白鯨 上 (岩波文庫)

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感想 : 86
  • Amazon.co.jp ・本 (493ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003230817

作品紹介・あらすじ

「モービィ・ディック」と呼ばれる巨大な白い鯨をめぐって繰り広げられる、メルヴィル(一八一九‐一八九一)の最高傑作。海洋冒険小説の枠組みに納まりきらない法外なスケールと独自のスタイルを誇る、象徴性に満ちた「知的ごった煮」。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 児童用の簡易訳は読んだ。グレゴリー・ペックの映画も観た。「スナック モビー・ディック」と「スターバックスコーヒー」が向かいに建っていてどっちが勝つんだとか思ったこともある。(「モビー・ディック」が先に閉店した)
    しかし今まで手を出せなかったのは、
     この作品は小説でなくて捕鯨の論文だとか、
     いや小説や論文といったジャンルですらなく「白鯨」というジャンルだ、とか、
     キリスト教の隠喩が多いとか、
     難解だ~、
    などという噂ばかりを聞いてちょっと手を出しづらくて。
    しかしいつまでも恐れていてもしょうがない、今こそついにと手を出してみた。

    冒頭は主要人物紹介で誰がどうやって死ぬとかネタバレ状態、その次は航路や捕鯨船の船体説明、本編が始まったら鯨についての多くの資料からの引用集。
    これは確かに特殊な小説形式だと思っていましたが話が始まってみたら、私が比喩隠喩論文を理解していないだけかもしれませんが、小説部分はごく普通に楽しめる、そんなに身構えずに素直に読書体験を楽しめる一品でした。

    なお本文中では鯨を旧約聖書に登場する悪魔的な海の怪物”レヴィヤタン(Leviathan)”と訳されていることが多い。
    これは英語の”WHALE”で感じるようなただ大きな海の生物というだけでなく、もっと強い力を感じる生物として人間がどのように捉えてきたか…という象徴でもあるのか。

    ===
    私を「イシュメール」と呼んでもらおう。

    語り手は、陸の生活が嫌になると海に出る生活を送るという若者。数年前に捕鯨船に乗った時の体験を語る。読んでゆくうちにイシュメールの乗った捕鯨船は、彼以外の乗組員と共に沈んだのだと分かる。

    イシュメールは海に出る前に、南太平洋の”人喰い人種”クイークェグと知り合った。
    クイークェグは南海の島(ポリネシア?)の大酋長の息子で世界を見るためにキリスト教徒の国で暮らしている。イシュメールは、全身の入れ墨を施し、干し首を売って歩き、先祖代々祀ってきた神に祈りを捧げるこの異教徒の中に、高貴なる野蛮人の姿を見出し好意を持つ。そして彼らは真の友情を誓い合う。

     …えーーーっとね、船乗りにとってはよくある友情表現なんなのかどうなのか、このイシュメールとクイークェグとの友情表記が
      「額をくっつけ合って『これで私達は夫婦だ』と儀式を行った。夫婦と言っても心の友という意味であり、必要とも有らば相手のために喜んで死ぬという関係」
      「同じベットで和み愛し合うペアーとして心の蜜月を過ごした」
      「ベッドの中ほど心を打ち解けて話せる場所はない」
      「クイークェグは彼の足を私の足に絡ませたり…」
      「白人(イシュメール)と野蛮人(クィークエグ)が並んで仲良く歩くのは珍しがられたが私は気にしなかった」
      「クイークェグの勇敢な姿を見た私は、フジツボのように彼から離れなかった。…彼が海に沈むまで」
    などという記述が続くんですが、これは死と隣り合わせの船員なら当たり前の友情の示し方なのか…(--?)
    この実に濃い友情表現のため、私が読む前に勝手に敬遠していたこの作品へのハードルは一気に下がった(笑)

    さて、彼らが乗ることにした船は、エイハブ船長の指揮するピークオッド号。乗船前に浮浪者といった態のエライジャという男が現れて不吉な予言をよこす。
    船長のエイハブは片足を義足として船板の孔に固定して命令を下すような初老の男。エイハブの片足を奪ったのは、捕鯨船の船員たちにとっても象徴的な存在であり”モビー・ディック”という固有名(洗礼名)を付けられた巨大な白い鯨だった。話が進むにつれ、エイハブが白鯨モビー・ディックに寄せる偏狭的な復讐心が明かされてゆく。

    巻末の解説によると、そもそも旧約聖書における「イシュメール」という名前は、歯向かう者、追放者などの意味があり、純粋なキリスト教徒に名付けられたり自ら名乗ったりする名前ではない…ということ。
    また「エイハブ船長」などの人名や「ピークオッド号」という名称は聖書やアメリカの歴史からつけられたもので、不吉な名前であったり何かを引喩していたりするとのこと。

    そんな不吉さを纏って捕鯨船ピークオッド号は出港し、船乗りたちそれぞれの想いが語られる。
      一等航海士のスターバックは、家族も捕鯨船員で敬虔なクエーカー教徒。真面目で冷静な部分もあるが狂信的で向こう見ずな面も持つ。彼を生き延びさせたのは鯨を恐れる気持ちがあるからであり、それは正しい恐れ方だった。
      二等航海士は陽気なスタッブ。いつも手放さないパイプは最早体の一部だ。
      三等航海士のフラスクは小柄で頑丈で現実的。
    彼ら航海士達が指揮を取る鯨獲りのボートには、それぞれ銛打ちと船員たちが乗る。
      スターバックの船の銛打ちはクイークェグで、となると当然語り手イシュメールもこの船に乗っかっている。
      スタッブの銛打ちは、インディアンのタシュテーゴ。
      フラスクの銛打ちは、アフリカ人のダグー。(巨大なダグーと小柄なフラスクの取り合わせ)

    ピークオッド号が航海中に起きたことの小説としての書き方がなかなか面白い。
     船員たちが甲板で陽気にそれぞれの仕事を行う様子はミュージカル調に書かれ、
     船長室に閉じこもり思いを巡らすエイハブ船長と、エイハブの狂気に対するスターバックの憂いは演劇調に描かれる。
    ”わたし”という一人称で語られる割には目線は実に自由奔放。

    さらにピークオッド号の”物語”と同時に語られるのは膨大な鯨薀蓄と鯨考察。捕鯨の歴史、鯨の習性、鯨の種別など。
    この「白鯨」では鯨の種別は大きさで分けていて、イルカは一番小さな鯨としている。そして鯨は魚に分類されています。鯨とはなんぞや、とは、作者メルヴィルの時代にもかなり論争されていたようですね。

    そして捕鯨者たちには有名な白い凶暴な鯨、”モビー・ディック”について語られて、上巻は終わる。

    ===

    「白鯨」の話は二つの流れが混じりあいます。
    ①イシュメールの乗った捕鯨船ピークオッド号の物語。
     ⇒巨大な白鯨モビー・ディック、エイハブ船長の妄執、乗組員たち、航海中に出会った他の捕鯨船の話。
     一人称”わたし”で基本的にイシュメール目線だが、イシュメールがいない場面も書かれる。
    ②鯨談義
     ⇒鯨と人間についての色々。
     一人称”わたし”だが、作者のメルヴィル自身がイシュメールに交じってるような状態。(「ピークオッド号から数年後のイシュメール」という可能性もあるが)

    ①の物語は、登場人物たちがそれぞれ個性的で楽しく、
    ②の論文のほうは学術的に正しいのかどうかは全く不明ですが、論文とも小説とも言い切れず、「話の面白い人に、その人が拘っていることをひたすらしゃべらせた」みたいな感じで理解はできていないが文章として面白い。

    後書の解説はかなり丁寧。後書と言うか調査研究。
    聖書などの隠喩、捕鯨に対する歴史解説、出てきた名前の意味、作者のメルヴィルの状況などなど。

    このピークオッド号が沈むことはイシュメールの語りや不吉な予言や隠喩により示唆されているが、
    作者は語り手を通して「人間は醜い面や弱い面を見せることもあるけれど、本来は高貴な面も持っている。だから自分はその高貴な面を語りたい」と書いている。そのためか散々不吉不吉~と仄めかしてる割には流れは決して暗くはない。

    本格的に捕鯨が始まるであろう中巻に続く~~。

  • ★評価は読了まで一応保留。
    学生の時に図書館で借りて読んだという事実しか記憶になく、事実上の初読。
    凄い、何だろうこの雄大に歩を進めるともいうべき内容は。ストーリーがどうとかいう次元を超えた正に世界の名著。
    読み手である当方の教養の無さによりおそらくはこの本の真の意味を見逃しているであろうという厳然たる(そして悲しい)事実を差し引いても十二分に面白い。
    次巻以降が非常に楽しみ。

  • 序盤以外は語り手が定まらず、視点がふわふわと漂って海の上に浮かんでいるように感じる。その頃には物語も海の上で、うまい具合に誘導されていると感じた。聖書や歴史からの引用や比喩がふんだんで、わかりにくいことも多いが、それがかえって丁寧に読ませる。もっと冒険物語かと思ったが、人間の内面を掘り下げたり哲学的なところもある。モービィ・ディックはまだ姿を現さないが、その伝説が好奇心をそそる。さらにエイハブ船長の未来が気になる。それにしても、長い長い序章である。

  • 白鯨モービィ・ディックを狩りに行く海洋冒険小説であり、長い航海を再現する為の蘊蓄が多いのも特徴。エイハブ船長の執念が凄まじい。余談として、航海士スターバックは某コーヒーチェーン店の名前の由来にもなっている。

  • 名作なので教養として読んでおきたい一冊。

  • もっと堅い小説かと思ってた。ちょっと寓話的な物語?

    語り手の饒舌さに頭がくらくらする。特に第三二章「鯨学」の鯨の分類は、主観と感情に満ち溢れる記述で笑ってしまう。

    セビレ鯨は鯨嫌い。カミソリ鯨のことは誰も知らない。イオウバラ鯨は水遁の術を用いて遁走する。可笑しい。

    ここまではほぼ、捕鯨への情熱と人物紹介といったところ。退屈さ半分、面白さ半分で読んできたが、乗組みたちのこの先が気になるくらいに愛着がわいてしまったので、もう最後まで読むしかないのです。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/507977

  • 何がすごいって、ぜんぜん海に出ていかないのがすごい。
    寝起きをともにする男性に出会ったり(メルヴィルのホモセクシャル説があるのに納得。当時、これを書くのは危険だったのでは?)、新聞記事の見出しや百科事典みたいに解説したりと自由だけど、分厚い上巻の半分に至ってもまだ蘊蓄たれていて、いっそこのまま陸に居続けてほしいと願うに至り、ハハハ。

    願いむなしく、ようやく出航。蘊蓄の中にすーっと静かに航海しているのを感じさせる長い文章にもあっぱれ。村上春樹の初期の頃の表現方法にも似ていた。訳がいいのかメルヴィルの文章が簡潔で上手いのか読みやすいと思う。

    それにしても、日本と違い食べるためではなく、鯨油を取るのが捕鯨なのに復讐に行くって何?巨大動物に怨念って何、何??の世界。

    • sugikaeruさん
      イシュメイルも相棒の銛手クィークェグもキャラが立ってるし、船主コンビの会話も面白いし、実際この小説は船出までは普通の小説らしかったですね。わ...
      イシュメイルも相棒の銛手クィークェグもキャラが立ってるし、船主コンビの会話も面白いし、実際この小説は船出までは普通の小説らしかったですね。わたしは、これから始まる白鯨との戦いに胸弾ませました。鯨の解体作業もネットで観て予習したりしましたので鯨学の講義も結構好きでした。
      エイハブ船長が登場してから段々と雲行きが怪しくなりましたけど。
      2020/07/30
    • くろねこ・ぷぅさん
      Σ(・ω・ノ)ノ!!!
      私は頭脳が立体や空間図形、三次元、四次元に全く対応していないので船の図を見ても「う~ん??」とか鯨の解体作業も「え...
      Σ(・ω・ノ)ノ!!!
      私は頭脳が立体や空間図形、三次元、四次元に全く対応していないので船の図を見ても「う~ん??」とか鯨の解体作業も「え~??」とか理解が及ばない残念なことでしたが、解体作業ってネットで見れるんですね!びっくりです。
      でも、見ないこととしておきます。
      鯨をついた銛で命が奪われるシーンで痛くて、痛くて。
      引き続き、sugikaeruさんのレビューを楽しみにしつつ、終わりまで我慢する所存です。
      2020/08/04
  • 快調に物語が進んでいく冒頭、捕鯨船に乗ると決めた語り手イシュメールがいかにして相棒クイークェグと出会い、蜜月(!)を過ごし、特徴ばかりの登場人物を活写していく様はとても面白い。大冒険が始まる予感にワクワクする。しかも殊の外意外であったのは、メルヴィル自身が捕鯨船に乗った経験があり、その様子がリアルで決して空想の物語物語していないところだ。鯨学など章まで設けて捕鯨について無知蒙昧な読者に懇切丁寧かつ語りきれない悔しさまでにじませつつ使用する銛の作りから何まで蒙を開こうと説明してくるのだから驚いた。その後は劇調に描かれた章もあり、その文色の多彩さにも愉しませられた。題名であるモービィ・ディックの姿を紹介したところで終わる上巻、物語の導入として素晴らしい構成でした。

  •  小説として面白いが、何がすごいと言われると難しい。情報量が多いことが一つあげられるし、ここまで掘り下げて鯨のことを書かれると小説というより実際に起きたことじゃ無いかと思ってしまう。その辺りの情報の混ぜ方が非常に上手くて、新しい世界が構築されている。
     キャラクターに対する見方は、そこまで特別な目を持って見る必要はなく、個性的で面白い。イシュメールとクイークェグが仲良くなっていくところなどは冒険小説のようでワクワクした。人物紹介で、クイークェグがイシュメールを助けて死ぬと書いてあるので、二人が仲良くなった先には別れがあるのかと悲しくなりもした。
     二人が捕鯨船に乗りこみ、また個性的なメンバーとも会うと、百科事典かと思うのような鯨の講義が始まったりもする。これは何だろうかと、ぼやっと見ているしかない。冒頭での鯨が出てきた物語の引用といい、まるで鯨が世界の全てみたいな扱いを受けている。物質的な大きさだけではなく、概念としてのスケールが大きい。
     そして、どんどんと、船長のエイハブの狂気が分かってきて、あまり良くないことが起こりそうな雰囲気で上巻は終わる。偏執的な狂気という恐ろしいものが、海の上の船で出現しているというだけで怖い。船員は狂気に浸されて、白鯨を追い求める。狂気はどのように伝播して行くのか怖いが楽しみだ。
     難しい小説で、読み通すのも大変だという話をよく聞いたが、上巻を読んでいた限りではなかなか面白く読めた。
     
     私はMGS5を深く知るために、この小説を読んだ。そしてMGS5との関連性を多く感じた。主にキャラクターに対することで、白鯨を読み解けば、MGS5のキャラの心情も分かるだろう。
     最初の類似点はイシュメールだろう。MGS5ではイシュメールと名乗る男は、病院で会う顔の見えない男で、これはビッグ・ボスだと後に分かる。ヴェノムがエイハブと呼ばれているのだが、私はこの呼称は途中で混ざり合っているのではないかと感じた。イシュメールと名乗ったビッグ・ボスと、エイハブと呼ばれたヴェノムは、なぜなら一心同体と言っても良い関係性なので、ビッグ・ボスのファントムであるヴェノムがイシュメールになることはおかしくはない。事実、その後のヴェノムの役割は怒りを纏うエイハブの面よりは、語り部としてのイシュメールの面が多いと思う。
     次の類似点は、クイークェグという男だ。彼はイシュメールが最初に知り合う男で、すぐに打ち解けて心の友になる。島育ちの人食い人種で、顔には刺青が入っていて、ヨージョという小さな神様を持っていて独自の宗教がある。当然、白人社会やキリスト教社会からは異質な存在として認識されるので、イシュメールと仲良くなって船に乗った時には、田舎者の白人にからかわれたこともあった。その時にはクイークェグは、その若者を投げ飛ばして制裁を加えた。その後に帆桁が外れて、若者がぶつかり海に落ちると、クイークェグは一目散に海に飛び込み若者を助けた。「この世はどこ行こうとゆこうと相見たがいの持ち合い所帯だ。俺たち人食い人種はこういうキリスト教徒を助けてやらねばならない」。イシュメールはクイークェグの事を、高貴な野蛮人と称した。クイークェグはMGS5のキャラクターでいうとクワイエットだろう。DDの面々からすると異質で異端な存在だが、ヴェノムとは繋がっている。DDに招かれた子供のお守りが塩素プールに落ちて、それをクワイエットが飛び込んで拾うというシーンは、クイークェグの若者を助けるシーンと似ていると思った。クイークェグがイシュメールを助けて死ぬというラストも、MGS5では死にこそしないが同じようなシーンがある。
     次の類似点は、ピークォド号の株主で船長でもあるビルダッドとピーレグだ。この二人は船がある程度進んだら、陸に戻ってしまうのだが、イシュメールが船で働きたいと言ったときの対応がMGS5でのオセロットとカズに似ていた。イシュメールは自分の配当金は200番台の後半ではないかと予想していた。自分は商船で働いていたこともあるので、もしかしたら200番台の前半かもしれないと期待もしていた。ピーレグがビルダッドに何番配当が良いかと聞くと、ピーレグは777番だと言った。これにピーレグは怒って、そんな配当は無いと、この若者には300番配当を出すつもりだとまくし立てた。そこから二人は言い合って、出ていて、出ていかないと喧嘩になった。最終的には300番配当に落ち着いた。イシュメールは船長である二人が喧嘩をし始めてしまったので、驚いて何も考えていないが、相場では200番後半の配当が自然に300番になっているという、船長二人のやり手ぶりが見えるシーンだ。諸々を決めるトップの二人が喧嘩を始めてしまうと、下の者はそれが治ってくれと祈るばかりで思考が止まってしまう。オセロットとカズが喧嘩をしていたのもそういう魂胆があったのだろう。それがどこまで計画的だったかまでは分からない。でも、もしかしたら、カズはクワイエットを味方にするのに反対はしていなかった可能性もある。クワイエットの能力は使えると判断して、他の団員からの追撃を避けるために自分が率先してクワイエットに対する嫌悪感をあらわにしていたのかもしれない。カズだけが嫌悪感を出していては、団員たちもそれに準じて行動してしまって、クワイエットを襲うことがあるかもしれないが、もう一人のトップであるオセロットが賛成しているので、団員たちは板挟みになってとりあえず様子をみようとなった。これが二人の考えたことなら、かなり用意周到だが、あの二人ならあり得そうな話だ。
     次の類似点は、エイハブだ。エイハブはMGS5ではヴェノムが最初に名付けられる。だがイシュメールの時にも言った通り、ヴェノムはエイハブというよりイシュメールに近い。ならばエイハブの役割は誰に移ったのだろうか。それはカズに移ったのだと感じた。偏執的な復讐心を腹むカズこそエイハブ船長その人だろう。エイハブの独白を抜粋したい。
       連中は私のことを狂人だと思っている。/ だが、私は悪魔にとりつかれて
    いるだけだ。私は二重に狂った狂人だ。わしの手足がもぎとられるという
    予言があった、そしてーーーなるほど。私は脚を一本やられた。それなら
    、今度はわしが予言してやるーーー私の体をバラバラにしたやつをバラバ
    ラにしてやる、とな。 (p.410)
     
    そしてイシュメールが語るエイハブの過去と精神も参考になる。
     
       鯨のカマの形をした下アゴが一閃したかと思うと、モービック・ディック
       は草刈り人が野で草を狩るようにエイハブの脚を刈りとっていた。 / そ
       れゆえ、ほとんど命運を賭したこの遭遇以来、エイハブがくだんの鯨に熾
       烈な復讐心を抱き続けたことに不思議はあるまい。また、病的なまでに過
       敏になったエイハブか、自分の肉体的苦痛のみならず、知的・精神的憤懣
       のことごとく、モービィ・ディックのせいにしてしまったことにも不思議
       はあるまい。かくして、ある種の深遠な洞察力と感受性の持ち主にとって
       、自己の内部を侵食し、ついには心臓の半分と肺臓の半分までをも食らい
       つくし、残余の部分で生きることを余儀なくさせると感じられるほどの諸
       悪の根源の偏執狂的化身として、白鯨はエイハブの眼前を不断に遊弋する
       ことになったのである。そもそもこのような始まりから存在した、あの得
       体の知れなぬ悪意、近代のキリスト教徒ですらが世界の半分をその領とす
       るところとみとめ、古代東方の拝蛇教徒が蛇の姿に象徴して崇拝した神秘
       的としての悪意ーーーそれに対してエイハブはぬかずいて拝することこそ
       なかったが、その観点を、妄想とも言うべき怨念と不具合なりの全身全霊
       をもって、憎むべき白鯨に転嫁したのであった。人を狂気にさそい、かつ
       さいなむもののすべて、人生のよどみをかきたてるもののすべて、悪意を
       ひめる真実のすべて、脳髄をくだき凝固させるものすべて、人生と思考に
       淫微に潜む悪魔主義のすべては、狂ったエイハブにとっては、みなモービ
       ィ・ディックに目に見える形で擬人化されており、ゆえに実際に討ってか
       かることができる攻撃の対象となったのであった。エイハブは鯨の白いこ
       ぶに、アダム以降の全人類の怒りと憎しみの総計をつみかさね、また、お
       のれの胸を臼砲に、ほてる心臓を弾丸に、白いこぶめがけて発射したので
       あった。(p.452)

     拝蛇教徒とは蛇を崇拝するキリスト教の異端で、彼らは人言に善悪を知るための知識を与えた蛇を、人類に恩恵を授けたものとして格別に崇拝した。蛇が人類の解放者でもあった。エイハブはその考えにそこまで寄り添っているわけではないが、全ての憎しみと怒りはモービィ・ディックに向けられていた。アダム以降の全人類の怒りと憎しみとあるとおり、エイハブにとってモービィ・ディックには神だったのである。ともすればエイハブは失楽園で言う、サタンの役割も担っているのかもしれない。
     カズも人類の祖先と同様に、スネークによって解放された。世界が開けた。その世界への扉はいきなり閉ざされて、復讐だけが残ったのだ。
     エイハブはモービィ・ディックによって脚を失い、帰港の途中で偏執狂の虜になっていく。

       エイハブはこのことを、心の底でうすうす感じていたーーー自分の手段は
       正気だが、その動機と目的が狂っているのだ、と。しかし、彼はこの事実
       を抹消したり、変更したり、回避したりする力を持たないばかりか、長い
       あいだ人類をあざむき、いまなおあざむき続けているのか自分であること
       も承知していた。だが、この欺瞞は自分で感得しうるていのものであって
       も、意志によって左右しうるていのものではなかった。しかしながら、こ
       の欺瞞にまんまと成功したので、鯨骨の脚をつけてとうとう港に置おり立
       ったときにも、ナンターケットの人たちはみな、エイハブの相貌に、たま
       たま襲われた惨事に骨の髄まで震撼された者の自然な悲しみを見ただけだ
       た。 / 陸地にいる古なじみのだれかが、夢にもせよ、エイハブの胸にう
       ごめいているものに気づいたなら、その人は廉直な魂を震撼され、そのよ
       うな悪魔的人物の手から船を奪還するのに全力を尽くしたことであろう!
       彼らが思いさだめていたことは利潤をあげる航海であり、その利益は造幣
       局で製造される貨幣で計算されねばならなかったのである。ところがエイ
       ハブが思いさだめていたことは、大胆不敵な法理をこえた仮借なき復讐で
       あった。(p.455)

     仲間たちを上手く扇動していき、自分の復讐の手駒とする。ナンターケットの人たちは、怪我をして復讐を誓ったエイハブこそ、血なまぐさい捕鯨という仕事に適していると考えた。手足を失ったカズを見て、部隊の仲間たちはどう思ったのだろうか。きっとやる気に満ち溢れたのだろう。
     陸地にいる古なじみとあるが、MGS5で気になったのは、ビッグ・ボスはなぜカズに連絡を取らなかったのか。そしてなぜカズはラストでビッグ・ボスに対しての敵対をはっきりと示したのか。二人の中で何がおこったのかが分からない。カズが復讐に囚われる間に、ビッグ・ボスこそが次の復讐の相手だと感じたのだろうか。

    かくして、ここにいるのは、呪いをこめてヨブの鯨を世界をへめぐって追跡
    することに思いさだめた、神をおそれぬ白髪の老人であり、この老人を頭目
    とする乗組がまた、主として背徳者、無頼漢、食人種からなる雑駁な集団 /
    このような乗組が特別に選別され、エイハブの偏執狂的復讐を幇助するため
    に契約をむすぶことになったのは、何がしかの悪魔的な運命が参与したので
    はないかと思いたくもなるというものだ。なぜみんながあれほど熱狂的にか
    の老人の憤怒に答えたのかーーーいかなる邪悪な魔術によって彼らの魂が呪
    縛されて、ついにはエイハブの憎しみが彼ら自身の憎しみと区別し難くなっ
    たのか、エイハブにとって不倶戴天の敵である白鯨がどうして彼ら自身の不
    倶戴天の的になったのか、いったいどうしてこのようなことになったのかー
    ーーつまり彼らにとって白鯨とはなんだったのか、彼らの無意識の領域で、
    白鯨が漠然としていながらも疑問の余地なき実在として生命の海を遊弋す
    大いなる悪魔と見えてきたらしいのはなぜか (p.457)

     狂気は伝染していく、それが人を操るのが上手い理性の働く狂人だとすればなおさらのことだ。部下は狂った人を台風にしてどんどん巻き込まれていくのだ。MGS5のヴェノム率いるDDでも、昔のなじみなどほんとおらず、大体の兵士は復讐の相手に直接の恨みはない。復讐心はカズから流れていき、それが部隊の気持ちとなっていき、いつの間にか自分の気持ちに変化している。心の底から復讐を望むようになっていく。それはもちろん全てが計算されているのだろう。
     最後に見つけた類似点はモービィ・ディックだ。白鯨における神であり、世界でもある白鯨は、もしかしたらビッグ・ボスではないかと思った。最初はゼロかとも思ったのだが、人々が追いかけているのはビッグ・ボスである。イシュメールが語ることにモービィ・ディックが南北両半球の同一緯度で同一時刻に実際に見かけられたという話がある。ビッグ・ボスもヴェノムがアフガニスタンに降り立った頃には、噂話で幾人ものビッグ・ボスを見たことがあるというものがあった。
     だがビッグ・ボス=モービィ・ディックとすると気になる関係性がある。それはカズとのことだ。カズはエイハブとして考察した。ならばカズはビッグ・ボスに対して復讐をしなければならない。そしてそれはラストでビッグ・ボスと敵対する意思をみることで解決する。ならばなぜ、カズはビッグ・ボスと敵対するのだという、少し前の項目でも書いた謎を、ちゃんと考えよう。復讐にとらわれて、最初の復讐であるスカルフェイスを殺したカズは、次の復讐の相手としてどうしてビッグ・ボスを選んだのか。自分たちの危機に本人が来なくて、来たのは影武者だったからだろうか。ビッグ・ボスが表に出ることで起こる事象が、とてつもなく危ないことはカズだって分かっていると思う。それでも復讐をしたいと思うのは、お前がいなければ全てが無かったという考えだが、これはかなり危うい精神状態だ。一番近しい者に、一番思いの強い者に、恨みをぶつけるという考えはないことはないけど、それで解決する問題ではないので、気晴らしにしかならない。だが、それこそエイハブらしいといえばらしい。
     あまりされていない考察もして見たいと思う。ビッグ・ボスが世界を売った男といわれたのは、自分の意思を通すことで、世界に混沌をもたらしたからだ。MGS5の後にはビッグ・ボスの偽物が大量に現れていた。彼らは略奪を繰り返して、自分たちの組織を大きくすることしか考えていなかった。それはプレイヤーという意味が込められているのだが、カズは、その偽物のビッグ・ボスたちを倒して戦争経済を正しい方向へ持っていこうとしたのか。そうなると本当のビッグ・ボスとは敵対していなくて、その後にフォックス・ハウンドの教官になるのも頷ける。一般的に言われている考察ではないかもしれないが、一つの考えとしては面白いとは思う。

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著者プロフィール

1819年-1891年。ニューヨークに生まれる。13歳の時に父親を亡くして学校を辞め、様々な職を経験。22歳の時に捕鯨船に乗り、4年ほど海を放浪。その間、マルケサス諸島でタイピー族に捕らわれるなど、その後の作品に影響を及ぼす体験をする。27歳で処女作『タイピー』を発表。以降、精力的に作品を発表するものの、生存中には評価を受けず、ニューヨークの税関で職を得ていた。享年72歳。生誕100年を期して再評価されるようになり、遺作『ビリー・バッド』を含む『メルヴィル著作集全16巻』が刊行され、アメリカ文学の巨匠として知られる存在となった。

「2012年 『タイピー 南海の愛すべき食人族たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ハーマン・メルヴィルの作品

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