響きと怒り (下) (岩波文庫)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003232354

作品紹介・あらすじ

コンプソン家の現在を描き、物語にいっそうの奥行きを与える後半。「奇蹟が起きた」と言われるこの作品の成立によって、フォークナー独自の創造世界は大きく開花し、世界の文学に幅広く影響を与えた。のちに書かれた「付録」も収録。

感想・レビュー・書評

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  • 改めて、上巻のぐるぐる混沌とした文章がこの本の大きな魅力の1つだと思った。

    付録読んでクエンティン好きだなーと痛感。キャディのことは、家の象徴として愛してる。でも死期を遅らせたのは先祖じゃなくて弟のベンジャミンのため、っていう。この危うい純粋さ、繊細さがたまらない。そしてその美しさを、文体が底上げしてる。これぞ退廃美。
    しかし、ジェイソンは面倒ごとを引き受けすぎてひねくれた感がすごい。母親も言葉では一番大切、って言ってるけどいや嘘でしょう、と言いたくなる仕打ちしてる。母親は自分大好き人間なんだなあ、ってことがよくわかる。ジェイソン、よくそんなに頑張れたよね、尊敬する。没落の悪い側面を一身に背負ってる感じでひたすら不憫。
    クエンティンとジェイソンを対比と捉えたら、最後に示されたキャディの消息にも意味があるような気がしてきた。彼女が“家”の象徴だとすると、違う場所で生き続けてる、っていう示唆?体裁は悪いかもしれないけど、綺麗な富ってそもそもないと思うんだよね。キャディはすごく現実的に栄えてる気がする。彼女が現実なら、ベンジャミンはまさに幻想世界の住人だし。

    あー考察本読もうかな。

  • 下巻は3章が次男のジェイソン視点。最後の4章だけが唯一、一人称ではなく三人称で、ようやく普通の「小説」になったなという感じ。上巻(1章・2章)のほうで顕著だった記憶の時系列の混乱等はなく、普通に読めました。

    とりあえず、ジェイソンはやっぱりキライです(苦笑)。本人視点のパートを読めば、少しは理解が深まって嫌悪感薄まるかと期待してたんですが、ますます嫌いになっただけでした。口を開けば誰にでも皮肉や嫌味しか言わず、自己中心的で暴力的。確かに恵まれた環境ではなかったかもしれないけれど、何もかも他人(ていうか家族)のせいにしすぎ。小説の登場人物だから良いようなものの、絶対にお友達にはなりたくないタイプだなあ。クエンティン(兄ではなく姪のほう)にお金を持ち逃げ(といっても本来は彼女のものなのにジェイソンがネコババしていた)されたくだりでも、同情どころかざまあみろとしか思えませんでした。ただこういう人物を造型しちゃうフォークナーは凄いなと思いましたが。

    四章の主役はほぼ、黒人料理人のディルシー。ジェイソン以外の兄弟たちにとってはある意味、産みの母親以上に母親的な存在だったかもしれない肝っ玉母さん。ジェイソンにとっては天敵っていうのも頼もしい(笑)。コンプソン一族が身から出た錆で破滅してゆく一方で、彼女らのような人々は淡々と毎日を誠実に生き、偉業はなさなくとも連綿と続いてゆく。その対比が象徴的でした。

    本編の15年後に書かれたという付録で、登場人物たちのその後の消息などが少しわかるのですが、後日譚として興味深かったです。本編では薮の中的な感じで真相が曖昧だったキャディの娘クエンティンの父親が、生まれる9ヶ月前に死んだと書かれているので、やはりこれは兄クエンティンとの間に出来た子供だったと解釈していいのかなあ。

  • 2023年6月22日読了。

  • 下巻、「一九二八年四月六日」の章は、「ジェイソン」の視点から描かれる。この章に至ってようやく、普通に読みやすいものとなる。ジェイソンの屈折した心情、卑屈な思い、人生が詳らかになる。

    長兄クエンティンは既に自殺している(長兄の学費が工面された一方で、自身の進学の道は閉ざされた)。長女キャディーは出奔し、その娘で「あばずれ」な娘クエンティン(婚外子)が家にいるが、ジェイソンは手に負えない。老いた母は過去だけを見つめ、繰言ばかりしている。そして、白痴のベンジャミン。ジェイソンは、こうした一家を背負い、経済的に支えているのだ。だが、ジェイソンの仕事は、町の小さな商店の従業員。稼ぎはたかがしれている。穀物市場の先物取引らしきものに手を出しているが、投機性が強く、損ばかりしている。また、キャディーから娘への仕送りを毎回かすめとって、小金を貯め込んでいる。かように、閉塞的な人生と生活を生きているジェイソンなのである。

    このジェイソンの章を読んで、卑近な例えなのだが、私は「アメリカン・ニューシネマ」の源流がここにある、と感じた。明るいアメリカンドリームとは程遠い、リアルでみっともない、アメリカの暮らしがここに描かれている。
    フォークナーの世界は、スタインベックの「怒りの葡萄」等と連なり、ドブ川の濁った流れのようにしてちょろちょろと流れ続け、その後70年代の「ニューシネマ」につながっているように感じたのであった。そういう意味もあり、ジェイソンの章は、卑屈で暗いものではあるが、既視感や安心感のようなものを感じつつ読み進めたであった。

    そして、振り返れば「上巻」の「クエンティン」の章は、これまた卑近な例えだが、サリンジャーを連想した。ハーバード大学の学生であったクエンティンの、自殺の日の彷徨をたどるように描いている章だ。「ライ麦…」の舞台とは別の街ではあるのだが、彷徨の道行の孤独、独白、回想、繊細すぎて折れてしまう感性に、私はサリンジャーを想いだしたのだ。

    兄弟三者それぞれに1章を設け、しかも各章は或る1日を中心にして描いている。1920年代末当時では、斬新にして大胆な構成であったと思う。

  • ああ、家族ってこうだよな、と思う。上巻では家族同士の細部の関係、微妙な距離感まではわからなかったのだけど、下巻でやっとつかめた感じ。一つの家に暮らすって、血の繋がった家族だろうと、いや血の繋がった家族だからこそ?楽じゃない。ジェイソンは嫌なやつだけど、この環境でよく耐えたなとも思う。これだけの貧乏くじを引かされたら、お金を貯める唯一の楽しみくらいは見逃してあげたくなるが、それを容赦なくぶんどって逃げる姪クエンティン。ああ、やはり血は繋がっている。
    終盤の、ディルシーを始めとする黒人たちの様子を見ていると、やはり人間て原始の暮らしに近いほど幸せだったのではないかと感じる。金や家柄や社会的地位や複雑化した宗教や、そういったものに囚われた人間たちの起こす自分で自分の首を絞めるような悲劇。そしてやがて豚の尻尾をもつ子が生まれ、家系は断絶する。クエンティンが近親相姦を犯したとは思えないが、このモチーフが「百年の孤独」につかながっていくのだな。同じ名前の人物が登場するところも。兄妹間の愛情の発露など、ところどころ、アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」を思い出す部分もあった。
    これで「八月の光」「アブサロム!アブサロム!」と合わせて3作読んだが、わたしにはアブサロムが一番しっくりきた。やはりサトペンが強烈な印象を放っていたからかな。この「響きと怒り」に出てくる人物たちは、それぞれが「生きている」感じがして良い意味で普通の小説というか実際の人間に近い。これが一番しっくりくるという人もいるだろう。

  • 第一章を読み終えることができるかどうかが、本書を読了することができるかどううかを決めるだろう。人間の意識の流れをリアルに文章化するという試みであり、これほど読みいくい文章を他に知らない。頁内で数回という頻度で時代と場面が変換する。巻末の場面転換表と解説を見ながらでなくては全く理解できないと思う。しかし、この第一章こそが本書の最重要部分であることが読了後にわかる。
    二章以降は、「アブサロム、アブサロム!」「八月の光」に比べると非常に読みやすい。これは原文がわかりやすいのか、翻訳がうまいのかはわからない。個人的には、代表作三作では「八月の光」が一番好きだが、本書も傑作だと思う。

  • さーっぱりわからん!巻末の解説を読んでわかった気になって終了。

  • 何の予備知識もなく読み始めると、第一章での変な文章に内容の理解を妨げられてとまどってしまう。英語でいうところの補語やら目的語が抜けていたり、主語と述語が対応していなかったりするので。そして、登場人物が錯綜して、ある人物が突然出てこなくなったかと思うと別の場面で突然戻ってきたりすることにも混乱させられる。でも、この版のすごく親切な註と場面転換点一覧表のおかげで、あの意識の流れ手法が頻繁に使われているのがわかり、用心して読み進められるようになる。小刻みな転換にはついていけないところもあるけど。もっとも、フォークナーという超絶有名作家はジョイス、プルーストやウルフと並んで意識の流れを多用するというのは文学好きにとって常識なので、この点で戸惑う人は少ないかもしれない。では、あの文章は何だ?という点に混乱は収束する。100ページほど読み進めていくとその疑問が解消する仕掛けになっている。用心深く読む人はもっと早くそのことに気づくのだろうけど。ただ、時間が入り乱れている形式を払拭すると作品自体はそれほど複雑ではないが、出来事とか体験とかが詳細されるのではなくてフワッと単発で示されたりする点がプロットを追い難くしているような気がする。また、語り手たちはそれぞれクセのある人たちで、とくにニヒリスト的に行動したり交渉したりする自人物の語りは気分が滅入ってくる。それと、背景説明がない作品なので各章がどうつながっているのかを把握するのにかなりのページ数を消費させなければならず、これが読むにあたってのストレスとなるので我慢のしどころ。併せて、注は親切であることは間違いないのだが、ある場面の解釈に、~とする説がある、と古文書解読みたいな言い方が散見されるが、そんなのフォークナーにどうして確認しなかったの?と単純に疑問に思う。もっとも、ジョイスを読んだ時にも全く同じ思いを抱いたのだが。

  • 津村の読み直し世界文学の1冊。ほとんどが情景描写と会話である。太字の箇所も上巻ほど多くない。100年前のことなので、黒人が使用人となっているというパターン化として描かれている。

  • ディルシーの一言「とにかく、おめえさんも神様の子供だで。オラだってそうだで、ありがてえ事だ。」

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著者プロフィール

一八九七年アメリカ合衆国ミシシッピー州生まれ。第一次大戦で英国空軍に参加し、除隊後ミシシッピー大学に入学するが退学。職業を転々とする。地方紙への寄稿から小説を書きはじめ、『響きと怒り』(一九二九年)以降、『サンクチュアリ』『八月の光』などの問題作を発表。米国を代表する作家の一人となる。五〇年にノーベル文学賞を受賞。一九六二年死去。

「2022年 『エミリーに薔薇を』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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