ディキンソン詩集(対訳): アメリカ詩人選 3 (岩波文庫 赤 310-1 アメリカ詩人選 3)

制作 : 亀井俊介 
  • 岩波書店
3.70
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  • Amazon.co.jp ・本 (170ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003231012

作品紹介・あらすじ

生前、わずか10篇の詩を発表しただけで、無名のまま生涯を終えたエミリー・ディキンソン(1830‐86)。没後発見された千数百篇にのぼる作品により、アメリカの生んだ最もすぐれた詩人の一人に数えられるにいたったディキンソンの傑作50篇を精選。「夢をはらむ孤独者」の小さくて大きな詩の世界を堪能できる一冊。

感想・レビュー・書評

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  • “わたしは「死」のために止まれなかったのでー”この詩が最も心に残りました。人生において「死」が真実であり「永遠」である事を、美しい余韻を残して表現しています。

  • 傍に置いて、ふとした時に読み返したい本。
    難しいところもあって理解しきれたとは言えないけど、寄り添って読むうちになんだか澄み渡ってくる。慰められてるんだと思う。
    なんだか蜘蛛に親しみがわいた。
    解説のおかげで理解が進むので助かる。

  • 19世紀アメリカを代表する詩人の一人。
    生涯で1775篇もの詩を生みましたが、生前に発表された詩はわずか10篇。しかもその全てが匿名で発表されたといいます。19世紀の無名の詩人が、いまや世界に名を馳せる詩人となった理由。それは、彼女の死後、妹が大量の詩を発見し1890年に彼女の詩集が出版されたことによります。その後1955年に彼女の全詩集が出版されました。
    この岩波版では、全詩集1775篇から選りすぐりの50篇が掲載されています。

    彼女の詩の特徴は、視覚的なものと内容的なものに分かれます。まず、ひとめみて感じるのは、ダッシュが多いこと、そしてところどころに大文字が混ざっていること。英詩は、二行目と四行目で韻を踏みます。彼女は時々踏んでいないこともあり、また、多くのBe動詞が省略されていたりと、ちょっとした遊び心が見られます。
    現在使われている英語は現代英語と呼ばれており、エミリー・ディキンソンが生きていた時代、1500〜1900年頃は近代英語が使われていました。なのでthou(ザウ)thee(ズィー、thouの目的格)などが使われているのも特徴です。

    内容的なものとしては、自然、愛、死、永遠、神といったものが多いです。彼女は人生の早い段階からうちにこもって過ごすようになり、教会へ通うことも途中でやめてしまいます。どうしても神の存在を感じることができず、信仰告白ができなかったそうです。
    読書の合間に、エミリーディキンソンの生涯を描いた映画『静かなる情熱』も観ましたが、「神の存在を感じられない」と口にして学校の教師に怒られたり、牧師が家にやってきて祈ってくれる時もその輪に加わらず、あとで父に「立場をわきまえろ」と怒鳴られます。が、詩の中では神をうたい、まったく信仰がなかったとはいえないことがわかります。
    特に印象に残ったいくつかの詩では、困難な状況にある時こそ希望が、死の時にこそ生が、外に出られない時こそ外に出られる喜びが感じられるとうたっています。これは普遍的なことではないでしょうか。

  • デュラスの『エミリー・L』の世界を旅する詩人が、この孤独なひとりの詩人を下地にしてゐることを知り、呼び寄せた。
    別に英語に特段詳しいといふこともないから、読み方もしらなければ、単語もよく知らぬ。ましてや文法など余計に知らぬ。けれど、このひとが、はるか遠い世界まで思考し、それをつぶやくやうにおずおずと書きとめたのかはわかる。
    生涯のほとんどを自宅から離れず過ごしたといふ。しかし、彼女の心のなんと自由なことか。一滴の水から、川は流れ陸を貫き、大海へと至る。彼女の精神は大陸を流れる。さうかと思へば、空高く、どこまでも光を求め、手を伸ばす。すると、今度は地中深く堕ちてゆき、静かに眠る。縦横無尽に世界の隅々まで駆け巡る。
    生きること、死ぬこと、おそらく彼女はひとつの同じことだと看破した。だからこそ、信仰が信仰であることの本質も見抜いてしまつた。きつと叫び声をあげてしまひたくなつたこともあるだらう。ところが、書くことに賭けて、決して彼女は叫ぶことはない。多用される―が示すやうに、声にならないものだけが、力なく漂ふ。まるで伸ばした手が何にも届かず、そつと胸にあてられるやうな。
    書きながら、彼女はかなり迷つてゐたのではないか。表現云々ではなく、書くことでことばになることで生じる痛みに。出版などもつての他、できるなら誰の目にもふれずしまつておきたかつたのだと思ふ。しかし、書かなかつたり、処分できなかつたりしたのは、生れてきてしまつたものを、殺すことが彼女にはできなかつたからではないか。思考の止まる場所、自身の死をどこまでも書きつづけたのは、それだけ、それこそ旅など必要ないほどに、ことばの、生命の躍動の中で生きてゐたからに他ならない。
    天国にしろ、冷たい墓の中にしろ、もうひとつの世界にしろ、そこに辿り着けるなら彼女はどれほど渇望してゐたことか。しかし、辿り着くには、どんなに考へても生きてゐる限り決して届かない。死が隔絶した何かであることを知つてしまつた。そして、死ねなかつた。生きることしか彼女にはできなかつた。それが彼女のどこか不器用なつぶやきだつたのだと思ふ。

  • 「今日から地球人」がとてもとてもよかったので、そのなかに出てきたエミリー・ディキンソンの詩を読んでみよう!と。
     うーん、わたしには難しかった。。。
    対訳で、英語と日本語、プラス解説があるんだけど、解説があるのでやっとなんとなく意味するところがわかるような、という感じ。解説なかったら、まったくなんのこっちゃ?だったかもしれない。この詩がすばらしいのかどうなのか、ほかの詩人の詩と比べてどうなのか、とか、わたしにはさっぱりわからないのかも。。。(泣)
    エミリー・ディキンソンの詩も小説のなかで、引用されていたり、話に出てきたりすると、いいなと思うのだけれど。
     
     でも、解説のおかげで、エミリー・ディキンソンがどんな人だったのかということはけっこうわかった気になっている。
     共感できるというか、親しみがわいた、というか。

  • 象徴主義ともロマン主義とも違う人。言葉を重く扱い過ぎずふわふわと扱ってる人。言葉遊びのような。

  • 高原英理さんの『詩歌探偵フラヌール』で取り上げられていたので気になって読みました。1775編の詩の中から50編を厳選。自然や死、神について語った静かな詩でありながら、何処かお茶目でユーモラスな雰囲気があり、軽やかな作風は読んでいてとても楽しかったです。何となくシモーヌ・ヴェイユのような雰囲気も感じました。ディキンソンの詩は他にも色々読んでみたいです。

  • 作品よりさきに作者の人生に興味を持ちました。ディキンソンは今でいう”ひきこもり”の状態で生涯のほとんど過ごしました。
    いわゆる”名家”だったから、働かなくても食べていけたでしょう。生活した場所(とうぜん彼女は生まれた場所からほとんど出ることはありませんでした)も、マサチューセッツ州の田舎で見渡せば、詩情を育めるような美しい風景が眼前にあったでしょう。
    と、なんだかヒガミ根性丸出しのレビューになりましたが、自分はディキンソンに共感を覚える部分が多くあります。作風はその土地の伝統を踏まえながら、臆することなくオリジナリティを前面に押し出すところとか、自分に納得できなければ、既成概念と”闘う”ところとか。
    それでたとえ孤独になったとしても、苦しみは感じたとしても後悔しない―。
    でももっと好きなところは、重くなりがちなテーマを上品な女性らしいウィットに包んで表現することもあるところ。ひきこもりというと、鬱々として部屋に閉じこもる―イメージがあるのですが、内面世界の広大な奥行きを感じられるのが、ディキンソンの詩の魅力です。
    若いころは一度ボストンなどにも旅したことがあって、当時開発されたばかりの機関車をモチーフとした詩も作っています。”流行り”にも目を向けているんです。
    1775篇という全作品の中から編訳者による50篇が選ばれた本書ですが、もうちょっと色々読んでみたいですね。あるいは女性の編訳だと選ばれる作品も変わってくるかもしれません。

  • 買った後にわかったことではあるが、サリンジャー作の登場人物のフラニーがディキンソンに溺愛しているのに気付いてこのディキンソン詩集を読んでいった。これは訳者である亀井俊介氏が精選した50の詩で構成されている。全体的に美しく包まれていて清らかだ、と読んでいて思った。中でも数行の短い詩が個人的に光ってみえた。没後に発表されたことが悔やまれる詩人の1人だと思う。

  • 映画『静かなる情熱』を鑑賞した際に岩波ホールにて購入。同じころ買ったプレヴェール詩集と並行してちょっとずつ読み進めてきた。俗世にまみれた都市の詩人プレヴェールの詩が開かれた詩だとすれば、自然を歌った孤高の詩人ディキンソンの詩は閉ざされた詩。どちらかと言えばプレヴェールのほうが好みなんだけども、かといって、ディキンソンの詩の世界が狭いわけでは断じてなく、それどころか、閉じているがゆえに奥に向かって無限の広がりを見せるのだ。映画での恐ろしすぎる闘病シーンのイメージが強すぎて勘違いしそうになったが、彼女がまだ病気を得る前、30代の頃から、死を身近に感じ、まるで死が親しい友達であるかのようにうたっているのには驚いた。信仰や名声といったものに対する感受性も独特で何度かはっとさせられた。あと、虫や草などのちいさな有機物に注ぐ慈愛に満ちているようでちょっと毒のある、どこか共犯者めいたまなざし。すごい。映画を観ることで、ディキンソンが暮らした自然の風景やまとっていた服なんかをありありと思い浮かべながら読めたのはよかったけど、実は映画は事実とはだいぶ違っていたみたいで、余計な先入観ができてしまったのはちょっと残念かも。今も私の脳内では、シンシア・ニクソンが複雑な笑みをたたえている。あと、これからは詩集を読むときは付箋を用意して、気に入った詩をあとから気軽に読み返せるようにしたい。あとの祭りだけども。

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エミリー・ディキンソンの作品

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