熊 他三篇 (岩波文庫)

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レビュー : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003232330

作品紹介・あらすじ

難解といわれるフォークナーの「語り」の魅力がストレートに、のびやかに発揮されている作品4篇。傑出した狩猟物語であり、少年の精神の成長史でもある『熊』、止まらないシャックリをめぐって語られる、南西部ユーモアにみちた『熊狩』…。ここには人々を、とりわけ少年を温かく見まもる人間フォークナーの優しいまなざしがある。

感想・レビュー・書評

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  • 人はだれしも「神」について考えることがある、ということに異論ある者はいないだろう。
    しかし神の姿を直接見たり、神の声を直接聞いたりした者は実際上は存在しない。そう言うと、いや、長い歴史のなかで神の姿や声を見聞きしたことがあるという者はいるではないか、と問うてくる者は多いかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。当たり前と言えばそうだが、それらはすべて人の姿、人の声によるものである。つまり、私たちは人間を介することでしか神の姿、神の声としての認識を得られないという強烈なジレンマのなかで「神」の存在を考えなければいけない。

    具体的には、人類の歴史において、神の姿や声を想像させるものとしては「言霊」が連想できる。しかし人間の存在だけで神の存在をイメージするのでなく、自分を宇宙全体のなかの1個体と見て、自分以外のものを神とみなす精神は有効だと思う。しかし、自分以外の存在全体のうち、神はどの部分またはどの範囲なのか?どのような形または事象なのか?
    見つけようとしても見出せずに、ほとんどの人は現実の生活にかまけて、そういう思考をやめてしまい終生を過ごす。

    私たちは、確かに定型化された神の姿や声に接した経験のある者は皆無であるものの、それを予兆させる現象に近づいたり触れることは可能なはず。だから、神の存在について考えることは決して無益ではない。ただし神の存在に自覚して近づくことは並大抵ではない。したがって「神」の方から自分の心に近寄ってくるのを、自分自身を磨きに磨いて曇りが生じないようにしながら待つしかない。

    私は「熊」を読み、この物語の核は、少年と「神」との邂逅にあると読んだ。
    言っておくが、決して熊を神だと言ってるのではない。また、背景となる大森林も神ではないし、少年の狩猟の師となる黒人サムや少年自身も神ではない。
    では何が「神」なのか?

    ここで話が少しそれるが、私たち現代人の生活は、本当に余りにも雑音が多い。
    別にネット環境やSNS依存を持ち出すまでもなく、神の存在を平常心で考えようとするには、ノイズが多すぎて全く目も耳も感性全体が効かなくなってしまっている。

    私はこの物語では、主人公である少年の視点から、大森林を背景として人の営み、熊の営み、猟犬やその他の生き物の営み、それらがすべて相関して抽象化された大きな一体の“生命”が、すなわち神として想像されるまでの過程を描いたものと考える。
    すなわち、自分自身の精神を研ぎ澄ますことで雑音を排し、人を介することなく神の存在を知覚することの可能性にフォークナーが果敢に挑戦したものだと理解した。

    さらに、この小説集を単なる神礼賛、自然礼賛といったものから一線を画しているのは、ひとえに少年の機微に深く入るかのようなフォークナーの精緻な描写につきる。
    森に生息する熊や動物やそれを取り巻く全体の“空気”に対する少年の畏敬、恐れ。また、未熟な10代前半の白人少年から見た、狩猟や人生の先達として、そして黒人としてのサムの存在感や距離感の変化などの描写が、反復と増幅により静謐ながらも徐々に高まるかのように読者に迫ってくる。
    読書感受性の鈍い読者は「同じようなことばかり書いてない?」とかピンボケな感想しか得られないだろうが、読書感受性の高い読者には、その繰り返しのような描写が、少年が絶対的に超越した存在の“何か”、すなわち神に近い存在を感じた(と思われる)過程の描写として、森の中で歩みを進めるがごとく胸に寄せてくるのを感じ取り、深い読後感を得られるにちがいない。

  • ★★★
    【熊】
    12月の2週間、森にキャンプを張り狩に出かける男たち。
    彼らの最大の標的は、大熊のオールド・ベン。森に君臨し、人の動きを読み、隙をついて家畜を襲う。
    アイク少年は10歳から参加させてもらえる。両親のいないアイクにとって、森は学校であり、恋人でもある。
    アイクに森を伝える、インディアンと黒人の血を引くサム・ファーザーズ。
    凶暴な野犬から強靭な猟犬となるライオン。
    森の息吹に触れて少年の精神的、肉体的成長。
    森が開発され、完膚なきまでに失われていくもの。
    決して感傷に浸らず、人の精神や森の息吹がまっすぐに書かれた極上の中編。


    【むかしの人々】
    「熊」のアイク少年が12歳までの話。
    サム・ファーザーズの生い立ち、アイクが初めて牡鹿を狩り、その血をサムにより顔に塗る儀式を経て、狩人になっていく。

    【熊狩】
    熊狩キャンプの野営の焚火の側で語られるコミカルなお話。
    「熊」から数十年後。少年だったアイクはすでに老年の狩人としてちょこっと登場。
    シャックリの止まらなくなった乱暴な男への、二人の男のいたずらの顛末と理由。


    【朝の追跡】
    これまたアイクが老年狩人としてちょこっと登場。
    語り手は両親に捨てられた12歳の少年。
    粗雑な言葉を使い(後書きで翻訳者が苦労を語っている/笑)、10歳で銃を使う。
    自分を引き取ってくれたミスター・アーネストに付き添い、狩のキャンプに加わる。
    見つけたのは大鹿。あれは俺の獲物だ…。
    ★★★

    文学だ。まさに純粋に文学だ、人間と森と狩猟に対して。
    読者はいきなり森に引き込まれる。書き出しがこれですからね。ゆっくり準備なんてしていられません。
    「今度はひとりの男がいて、それに一匹の犬もいた。いや、大熊のオールド・ベンを入れれば動物は二匹だし、ブーン・ホガンベックを入れれば男は二人になる。このブーン・ホガンベックには、もう一人の男、サム・ファーザーズの血と同じものが流れているけれど、ブーンの血はやや平民的で俗っぽい。あのサムと熊のオールド・ベンと猟犬のライオンの血は、純粋で不屈な血なのだ」

    収録の四編は純粋に狩猟文学であり、他のフォークナー作品で見られる人種問題や差別、南部気質といったものは直接のテーマではないが、書き出しのような文章から伺い知れる。

    冒頭の「熊」から最後の「朝の追跡」まで50年くらい経っているのか、人々は相変わらず森に狩りに行くが、時代は少しずつ変わっている。
    「誰もがすることと言えば十一か月と半月を耕して、あとの半月は狩をする。それで十分だった。だが今は違う。今はただ畑仕事や狩りをしているだけじゃあ足りんのだよ。人類の仕事に携わらにゃいかんのだよ」

    後書きで翻訳者がフォークナーへの想いを書いている。
    難解と言われるフォークナー作品を紹介しようと、各作品冒頭に人物紹介を載せたり、ある”柄”の絵を挿絵として載せたり色々読者に親切な作りとなっています。

  •  フォークナー著。大熊を標的にした狩りに参加できるようになった少年アイク「熊」、アイクが初めて鹿を狩る「むかしの人々」、シャックリの止まらない男へのいたずら「熊狩り」、少年が大鹿を狩ろうとする「朝の追跡」、の四篇収録。
     フォークナーにしては、時系列や視点となる人物が入り乱れることはなく、かなり読みやすかった。狩りの話にしても暴力描写はさほど強くはなく、どちらかと言えば雰囲気は牧歌的で、少年らしいイノセンスを感じる。その分、前衛的手法・暴力描写とは別の、フォークナーが持っている実力が現れていると思う。
     後書きにも書かれていたが、本小説は、狩猟物語であると同時にそれ以上の何かを伝えようとしている、読んでいてそう感じるのだ。その「何か」は一般的に、詩的・哲学的・暗喩的・象徴的などと呼ばれるものだが、それを意識している小説家こそが「本当の小説家」なのだと私は思う。フォークナーは間違いなくその一人だろう。
     四篇の中で最も面白いのは、やはり表題作の「熊」だろうか。少年とともに狩りに参加していくような気分になるストーリーの流れ、化け物じみた犬ライオンと大熊オールドベンのインパクト、格闘シーンの迫力、そして何よりラストシーンの振り切り具合。「熊狩り」もそうなのだが、貧しい人の貧しい心というか、惨めに何かに縋りつく感じというか、そのようなセリフで話が終わってしまうことに何とも言えない余韻を感じる。

  • 土地に根付き、そこでの暮らしに強いアイデンティティを持って生きていた人々。深い印象を残すのはその人物達の「死」だ。
    少年アイクの師匠サムも、その古い友人のインディアンも、最期には森と共に死ぬことを選んだ。心の置けない身内に、自分を殺させた。ではサムの意志を受け継いだかつての少年、アンクル・アイクはどんな最期を迎えるのだろう、と思いを馳せずにはいられない。やはり自ら死を選ぶのか。それも分かる。彼は森と精神を同化する経験を通して一人前になった人間だからだ。あの森は彼の親以上、友人以上、先生以上の存在だろう。しかし一方で、彼は生きるだろうという気もする。アイクは白人で、サムの意志は継いでいても血は継いでいないのだから(インディアンの血を継ぐブーンはやはり土地に対して強烈な執着があることを示すようなラストだった。)。
    あるいはそんな理屈抜きに、単にアイクに生きて欲しい、と願っているだけかもしれない。アイクが土地に生の根拠を求めず、何かまた別の希望によって生き延びるのなら、その希望は今を生きる私も共有できる物のような気がするから。

    フォークナーでまともに読めているのは今のところこれだけだが、「土地」や「血族」といったテーマがこの作家の主題であるなら、本作は読み易いながらもそのエッセンスを感じることができる。

    なお、ふたつ目の「むかしの人々」が表題作である「熊」の伏線を回収するかたちになるので、少なくともこの2作はまとめて読むと理解しやすいと思う。

  • 一年一冊フォークナー。今年は短編集「熊」。
    4つの短編は、同じ森林、同じ登場人物、狩猟をテーマにして繋がっている。表題作「熊」がよい。少年と森の主である大熊オールド・ベンとが対峙する場面に鳥肌が立った。獲物を追う緊張をはらんだ文章と、打って変った雄大な自然描写に酔いそうになる。
    フォークナーの長編は、言葉の奔流とでも呼びたくなるが、本作は鍛えられた馬体を思わせるような、締まった文章が印象的。

  • おもしれえええええフォークナーハンティングわーい\(^^)/ 情景描写がほんとに美しい。語りの文体がいきいきとして風景と心理の描写が巧みに融合してる! お気に入りは「朝の追跡」です。耳の悪い老人と少年にぐっときます。なんか、しょうもないエコロジスト的な価値観ではなく、自然と一緒に過ごすという空気、雰囲気、ああうまくいえない、ただそこにあるものである、それは自分も他人も動物も自然もすべてひっくるめてただ存在しているのである、そういうある種の達観というか悟りを秘めたダンディズムというかなんというか、サンテグジュペリの夜間飛行を読んだときにもかっこいいいいいとなりました、あれと近いものを感じつつ、けど違う、フォークナーはもっとラフに力が抜けた大人のかっこよさだ。うん、いい小説。心からいい小説。

  • 荒野と奴隷、大荘園が南部なら、大自然もまた南部。

    森と狩猟と少年の関わり合いを、フォークナーが暖かく神秘的に描き出した短編集。

    特に「熊」は傑作。

    恐ろしい人間的暴力や狂気とはかけ離れています。
    しかしこれもフォークナー。

  • 一文が長い文体には、創作の勢いが感じられる。

  • なぜかフォークナーの描く昔の南部の白人と黒人やインディアンの人間模様が好きである。なにか温かいものがある。

  • 「熊」のみ読んだ。
    フォークナーに慣れていないからか難しい印象を受けたが、言葉の端々に見られるフォークナーの視点、特にラストの描き方にはっとさせられた。

    自然や人間の存在、生死とは何か、という問いが作品の背景にあるように感じた。
    特に、作中の自然の描写を読んでいると、自然自体が生死が同時に存在する大きな器であり、生命の象徴かのように思われる。
    また、少年が熊に会うために、”物を捨てて”森へ入り、ようやく熊に会えるというのは、なんだか、熊が少年の行動を知り、少年を認めているようで面白いと思った。
    物質主義的でない生き方の人間ならば、熊も人間を森に受け入れ、共存できたのだろう。

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