- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003241714
作品紹介・あらすじ
「影をゆずってはいただけませんか?」謎の灰色服の男に乞われるままに、シュレミールは引き替えの"幸運の金袋"を受け取ったが-。大金持にはなったものの、影がないばっかりに世間の冷たい仕打ちに苦しまねばならない青年の運命をメルヘンタッチで描く。
感想・レビュー・書評
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シャミッソーは、フランス生まれのドイツの詩人・作家。『影をなくした男』は、薄い本でイラストもあり、読みやすかったです。
このような荒唐無稽なお話しは、イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの士爵』を思い出しますが、どちらもタイトルそのままの内容ですね(このタイトルで、安部公房の『壁』が頭に浮かんだ人は鋭い)。
ちなみに、作中に出てくる灰色の服の男とは、ミヒャエル・エンデ『モモ』とはまったく関係ないです(書かれた時代も違います)。どちらかというと、その男との取引から、ゲーテ『ファウスト』のメフィストフェレスを彷彿させます。
『ファウスト』と違って、なぜ灰色の服の男は影を求めるのか、また、この男にそそのかされたせいなのか、なぜか道ゆく人々が「影がない」ことを気にかけて主人公を非難することなど、謎がいろいろ残ります。しかし、そんな人々から追い詰められて、いろんなものを失った後に得たものは、救いがあって良かったと思いました。
読後、著者の来歴を調べたら植物学者でもあったとのこと。終盤のストーリーは、著者の夢も含まれていたんだなと思うと、なんだか微笑ましい気分になりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分の影を売って大金持ちになった男の話。
影がないというだけで犯罪者並みの扱いを受ける主人公。"影"という当たり前の物がないだけで、周りの目が変わって行った。当たり前にある物の大切さがテーマだと感じた。
謎の灰色服の男が本当に謎だった。ポケットから何でも出せる。
岩波文庫にしては、分かりやすく読みやすい作品だった。p.21、p.111の挿絵が好き。
好きな文
『鉄の鎖にとめられているというのに翼をもったとても何の役に立ちましょう?
翼をもてばこそ、そのためかえって絶望が深まるのです。』-p.32-
岩波文庫4/100冊目。 -
【あらすじ】
金持ちの男に仕事の斡旋を依頼しに行った「わたし」は、そこでポケットから馬やカーペットなど何でも出してしまう男に取引を持ちかけられます。
彼は「自分の影」と「無限にお金が出てくる袋」を交換して、宿へと戻ろうとします。
すると、道行く人々から「影がないなんて‼」とさんざんに非難され、その場を逃げます。
高価なホテルに移動するも、外に出れない彼はベンデルという若者に影をなくした秘密を打ち明け、「影」を返してもらおうと男を探させるも「一年後の今日、再びお会いしましょう」と告げられ見失ってしまいます。「わたし」は人から隠れて生活するようになりました。
生活にも慣れ、影の心配のない夜会に通うなかで、ある娘と恋に落ちるも、影がないことがばれ、ベンデルと利口な召使いラスカルを率いて街から逃げ出します。
次の街では、ラスカルが出まかせを言い放ち、国王と誤解されながらも、住人から大歓迎を受け、「わたし」は美しい娘ミーナと恋に落ちます。男との約束の日を過ぎたら結婚しようと誓い合ったものの、ラスカルによって「影」のないことを言い降らされてしまいます。ラスカルは「わたし」の財産を散々に奪い。噂を聞きつけた住民が屋敷を壊し「わたし」はぼろぼろになりながら逃げ窓います。
ミーナの両親は、影のない「わたし」より、身分の知れて金持ちのラスカルの求婚に首を振ろうとしていました。そんななか「わたし」のもとへ男が現れ、次の契約を持ちかけます。「魂」となら「影」を交換してやろうという契約でした。あまりの疲労に気絶してしまい、契約をしそびれました。
すべてを失った「わたし」は、ひとり放浪の旅に出ます。そこへ男はしつこくつきまとい、契約を迫ります。「わたし」の質問に、最初の金持ちの男が男のポケットから引き出され、魂の契約の行方を知ります。男と決別し、金の袋も投げ捨てた「わたし」は影も金もない身のまま放浪の旅を続け、在野の研究者として生きていくことになりました。
そんなある日北極熊に追いかけられた「わたし」は氷の海を渡って逃げ、気がつくとベンデル、ミーナが営む病院に寝かされていました。正体を隠したまま再び研究の日々へと舞い戻った「わたし」はこれまでのことを手紙にし、「影」を大切にするようにと書き添えて、送るのでした。
【感想】
悪魔と「影」と「無限の富」を交換してしまった男の辿る運命の話は、奇妙な既視感と現実感があって、その不気味な感覚を引きずったまま読み進めて行くことになりました。
その世界では「影」がない人間は人扱いされない。ということで「影」=社会的信用の一形態のように扱われていて「貨幣」「身分証」とはまた違った類のクレジットなのに、決定的に違うのが「影のあるなし」は外見で真っ先に判断されてしまうというこれ以上にないほどの判断事由になっているのが恐ろしい。
通行人が、監視カメラや金属探知機、生体認証、指紋認証、FACE・IDなんかよりもずっと多くの監視分母数として機能しているということで、グラセフで言えば常時手配レベルがマックスの状態であったり、『サイコパス』でも犯罪係数が常時最高値で検測されているようなもの。ドラキュラやDIOなんかも同じ状況だと考えて、影を失ったまま人間社会で生きていくことの難しさは、他の色々なものに当てはめることもできてしまいます。
でもそもそも「影と無限の富」の交換がトレードオフになっている点が気になる。「わたし」は影を失うことがどんな結果をもたらすことになるかも知らずに取引に応じてしまっているので、もし現在にこんな取引をしてしまったら、消費者庁の管轄になるんでしょうけど、影を失う(人と社会から追い出される)ことの意味を分かっていたら「無限の富」と交換しただろうか?という疑問が残ります。
「もう二度とお金に困らないならそれでいいじゃない?」という人もいるかもしれない。こればっかりは十人十色の価値観のなかで捉え方の変わる問題かもしれない。実際にはお金があって世間から孤立している人(アウシュビッツや毛沢東など例外はあるが)よりも、お金がなくて世間から孤立している人のほうが、いつの世の中だって大多数だ。
取引を持ちかけた悪魔は「影」から何を得たのか?いわゆる悪魔にとっての報酬は何なのか?デスノートみたいに寿命なのか?少なくとも悪魔にとって「お金」「物」は取るに足らない空気みたいに無価値な資産だと仮定できる。若しくは悪魔を「経済システム」そのものに仮定しても面白い。意志のあるなしは別にして、そこにほとんどの人間が参加し「お金」と何かを交換している。個人の立場は圧倒的に弱く、個人の経済に対する影響は悲しいほどに微小。は……!経済と悪魔はそっくりじゃないか!悪魔みたいに意志がないだけ実は経済のほうが怖いかもしれない。
影を奪った悪魔は、次にその「影」と「魂」を交換しませんかと取引してくる。なんて巧みなビジネスマンだろう。常に与えたももの以上の見返りを要求し、わたしたちは、さらに価値ある何かを差し出して、既に奪われたものを取り戻さなくてはならない。
この破綻した取引を実はわたしたちも日常的にしているのではないか?と不安になる。冒頭に書いた、既視感の正体はここに絡んでるのではないだろうか。
損得だ。損得勘定をするとき、その選択肢のなかで“比べてはいけないもの”を等価交換してしまってるのでは?
わたしたちは時間と時給を交換して生きている。勿論、給与だけが、その報酬だけでないことは確かだ。やりがいもあれば達成感もあり、社会活動の参加が持たしてくれる一体感とか、人間関係、充実感、成長もあるかもしれない。しかし、そうやって引き換えにして得た経験や給与、有形無形の財産など色々な報酬があって、本来、時間とはありとあらゆるものに変換することができる。なのに、お金・時間と抽象的な報酬を目の前にわたしたちの視界は塞がれて、その結果「影」と「無限の富」を交換する羽目になる。
金銭的な報酬に焦点を定めたとき、数字の多寡が絶対的な価値観になる。そこで得られる経験や人間関係、満足、感情が度外視されりょうになる。すると、馬鹿馬鹿しくて働いてなんかいられなくなる。なぜって、同じ時間で遥かに多くの額を手にする他者が存在するからだ。
勝敗も数字の多寡もフォーカスイリュージョンによって歪められてしまう。
「魂」の交換を前に踏みとどまる彼が、影を失くしたまま各地を放浪しながら生きていくのですが、人間社会で生きていくには「影」を貴ぶようにと、言葉を残している。魂よりは下位にあり、人間社会で生きていくために必要だと訴えられるこの「影」とは一体何なのか?
ここでは自分の性状なのだと思いました。金銭や勝敗、優劣、他の様々な既存の価値観に個人の価値観が次第に置き換えられていく。価値観とは、かけていることを忘れてしまうような眼鏡のようなもので、容易に人を固執させ、執着させる。もっと言えば教育が競争に基づいて、競争が収入の多寡に繋が幸福が語られるような社会で生きている私たちはこの「影」と「無限の富」の取引を子どもの頃にしてしまっているのではとも感じるのです。
後半、放浪の旅から在野の研究者へとその歩みを変え「わたし」の姿が、自然のなかに憩いを感じ、もはや影を失くした世俗への生活願望から解放される場面は、金貨に埋もれて涙に暮れる生活からのギャップでほっと眺められました。
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字が小さくて読むのがつらかった。失ったものは失ったと受け入れるという教訓。
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初めましての作家さん。読み友さんから貰った本です。
悪魔との取引で苦しみ、更に狡猾な魂かすめ取り作戦を
仕掛けられるも、拒否。逆に影奪還作戦を決行するものの
無理だと悟って追及をやめる。
そこからの急展開に( ̄△ ̄;)エッ・・?
イソップ物語風の寓話として読めば納得できるでしょう。
前情報なしで読むと、ある意味ビックリします(^◇^;)
それなりに楽しめました。
やっぱりベンデルへの配慮を考えて欲しかったぁ~! -
末尾の手紙風序文が良い。終盤のダイナミックな展開、好き。
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幸運の金袋と引き換えに自分の影を灰色服の男に譲ったシュレミール。シュレミールは、大金持ちになったにも拘わらず、世間に相手をされなくなり、不幸の道へ。それでも、シュレミールは、最後の最後、自分の居場所を見つけることとなる。メルヘンあり、大旅行記ありと変化に富んだお話で退屈せずに読むことができた。一歩歩けば七里を行くという七里靴というのも面白い。これを履いて世界を闊歩するあたり、19世紀の博物誌を読んでいるかのようだった。ところで、エンデのモモもそうだったが、灰色というのは不吉なサインなのかなとも思った。