灯台へ (岩波文庫 赤 291-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003229118

感想・レビュー・書評

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  • 第一部の「窓」はラムジー夫妻を中心とした(特に夫人)生活空間、家族、何気ない日常が舞台である。

    この何気ない日常の生活に、時間の流れに、人生において大切なエッセンスが詰め込まれていると本書を通して実感した。

    次の日に灯台へ行くという話が冒頭に出てくるが、実際に灯台に行くのは400ページを超えたあたりである。

    それまでに、個々が自分の人生や生き方、生活において考えていることを掘り起こし、向き合っていくような描写もあり、実際に私たちが生きていて直面し、悩むような内面的な問題なども見受けられる。

    このように、人の内情に深く切り込みを入れて、露わにすることが出来るウルフの感性にただただ圧倒される。

    また、一家における柱である「父親」と「母親」この2人の対照的な表現も見逃せない。

    本書ではラムジー夫妻だけが、ファーストネームが出てこない。これはウルフの意図したところであろう。

    ファーストネームを出さずに人物についての描写をしていくということは、ラムジー夫妻はそれぞれ象徴として表現されていると思う。

    「父親像」と「母親像」なのか。それぞれの生き方、在り方、など様々な登場人物を通して見事に描かれていると感じる。

    ウルフの情景描写が鮮やかで、その瞬間を切り取って想像すると1枚の絵になるような感覚に襲われる。そして“いま”という刹那を鮮烈に書き起こし、過ぎ去った時間を振り返りつつも歩みを止めないという直向きさも感じる。

    いつまでも続くようなありふれた日常。しかし、目には見えなくとも日々変化し続けている。そのような無常の理を作品を通して実感させてくれる。

    そして第二部の「時はゆく」

    これは短い章であるが、自分とさいう存在は、果てしなく広がる時間の波に飲まれる、ちっぽけな存在であることを強く印象づけられる。

    第一部の緩やかな時間の流れに比べて、この第二部「時はゆく」の何が起ころうとも時間は過ぎ去っていく時間の緩急が見受けられる。

    第一部で永遠と思われた日常が、時間の経過により、変化していく。それも、大きな変化である。

    誰も住まなくなった家に「もう一度、昔のように使えるようにして欲しい」と管理を任されていたマクナブ婆さんは依頼され、家の崩壊と腐敗に待ったをかけた。

    プルーに関しての伏線もしっかり回収していた。

    そして家に人が集まり始める。家の時間は止まり始めたが、かつてその空間で過ごした人々が戻ってくることで、時間が巻き戻される。

    しかし人生というものはいつまでも同じ時を過ごせない。

    流れゆく時間の残酷さ、寂しさを強く感じる。

    人生は何が起こるか分からないし、何が起きても、人はこれを受け入れながらも生きてゆく。

    万物は常に変化しているが、その変化のスピードはそれぞれ違う。ラムジー一家が過ごした家と家族構成の変化。長い時間の流れを映像として見ているような表現。

    そして最後の第三部「灯台」

    ここでやっと灯台へ向かうことになる。

    第一部で書かれていたジェイムズの灯台へ行きたい気持ちに対する父とタンズリーの言葉、そこから受けた感覚が思い出され、ここでも伏線が回収される。

    ジェイムズが幼き日より感じていた父への思いと、自分では気付いていない本当の思いがキャム(姉)によって見つめられている。

    リリーのラムジー夫人に対する思いが溢れているところはすごく印象深い。

    「なぜ人生はこんなに短く不可解なのか」

    答えのないこの問いについて私も自分なりの考えを探し求めたい。

    細かな部分までウルフの意識が張り詰めたような作品であった。

    個人的には非の打ち所がない作品と感じた。

  • 初読

    「ダロウェイ夫人」に続いて、2作目のウルフ。
    お、出たな例の「意識の流れ」もう心積もりは出来ている、
    2回目なお陰で大分読みやすい…いやこれ翻訳もあるのかな
    すらすら読めるな…と感じたラムジー夫人主体の(といってもやはり視点は入れ替わるのだけど)第1部「窓」から一転、
    10年の時を経た第二部「時はゆく」第三部「灯台」になったら
    なかなかの苦戦…。難解、というわけではないのだけれども。

    小説、というよりも、
    空気や時間、匂いや色、といったものを
    文章にしてみたものがウルフなのかな、と。
    それが「意識の流れ」なのかしら。
    ずっともっとしっかり時間を掛けて繰り返し味わいたいような、
    逃げ出したいような。

    ヴァージニア・ウルフは、やっぱり少し怖い、手強い。

  • ヴァージニア・ウルフなんて怖くない?そんなことはあるまい。著者はブルームズベリーグループに属し、フェミニストとしても有名。ウルフの小説は、短編(名前は忘れたが兎の出てくる話)が微妙で読まなかったのだが、再考せねばなるまい。 本作品はまず、第一部が思わず引き込まれる魅力があって一番好き。夫人が強烈な印象を与える。第二部は全体がリリシズムを湛えるといっていいこの作品でも、特に抒情的。その中にも戦争への反感が根強く見受けられる。この部があることで「怒りの葡萄」の構成を考えさせられた。第三部はリリーと灯台行きに夫人への哀悼を感じる。 蓋し、第一部の1を読みきった時は、ここで短編として終わってもよいと思ったくらいに完成度が高く、ジョイスの「ダブリン市民」を想起した。だが、全体の印象としてはよりプルーストを思わせる。意識の流れは無論のこと、風景描写や詩的な雰囲気まで似ていると思った。プロットは前述のスタインベックと共に、福永武彦氏の「風土」が近いと考える。全体に、流麗という言葉がふさわしかろう。

  • 思考の大間違い(たとえば、世界が自分ひとりのために完結しているというような)を冒しているときに読み直したい本。人びとが、さまざまの視点からさまざまのことを、物語がばらばらになりそうなほど語るけれど、それはその実細い糸で丁寧に縫い合わされて、読者を場から離さない。……かと思えば時はあっという間に過ぎ去る。そうして最後は、印象的な場面(シーン)の数々をひとりの人物のもとイメージのもとに残して幕を閉じる。こんがらがっていた真珠のネックレスが、糸をするするとただされて、終わりにかちりと留金をされたよう、でもあって、奇妙な充足感とともに、裏切りを成し遂げたみたいなおかしな達成感を見た。

  • 何がとか、どこが、というのは難しいのだけどとにかく面白かった
    ラムジー夫人を中心にしながら、変幻自在に登場人物の意識の中に出たり入ったり羽虫にでもなったような感覚
    しかも技巧を感じさせないくらいにふわふわと自然に

    しかも、距離を取ってみることを忘れそうなときにちょうどよく現れる絵描きとしてのリリーの存在

    しみじみとよかったなあ

  • あらすじを追っていくこと、それを自分の経験や知識に照らして理解へ落とし込んでいくことが、いかに無意味かということを、この小説は教えてくれる。

    この作家は、とても自分の心の動きに敏感な人だったのだろう。
    人が人と視線を交わす。ただそれだけの刹那、どれほどの思索が交差するか。それをあますことなく文字にしたらこうなるのかもしれない。
    こんな小説、ほかに見当たらないのではないか。
    そしてまた、これほど内省に特化した小説もない。
    すでに100年も前にものされてしまっているのだから。

    自分という存在は、果たして一貫しているのか。
    それにさえ疑念が湧いてくるようだ。
    それでも作家は、人間の最後の希望の拠り所は人とのつながりに見出しているのだろう。

    がんばって解釈すると上のようなことだろうが、まだまだ読み切れていないと思う。そして、きっと元気なときに読まないと、ひどいことになりそうな、そんな気がする本でもある。

  • ヴァージニア・ウルフの小説は、読んでいる時は淡々と進むのだけど、読後、時間が静かに、澱が重なるように残っていて好き。

  •  1927年発表、ヴァージニア・ウルフ著。孤島に住む夫人とその一家、彼らを取り巻く画家ら数人。第一部「窓」:明日灯台へ行くことを思いながら日が暮れ、夕餉の席で頂点に達する各人の心理的緊張を描写する。第二部「時はゆく」:擬人化した風や闇などに視点を据えつつ、それらに家が侵食されて廃墟と化していく過程を描く。第三部「灯台」:十年後、再び家に戻ってきたラムジー氏と子供達がようやく灯台に向かう。
     濃密な心理の流れだった。
     第一部:主観人物はころころと入れ替わり、特に夫人の存在感が他の登場人物の心理に及ぼす影響を精密に、詩的に、哲学的に描いている。静かな池に石を投げ入れて波紋が広がっていく様を眺めているような印象を受ける。ストーリー自体はほぼ動いていないのだが、微妙な精神の揺れを介して、各人の関係や思想が浮かび上がり、物語に深みを与えている。
     第二部:この部が一番面白かった。風の小隊など、自然現象に関するユニークな表現が目を引く。それに比べて、主要人物のストーリーは非常に簡潔に語られている。生き生きとした自然と無機的な人間。全てが朽ちていく、という事実がひしひしと伝わってくる。
     第三部:つくづく人の死というものは、肉体としての死だけでなく、心理的な内面の世界(それは他の人の心にも食い込んでいる)をも含むのだと痛感した。そしてようやく灯台に到着したシーンでは深い解放感を覚えた。特別取り立てて言うことのない本小説のストーリーなのだが、たったそれだけの行為に膨大な心理が詰まっているのかと思うと、感慨深いものがある。こうして一旦は灯台に流れ着いた精神の流れは、これからも、永久に、主観人物を変えつつどこかへ流れ続けていくのだろう。
     解説によると、本小説は著者自身の両親に対するレクイエムらしい。永久に続く流れに身を委ねること、委ねられると納得できたこと、その穏やかさを著者はきっと感じたことだろう。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    スコットランドの孤島の別荘。哲学者ラムジー氏の妻と末息子は、闇夜に神秘的に明滅する灯台への旅を夢に描き、若い女性画家はそんな母子の姿をキャンバスに捉えようとするのだが―第一次大戦を背景に、微妙な意識の交錯と澄明なリリシズムを湛えた文体によって繊細に織り上げられた、去りゆく時代への清冽なレクイエム。

    最近、現代の本ばかり読んでいたせいか、ちょっとついていけなかった...
    哲学的な本を読むには、哲学的な思考をもって読んだ方がいい、かも。

    ラムジー一家を中心に、客人や周りの人々を含む心理的描写を軸に描かれています。
    ある人の思いがある人へつながり、それがまた他の人につながっていく...
    不思議な感じを受けながらも、ある人への印象が人によって全く違ったりするのはおもしろい。

    第一部でいちばん印象的なのはやはりラムジー夫人でしょう。
    そして続く章でも、彼女はいろんな人に影響を与え続けます。

    毅然とした生き方が、リリーのように羨ましくも疎ましくも感じ...

    機会があれば再読してみたい作品。
    その時々によって、自分自身の成長も確認出来るような、そんな作品でした。

    この人の本、もう少し読んでみる必要があるかも。

  • 何だかところどころ泣きたくなるのはなぜだろうか。
    人と人との間に流れる感情のゆらぎだとか、風景と自分との折り合いだとか、荒廃してゆく家のすさまじさだとか。ときどき共感できてしまうからか。

    繊細、の評が多いようですが、物事の芯をきちんと捉えて、なるべく、正確に、表現してくれようとしているのだと思わされました。
    とくに難しい言葉を使っているわけではないのに、言いまわしが多様で飽きさせない。

    読み終わったあとに冒頭を読み返して、ああそうか、そうだったんだと納得。
    何年ものあいだ待ちつづけ、一晩の闇と、一日の航海をくぐり抜けて、灯台へ。

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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