完訳 緋文字 (岩波文庫)

制作 : Nathaniel Hawthorne  八木 敏雄 
  • 岩波書店
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レビュー : 48
  • Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003230411

感想・レビュー・書評

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  • 舞台は18世紀のニューイングランド、つまり未だイギリスの植民地だった新大陸アメリカの東海岸。新大陸に渡ったピューリタンたちを中心とした、新しい社会が形成され始めていた時期だ。物語は、晒し台の上に立つ罪を犯した女性と、その彼女に罪の告白を促す青年牧師、そして卑しい心を持つある男を中心に話が進んでいく。当時のピューリタン社会の堅苦しさを描くと同時に、青年牧師の苦悩を通し、「罪の告白」の重要性を改めて教えられた。

  • ひとの道徳や良心というものはこんなにも残忍で冷酷なものなのかと、思った。

  • 果たして断罪は救いになりえるのか。三者三様に緋文字に照らされた人生が克明に描かれる。もう呆然とするしかないくらい素晴らしいです。序文税関は辛いですが、故郷の描写など感服しっぱなしでした。

  • 19世紀アメリカの作家ホーソーン(1804-1864)による長編小説、1850年。舞台は、イングランドを追われた清教徒(Pilgrim Fathers)がアメリカ大陸に渡った1620年からおよそ一世代後、17世紀半ばのニューイングランド。

    新大陸にて自らの理想社会を建設しようと企てた清教徒の共同体は、彼らの謹厳実直で禁欲的な性格を反映してか、独特の宗教的厳格主義の傾向を帯びている。この清教徒社会の厳格主義的傾向はさらに宗教的不寛容をもたらし、1692年にはセイラム魔女裁判として悪名高い魔女狩り事件が起きている。ホーソーンの祖先はこの裁判で判事を務めた。そうした時代的背景が物語の空気を一貫して陰鬱で重苦しいものにしており、20世紀以降の奔放で享楽的なアメリカの姿との対照が印象的だった。

    「彼らのすぐあとの子孫、つまり初期移民の次の世代には、清教主義のひどく暗い影がまといついて、そのために国民全体の顔つきがすっかり陰気になってしまい、それから長い年月をへたというのに、いまなお浮かない顔つきをしている始末である」



    清教徒の厳格主義から来る自己懲罰的な傾向や、神に対するマゾヒスティックなまでの隷属ぶりからは、殆ど病的な印象を受ける。キリスト教信仰の文化がマゾヒズムという感性を醸成させたのではないかと空想してしまうほどに。「神」「罪」「地獄」などの宗教的な観念に、キリスト教徒の精神は如何に深甚に隷属させられてきたか。科学的な根拠の無い宗教的な観念を用いて生の苦悩を表現し・それを解釈し・そこから何らかの実践を導き出す、そのために延々費やされる大仰な語彙の堆積を見るたび、そうした形而上学的言辞の豪奢な虚しさ(当該形而上学の体系内で交わされる語彙の相互関係においてのみ有意味であるが、その外部から見ると全く無意味なものとしか映らない)と、にもかかわらずそこに注がずにはおれなかった奴隷的強迫的な情熱の膨大さとに、気が遠くなる。

    「ほんの一瞬まえ、彼女は希望をこめて、それを深い海に沈めてしまうと口にしたばかりだったのに、彼女がこの致命的なしるしを運命の手から再度もらい受けたとき、またしても彼女の上には避けがたい宿命の気配がただよった。・・・。つぎにヘスターはゆたかな髪をたばねて、帽子の下に押しこんだ。すると、まるでその悲しい文字には、物をしぼませる魔力がひそんでいるかのように、彼女の美しさは、その女らしい暖かさや豊かさともども、たちまち日がかげるようにかき消え、灰色の影が彼女のうえに落ちかかるように思われた」

    「わたしたちの破った掟!――いまこうして恐ろしくもあらわになった罪!――それだけを考えておくれ! わたしは恐れるのだ! 危惧するのだ! わたしたちが神を忘れたとき――わたしたちがおたがいの魂に対する尊敬をうしなったとき――そのときから、来世であいまみえ、きよらかに永遠に結ばれる希望はかなえられなくなったのではないかと。神はごぞんじだ、そして神は慈悲深い! 神はその慈悲を、なかんずく、私の苦しみのもなかにお示しになった。・・・。もしこういう苦悩がひとつでも欠けていたなら、わたしは永劫の地獄に呻吟することになっていただろう! 神のみこころが行われますように! さようなら!」

  • 17世紀、ニューイングランドのピューリタン(清教徒)社会。ボストンに住むヘスター・プリンには夫がいたが、数年前に家を出て以来消息を絶っていた。彼女は村の牧師ディムスデールと愛し合い、娘パールをもうけた。姦通の罰として彼女は 姦婦(adulteress)を示す赤いAの字を服につけさせられ、衆人環視のもと非難されたが、彼女は赤ん坊の父親が誰であるかを決して言わなかった。そこへ、へスターの夫がロジャー・チリングワースという名前の医師として村に戻ってきた…。

    閉鎖的な社会において、さらし者にされるヘスター・プリン。姦通に対してこのような形で罰することに慄然とする。
    人物の心象世界の叙述や象徴的文言で文章が編まれているため、個人的には結構読みにくさを感じたが、多様なイメージを喚起するのが名著の理由なのだろうと思う。

  • 17世紀のアメリカにおけるピューリタンの世界では、姦通は重罪であった。姦淫の果てにシングルマザーとなったヘスター・プリン、実は姦淫の相手であるアーサー(尊いはずのディムズデール牧師)、天真爛漫だが悪魔の色彩のある娘・パール、ディムズデール牧師に復讐する元夫の医師ロジャー・チリングワース、そしてヘスターやパールを制裁・疎外するセイラムの一般市民。
    戒律に基づく偏狭な原理主義(一般市民)と、本来は清教徒を含む全てのキリスト教徒に備わっているべき寛容の心(ヘスターを慕う一部のか弱い市民)の対比。これは清教徒やキリスト教徒に限定されず、人類共通のテーマである。逆に、『所詮、偏狭なカトリックを糾弾した清教徒も同じ穴の狢』と言うことも可能。
    最後は登場人物が全て世を去っていく。パールだけがセイラムとは別の新天地で幸せな結婚生活を送ったらしい。一般市民の心の偏狭さに対し、これだけは魂の救済要素として読者に提供される一筋の光。
    難解なのは、冒頭の『税関』の部分。クエーカー教徒の虐殺など、ホーソーン一族の血塗られた過去を振り返っても、『緋文字』の本筋とは関係なし。ホーソーンが税関勤務時代に緋文字の記録文書と『A』の布を発見したという設定のメタ・フィクションらしいが、本筋と書き振りが違い過ぎて、内容や位置付けの理解が極めて難しい。光文社古典新訳文庫ではどの程度容易に翻訳されているのか気になるので、後日確かめてみよう。

  •  1850年発表、ナサニエル・ホーソーン著。姦通のかどで胸に赤い文字を付けることを強制され、罪の子を育てることになった女。罪の意識で揺れ動く青年牧師。復讐に燃える、元の夫である医師。17世紀アメリカ清教徒社会を舞台に、彼ら三者、そして群集の心理から、罪と自由の本質を問う。
     すさまじく象徴性に富んだ小説だった。
     まず後書きにもあった、文体の「多項目選択的記述」が特徴的だった。こうかもしれない、こうかもしれない、と幾重にも文章を積み重ねて、深く薄暗い雰囲気を巧く充満させている。本小説、キリスト教的な罪を語っているという都合上、どうしても説教臭くなる場面が多々あるのだが、文体による文意の曖昧さによって嫌味は随分緩和されているように感じる。
     文体に加え、あらゆるモチーフが象徴的だ。そもそも「緋文字」自体が象徴であるし、主要人物三人そのものも罪を背負った何かしらの聖なる人物(あるいは悪魔)のようでもあるし、罪の子パールの執拗に神秘的な存在感、更には何気ない自然風景の描写にいたるまで。とにかく全てが徹底して、象徴を意識して描かれている。
     本小説は、もし単に姦通事件を描くだけだったら、今更読む価値のない古典になっていたはずだ。だが著者の象徴性への偏執的なこだわりによって、物語にいつまで経っても読み解けない、淵のような深みをたたえることになったのだろう。

  • [配架場所]2F展示 [請求記号]B-933/H45 [資料番号]2004300017、2012100001

  • もう一度、読みます。

  • オックスフォード大学出身の若い牧師が老学の若い妻と不倫を犯し、妻としての不名誉を二人の間に生まれた子供を抱き、晒し台の上で3時間立たされ、町中の者に恥をかかされ胸に緋文字の“A”(不倫を犯した女性)を縫い付けさせられる。一方牧師は口をつぐみ、7年間隠された罪に苦しみ悩み、最終的に同じ晒し台に登り、告白して死ぬ。

    北九州市立大学:名誉教授 乘口眞一郎

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