市民の反抗 他五篇 (岩波文庫 赤 307-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003230732

感想・レビュー・書評

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  • 代表的とされる六編のエッセイを収録。本文は約320ページ。巻末の訳者解説は各作品の解題を兼ねる。多くは講演や日記をもとにしている。

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    「市民の反抗」
    ガンジーやキング牧師、反ナチ抵抗運動にも影響を与えたというエッセイ。人頭税の支払いを拒否して収監されたエピソードをはじめ、政府批判に終始する。人々の良心に訴え、個人を尊重する国家を夢想する。

    「歩く」
    このエッセイを中心に編集された、ポプラ社の『歩く』で既読だったため、今回の読書ではパスした。基本的には『ウォールデン 森の生活』の簡略版のようなイメージをもっている。

    「ジョン・ブラウン大尉を弁護して」
    奴隷制度廃止運動家として活動し、反逆罪で絞首刑に処されたブラウン氏を擁護した講演からなる。奴隷制や政府の批判は前篇と共通する。

    「森林樹の遷移」
    基本的に純粋な自然科学的なエッセイ。ソローらしい社会批判はなりを潜め、森で暮らしたソローの観察眼が活かされた植物観察の記録。

    「原則のない生活」
    おもに労働に対するソローの考え方を表明する。雇われ仕事に対する強い抵抗感、忌避の念を打ち出している。人間はその本性に従って生きねばならないというソローの基本姿勢がわかりやすく見出される。

    「トマス・カーライルとその作品」
    同時代のイギリスの歴史家・評論家であるトーマス・カーライル作品に対する批評文となっている。二十代後半の文学修行中におこした文章とのこと。
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    ソロー関連では『森の生活』『歩く』につづく三冊目の読書になる。ガンジーにも大きな影響を与えたという「市民の反抗」への興味から本書にあたった。「市民の反抗」そのものは、人頭税支払いや奴隷制への反対などが『ウォールデン 森の生活』でも語られていたこともあってか、既知のソローをなぞるものだった。「ジョン・ブラウン大尉を弁護して」「原則のない生活」も、「人間の本性を大事にして、必要があれば政府に背を向けるべきだ」といった基本姿勢は変わらない。

    本書に収められたうち、「森林樹の遷移」「トマス・カーライルとその作品」は上記のような社会批判から逸れて、ソローの違った側面に光を当てた選択といえる。それだけにこの二編が本書で初邦訳というのも理解できる。話が一般論を離れて専門的になり事前知識も必要になるため、本書のなかではとくに興味をもつことが難しい二編だった。

    上記の二編を除いては、自然礼賛と、文明・政府批判、厭世的な社会観が基調となっており、ソローの特色といえるのだろう。所感としては、『ウォールデン 森の生活』で受けたソローの印象を大きく変えるような内容ではなく、かなり表面的な読書に終わったというのが正直なところだ。本書に収められた六編のなかで比較的面白く読めたのは、「原則のない生活」だった。解題を兼ねる訳者解説は各編の背景を説明してくれており、本文の前に読むのも悪くなさそうだ。

  • H・D・ソローは「森の生活」でとても感銘を受けていたので、本書も購入しました。本書はエッセイが6つ掲載されていて、ずいぶん毛色の違う内容となっていますが、期待を裏切らずとても満足しています。まず本書の読み方ですが、読みたいエッセイについて、まず巻末の解説を読むことをお勧めします。それによってどういう背景でソローがこの文章を書いたのか(講演したのか)、当時の環境からするとソローの主張がどれだけ革新的だったのかがわかります。それを把握したうえで(つまり19世紀米国マサチューセッッツ州の住民になった気持ちで)読んでみてください。

    タイトルにもなっている「市民の反抗」そして次の「ジョン・ブラウン大尉を弁護して」ですが、「森の生活」とはうってかわって、ソローの正義感の強さ、奴隷制への嫌悪感がよく伝わってきます。解説によれば「市民の反抗」はガンジーやマーティン・ルーサー・キングなども愛読していたとのことですから、社会改革派にとってのバイブル的存在だったことになります。

    ただ私はそのあとに登場するエッセイ、「歩く」「森林樹の遷移」のほうがより興味深く感じました。おそらく「森の生活」との近接性を感じたからかもしれません。「歩く」の中でソローは、単に外を歩けばいいということではなく、人間の手つかずの自然、原生林、野原を歩け、それこそが命の活力だと主張します。「野性的なるものは善に近し!」とソローは述べていますが、これなどは鈴木大拙氏が重視する「自然」(英語のネイチャーのような意味ではなく、人間を含めた生き物が自らの本来の姿を現すこと)に近いでしょう。大拙氏は日本語が本来意味する「自然」に該当する言葉が英語にはないと述べていますが、ソローは感覚としてその概念を持っていたのではないでしょうか。「森の生活」を読んでいるときもたびたび感じましたが、ソローの思想からは東洋的なエッセンスを多く感じます。主張のわかりやすさでいえば「市民の反抗」ですが、主張の深さという点で私は「歩く」がとても気に入りました。

  • 「統治することの最も少ない政府こそ最良の政府」、政府とは高々一つの方便にすぎない。常備政府が振り回す常備軍とは腕にすぎない。人民がそれを通じて行動を起こすことができないでいるうちに、政府そのものが常備軍と同じように乱用され始める。

    メキシコ戦争は常備政府を自らの道具として利用している比較的少数の個人のなせる技。政府というものを見ていると、人間は自らの利益のためなら、まんまと騙されるばかりでなく、自分自身を騙すことができる。

    政府とは人々が互いに干渉し合わないでうまく暮らしていくための一つの方便にすぎない。

    政府を打倒するのではなく、「もっとマシな政府」を作ろう。「多数派」が支配する社会は正義を基礎においているとも思えない。一人一人に備わった良心によって決定できるような政府はないか・・法律が人間をわずかでも正義に導いた試しなど一度だってなかった。むしろ法律を尊敬する人が不正に手を貸した。

    大多数の人間が人間ではなく機械として国家に仕える。防衛のためには反乱と革命を起こすべき。私は遠方の敵に対してではなく、我が故郷の近くにいながら遠くの敵と協力し、その命令に従っている人に対して異議を申し立てているのである。彼らがいなければ遠方の敵など害にならない。

  • 森の生活を読んで感銘を受け、購入。「歩く」のチャプターが好きで、よく僕も散歩に出かけるようになりました。ソローはサマセット・モームの「読書案内」で紹介されていた覚えがあります。

  • 「国家が個人を、国家よりも高い、独立した力として認識し、国家の力と権威はすべて個人の力に由来すると考えて、個人をそれにふさわしく扱うようになるまでは、真に自由な文明国は決してあらわれないであろう。」知人に教えていただいて、いま、選挙の前に読みたいと思って急いで読みました。
    「森の生活」を書いた、H.D.ソローのこの著作は、ガンディー、キング牧師、マンデラらの市民運動に影響を与え、世界を変革したそうです。(不勉強でした)
    冒頭に引用した一文読むだけで、現在の某政党が考える憲法改正案とは自由な文明国を志向する国が持つべきではないものだということが明らかだと思います。(私は、憲法改正絶対反対論者ではありません)
    6篇の短編からなる短編集ですが、冒頭の「市民の反抗」だけであれば、岩波文庫でたったの47ページ。今週末の選挙に行くのに、投票する先を迷っているのであれば、なにかのヒントになるかもしれません。
    私は読む前に期日前で投票しちゃったのだけど^^;

  • 「森の生活」を記し、ナチュラリストの先駆けとしての生き方を示したソロー。

    一方で彼はそれだけにとどまらず社会批評や講演をいくつもしていたそうです。
    その中の数本をまとめたのがこの本。

    なかでも「市民の反抗」は、間違った政府のもとでは正しき人がいる場所は牢獄である、として、ガンジーをはじめ後の世の人々を励まし続けました。

    「森の生活」「市民の反抗」。3.11を経た今の私たちにとって、これら著作から、ソローから、学ぶことは多いのではないでしょうか。

  • 「ウォールデン 森の生活」で有名なアメリカの思想家ヘンリー・D・ソロー。自然との共生という生き方に憧れる人達にとっては、シンボル的存在(今でいうところのC.W.ニコルみたいな人w)ではあるが、個人的には米墨戦争の不正義に対して一市民が何が出来るのかという問いに、不服従という行動で答えたことがソローの最も偉大な点であると考える。彼の行動がのちに、ガンジーやネルソン・マンデラにも影響を与えたことを考えると、アメリカが世界に誇れる思想家といっていいのではないだろうか。

  • 「森の生活」で有名なソローの論文集。
    1章の『市民の反抗』読んでたらガンジーの不服従運動を思い出したのですが、案の定ガンジーはこの論文に影響を受けていたそうです。
    国家の不正に手を貸すな。それで投獄されたらば誤っているのは法であり行為者ではない。

    「罪は不道徳なものから、いわば非道徳なものへと代わり、ついに、われわれが営んできた生活にとって、まったく無用とばかりはいえないものになってしまうのである」

    「政治家や議員たちは、完全に制度の内側に身を置いているために、その制度をはっきりとありのままに眺めることはとうていできない」

    解説によれば、この論文のテーマは、
    ①連邦政府あるいは州政府の法律や政策が、個人の良心-より高い道徳的法則-と矛盾をきたすような場合には、前者よりも後者のほうが尊重されるべきである
    ②政府がいちじるしく正義の観念にもとるような「暴政」に走った場合には、市民は納税拒否といった平和的な手段に訴えて政府に抵抗する権利を有する
    のふたつ。

    2章の『ジョン・ブラウン大尉を弁護して』では、奴隷制度廃絶にむけて戦ったジョン・ブラウンについて書いてます。
    彼を狂信者と罵ったメディアの体質に批判したりしてます。

    その後の章は結構、『森の生活』と重なるような議論が多かった。

    「われわれはいまなお成長しつつある子どもでなくてはならないのに、早くも小さな大人になっている」

    「いわゆる知識の大部分は、多少ものを知っていることへのうぬぼれにすぎず、むしろ実際上の無知から生じる利益をわれわれから奪いとってしまうものではあるまいか?」

    「働く者の目的は、生計を立てることや「よい仕事」にありつくことではなく、特定の仕事を立派にやりとげることでなくてはならない。また、金銭的な意味からいっても、街は労働者たちに十分な賃金を支払い、それによって彼らが単なる生活費の獲得といった低次元の目的ではなく、科学的、さらには道徳的な目的のために働いているのだ、と感じさせるほうがかえって経済的である。金のために働く人間ではなく、その仕事を愛するがゆえに働く人間を雇うべきである」

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