ゲーテとの対話 下 (岩波文庫 赤409-3)

  • 岩波書店 (1969年3月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (439ページ) / ISBN・EAN: 9784003240939

みんなの感想まとめ

深遠な洞察に満ちた対話が展開されるこの作品は、ゲーテとエッカーマンの貴重な交流を通じて、幸福や学び、生きることの本質について深く考察しています。ゲーテは自身の成長を重視し、他者の期待に応えることよりも...

感想・レビュー・書評

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  • 生前にゲーテと対話したエッカーマンの回顧録。
    多種多様な分野の話で、自身の理解が届かないと感じるのは教養不足なんだろう。
    またしばらく置いてまたチャレンジしてみよう。
    265冊目読了。

  • 一貫して、
    永遠真理、普遍の法則を探究しているゲーテの深遠な洞察が光るエッカーマンとの対談。

    幸福について
    学びについて
    生きるということについてなど語られる。

    「私は、作家という天職についているが、大衆が何を求めているとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。
    それどころか、私がひたすら目指してきたのは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格を高める、自分が善だ、真実だと認めたものを表現することであった。」

    人のためにと自分を犠牲にして行う行為に幸せはなく、全体の幸せとは、自分自身を幸せにし、その上でまわりにも良い影響があり、それをめいめいが行っていった結果であると。

    自分自身を高めていく。

  • 第2部までに収録できなかった対話(エッカーマン以外の人の分も含む)が収められている。
    ゲーテのファンや研究者には好個の書物であろうが、一般の人にはそこまで興味持って読むことはないのではなかろうか。

  • 岩波文庫の「ゲーテとの対話」は上・中・下巻の三巻からなり、下巻は原著「その生涯の晩年における、ゲーテとの対話」の第三部(続編1822年から1832年(ゲーテ没年))までを収録している。

    上巻と中巻の原著は1836年に出版されているが、下巻の原著はその12年後、1848年の出版である。原著の第一部・二部に編まれなかった続編で、かなり年月が経った後に書かれているので、当然のことながら質は落ちる。この続編は蛇足とまでは言わないが、エッカーマンの原稿だけでなく、ソレの稿も含み、補遺と呼ぶのにふさわしい内容である。

    「ゲーテとの対話」をまったくの好奇心からでなく、教養を深めるために読むのだとしたら、上巻・中巻だけ読めば良いのではないか。下巻はマニアや好事家向けだと感じた。

    下巻で私が気に入ったのは、ゲーテが生産的な気分にならないときにどうすればいいかをエッカーマン説いた所だ。エッカーマンが異論を唱えると、ゲーテは両方正しく、真理は一つではないという趣旨の言葉で会話を続ける。ここでも相手を否定せずに会話を転がしていく術が見て取れる。少し長くなるが下記に引用しておく。


    「ある劇詩人の体質が、それほど丈夫でも抜群でもなく、どちらかといえば病気がちで、体力の衰えることがよくあるような場合だと、毎日場面を仕上げるのに必要な生産力が、たびたび渋滞し、時によると生産力が数日間も完全に失われてしまうことだってあるだろう。ところが詩人がアルコールの類を飲んで、欠乏した生産力を無理にひっぱり出そうとしたり、それによって不十分な生産力を高めようとしたりすると、むろんそれはやってできないこともあるまいが、そんな方法でいわば無理に書きあげた場面には、すべてそれが看取されて、大きな欠陥となるものだよ。」「だから、私がすすめたいのは、けっして無理をしないことだ。生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていたほうがいいよ。そんなときにものを書いたって、後で、いやな思いをするだけだからね。」

    「あなたのお話は」と私はこたえた、「私自身しばしば経験し、感じてきたことです。また、ほんとうにまったく真実で、正しいこととして拝聴せざるをえません。けれども、私には、生産的な気分を自然なやりかたで、無理をせずに高めることができるように思われます。私の今までの生活の中にも、ある種の複雑な状態に置かれて、はっきりした決心のつかないばあいがよくありました。しかし、そういうばあいに、葡萄酒を二、三杯ひっかけると、立ちどころに、何をすればいいかがはっきりわかり、その場で決心がついたものです。しかし決断を下すというのも、やはり一種の生産力です。そこで、もし二、三杯の葡萄酒が、このような功徳を与えてくれるのなら、こうした手だてもまんざら棄てたものではありますまい。」

    「君の意見に」とゲーテは答えた、「反対するつもりはない。けれども、私がさっき言ったことも、それはそれで正しいのだ。してみれば、真理というのは、その光を一方だけではなく多くの方向に放つダイヤモンドにも似ているといえよう。(中略)たしかに、葡萄酒には、生産力をかきたてるなかなかみごとな力があるよ。けれども、そのばあい、一切は時とばあいが問題なのさ。ある人には役立つものも、ほかの人には毒になる。その上、生産的にする力は、休息や睡眠の中にある。また、逆に、運動の中にもある。そういう力は、水にもあれば、また大気中にもとくに顕著にある。戸外の新鮮な空気は、もともとわれわれにお誂えの場所だ。まるで、そこでは、神の精神がじかに人間にふきつけ、神の力が影響を及ぼしてくるかのように思われるからね。」(p252-254)

  • 12/12

  • 感嘆させられることが多くて、その度にそれをせっせと書き留めた。
    水木しげるさんが戦場でお守りは落としても、この本だけは肌身離さず持ってたらしい。
    あの人もきっと、ゲーテの優れた、有益な言葉に励まされたんじゃないかと思った。

  • 2004/07/29読了

  • 永続する対話は、学問分野を横断するクロスオーバーなので飽きることなく喜々として長い螺旋階段をのぼれる。何が読むわたし自身の興趣をそそるか、何が我が道をゆく上でのわたし自身の支えとなる大切で貴重な文章なのか、何が時勢の成り行きを超えて敬愛されてきたのか、その中で更に何が今後も人々の心に訴え、関心を惹きつづけるのか、そんな事々に精神のうなずきの合図を送り、想いを凝らして読み進めた。焔のように魂を燃やす言葉にゆきあたるつど、陶酔だけで満足せず、同時に、或いはその先にある奪還を感じられるように眼点をとぎ清ませた。

  • こうした古典を読みつけてないため、読破するのは難しいかと思っていたが、1ヶ月かかって読破した。

    この本を開く前は予想もしなかったが、おもわずふふっと笑ってしまったり、読みながら涙したり…… 様々な感情が自分自身の中で渦巻いた。ゲーテとエッカーマンの戻らないかけがえのない時間がこの本には詰まっている。

    もちろん、私の頭では理解できない部分が多いが、現代にも通じる言葉も多く、線を沢山引いた。
    日頃モヤモヤしていて言葉に出来ないことも、心にスっと入るようにゲーテが表現していて、読んでいて胸がすく思いがした。
    同時に、ゲーテならこのコロナ禍に生きていたらどのような言葉を残したのか?日々起こる出来事にゲーテはどう考えるのか?という新たな問いが自分の中で生まれるようになった。

    ゲーテは聞き手としても素晴らしい。本書はゲーテから著者に語りかける言葉で構成されているが、弓矢と野鳥ヲタのエッカーマンの話を、その分野に明るくないゲーテが聞く場面がある。
    相手を褒めながら、核心をつく質問をして相手をのせてさらに話を聞き出す……様々な専門家から沢山の知識を引き出して、自らの知識そして教養としていたのだと伺わせる場面であった。

    しかし、ICレコーダーが無い時代に、エッカーマンは一体どうやってゲーテの言葉を書き留めることができたのかが不思議である。
    あなたがいたから、私は作品から離れたゲーテ自身が紡ぎ出す素晴らしい言葉の数々に触れることができた。
    あなたは誰よりも一番のゲーテヲタなんだと思う。

  • 岩波文庫 ゲーテとの対話 

    1822年〜1832年のエッカーマンの追補、ゲーテ年譜、人名索引など 下巻が一番充実している。下巻はまた読みたい

    上中巻同様に格言は秀逸。神について、天才論など長めの論調も読み応えある。


    ゲーテが神の恩寵を受けた 天才と認めたのは、モーツァルト、ラファエロ、シェークスピア。ゲーテが影響を受けたのは、シラー、ナポレオン、バイロンだと思う。

    ゲーテ自身、自分の作品のうち「親和力」を最も高く評価している?読んでみたい。

    ゲーテ曰く「本の読み方を学ぶのに〜私は八十年費やした。まだ今も目的に到達しているとはいえない」とのこと。


    格言
    *名声は労苦の泉、隠世は幸福の泉
    *本質的なことに金を惜しむくらい無駄な金使いはない
    *探究と過ちを通して、人は学ぶ
    *同類のものは、われわれを安心させる。反対のものは、われわれを創造的にする
    *人間の蒙昧さと開悟がその運命をつくる
    *天才的な人物には、反復する思春期がある

    神について
    *神は、人々にとって〜たんなる呼び名
    *神の偉大さを確信している人は〜畏敬のあまりその名を呼ぶことさえ憚るだろう







  • ついに読み終わった。初めて上中下巻読み通した。難しかったし分からないことは多々あったがとりあえず初めて世界有数の偉大なもの、崇高なものと繋がることができた。単純に嬉しい。もちろん今回読んだだけですぐに何かが変わる訳ではないが、今後繰り返し再三再四読んでいく(ニーチェ)ことで少しでもゲーテに近づいて行くことが残りの人生を有意義に使うことだと思う。人の使命は生きてきた時より少しでもマシになること(稲盛和夫)ならこの道はきっと正しいはず。まだ全く何も見えてはいないが。この先に生きる糧が見つかるとそう信じてこれからゆっくりと本を読んでいきたい。途中本が古い方のバージョンに変わったのでメモったところが多少食い違っているが何個か引用を。「問題の選び方にこそ、その人がどういう人物であるか、どういう精神の持主であるかがあらわれるものなのだ。さてそこで、人間の精神はそれほど普遍性を持っていないから、すべての問題に等しく才能を発揮し、成果を挙げよ、と望むことはできない。ところで、たとえ、この著者が、あらゆることに等しく成功を収めてはいないとしても、それを扱う意図があったことだけで、私は彼を高く評価できるね。/そこで彼は、読書のむずかしさに触れ、多くの人は、愚かにも、まったく予習もせず、予備知識も持たずに、いきなり哲学書や科学書を、まるで小説同然に読もうとする、と言ってからかった。「みなさんは、」「本の読み方を学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかをご存知ない。」/「仕事は、私たちを悩みから立ち直らせてくれるすばらしい手段です。」「生きているかぎり、頭をおこしていよう。まだ産み出すことのできる限り、諦めはしないだろうよ。」/「愚昧な輩が、高貴な人間を迫害するのなら、まだしもだ!いや、それだけではない!天分にも恵まれ、才能もある人たちが、おたがいに迫害しあっている。プラーテンはハイネを怒らせ、ハイネはプラーテンを怒らせる。こういったぐあいに猫も杓子も、ほかの者を誹謗し、いがみ合おうとしているが、世の中というのは、平和に暮して働いていくには、十分広くて大きいのだよ。それなのに、めいめいが、自分自身の才能といういわば獅子身中の虫のほかに、ごていねいにも敵をつくり出しているのだからね。」/ゲーテが眼鏡嫌いとは知らなんだ。ていうか眼鏡嫌いて何や^_^/「精神的にも肉体的にも生れつき力のそなわっている人は、きわめて謙譲であるのがふつうだし、逆に、特別精神に欠陥のある人は、はるかにうぬぼれ屋でもあるものだ。情深い自然は、より高い観点に立って劣るところのある者たちに、それを調整する緩和剤として、補償手段として、うぬぼれと高慢を与えられたように見えるね。」「とにかく、謙譲とか高慢とかは、きわめて精神的な種類の徳目であって、肉体とはほとんど関係を持たない。頑迷な人、精神の薄弱な人のばあいに、うぬぼれが現れる。だが、精神の明晰な人、天分の豊かな人のばあいには、けっして現れない。そういう人たちには、せいぜい自分の力に対する満足感が起るていどだ。しかし、この力は事実なのだから、この感情も断じてうぬぼれではなく、まったく別のものさ。」また読もう。

  • これだけの詳細な記録を残したアッカーマンもすごい。

  • ゲーテの言葉は尽きること知らぬ泉のように湧き出てくるのであった。「飲んだ時に本当のことが分かる」「人間というものは再び無に帰するよりほかないもの」「宗教上のことでも科学のことでも政治上のことでも私は偽らず感じた通りに表現する勇気を持っていた」「大事なことは、優れた意志を持っているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力を持っているかどうか。それ以外のことはどうでもいい」

  • 文豪ゲーテの晩年に約10年身近で過ごした若き詩人エッカーマンが、ゲーテとの談話や対話を日記のように書き綴った手記。1822年9月~1832年3月を収めた、三分冊の下巻(中巻とは年月日が前後している部分あり)。
    そのテーマは、文学、芸術、科学から人生の過ごし方に及び、優れた上達論として読むことができる。
    「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要はない。何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた作品を持つ過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。・・・偉大な先人と交わりたいという欲求こそ、高度な素質のある証拠なのだ。・・・シェークスピアに学ぶのもいい。けれども、何よりもまず、古代ギリシャ人に、一にも二にもギリシャ人に学ぶべきだよ」
    「私がすすめたいのは、けっして無理をしないことだ。生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていたほうがいいよ。そんなときにものを書いたって、後で、いやな思いをするだけだからね」
    「大事なことは、すぐれた意志をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもっているかどうかだよ」等
    ニーチェは、本書を「あるかぎりのドイツの書物の中で最良の書」と呼び、本書から無数の引用をしているという。
    200年前に生きた巨人ゲーテの言葉が生き生きと伝わってくる。

  •  上巻中巻下巻、数年かかってやっと読み終えた。文体が難しいというわけでもなく、内容も退屈というわけではないが、「のんびり」「こつこつ」「とぎれとぎれ」取り組んでいるうちにかなりの歳月が過ぎ去ってしまった。日記形式なので1日1日少しづつ進めていこうと思ったのだが、数行で終わる短い日もあり、十数ページにわたる日もありなかなかペースが掴みづらい。また、中巻と下巻の繋がりに少々混乱することもあった。

     とはいえ100年以上にわたって読み続けられている名作。ゲーテの言葉とエッカーマンのセンスは非常に価値あるもので、あらゆる手段を駆使して読破するべき名著である。生きてきた時代も地位も異なる文豪ゲーテの言葉が、即現状の自分に当てはまるというものではないが、その内容は人類普遍のもので「思考の型」として心得ておくべき言葉が非常に多い。

     ヴェルテル、ファウストといった名作の裏話もゲーテ本人との会話を通して聞ける。またゲーテ以外のクリエイターが手掛けた、当時流行の文学作品、演劇、思想などについてのゲーテ評もおもしろい。個人的にはヘーゲル、カントの解説はとても興味深かった。さらに個々の場面における描写もとても趣があるものが多く、著者エッカーマンをはじめとした来客がゲーテ宅に訪れ、互いに会話を交わすという様子は当時の雰囲気がよく伝わってくる。超大作映画化もありなのでないかとすら思う。

     当時のゲーテのポジションからすれば、保守性の強い思想のように思っていたが、むしろ革新的な考え方が目立つ。もちろん「何もかも新しく」といったような安直な考え方はみられない。物事を深く考えた人は、自ずとその思想性にバランスがとれてくるものなのだろう。本書のような形式で描かれた人物像は、本人による自伝よりもイメージが伝わりやすいように思う。

  • 「読書力」おすすめリスト
    3.味のある人の話を聴く
    →天下の名著。最高の上達論。

  • 上中巻ではカバーできなかったゲーテとのエピソードを盛り込む。
    全巻とおして、日付でやりとりを克明に記録しているところから、時代背景を読み解ける面白さがある。

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003240936
    ── エッカーマン/山下 肇・訳《ゲーテとの対話(下)19690317 岩波文庫》P387
     
    ── ゲーテとヴァイマルの文化世界、これに最も熱烈に参入しょうと
    した後世の代表者は、ほかならぬニーチェであろう。ルッター訳聖書と
    『意志と表象としての世界』(ショペンハウアー)と『ゲーテとの対話』
    (エッカーマン)の三つの書物から最も強烈な影響を受けたニーチェが、
    この「対話の書」を「あるかぎりのドイツの書物の中の最良の書」とよ
    んでいることは周知のところであり、彼がこの書から引用しているとこ
    ろは無数である。例えば一八三〇年三月の「文化と野蛮」についての対
    話はニーチェの一生にわたって決定的な影響を及ぼしているであろう。
    (解説)P397

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著者プロフィール

1920-2008。ドイツ文学者。著書に、『近代ドイツ・ユダヤ精神史研究』、訳書に、トーマス・マン『大公殿下』など、共訳書にエルンスト・ブロッホ『希望の原理』(日本翻訳文化賞)など。

「2021年 『人間をかんがえる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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