人間とは何か (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1973年6月18日発売)
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本 ・本 (180ページ) / ISBN・EAN: 9784003231135

感想・レビュー・書評

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  •  マーク・トウェインといえば、『トム・ソーヤーの冒険』などの少年文学の巨匠という印象しかなかったのですが、本作のようなパンチの効いた論評本も書かれていたんですね。

     対話形式で書かれた作品で、とても読みやすく面白かったです。

     内容は、「人間とは機械であると主張する老人」vs「人間の良心を信じる若者」の問答集となっています。

     老人が、「人間、それは単なる機械である!なぜなら・・・。」と主張していき、若者が、「いやいや、そうはいうものの人間には良心や愛が・・・。」と反問していくカタチです。

     作品からの例証や実体験をいくつか挙げたりして論じていく老人に、半ば若者はたじたじです(笑)


     話題が「機械」から、「気質」や「鍛錬」や「善悪」やらと流れていきますが、老人がバッタバッタと「良心」や「道徳観」や「愛」を切り倒していく様はなかなか胸がすきます。

     本書は、考え方を説いたフィロソフィー本なのか、はたまた事実を暴いたドキュメンタリー本なのか。
     
     読まれる皆さんの感想が気になります・・・!

     主題とは逸れるのですが、私は、第六章「本能と思考」が白眉だと思います。

     「本能」の定義、「思考」のホントの意味、「自由意志」の有無について、物質的価値と精神的価値について、「わたし」はたくさんあるということ、人間と他の動物は平等であるということなどなど。

     いまもって悩ましかったりする問題や、日本に遅れて入ってきている問題などがたくさんここにはあると思います。


     トウェインが亡くなる4年前に出た作品(1906年)ということもあり、老人ロールはトウェイン自身でしょうか。
     それにしても、20世紀の初頭ですでにこういった世界観を持っていたトウェインに脱帽しました。

  • マーク・トウェインの人間観には恐れ入った。トウェインではなく正確には老人なのだが、この老人は徹頭徹尾、人間の善性を相対化する。あらゆる行動は自分によかれと自分が満足したい、という動機があるらしい。悪を行う可能性があるという意味では人間は動物以下でもあるらしい。

    こんなペシミスティックな老人が近くにいたら鬱陶しいなあ、と感じ、青年がんばれ!と読み進めるのだが、次第に老人に愛着を持ち部分的に共感するようになってしまった。なんだろうこの中毒性、トウェインの風刺の魔力。

    これを読んだ後で、中学時代に読み耽ったハックルベリー・フィンやトム・ソーヤを読むとあの頃とは見える世界が大きく変わりそうで、怖くもあり楽しそうでもある。

  • 「人間が何かってことは、すべてそのつくりと、そしてまた、遺伝性、生息地、交際関係等々、その上に齎される外的力の結果なんだな。つまり、外的諸力によって動かされ、導かれ、そして強制的に左右されるわけだよー完全にね。自ら創り出すものなんて、なんにもない。」

    本書冒頭にあるタイトルの答えとなる一節で、簡単に言うと、人は自分の意思で物事を決めているのではなくこれまでの経験や環境の集積の結果、機械のように物事に対して反応という形で動いているに過ぎないという事だと思う。

    そう考えると人生に起こる全てが運命で抗いようがない事であって、今までの後悔やこれからの不安が大したことないように思えるし、だからこそあまり深く考え過ぎずいろんなことに挑戦できそうだなと思った。

    だって運命だもんって何にでも思えるようになったらもっとラクに生きていけそうだと思う。

  • 老人と青年の対話調で綴られた、「人間とは外からの力に反応して作用するだけの機械である」という主張を説明する内容だった。

    言い換えると、「すべて人間は、自らの経験学習と気質に従って、自らの精神的満足を充足するための選択をする」ということが主旨だった。

    そのため、自由意志などや自己犠牲などは存在せず、一見すると当人にとって損な善行や苦行も、結局は「そうしなければ別の精神的な不満足によって耐えられない」という天秤で選択された行いになる。

    相手を小馬鹿にしたような語り口調と、説得に際し用いられる古い事例は少し読みづらいが、一貫した主張は明確に読み取ることができる。

  • 人間に対して、少しネガティブだが、人間観がまた一つ深まった。人間を機械に表現するとは実に大胆。

  • 難しい。難しいけど面白かった。最近なぜか古典を読みたくなって前から名言などでよく名前を見かけて気になっていたマークトウェインの本を読んだ。全般に渡ってペシミズム(悲観主義)で全面的に賛同するというわけではないが、完全に否定することは出来ないなという感じ。確かに自分も何も考えようとしなくても勝手に何か考えついていつのまにかその考えが頭を支配している。ただでも100%そうかと言われると…ンンンとなってしまう。この辺りはまた時間を置いて改めて読んでみたときの為にとっておきたい。とにかく今は読み終えて面白かった。というのとマークトウェインってどんな顔してるんやろということとハックルベリーフィンの冒険も読んでみようということ。100年前に書かれたとは思えないほど現代的な文章、訳し方によるのかもやけど。

  • 人間とは何かという仰々しいタイトルに反して対話形式でとても読み易く、それでいて人間の本質を突いている。
    老人の主張は一貫している。
    「人は自分の良心を安定させるためにのみ行動する」また「人の良心は、生来の気質と後天的な教育、訓練から得た知識や印象、感情の断片の集合体であり、人はこの主に従う出力機でしかない」というもの。
    これは僕自身も常々感じていたことだ。青年は終始それでは人間の価値が下がってしまう、救いがないということを言うが、全くナンセンスだ。価値が下がると感じるのは、ホモサピエンスという少しばかり賢い猿を実際より過大に評価していたにすぎない。著者はまた、偉大な人間、誇り高い人間は嘘の衣装を自慢しているだけだと貶める。つまり銅人間も炭素人間も金人間も、己の生得の原石を磨こうと理想をもち、訓練なり努力なりをしている限りにおいては、人はみな等価値である。そう主張しているのではないか。
    この老人は人間を貶める、冷たく、嫌な人間では決してない。長年の観察と検証から発見した事実を言っているのだ。その事実は、確かにある面では残酷で、批判的かもしれない。だがまたある面ではとても公平であり、人を勇気づける代物なのだ。
    本書は、少なくとも僕にとっては希望の書であり、ある種の救いとなった。
    ありがとうトウェイン。

  •  個人的に何度も読み直したいと思った本。


     例えばです。
     私の身の回りにはもう亡くなった人も含め、何人か認知症を患っていました。

     そのとき、「日常生活でできなくなってしまったこと」が数多くある中でさえ、人を選んで攻撃をする姿を幾人も目にしました。

     大体、人により、(八つ当たりなど)攻撃する対象は限られてるのですよね。弱者に向かう。もちろん当人が一番の弱者なわけですが、当人が元気だった頃の認識で弱者と思われる人間が攻撃対象になる。強い人間にはあまり向かわない。


     わたし、何となく見ていたり、その対象になったりして、
     「あぁ、自分に対する弱者強者を見分ける力って、結構人間の根源的な能力なんだなぁ。」なんて思っている。


     そこで、いかにうまく取り繕おうとして、勉強したり訓練したりしたところで、


     そんな努力なかったかのように身包みはがされる。


     それが、人間の性質なんであろうとすると、


     自分の性質は、決して素晴らしいものとは言えない。本当に。

     今までひたかくしにしているものが、いつしか決壊して漏れ出る可能性を考えると、

     自分の性質ってやつについてよく考える。

     まだよく見えていない部分も多いのだけど、

     せめて「そんなにひどくない」くらいだったらありがたいのですが…。

  • ニーチェの悲観主義とは比べ物にならないぐらいの悲観論です。人間は自分を安心させたい、自らが満足感を得たいという衝動しか持ち得ないといいます。例えば人の手助けだって、結局は自分の満足感に過ぎないかあるいは良心に対する苦痛の回避というものでしかなく、ある意味で苦痛の回避を買った結果にすぎないのだと。恐るべき悲観論。1度読めば、神経毒のように体を蝕んでいくような気な感覚を味わいます。こんな感覚はニーチェ以来です。人間は自己是認を得たいという衝動しかない。こんな思想のどこに救いがあるのでしょう

  • 人間は、外部の刺激に反応する機械のようなものだと、老人が青年に論破する会話劇。生物として人間を観察する視点で、他の動物と大差ない生き物だと論破する痛快さもある。良心や、道徳的行動など、人間だからこそもちえてそうな美德はことごとく動物的行動の結果にすぎないと論破されてしまう。
    一つのものの見方として、さまざまな角度から思考を巡らす時の視点として持っていても良い考え方だと思う。
    あの、トムソーヤを描いた作家というのにも驚かされる。シニカルな視点ももちえた作家だったのですね。人間を冷徹なまでも客観的に観察してきた著者だからこそ、表現できた作品なのだと思った。

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著者プロフィール

Mark Twain
アメリカの作家。1835年11月30日ミズーリ州フロリダ生まれ。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ。4歳のとき、ミシシッピー河畔のハンニバルに移住し、12歳で父を失い、印刷屋に奉公する。1857年ミシシッピー川の水先案内人を経て、1861年新聞社に勤めマーク・トウェイン名で文筆活動に入る。『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)や『ハックルベリ・フィンの冒険』(1884年)など幼年時代の自伝的小説で20世紀アメリカ文学に影響を与える。その後も冒険や自然の要素を取り入れた小説のほかに、エッセイ、旅行記など数多くの作品を発表し、当時のアメリカで最も人気のある作家となった。1910年4月21日、74歳で死去。

「2025年 『ハックルベリー・フィンの冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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