が180度変わってしまっている。しかし、いくつかの言葉や詩の一節「我らは滅びぬ、おのおの一人にて」がさまざまな人たちの口から、あるいは心から溢れ繰り返されることによって、ひとつの大きなテーマのもとに事象のひとつひとつが繋がって連鎖して、物語が織られていくようである。
     水のなかで空を見上げたときのような、ウルフの文章には静かな美しさが宿っている。第一部にある人間の描写、第二部にある風の描写、第三部にある死と美の描写、すべてがわたしの心に甘く鈍い痛みをもたらす。静寂のなかを無秩序に漂う悲しみであったり希望であったり、そういったものを拾い上げ束ねてくれる。
     ある批評家は、「時間と死、芸術の永続性についての声明」とこの作品を評価する。さまざまな言葉がひとつの象徴として音をなし、ひとつのハーモニーを成す。ウルフが試みたのは、小説という絵であったり、音楽であったり。芸術そのものなのかもしれない。
     ずっと手元におきたい作品である。

  • ラムジー夫妻にファーストネームが無い事に注目すべし。
    他の長編の主役には必ずフルネームがあったという事は、意図的なものと考えるべき。つまり個でありながらも、象徴的役割が強く与えられている。母性父性の雛形的な。(だから私の両親やあなたの妻、あなたの上司にこんなにも似ている)。

    それはある家庭の一日を描きつつ、創造神話的なジェンダー論、という層を持つ事を示している。
    だから夫人は典型的な「男尊女子」。
    ラムジー夫人は近視でラムジー氏は遠視、という象徴的な設定が凄い。つまり夫人は遠くが見えず、氏は近くが見えない。

    で、安全な殻に守られた家族の原風景として和んでいる内に、そこへ闇が侵入し、天照大御神は隠れ、その子らは切り離された混沌の世界、エデンの東へ投げ出されるが、やはり人はそれぞれに光を目指して進む。
    その繋がったばらばら感こそが著者が既存の信仰を超えている所だと感じる。人の生、というものは間違っていたり正しかったりするものではないのだ。

    何かひとつの答えが有るわけではない。我々がひとりずつそれぞれ、灯台へ何を持っていくか、考えるのだ。灯台へ何をもっていこうか、、それこそが生きるということである。そしてその紙包みのあつまるところ、、、、それが灯台である。(言ってしまおう、、、アカシック・レコードのイメージに近い)

    父性・母性、その超え難さや暴力性、或いは有機的な力に身を委ねる事の安心感。それを否定的にも肯定的にも、優しさ甘さと厳しさ残酷さを持って描いている。少なくとも、そこにある大切なものも描いている事は確かだ。
    (そして、本作での著者の立場・視点への反動として、性差や家庭から自由に解き放たれる為に「オーランドー」は創造されたのだろう。)

    ボートに乗り、青い空の下、象徴的に彼岸へ渡って行く。その心地よさ。そして、何故か、その記憶が私の中のどこかにある。いつか私はキャムだったのではないか?

    (で、また霊は地上へと受肉し、受肉したての目から観た世界、という「波」の冒頭へと見事に繋がっていくのだ!)

    *追記/
    最後リリーが舟の3人を思うあたり、どう考えてもあれは野辺の送りの心境である。著者は明らかに3人を象徴的に殺している。
    では何故そんな事をしたのか?と暫く考えていた。
    著者の2つの側面を分割したのがリリーとキャムである。
    意思を持って古い価値観と向き合い、決別し、新しい世界を選び取っていく側面、つまりリリーを此岸に残し、古い世界をノスタルジーと共に彼岸へ渡してしまおう。と、そういう意図だったのではないかと思う。

    • 日曜日さん
      おはようございます。斑猫様のツイートを拝見し、こちらの本をすぐ読み出しました。とてもとても素晴らしい読書体験でした!きっかけを有難うございま...
      おはようございます。斑猫様のツイートを拝見し、こちらの本をすぐ読み出しました。とてもとても素晴らしい読書体験でした!きっかけを有難うございました。
      2018/03/22
    • 斑猫さん
      日曜日さん、こんにちは。コメント戴いてすごく嬉しいです。いつも日曜日さんの感想、楽しく読んでいるのですよ。私も「湾の一日」が大好きです。
      日曜日さん、こんにちは。コメント戴いてすごく嬉しいです。いつも日曜日さんの感想、楽しく読んでいるのですよ。私も「湾の一日」が大好きです。
      2018/03/22
  • 今年(2016年)最後のレビュー。

    アレハンドロ・イニャリトゥの映画「バードマン」のレビューで、ヴァージニア・ウルフの"意識の流れ"を感じさせると批評した人がいて、はて?誰だ?とそのとき思った。それからヴァージニア・ウルフの名が頭にこびり付いた。今回初めて読んでみた。なるほど。本作を読んで納得。ウルフの小説技法を視覚表現すれば、確かに2時間長回しのワンカットの映画ができる。


    哲学者ラムジー一家と画家リリーを軸に、灯台が見える別荘での1日と10年後の数時間。たったこれだけ。なのに最後まで読んでしまった。人物たちの視点は絶えず移りゆき、主客が転倒し、見る者が見られる者になり、思われる人が思う人になり、切れ目なく人も物も風景も、風さえも移ろいゆく万物がまさしく意識が流れるよう書き留められ抒情的に綴られていく。
    その過程は静謐で美しい。さらに、原文ではこの小説の美しさはどのように変化あるいは輝きが増すのか、と読後に想像してしまった。特に第二部「時はゆく」において、風の小隊が室内へと歩む様は、もし原文を英語を母語とする人が音読したら、言葉の韻と音のリズムは耳朶に心地よく響くのではないか、と妄想してしまう。

    過ぎ去った時間。滅びた物。消え去った人たち。喪失を抱え生きる人も、やがてはこの世から去る。万物は流転する。生々流転という日本語がある。誰が言ったか知らないが、なんであれ言い残した本人は流転した。が「生々流転」という言葉は流転しなかった。リリーが最後に見つけたのは流転する人と世界の在りようのなかで、なお残るささやかなもの(それは言葉や絵かもしれない)だったのではないか。読後にしばらく余韻に浸るいい作品だった。素晴らしい

  • 非日常を書く作家は数多くいるが、なんでもない日常を書く作家は少ない。
    事実を書いた作品は山ほどあるが、心を書いた作品は少ない。
    これはなんでもない日常、その場にいた心を書いた作品。ウルフさんまじ半端ねぇ。

    いつもと違う物語を読みたいという方へ。

  • 何だかところどころ泣きたくなるのはなぜだろうか。
    人と人との間に流れる感情のゆらぎだとか、風景と自分との折り合いだとか、荒廃してゆく家のすさまじさだとか。ときどき共感できてしまうからか。

    繊細、の評が多いようですが、物事の芯をきちんと捉えて、なるべく、正確に、表現してくれようとしているのだと思わされました。
    とくに難しい言葉を使っているわけではないのに、言いまわしが多様で飽きさせない。

    読み終わったあとに冒頭を読み返して、ああそうか、そうだったんだと納得。
    何年ものあいだ待ちつづけ、一晩の闇と、一日の航海をくぐり抜けて、灯台へ。

  • ヴァージニア・ウルフなんて怖くない?そんなことはあるまい。著者はブルームズベリーグループに属し、フェミニストとしても有名。ウルフの小説は、短編(名前は忘れたが兎の出てくる話)が微妙で読まなかったのだが、再考せねばなるまい。 本作品はまず、第一部が思わず引き込まれる魅力があって一番好き。夫人が強烈な印象を与える。第二部は全体がリリシズムを湛えるといっていいこの作品でも、特に抒情的。その中にも戦争への反感が根強く見受けられる。この部があることで「怒りの葡萄」の構成を考えさせられた。第三部はリリーと灯台行きに夫人への哀悼を感じる。 蓋し、第一部の1を読みきった時は、ここで短編として終わってもよいと思ったくらいに完成度が高く、ジョイスの「ダブリン市民」を想起した。だが、全体の印象としてはよりプルーストを思わせる。意識の流れは無論のこと、風景描写や詩的な雰囲気まで似ていると思った。プロットは前述のスタインベックと共に、福永武彦氏の「風土」が近いと考える。全体に、流麗という言葉がふさわしかろう。

  •  1927年発表、ヴァージニア・ウルフ著。孤島に住む夫人とその一家、彼らを取り巻く画家ら数人。第一部「窓」:明日灯台へ行くことを思いながら日が暮れ、夕餉の席で頂点に達する各人の心理的緊張を描写する。第二部「時はゆく」:擬人化した風や闇などに視点を据えつつ、それらに家が侵食されて廃墟と化していく過程を描く。第三部「灯台」:十年後、再び家に戻ってきたラムジー氏と子供達がようやく灯台に向かう。
     濃密な心理の流れだった。
     第一部:主観人物はころころと入れ替わり、特に夫人の存在感が他の登場人物の心理に及ぼす影響を精密に、詩的に、哲学的に描いている。静かな池に石を投げ入れて波紋が広がっていく様を眺めているような印象を受ける。ストーリー自体はほぼ動いていないのだが、微妙な精神の揺れを介して、各人の関係や思想が浮かび上がり、物語に深みを与えている。
     第二部:この部が一番面白かった。風の小隊など、自然現象に関するユニークな表現が目を引く。それに比べて、主要人物のストーリーは非常に簡潔に語られている。生き生きとした自然と無機的な人間。全てが朽ちていく、という事実がひしひしと伝わってくる。
     第三部:つくづく人の死というものは、肉体としての死だけでなく、心理的な内面の世界(それは他の人の心にも食い込んでいる)をも含むのだと痛感した。そしてようやく灯台に到着したシーンでは深い解放感を覚えた。特別取り立てて言うことのない本小説のストーリーなのだが、たったそれだけの行為に膨大な心理が詰まっているのかと思うと、感慨深いものがある。こうして一旦は灯台に流れ着いた精神の流れは、これからも、永久に、主観人物を変えつつどこかへ流れ続けていくのだろう。
     解説によると、本小説は著者自身の両親に対するレクイエムらしい。永久に続く流れに身を委ねること、委ねられると納得できたこと、その穏やかさを著者はきっと感じたことだろう。

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