不思議な少年 (岩波文庫)

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本棚登録 : 958
レビュー : 107
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003231111

作品紹介・あらすじ

16世紀のオーストリアの小村に、ある日忽然と美少年が現われた。名をサタンといった。村の3人の少年は、彼の巧みな語り口にのせられて不思議な世界へ入りこむ…。アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれる作者が、人間不信とペシミズムに陥りながらも、それをのりこえようと苦闘した晩年の傑作。

感想・レビュー・書評

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  • マーク・トウェインとは思えないほど、重苦しいはなし。
    でも、これからの生き方を変えようと思うほど、考えさせられるものだった。

  • トムソーヤーの冒険書いた人とは思えないほどの暗さ。
    バタフライエフェクト的なくだりもありつつ、ひたすらに悲観に満ちた死生観がストーリーを取り巻いている感じ。
    思春期に読んだら人間不信になりそう。
    ただ、文章は重くなく読んでてストレスは一切なく流れるように読めた。

  • 早急に生き方を変えたくなる一冊。(変えたくなる止まりだったが…)

  • 「人生そのものが幻じゃないか」
    「あるものは君だけなんだ」
    人生や世界が自分自身がつくりだした幻にすぎないとして、それならどうして自分の人生の中身に喜びだけでなく悲しみなどの負の感情が多いのか。そのようなことは決して望んでいないはずだ。もしかしたら、悲しみは決して否定的な要素ではなく、あくまでも喜びを相対化させるために存するだけの要素なのかもしれない。そうすれば自分の作り出した自分の世界の悲しみにも何か積極的な意味を見出せるのかもしれない。というようにあっさりと最終的に自己を肯定してしまって完結していいとは思えず、肯定も否定も全てひっくるめて幻の人生であり、独我論なんだろう。そもそも独我論というカテゴライズされる話ではないという感想もよぎるが、やはりこの小説の最後の主題はキリスト教的な倫理観と鋭く対立する個々の主体を考えさせる独我論だと思った。

  • 人間に対する徹底したペシミスティックな視点



    「君たち人間の進歩ってやつは、どうもあまり感心しないね。もう一度新たに出直すことだな。」p182



    生まれ落ちたが最後なんです。

  • サタンの目から見た人間のやることと言ったら、確かにそう、その通り。でもサタンが変えてくれる運命も厳しい。少年たちが見る現実としては大変厳しい物語だった。大人の自分が読んで思うのは、自分以外の人が幸せか不幸かは、その人の一時、ただそれを見ただけでは判断ができないということ。幸せか不幸かは本人しかわからない。ただ、マーク・トウェインが3度も書きながら未完に終わってしまったこの作品との格闘には、「生きる」ということを教えてもらった気がする。しかし、Guardianのコメディー作品は笑えないのが多いなぁ。

  • 夢を見させられてその夢をさっぱりと醒まさせられた、そんな感じ。

  • この物語は、善良な神の摂理、魂、死後の世界、そして、現実そのものさえも「なにも存在せず、すべては夢である」と否定する。そこには晩年、最愛の人を亡くし、金銭的な損失を被り、健康を害したマーク・トウェインの悲観と絶望が反映されている。

    それにも拘わらず、結果として得られるものは、人類を啓蒙する哲学的な教訓である。不思議な力を持つサタンと素朴な少年との間で続くソクラテス的な対話の中で、読者は少年の驚きと不安を共有する。

    人間性に関する深い考察を含むこの作品は、自分自身を正すマニフェストのお手本にしてもいいかも。

    ちなみにこの作品、トウェインの死後に伝記執筆者が、彼の三種類の異なった原稿に加筆をしてつなぎ合わせ、真作であるかのように発表した贋作なのだとか。でも面白かった。本物の作品「不思議な少年44号」は、またの機会に。

  • 外に飛び出し、自らの体感を通して「現実の諸現象」を直視せよ!

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/detail?rgtn=B13650

  • 『オーストリアは世界から遠く離れて、眠っていた。』というメルヘン風の導入で、この眠りが妨げられるような事件がひとりの人物によって巻き起されていくのだろうと予期させる冒頭の掴みはよかったのだが、肝心の事件も登場人物も表面的な書き込みにとどまっており、いまひとつだった。

    悪魔の甥であるサタンと名乗る自称天使が、ちいさな村の少年たちと交友を持ち、やがて少年含む村人たちを混乱に陥らせていくという魅力的なプロットだが、単純にストーリーの展開にしても思想の掘り下げにしても設定を活かしきれずに力尽きたようなきらいのある大変惜しい作品だった。

    堕天したルシファーの二番目のお気に入りだったというサタン。(聖書に明るい読者なら一番が誰なのかおそらく見当がつくのだろう)
    名前こそサタンだが彼自身は天使だと自称し、自らの一族をエリートとして誇りに思っている。サタンにとっての人間は、殺し合いや足の引っ張り合いをしてばかりのマヌケ集団、等々。
    いくらでもおもしろくできそうな設定に満ちてはいるのだが、本編には描写というのが欠けているきらいがあり、サタンの冗長ともいえる長ゼリフで占められている。一方的な説教はブラッシュアップされておらずセリフのキレの悪さといい展開といい不満が残る。
    なにより三人いる少年のうちひとりは中盤あたりから忘れさられたかのように出てこなくなる点も、ひとつの作品としてはあまり練られていないと感じずにはいられなかった。冒頭でわざわざ紹介された少年たちの親の職業、オルガン演奏者(主人公の親のみ教会と関わりがある)、判事、宿屋が物語に絡んでくることもなく、村にいる二人の司祭(一方は悪魔を撃退した伝説を持つアドルフ神父、もう一方はアドルフ神父ですらおののく星占師をおそれないピーター神父)というように設定上では意味深長に属性を分けたにも関わらずさしたる活躍もなく終わる、悪魔と関連があるとされる伏線もうやむやとなる。

    ラストのなにもかも幻であるという夢オチ。どんな人間も妄想のなかで生きざるを得ない。自分の想像、固定観念を通してでしか世界を見れない。あの世はない、だからもう会うことはない。こういった思想をセリフで全部説明するのでなはく、もう少し描写として提示してくれたほうが個人的には好みだったし刺さったと思う。

    ところで一貫して人間はアホだと主張するサタンが、なぜそのアホな人間の少年たちを取りなしてまで話し相手になってもらいたがったのか。もしかして適当な人間を見繕っては人間は愚かという説教を延々繰り返しているのだろうか。そうだとしたら飽きないのだろうか。そもそもこれらはすべて夢だというが、元々写実性のないタイプのファンタジー小説でそんなことを言われても、そんなものは大前提の上ではないのだろうか。

    しかし、殺人・拷問・迫害を人間のやることではないと非難する主人公に対して、サタンの「いかにも人間らしい」という返しはよかった。馬も犬も手の込んだ拷問はしない。人はよく残酷な人間の行いを非人や鬼畜と非難することで、意識的であれ無意識的であれ畜生(動物)へ人の罪を押しつけかのような言説をする。残虐で陰湿、これが他の動物などではなくまさしく人間の一面であることは確かだ。何気なく使っている言葉の意味を考え直す必要を感じた。

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著者プロフィール

Mark Twain 1835年-1910年.
邦訳された自伝に、
時系列順に並べられている
『マーク・トウェイン自伝 〈上・下〉 ちくま文庫 』
(マーク トウェイン 著、勝浦吉雄 訳、筑摩書房、1989年)
や、トウェインの意図どおり、執筆順に配置され、
自伝のために書かれた全ての原稿が収録されている
『マーク・トウェイン 完全なる自伝 Volume 1〜3 』
(マーク トウェイン 著、
カリフォルニア大学マークトウェインプロジェクト 編、
和栗了・山本祐子 訳、[Vo.2]渡邊眞理子 訳、
[Vo.1]市川博彬、永原誠、浜本隆三 訳、
柏書房、2013年、2015年、2018年)などがある。



「2020年 『〈連載版〉マーク・トウェイン自伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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