- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003230619
感想・レビュー・書評
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黒猫
ウィリアム・ウィルソン
裏切る心臓
天邪鬼
モルグ街の殺人事件
マリロジェエの迷宮事件
盗まれた手紙
みんな大好きポーの作品を初めて読んだがなんだか予想とは違う作風。もっとガッツリエンタメを予想していたのだがジワリと徐々に湿ってくるような面白さだった
そして翻訳の古めかしい文体がまたいい塩梅で美しさと不気味さが出ていて心地よい
個人的お気に入りはウィリアム・ウィルソン、裏切る心臓、モルグ街の殺人事件だ -
「黒猫」を読んだ時に実によく構成された小説だなと思った記憶がある。
また「モルグ街の殺人事件」は昔母親が大学の時に、これを原文で読まされたらしく、つまらなかったという話になった。よくよく聞くとどうもこの短編の最初に、哲学的な話が繰り広げられるのだが、そこだけ切り取って読まされたようである。
確かにそこだけ切り取られてもなあ。
名文は名文だが。。 -
面白いかは別にして、独創性のある作家で感情と理性どちらにも類まれなものがあると思った。
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ほとんどの作品は別の本で読んだことがあるのですが、『天邪鬼』は初めてでした。
やっちゃいけないけど、やりたくなるみたいなことって本当にありますよね。ただ、それが悪い方向に転がると…という作品でした。 -
世界で初めて推理小説の定義として書かれた作品。再読。今読むと少しずるいところとかあるけど、デュポンとその友人の設定と同居するところ、デュポンが相手を考察するところなど、緋色の研究のホームズを思わせるようなコンビオマージュはこれが、起源ではないかと思う。
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なにぶんにも訳が古い。。。。特に漢字で表現されているものが実際何なのかさっぱり分からないものが一つや二つだけでない。
ただその古さが幸いにして、「黒猫」、「ウイリアム・ウィルソン」、「裏切る心臓」、「天邪鬼」において、つまり殺人の独白作品では、却ってその狂気が増幅されるというプラス面もある。
「モルグ街の殺人事件」、「マリ・ロジェエの迷宮事件」、「盗まれた手紙」はまさにシャーロックホームズそのもの。まさかパクったか?と思って調べてみると、ポオの方がコナン・ドイルよりも50年も前に生まれているのですね。。。。さて、コナン先生、ポオの作品から着想を得たのでしょうか?
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これはなかなかに面白かったですねぇ…古い作品だのに色褪せていないというか、現代人にも通じる精神世界?を描いているように思いました…。
作者もなんだか波乱万丈な人生を送られたようで…それは解説に書いてあるのですけれどもまあ、孤独な人生だったっぽいですねぇ…晩年にはすっかりアル中になってしまったようで…昔もこんな人が居たんですねぇ…という感じですかな。
ヽ(・ω・)/ズコー
ウィリアムウィルソン?とかいう短編が面白かったですかねぇ…単なるミステリではなく、人間の暗部やら深部やらに迫っている感じが良かったです。
ヽ(・ω・)/ズコー
他にも作品があるのなら読んでみたくなりましたねぇ…後はまあ、乱歩さんも影響を受けた作家さんであって、なんとなく乱歩が書きそうなお話だな、とも思いましたかねぇ…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー -
「黒猫」
子どもの頃、何で知ったのか忘れたが、「黒猫が横切ると不幸なことが起こる」という科学的根拠も何もないいわゆる「迷信」を聞かされたことがある。他には「靴紐が切れると…」というのもあった。今でこそそんなことは信じていないが、昔は友達同士ふざけあっていたような気がする。
さて、表題にされているように短編「黒猫」にも黒猫が出てくる。あらかじめ言っておくと白猫は出てこない。
語り手である「私」は心の優しい性格で、動物好き。小鳥、金魚、うさぎ、まだあるが割愛して、猫を1匹飼っていた。その猫は全身真っ黒の非常に大きな猫、名は「プルートゥ」。最初のうちこそ可愛がっていたものの、「私」の悪癖である酒乱によって黒猫に虐待を加えるようになる。眼をくりぬき、あげくには首に縄をかけて木の枝につるすというまさに狂気としか言いようがない行動を起こす。その晩、「私」の家が原因不明の火事になる。奇妙なことに、寝台の頭近くの壁だけが焼け崩れておらず、そのかわりに巨大な猫の形が薄肉彫りのように現れていた。首のところにはしっかりと縄の跡がついていた。
恐怖と後悔の念に襲われていた「私」はある店で、「プルートゥ」そっくりの黒猫を見つけて買う。しかし、またもや黒猫に対して憎悪を抱くようになり、手斧を振り上げて殺そうとしたが、それを阻止した妻を殺してしまう。妻の死体を地下室の壁に塗りこめる。数日経ってから警官がやってきたが、殺人の証拠を何も発見できず引き上げていこうとする様子を見た「私」は気分が高揚し、死体が塗りこめられている壁を杖で叩いて、「いやー実に頑丈な造りになってましてなあ」と余裕の勝利宣言というか完全なる墓穴を掘ったわけだが、そのとき壁の中から猫の鳴き声が。「私」は猫をも壁の中に塗りこめていたのだった。
この話の最初のほうでポオは「天邪鬼」の精神について触れている。
「だが、天邪鬼こそは、人の心の最も原始的衝動の一つ、(…)してはならぬという、ただその理由だけで、人はいかにしばしば悪事、愚行を犯していることだろうか。」(p.9 4-7)
「私」は3つの悪事、愚行を犯している。「飲酒」、「虐待」、そして「殺人」。
作品の主題を最初に提示することで、確かに「私」の犯したことは(「飲酒」は例外としても)残虐なことであるが、どこか滑稽じみているようにも見える。
「あーだめだこりゃ」と呆れながら読むという感じ。そのため、結末をに差し掛かったときに恐怖というよりは、口の端が少し持ち上がったように記憶している。「ふっ」と笑ったようだった。
一見相反する「ホラー」と「滑稽さ」という要素を合わせた物語をわずか20ページ弱という分量で書ききっている。無駄のない創作、これぞまさしくポオだということを感じることができると思う。 -
2015/3/31読了。
数学的アヘンというものを味わいたくて購入。
内容というよりは文章に何か依存性を感じるような印象(訳者の書く文章がそうさせるのかもしれないが)
原文で読むとどうなのだろうか。もし原文でもそういった印象を受けるとしたらポオの素晴らしさとともに訳者もまた素晴らしいということになりそう。
『マリ・ロジェエ〜』はまだるっこしくてダメだった。 -
「モルグ街の殺人」は推理小説のさきがけとして知られるが、「黒猫」での「私」の使い方はまるで叙述トリックの萌芽のようだった。
それにもしても日本での化政文化(直後)期の作品とは思えないほど今読んでも前衛的。まだ推理小説というジャンルが確立する前の作品だからでしょうか、まるでアンチミステリの雰囲気がある。 -
探偵小説のはしり。耽美的側面がある。
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心理小説な黒猫やウィリアム・ウィルソンは本当に素晴らしい……そしてとってもこわい……推理小説のモルグ街の殺人事件は乱歩が魅了されたのがよく分かる……影響受けまくり……
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『黒猫』
効果的に一人称が使用されている良い例‥なんてポーさんの作品相手には失礼か。でもこの不安定で信用の置けない語りが、よりいっそう作品を不気味に際立せるのですよね。冒頭に「子どもの時から、私は、情け深い柔順な性質で‥・」なんて書かれてるから、彼が残虐な行為してもつい、”違うんです!この人本当はいい人だったんです”なんて肩もっちゃうのも、結局ポーの一人称が上手だったからなんだよなあ。
この作品読んで思ったんだけど、たぶん一人称の魅力って語りと語られる世界との微妙なズレにあるんじゃないかしら。ポーはその未妙な亀裂を巧みに利用して、読者に不安感やら怯懦やらを効果的に感じさせる。この作品のテーマである「天の邪鬼」の精神も、そういった「亀裂」といったものに大きく関連しているのかも。そう思えば、プルートューに似ているけど微妙に違う猫とか、その猫の絞首台のマークが首ではなく、微妙にずれて胸にあるとこととか‥・うーんこの作品は微妙なズレでいっぱいに溢れてる気がします。
何か一つの価値観(それは道徳や倫理)に決して同一化することのできず、そこからどうしてもズレてはみだしてしまう、そんな人間の宿命を感じますね。まあとりあえず男の子の「天の邪鬼」初体験はきっとピンポンダッシュ。これだけは間違いありません。
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再読。
『ウィリアム・ウィルソン』はドッペルゲンガーものだけど、『黒猫」『裏切る心臓』『天邪鬼』はある意味同じテーマというか、ほぼ完全犯罪を成し遂げながらも、自らボロを出してしまうという同じオチ。「してはいけない」と思うほどそれをやりたいという欲求に抗えないという人間の心理を、くどいくらいにポーは追及しようとしていたようです。
『モルグ街の殺人事件』に関しては、推理小説の嚆矢としての功績は勿論認めるものの、あまりにも真犯人が突飛すぎて卑怯というか、それはないわ~ってのが正直な感想(笑)。『マリ・ロジェエ~』と『盗まれた手紙』はモルグ~と同じデュパン君もの。昔読んだときはとりあえず先が気になるので普通に読んだ気がするんですが、オチを知っている今読むと、デュパン君ってば理屈っぽいし前置き長いし、早く本題に入ってよ!と若干いらいらしました(苦笑)。 -
読んだはずなのに読んだ覚えがなく、読了までに同じ話を何度か読み返しました。
そんなエドガー・アラン・ポオの短編集です。
なんとも文体に眩惑される気がします。
黒猫の話は多分読んだことがないのですが(あまり自信は無い)、結末は知っていた。
おそらくはどこかで無粋なネタバレを見たのだろうが、これは結末を知っていたからといってどうなるという類の話ではないのでこれはこれで興味深く読みました。
探偵ものの元祖と呼ばれるデュパンものですが、なんというかどれもなんとはなしに想像したものと違っていたという印象。
ただお約束的な探偵の性質は確立されているなという印象。 -
“「ところで、以上、僕の言ったことが、どんな印象を、君に与えたか、それは知らない。が、ただ僕として、躊躇なく言えることはね、これだけの証書——つまり、ダミ声と金切声とに関する、これら証言だけからしてもね、もしそれから、正しい演繹さえなされるならばだねえ、今後この事件の捜査の進行に、結構一つの方向を与える手掛りになるだろうことは、請合いなのだ。『正しい演繹』と、僕は言ったろう。だが、僕の言いたい意味は、それだけじゃ十分でない。つまり、僕が言いたいのはね、その演繹とは、唯一の正しい演繹であり、したがって、嫌疑の手掛りというものはね、否が応でも、そこから出て来る唯一の結果としてでなければいけないのだ。ところで、その嫌疑の手掛りが、なんがかは、いましばらく言うまい。が、ただぜひとも憶えていてもらいたいことはね、僕に関する限り、それは、あの部屋での僕の調査にね、ある一定の形、——あるいは、ある一定の傾向を与えるに足る、十分な説得力をもっていた、ということなんだ。”
ちょっと斜め読み。
デュパン君の口調がなかなか好き。
“「ほう?じゃ、なにか、特に中へ入れて置いたの?」
「なに、白紙にしておくのも、なんだろうかと思ってね、——だって、それじゃ、あんまり馬鹿にしてるってもんじゃないか。それにはね、D——の奴、いつかウィーンで、僕に、ひどいことをやったことがあるんだ。で、その時も、僕は、ニコニコ笑いながらだが、これは、きっといつかお返しするからね、と言ってやった。そこでだ、多分奴も、いったい誰に一ぱい食わされたか、さぞ犯人を知りたく思うだろう、と考えたもんだからね、せめて手掛りくらいは、与えてやらなければ、可哀相だと思ってさ、幸い僕の筆蹟は、よく知っているはずだし、白紙の真中に、ただ二行、
かくもむごこ企みも、
ティエストには、まこと応報なれ、アトレには当たらずとも。
とだけ書いておいた。なに、クレビヨンの『アトレ』の中の一節さ。」” -
一言、言葉が難しい(笑)
散らばる考えや意志には、自分自身と共通点がかなりありとても共感ができた。
しかし、金魚すくいの桶の中一層目立ち大きな魚を掬った程度にしか読み取れていない様に感じる。ようは納得のゆく読み方が出来なかった。
もう少し歳を経てから読みたい作品。積読でもよかったかも。 -
紹介を頂いて読んだ本。1800年代前半のアメリカの小説家で、文筆だけでそ生計を立てようとした最初の小説家であるという。酒乱の父親の遺伝子に生涯悩まされ、若くして死んでしまう。以下↓に掲載の写真からも、やや狂気じみた精神状態にあったことが伺えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC
本書はポオの有名な作品を集めたもの。「黒猫」「天邪鬼」では、まさに天邪鬼な行動に駆り立てられる人間の心理を鬼気迫る表現で描写しており、まさにポオ自身そのような衝動に悩まされ続けたのではないか、と思わされる。
一方で、「モルグ街の殺人事件」は推理小説で、ある殺人事件なのですが、丹念な調査の結果、警察がどうしても解が見いだせない中、探偵デュパンが、そもそも「犯人はヒトである」という前提から覆して解明していくというもの。
人は観察の結果から演繹的に捉えがち(前提を持って臨む)だが、現場を徹底的に客観視し、前提にとらわれず、帰納的に結論を導き出すこと。そのためには大胆な発想の転換と検証を恐れてはならないことを示唆しているかのようでした。
-『あるものを否定し、ないものを説明する』- -
大学の課題だったから仕方なく読んでいる。ホラーは苦手なんだが。
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こんな情緒不安定なのに
ポオなんて読んで大丈夫かなと
ヒヤヒヤしながら。
まさに「天邪鬼」に囚われている私は
一体何処で自由になれるのだろう。 -
モルグ街の殺人事件は犯人が意外過ぎました。
ちょっとぶっ飛び過ぎてる。
しかもそれが私の読んだ最初のミステリーなんだから、これは危ない。
ミステリーってこんなんなのかー、と思った挙句、ホームズと出会うのが数年遅れてしまったのでした……。
そういう意味では憎い本ですが、話は結構好き。
勿論、デュパンも。
しかしモルグ街が印象的過ぎてそれ以外の話を全く覚えてない……。
また読み返そう。 -
元祖推理小説といわれる本。
動機や設定が若干弱いが、推理展開は論理的で説得力がある。
前半の何篇かは怪奇小説。 -
ラオスの田舎町で足止めをくったので宿にあり、たまたま手に取った本。実は、さる尊敬する人が置いていっていたという面白い出会いの本。
「モルグ街の殺人」は世界初の推理小説といわれており、主人公デュパンのキャラクターが実にクール。著者が、一気に読み切れることで恐怖や面白さが増すと主張するだけあって読みやすい。
「何があったかというよりは、今までにない何があったかと考えるべきだ」C・オーギュルト・デュパン
推理小説というものを避けてきた自分が初めて読んだのが、世界初の推理小説とは奇異な出会い。書かれたのが、ペリー来航前だというのだから興味深い。
「猫を殺したから災難にあったというような因果律でものを考える弱い人間ではない」黒猫より -
はるか以前に読了したが、タイトルは忘れない。ポーにはまっていく一冊。途中で止められない。推理の迷宮に深入りしていく面白さ。
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おもしろかった。
謎が解かれていく気持ちよさ、鮮やか。
普段の生活で、推理するようになってしまった。
デュパンはすごい。ポオはすごい。