無垢の時代 (岩波文庫 赤345-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (588ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003234518

作品紹介・あらすじ

一八七〇年代初頭、ある一月の宵。純真で貞淑なメイとの婚約発表を間近に控えたニューランドは、社交界の人々が集う歌劇場で、幼なじみのエレンに再会する――。二人の女性の間で揺れ惑う青年の姿を通じて、伝統と変化の対立の只中にある〈オールド・ニューヨーク〉の社会を鮮やかに描き出す。ピューリッツァー賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 読書会に参加しました。
    みなさまありがとうございました。

    読んだあとに映画『エイジ・オブ・イノセンス』も見ました。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/B00MN8TOT0

    ===
    1890年代のNY。上流階級の弁護士ニューランド・アーチャーは、将来有望といわれる青年だ。彼の婚約者は、資産家で社交界の有力者ミンゴット一族の娘、メイ・ウェランド。ミンゴット一族の中心人物はNY上流階級のゴットマザーのようなキャサリン・ミンゴット老夫人で、メイはその孫にあたる。
    そんなミンゴット家に、エレン・オレンスカが戻ってきた。エレンはオレンスカ伯爵結婚してヨーロッパに渡ったが、横暴な夫から逃れて彼の秘書と駆け落ち、その秘書とも別れたところをキャサリン・ミンゴットにより呼び戻されたということだ。(※秘書は助けれくれたけど、愛人というのは汚名だと判明する。)
    エレンの妖美さと奔放さはNY上流社会では白い目で見られる。ニュージランドも彼女に反感を持っていた。彼は婚約者メイとその親族を守るためにも自分が盾にならなければと決意する。

    ニューランドは、エレンと話をするうち、はじめは反発していた彼女を愛するようになる。しきたりや周りの目を気にせず自分のやりたいことをやる、上流階級の実力者を「つまらない人」と見抜いていることに惹かれたのだ。
    自由派を自称しながらしきたりを重視するニュージランドは、アメリカを離れていたエレンにより「長い事見慣れていたせいで、ぼくには見えなくなっていた事柄に目を開かせてくれた」ということで、彼の目には自由に見えるエレンが、実は冷たいNYで孤軍奮闘する孤独で不幸だとみえたのだ。

    エレンもニュージランドに愛情を持つ。しかしニュージランドとメイとの結婚の日取りが決まり、エレンとニュージランドは離れた。

    第二部はニューランドとメイの結婚式、そして新婚生活から始まる。
    エレンと離れて冷静になったニューランド。しかしやはり上流階級のしきたりに染まる人々に感じるつまらなさは抑えきれない。
    エレンも監視社会であるNYを離れてワシントンに移り住んでいる。

    そんな折に、エレンにも言い寄っていたボーフォート(イギリス出身の遣り手実業家。妻はミンゴット家に繋がるアメリカの名門)が金融取引の失敗で不名誉な破産を迎える。ボーフォートの妻はキャサリン老夫人に助けを求める。だが「恥ずかしい破産をしたら黙って消えること」を常識とする上流階級は、ボーフォート夫妻を無視する。
    だがこのスキャンダルにキャサリン老夫人は体調を崩し、エレンが呼び戻される。ニュージランドの心は騒ぐ。
    エレンを迎えに行ったニューランドは馬車で語り合う。だがお互いにどうしようもないと分かっていることの確認となった。エレンは問う。「私に愛人になれというの?」(P440)
    夢を語るニューランドに、エレンは現実を示す。…そしてこんなときに「NYでは愛人なんて言葉はご婦人は避けるものなのに、彼女の暮らしていたヨーロッパでは当たり前に使うのか!?」なんてことを思うニューランドくん(^_^;)

    ニューランドにとってメイとの結婚生活は制約の多い仮面生活だと思う。すべてを捨ててエレンと生きられる国を夢想する(その候補地に「日本」があるみたい・笑)
    やがてエレンは独り立ちするためにヨーロッパに渡る。

    そして物語は、長い長い年月を経て収束する。最後の章では世代が変わり、登場人物その後の道が示されるのだった。

    ===

    物語の初めは、NY上流社会のしきたりや、出てくるいくつか家の関係や立場を把握するのが難しかったですが、その後はさすが女性作家、登場人物の心の機微、「オールドニューヨーク」の社交界の雰囲気がとても良い。
    私が読み取った範囲でのNY上流階級は、新大陸アメリカでありながらヨーロッパの古風なしきたりを守ろうとしている。社交界の人間たちはそれぞれに役割がある。家系の専門家、ファッションの専門家、しきたりの専門家。社交界を保つためにみんなで団結して自分の役割を果たし、お互いを監視しする。そのしきたりは叩き込まれていて、口に出さずにしぐさやほのめかしで重要な物事を伝え合える。そこで上流階級にふさわしくない人物がいたら、全体的にその一族に対して非難の態度を取る。(要するに「みんなでハブろーぜー」)

    おそらく女性というのは、未婚だと守られるべき子供扱い、結婚してやっと一人前となるのかなあ。未婚女性には遊びの恋愛は許されず、結婚したら実家と夫の家の名誉を保つための女主人となる。メイが結婚して楽し句思うことに「夫と二人きりになれること、そして既婚婦人のように旅に出ることができる」ことを挙げている(P286)。
    しかし結婚したら一人前なので恋愛もできるので「不倫」はうまくやる分にはそれほど問題にしないのかな。

    そして主人公ニュージランドのこと。
    彼は自分では革新的な考えを持ち上流階級の保守の考えには反発していると思っている。それは「男性と同じように女性も自由になるべきですよ!」などというセリフからもうかがえる。
    しかしそれはあくまでも男性上位の上での発言だと読者には読めるわけです。要するにニューランドは「自分は革新派☆」と自称しながらも上流階級のしきたりに浸かっているんですね。メイに対しても「彼女が淑女だから自分は彼女を妻に選んだ。だが上流社会の女性にあるように、型に嵌って精神的に自立しないまま年を取るの女性はつまらない。自分が彼女の夫になるということは、彼女の魂の保護者になってやって、社会の正しい見方を教えてやるということ」という態度が伺い知れる。

    やっぱり女性作家の細々したところはいいよなあ。自称革新的なニューランドを主人公としながら、彼の考えの矛盾点、彼が二人の女性を理解していないよねってことをしっかり分からせるんだもん。
    ニューランドはメイのことは「自立と判断力を持ってほしいよ ヤレヤレ┐(´д`)┌」という感じだけど、メイは彼が思っている以上にニュージランドのことを理解している。結婚を急ぐニューランドの心には誰なのか別の女性がいるんじゃないのかとも察している。
    エレンはニューランドに好意を持つが、かといってニューランドがすべてを捨てて自分と結婚することはできないと分かっているし、ニューランドがそう言ったとしても従姉妹のメイから彼を奪うつもりもない。
    そして二人の女性の書き方が良いですね。ステレオタイプに「良い子ちゃんお嬢様と、妖艶な女性」にしていない。
    こんな心が揺れているニュージランドですが、女である私から見たらもしメイと別れてエレンと結婚しても絶対この二人うまくいかんだろ、ってことです(^_^;)
    ※あとがき読んだら、作者はそんな展開も考えていたらしい。やっぱりうまくいかないよね 笑

    しかしニュージランドにとって、この結婚生活は仮面生活であり、自分の小さな失敗が積み上げられ、家庭の実権はメイが握っている(控えめな笑顔で)ような制約生活に苛立ちを感じる。もっと激しい情熱がほしい。せめて不満は腹蔵なく出しあって笑い合いたい。(そうじゃない相手を選んで婚約も結婚も急いだのはニューランドだし、メイの自己主張にいちいち不満を持つのもニューランドです。)
    メイは他の上流階級夫人と同じように頑固な無垢さを持ったまま中年になって、恋愛感情の消えている結婚生活に表面だけの穏やかさを求める女性だと思っているし、エレンは孤独で不幸だと思っている。しかしメイは生活を守るための意志は強いし(子供たちからも「仮面母ちゃん」扱いだったようだが)、エレンは冷静で強靭だよ、主人公であるニューランドは自分がすべてわかっているような顔をしているが、この二人でなければどうしようもなくなっていたよ。

    ニューランドは、ミンゴット家の晩餐会の招待客の雰囲気や他の客の目配せやら言葉やらで、自分がエレンの愛人とみなされていたことを知る。ニューランドくん、自分は冷静で革新的で物事を見る目があるようなつもりでいるが、自分を客観視できないし、現実より夢想に励んでしまうんですよね(^_^;)小説では、そんなニューランドの滑稽さも現れています。

    そして全体を通して感じられるオールドニューヨークの雰囲気!
    セントラルパーク周辺は開発され始めたばかりだし、NYには芸術が根付かず(これはヨーロッパと比べられる)メトロポリタンに美術館はあるけれど人に知られずこじんまりしたもの。しかし30年後にはメトロポリタン美術館で大々的なレセプションが行われることによりNYの変容が分かる。
    「自由の国」のはずなのに、上流社会はヨーロッパ社交界のモノマネだけ。ここで「自分は自由派☆」と思っているニューランドがそもそもですね(^_^;)。
    人々は、はっきりとは言わずに伝え合う。しきたりでは、例えばボーフォード夫人が二幕目にオペラ座に現れて三幕目前に帰ったら上流階級は30分後にボーフォード家の年に一度の舞踏会に集合するなど。このサインを見逃しでもしたら社交界から「分かってないやつ」扱いされてしまう。ニューランドとエレンも社交界では愛人関係と思われているけれど誰もそれを口にしない。はじめに白眼視されていたエレンを迎える晩餐会ではみんなが参加を断ってみせた。そんなエレンは破産したボーフォート夫人を助けるためにミンゴット家の家紋の着いた馬車で乗り付けて見せる。
    そしてメイはニューランドのエレンへの気持ちを分かっていて、彼が口に出す前に「分かっている」ことを伝える。
    P405あたりで、二人の言葉には出さないがお互いへの目線や仕草で伝え合える上流夫婦としての技術の書き方は良かったなあ。
    エレンに会おうとバタバタするニューランドの嘘やごまかしを見抜き(^_^;)、言葉に出さずに「エレンに会いにいくというなら、嘘やごまかしはせずに私の承認のもとに行ってほしい」という。
    ニューランドは枷のように感じていた長い夫婦生活だが、お互いに要求を口にはdさずに、でも相手の心の中を憶測して、相手ののぞみの通りに動いたり、もしくは相手ののぞみを引っ込めさせたりする。

    …この言葉に出さずに伝えあうっていうのは、それも良い気がする。現在のようにSNSとかで言葉が世界中に出回ってしまうとか、「証拠を遺すために電話ではなくメール(でもラインでも)でやり取り」が進みすぎるのもちょいと野暮ったい。

    最終章は長い年月が経ったあと。ここで示される上流階級者のその後もね、それまでに書かれたことをなぞるようになっていたりして(恥ずべき破産をしたボーフォートのその後とか)、小説としてもお見事なんですよね。
    いやあ、良いお話に会いました!


    【読書会】
    ・ニューランドが主人公なんだけど、彼の目線をそのまま信じて良いのかな。女性作家なので「まあ彼の言うことは鵜呑みにしないでね」っていう感じがする。
    ・作者が、少し前の時代を書いたので古典的様式美を感じる。
    ・読者から見れば三角関係だが、社交界全体からはそうは見られていない?
    ・ニューランドにとっての知性は「人生とはどうあるべきか」を言語化することとしていて、メイの表面さを嘆くのだが、メイはちゃんと知的に世界を見ているがニューランドと同じ言語で説明できないだけ。それが読者に分かるようにして書いている。
    ・オレンスカ伯爵何しでかした!?笑
    ・無垢とは
    ⇒世界大戦を知る前の時代。国同士で毒ガスを撒いたりすることを知らない無垢。
    ⇒神が世界を作り直すとしたら、同じようにする?
    ・ラストシーンは?
    ⇒幻のニューランド、現実のエレン。
    ⇒エレンは、ニューランドが来ないことで納得したのか?
    ⇒この先は、読者の知る範囲ではない。二人が再会したら、本当に物語が終わってしまう感じがする。この終わり方だから、読者の知らないところで物語が続いていると分かる。

  • エイジ・オブ・イノセンス | ソニー・ピクチャーズ公式
    https://www.sonypictures.jp/he/646

    無垢の時代 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b626366.html

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    ソフィア・コッポラがイーディス・ウォートンの小説をテレビドラマ化|ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)公式
    https://www.harpersbazaar.com/jp/culture/tv-movie/a32705521/sofia-coppola-custom-of-the-country-edith-wharton-apple-tv-200529-lift3/

  • 書き出しがすばらしい。映画の歴史大作を思わせ、まるで壮大なオペラの幕開けのようだ。しかしそれからしばらくは、19世紀後半のニューヨークの時代背景や、上流階級でのみ通じる複雑なしきたりや人間関係を詳細に描こうとするあまり、私たち現代人からすると退屈ともとられかねず、読み飛ばしたい衝動に駆られるかもしれない。

    だが、そんな読むのに忍耐が必要な描写が続くのは第一部の最後から1つ前の章の第17章まで。そこまでは何とか読み進めてほしい。なぜなら第18章以降、主人公ニューランドとエレン・オレンスカ伯爵夫人の2人が織りなす物語は、ラヴェルのボレロのようにクレッシェンドしていくからだ。
    それは私たちが思い描くような姿での恋とは言い表せられない。同様に愛とも言い難い。だが2人が第18章でお互いの心のうちを告白し合い、その後出会うたびに深められてゆく思慕の念は確かに恋であり愛だと言えるだろう。ただそれらは私たちの通俗的な想像をはるかに越えた姿かたちをしているがゆえに、そう簡単には読み解けないだけだ。
    そうは言うものの、本書の新しい訳文は現代的な言い回しで占められ、(本当にその訳文で原文の本意を満たしているのかという議論はあるが、)500ページ以上というボリュームの岩波文庫としては比較的読み進みやすいはず。

    そして本編最後のページである550ページ目。この物語の最後の2行によって語られるニューランドの行動は、ここまで読み進めてきた読者の期待とまったく正反対のものだろう。しかし彼にとってはこの結末以外は絶対にありえない珠玉のものだ。
    この2行の真意、つまりなぜニューランドがそのような行動をとったのかを理解できるかどうかが、読者自身が人生を味わい深く過ごしてきたかどうかの指標ともなりうるのではないか。まるで自分の人生の密度や深淵さを見積られるようで恐ろしい。だが彼の行動は他人の目や財産やしがらみといった外的要因から一切離隔されており、読者自身に対して自由で正直でinnocenceな生き方をしているかを問いかけているようでもある。

  • 才気溢れ魅力的な妻の従姉妹エレンに惚れるも、退屈な妻メイの巧みな策略と社会規範によって阻まれる話、に見えるのだが、男(ニューランド)側の視点から描かれているのがポイント。美人だが凡庸で頭が悪い、と夫は思っており新婚早々に愛想を尽かすが、裏からはメイの辛抱強さや賢明さが透けて見える。夫とは離婚したというイーディス・ウォートンも必ずやそういう意図で書いているだろう。昔の上流階級がいかにお上品かつ因習に囚われていたかという点も本書の主眼ではあるが、今なら男の軽薄さと愚かさでさっさと二人から愛想を尽かされそう。

  • まだ途中だが、ニューヨーク上流階級の話。これは映画化されたのち原作として読むと面白いやつかも。
    …そして読み終わった。
    そしてスコセッシ(いつも苦手な作品の監督なのだが)がすでに映画化してたとことに気づいた。
    アメリカの歴史があまりにわかってないから、スコセッシの作品もピンとこないのかなー。とこの本を読んで思い当たった。


    1870年代のニューヨークがこんなに「保守的」であったとは。アメリカの歴史をあまりわかっていない為、こんなにも「自分たち」の様式に執着し「自分たち」と「そうでないもの」を意識するとは、と少し驚く。とりわけヨーロッパとアメリカは違う(もちろん違うのだけど)と言うのが興味深い。
    上流階級の人たちの話だから「自分たち」に籠る傾向があるのは理解はできるが。

    ニューランドは「ヨーロッパ的」なエレンに惹かれ自由を希求し、「女性も我々男性と同様自由であるべきだと思います」なのだが、生まれた環境の色々を窮屈と思い同時に良いものだとも思う。
    妻のメイは、そこから出ることなど考えたこともないけれどエレンの魅力はわかる、でもエレンは離婚すべきでないと考える。ニューランドがそうしたいなら、彼が一番好きな人を選ぶのも
    ニューランドを愛しているからそれでよい、とまで思いつめる(でもその時にはその女性がエレンとはわかっていなかったはず)純粋な心はもっていても、「成長(ニューランドの言葉)」は望めないメイ。

    最後の章でいきなり30年がたち、前半で話題にされていた「電話とかいうもの」が実用化されている。そもそも、列車はあるが自動車というものが実用化されてないのが、考えたら当たり前だがちょっとビックリ。必要な場合には自ら手綱を操ることが上流階級であっても行っている(乗馬できるから当然か)。電報はあるがふつうのやりとりはメッセンジャーに手紙を託すこと。人を訪問して会えなかったら持ち歩いている名刺にメモを書いておいてくること。これらは上流階級だからこそなのかもしれないが、そういう方法もあるのね!と新鮮だった。

    あくまでニューランドの視点で描かれているが、彼の気持ちの浮き沈み、突然違うフェーズに入るところなど、非常によく描写されていて面白かった。

    最終章の、「時代遅れなお父さん」(彼と仲良しの長男の言葉)が、いまはこのように変わった、と思う様も、結局は一歩踏み出すことができなかったにしても、基本、進歩(あるいは成長)しようとする気持ち、自由を求める気もちがあった人だから、それほど時代遅れ感はなく、むしろ、何十年も生きると世界は変わるわけで、自分の親(少年時代には空襲があり今は子どもたちにいわれてiPhoneをとぼとぼ使っている)もずいぶん変わった世界を見てきたはず、などと思った。

  • 語り手Newlandは、当時ヨーロッパよりよほど旧弊だった新世界そのものとして描かれる。明日が今日の続きでしかない彼だからこそ、予測不能でつむじ風のようなエレンに惹かれるのだろう。
    時を経て、目の前に機会があるにもかかわらずかつての恋人に再会しないことを選ぶ気持ちは非常に共感できる。過去は過去として、ここからまた新しい人生に踏み出すということなのだ。それぞれに。

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著者プロフィール

Edith Wharton 1862–1937 ニューヨークの名家に生まれ、幼少時よりヨーロッパ各地に居住。中・長編小説22冊、短編小説集11冊、詩集、室内装飾本、紀行文、文学論、伝記などを出版。
代表作は、ニューヨーク上流社会の人間模様を描いた『歓楽の家』(1905)や
女性初のピューリッツァー賞を受賞した『無垢の時代』(1920)、ニューイングランドを舞台にした『イーサン・フローム』(1911)、『夏』(1917)など。



「2022年 『夏』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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