へスター・プリン。その音の響き、語感が快い。心に残る。へスター・プリン!なのである。
時は17世紀半ば(1642年頃)、所は北米東部ニューイングランド、ボストン。まだ植民地の遺制気配が色濃く残っている様子。住民、入植者の多くは清教徒らしく、基督教を厳格に保守的に守っている。そんな時代に、不義不倫の「罪」を背負って生きる女、それがへスター・プリンである。
その「 罪 」の烙印が、緋い文字で刻まれた( 刺繍された )A の文字なのであった。
入植されて日が浅くまだ荒涼とした風景。町の周囲に迫る原野、寂寞とした海岸風景。清教徒の女達の質素な暗い衣装。これらの絵柄、風景は味わい深い。
だが、小説そのものには少々辟易とした。読みづらい。文章がまわりくどく、もったいぶった表現で遠回りする如し。
※以下 特にネタばれ
ところで、へスター・プリンには不義の相手が居るわけだが、中盤頃からその人物が示唆されてゆく。ある若き聖職者なのである。そして終盤の祝賀行列の場面へ。その祝賀行事の説教で、彼はプリンの相手が自分であることを告白するのか? それが終盤のヤマ場となってゆく。だが彼はある種の苦悩を告白はしたものの、「 私だ 」と明言することはなくい。私が期待したカタルシスは得られなかった。
(因みに作者ホーソンは、多義的な解釈の余地を残す表現を好むらしい。)