響きと怒り (下) (岩波文庫)

制作 : Faulkner  平石 貴樹  新納 卓也 
  • 岩波書店
4.20
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本棚登録 : 148
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003232354

作品紹介・あらすじ

コンプソン家の現在を描き、物語にいっそうの奥行きを与える後半。「奇蹟が起きた」と言われるこの作品の成立によって、フォークナー独自の創造世界は大きく開花し、世界の文学に幅広く影響を与えた。のちに書かれた「付録」も収録。

感想・レビュー・書評

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  • 改めて、上巻のぐるぐる混沌とした文章がこの本の大きな魅力の1つだと思った。

    付録読んでクエンティン好きだなーと痛感。キャディのことは、家の象徴として愛してる。でも死期を遅らせたのは先祖じゃなくて弟のベンジャミンのため、っていう。この危うい純粋さ、繊細さがたまらない。そしてその美しさを、文体が底上げしてる。これぞ退廃美。
    しかし、ジェイソンは面倒ごとを引き受けすぎてひねくれた感がすごい。母親も言葉では一番大切、って言ってるけどいや嘘でしょう、と言いたくなる仕打ちしてる。母親は自分大好き人間なんだなあ、ってことがよくわかる。ジェイソン、よくそんなに頑張れたよね、尊敬する。没落の悪い側面を一身に背負ってる感じでひたすら不憫。
    クエンティンとジェイソンを対比と捉えたら、最後に示されたキャディの消息にも意味があるような気がしてきた。彼女が“家”の象徴だとすると、違う場所で生き続けてる、っていう示唆?体裁は悪いかもしれないけど、綺麗な富ってそもそもないと思うんだよね。キャディはすごく現実的に栄えてる気がする。彼女が現実なら、ベンジャミンはまさに幻想世界の住人だし。

    あー考察本読もうかな。

  • ほぼ10年ぶりに読んだ。

    アメリカ南部のヨクナパトーファ郡ジェファソンに住まうコンプソン一家の長女キャディ・コンプソンは生まれながらの宿命を背負った女「ファム・ファタール」であったので(或いは弟のジェイソン・コンプソンによればつまりは「生まれながらのビッチ」であったので)18歳にして処女を喪失すると運命に翻弄されるままに失うべきものをひたすら失い続ける人生を歩み、すると長男のクエンティン・コンプソンは妹の処女性の喪失に自身が憧れ続けた南部貴族の高貴な宿命の喪失を重ね合わせ、その喪失の哀しみを弄びつつ自ら弄ばれながら、さらには妹との近親相姦を幻視すると、その禁忌に阻まれた幻想をも弄び続けた果てに地獄の炎をも夢見ながら暗い川底に身を投げる。

    一方で生まれながらの白痴であった三男ベンジャミン・コンプソンは姉を失った記憶と自身が愛した牧草地を失った記憶を自らの脳裏に焼き付けることとなり、つまり「美しいものの思い出」ではなく「美しいものを失った思い出」にとらわれて、いわば永遠の喪失を生きることとなる。

    そしてコンプソン一族の末裔であり唯一の「正気を保ったコンプソン」である二男ジェイソン・コンプソンは姉と兄が自身から奪い去った「人生」のいわば象徴としての三千ドルを密かに自室の床下に隠し持ち、自身の人生を奪い去った運命に抵抗するが、あまりに滑稽であまりに哀しい運命の返り討ちにあい、最後のコンプソンとして最後までコンプソン一族に翻弄され続けるのである。

    彼らは皆、最も美しく貴いものを常に失い続けてきたし、哀しいことに、失われたものこそが、全て美しく貴いものであったのである。

    人生が失うことの連続であるとするならば、それは連綿と続く呪いであり、まさに
    「白痴が叫ぶ響きと怒り」
    に過ぎないのかもしれない。

    しかしそれであるからこそ、芸術家は失ったものを、最も美しく貴いものを、もう一度蘇らせるために描き続け、造り続けるのであろう。

    我ながら月並みだが、多くの読者の言う通り、この作品を評するならば「奇跡」のただ一言に尽きると思う。

    フォークナーの代表作であると同時に恐らくは世界文学史上最高傑作の一つであろう。

  • 三章。ジェイソンの語り。ペシミストの母親、池沼の兄弟、放埒な姪を抱え、進学もできなかった彼は守銭奴の禁欲主義的ニヒリストになっていた。家のために自分を犠牲にされたという強い憎しみが行間から立ち上る。
    四章はただ二日後。姪がジェイソンの貯めた金を盗んで逐電した。けれども、日常は続く。ディルシーは協会へ行き、ラスターはいきがってはヘマをし、‥‥
    附録、コンプソン家の系譜にて、キャンディのその後のようなものも展開されているが、総ては憶測とされる。ジェイソンは彼女を捜さなかったし、姪は行方知れずだし、母が死んだ以上コンプソン家を憎む彼にコンプソン家を続ける理由はなかったのだ。
    ディルシー。
    彼らは忍耐した。

  • ああ、家族ってこうだよな、と思う。上巻では家族同士の細部の関係、微妙な距離感まではわからなかったのだけど、下巻でやっとつかめた感じ。一つの家に暮らすって、血の繋がった家族だろうと、いや血の繋がった家族だからこそ?楽じゃない。ジェイソンは嫌なやつだけど、この環境でよく耐えたなとも思う。これだけの貧乏くじを引かされたら、お金を貯める唯一の楽しみくらいは見逃してあげたくなるが、それを容赦なくぶんどって逃げる姪クエンティン。ああ、やはり血は繋がっている。
    終盤の、ディルシーを始めとする黒人たちの様子を見ていると、やはり人間て原始の暮らしに近いほど幸せだったのではないかと感じる。金や家柄や社会的地位や複雑化した宗教や、そういったものに囚われた人間たちの起こす自分で自分の首を絞めるような悲劇。そしてやがて豚の尻尾をもつ子が生まれ、家系は断絶する。クエンティンが近親相姦を犯したとは思えないが、このモチーフが「百年の孤独」につかながっていくのだな。同じ名前の人物が登場するところも。兄妹間の愛情の発露など、ところどころ、アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」を思い出す部分もあった。
    これで「八月の光」「アブサロム!アブサロム!」と合わせて3作読んだが、わたしにはアブサロムが一番しっくりきた。やはりサトペンが強烈な印象を放っていたからかな。この「響きと怒り」に出てくる人物たちは、それぞれが「生きている」感じがして良い意味で普通の小説というか実際の人間に近い。これが一番しっくりくるという人もいるだろう。

  • 第一章を読み終えることができるかどうかが、本書を読了することができるかどううかを決めるだろう。人間の意識の流れをリアルに文章化するという試みであり、これほど読みいくい文章を他に知らない。頁内で数回という頻度で時代と場面が変換する。巻末の場面転換表と解説を見ながらでなくては全く理解できないと思う。しかし、この第一章こそが本書の最重要部分であることが読了後にわかる。
    二章以降は、「アブサロム、アブサロム!」「八月の光」に比べると非常に読みやすい。これは原文がわかりやすいのか、翻訳がうまいのかはわからない。個人的には、代表作三作では「八月の光」が一番好きだが、本書も傑作だと思う。

  • 上巻に比べ下巻に入ると話しがすっきりする。
    同じ名前で異なった登場人物が出てくるのでややこしい所がある。
    没落していく名家、黒人のポジション等当時の南部の土壌についての知識がないと理解しづらい所があるのかもしれない。
    いずれにしても海外文学に興味があるのであればぜひ読んでおきたい作品である。

  • 下巻に入ると一気に視界が開けてきた。そこにあるのは未曾有の繁栄を享受していた北部から取り残された1920年代アメリカ南部の風景であり、奴隷解放宣言から半世紀が経つも未だ関係が改善されない人種の溝であり、逃れられない血の宿命を体現した家族の没落する姿であった。三部の視点主となるジェイソンは狂おしいまでに正気な人間だが、その生き方は彼が罵倒する黒人以上にしがらみと抑圧にまみれており、それは四部で描かれる使用人達のしたたかさと黒人教会での開放的な姿と対象形を成している。フォークナーの言葉は鈍器の様に重く、響く。

  • 下巻は3章が次男のジェイソン視点。最後の4章だけが唯一、一人称ではなく三人称で、ようやく普通の「小説」になったなという感じ。上巻(1章・2章)のほうで顕著だった記憶の時系列の混乱等はなく、普通に読めました。

    とりあえず、ジェイソンはやっぱりキライです(苦笑)。本人視点のパートを読めば、少しは理解が深まって嫌悪感薄まるかと期待してたんですが、ますます嫌いになっただけでした。口を開けば誰にでも皮肉や嫌味しか言わず、自己中心的で暴力的。確かに恵まれた環境ではなかったかもしれないけれど、何もかも他人(ていうか家族)のせいにしすぎ。小説の登場人物だから良いようなものの、絶対にお友達にはなりたくないタイプだなあ。クエンティン(兄ではなく姪のほう)にお金を持ち逃げ(といっても本来は彼女のものなのにジェイソンがネコババしていた)されたくだりでも、同情どころかざまあみろとしか思えませんでした。ただこういう人物を造型しちゃうフォークナーは凄いなと思いましたが。

    四章の主役はほぼ、黒人料理人のディルシー。ジェイソン以外の兄弟たちにとってはある意味、産みの母親以上に母親的な存在だったかもしれない肝っ玉母さん。ジェイソンにとっては天敵っていうのも頼もしい(笑)。コンプソン一族が身から出た錆で破滅してゆく一方で、彼女らのような人々は淡々と毎日を誠実に生き、偉業はなさなくとも連綿と続いてゆく。その対比が象徴的でした。

    本編の15年後に書かれたという付録で、登場人物たちのその後の消息などが少しわかるのですが、後日譚として興味深かったです。本編では薮の中的な感じで真相が曖昧だったキャディの娘クエンティンの父親が、生まれる9ヶ月前に死んだと書かれているので、やはりこれは兄クエンティンとの間に出来た子供だったと解釈していいのかなあ。

  • 南部貴族コンプソン家の没落した日常を書いている。当主ジェイソンはアル中で死に、母キャロラインは惨めな繰り言をいい、長男クェンティンは自殺、長女キャディダスは銀行家と結婚するものの婚前にできた私生児を生み離婚、実家に娘クエンティンを預けている。末弟ベンジャミンは自閉症?のまま33歳になっており、黒人に世話をされている。次男ジェイソンは姉のコネで銀行員になろうとして失敗、長男がハーバードに遊学したこと等に嫉妬しながら、地元の雑貨屋に世話になり、家計を支えているが、働きぶりもマジメとは言えず、かなりヤサグレて冷酷な中年になっている。彼は姉が預けた娘クェンティンに厳しく接し、キャディダスを脅し彼女が送ってくる娘の養育費の管理人になり、金を貯め込み、(大恐慌の前の)綿相場にも手を出し、損を出しているが、最後にはクェンティンに貯め込んだ金を持ち逃げされる。上巻の回想や幻想が縦横に織り込まれる文体と異なり読みやすいが、ジェイソンの一人称には全く幻想というものがなく、別の意味で日常に狂っているとも言える。あまり心地よい小説ではない。

  • (上巻の続きです)
    巻末に添付しているフォークナー自身の手によって後に発表されたその後の彼らの人生によると、キャディは二番目の夫とも別れ、ナチスの将校らしき男とジープに乗ってる写真が新聞に載り、ジェイソンは変わらぬ日常のままその記事を見る。ベンジーは母の死後病院に入れられるが、そこでずっとキャディの夢を見て過ごした。そしてキャディとクエンティンのあいだに近親相姦はなかったという衝撃の事実。近親相姦は妄想だったそうである。これだけ伏線をはっておきながらそれはちょっと・・。
    フォークナー自身がこの作品を愛し、登場人物にも思い入れがあると語っているそうだ。だからもしかして作者が登場人物を愛するあまり、悲劇を少しでもやわらげたいと、そんなおまけをつけてしまったのかもしれない…などと憶測してしまうような付録だった。

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