魔の山〈上〉 (岩波文庫)

制作 : 関 泰祐  望月 市恵 
  • 岩波書店
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レビュー : 60
  • Amazon.co.jp ・本 (508ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243367

感想・レビュー・書評

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  • 上下巻合わせて1200ページ余りながら、不思議な物語と精神論・宗教論が混ざり合い、非常に難解な物語でした。
    読み進めることが、まさにタイトルのごとく「魔の山」を登ることのようでした。。。

    と冗談はさておき、
    本書は、主人公ハンス・カストルプの結核を中心に、病気という面から「生と死」の考察と、サナトリウムという療養所のある平地と隔離された街を「時間」の考察という、2つの大きな主題から成り立ちます。
    主人公のハンス・カストルプは、優柔不断というか、自己主張の少ない青年で、従兄弟のヨーアヒムを見舞うために、3週間の予定でサナトリウムを訪れます。しかし、サナトリウムで結核と診断され、長期療養を言い渡されるも、主人公のハンスはそれほど抵抗なく、療養を受け入れます。そして、時間的に孤立した療養所に留まることになるのです。
    病気が人生観を変えたという話は、聞いたことがあると思います。病気は生と死の中間にあるものとも言えますが、病気は生の方向を良くも悪くも修正できる力をもつものなのかもしれません。
    もう一つの主題である「時間」についてですが、この時間の魔術は、私達の時代でも容易に想像できるものなのではないでしょうか。普段の社会生活の中でも、時代の潮流に乗れていないと感じたり、世のトレンドとは無縁なコミュニティしか持ち合わせていなかったりと。。。
    ある種、ゲーテとは異なる教養小説。

  • とにかく長い。退屈。特に何も起きないまま上巻が終わる。ちょこちょこ動きはあるのだけれど。サナトリウムでの様々な人々との交流を通した青年の成長物語、とでもいうのかしら。病気、死、宗教、戦争、いろんなテーマを登場人物を通してひたすら討論していく場面が続く。しんどい。下巻、盛り上がりを見せてきたところで終わってしまう。しんどい。小説というよりも哲学書のような。しんどかったけど達成感はあった。これを読めたらもう何でも読めそう。ハンスが遭難しかけて生と死について開眼していくところは繰り返し読んだ。あの部分のために他を読んだのだと言ってもいいレベルで沁み入った。結論、しんどかったけど読んでよかった。しんどいけど読んだ方がいい。

    好きだった箇所をメモしておいたので貼っておく。
    「人間は死よりも高貴であり、死に従属するには高貴すぎる、頭脳の自由を持つからだ。人間は生よりも高貴であり、生に従属するには高貴すぎる、心の中に敬虔さを持つからだ。」

  • 読書日:2017年3月1日-5日,3月20日-26日.
    Original title:Der Zauberberg.
    Author:Paul Thomas Mann.

    恐ろしい山での物語なのかと読む前は思っていたのですが、
    その様な事は全くありません。
    重病患者がDavosにあるsanatoriumで静養している様子が描かれています。
    主人公のHans Castrop青年がここで療養生活を送っている
    母方の従兄Joachimに会いに行く所から話は始まります。
    ここで療養生活を営んでいる人々に比べると健康であり、
    3週間だけの滞在であったのに帰宅間際になり熱を発症してしまい、
    短期での滞在だった筈が長期になってしまいます。

    話の前半である従兄を訪れ始めた3週間までは物語は遅々としていますが、
    Hansの発熱後は物語が躍動感を帯びて行き、物語にも面白味が加わります。

    面白いと感じる点は、
    時間感覚がおかしく感じられ、時間について考えさせられる点と、
    HansがItalianのセテムブリーニと話す内容が、非常に哲学的、文学的だと感じられる点です。
    彼はたまに話す事に歯止めが利かなくなりますが、それでも言っている事はまともだと思います。

    この巻は、Hansが熱を出し過ぎて興奮し過ぎて頭の螺子が数本飛んだ様子で終わるので、
    次巻では正気に戻って物語が進む事を願っています。

  • 上巻は3日、下巻は読み終えるのに1ヶ月半もかかってしまった。
    なんと切り口の多い作品。。
    まだ完全には消化しきれていない状態でこの文章を書いている。

    こういった間口の広い作品は、
    フィニッシュをどこに持ってくるかという問題があり、
    巻末の解説でも書かれているように、
    実は作者自身も明確にはそれを決めずに書き始めて
    流れに身を任せたようだが、
    個人的には最終章の決闘のシーンが終わった時点で
    充分な満足感が得られ、
    あとはどう結論をつけても何らかの片はつくだろうと感じたので、
    それだけに、このフィニッシュには少々不満が残った。

    他の人はどう感じたのか気になったので色々とレビューを読んでみたが、
    まあ「時間の扱いが見事な作品」「精神論の教養小説」などと
    評する人の多いこと。。
    これだけ切り口の多い作品に対して、特に印象に残ったのがそこ?
    感性が拙いとしか言いようがない。
    そのような中学生の読書感想文レベルの感想にしか消化できないような
    内容の薄い作品では決してない。

    まず、舞台設定の見事さだろう。
    標高1600メートルの山上にある高級療養施設。
    抑圧の強い地上の現実世界から隔離されていて、
    病気と死がいつも隣り合わせ、建物の周辺は自然に恵まれ、
    気候変化が激しく四季に捕われない季節感があるという、
    筆力次第で様々な非現実性を創出しやすい舞台。
    見事な設定だ。

    また、この作品を難解と感じさせる要因として、
    第6章のセテムブリーニとナフタの激しい会話のやり合いがある。
    精神と自然、病気と死、革命と伝統、自由と秩序。
    色々詰め込んでいるが、
    メルヴィル「モービィ・ディック」のような、
    ただ単に詰め込んだだけで、
    その事が全く何の効果も成していない駄作とは違い、
    この作品は「詰め込み」が作品と綺麗に調和し、
    芳醇な広がりを演出している。

    しかし何と言っても、この作品の一番の読ませ所は
    各シーンの起承転結のつけ方だろう。
    過剰なまでの精神論、政治論、宗教論の応酬、
    気まぐれに表情を変える美しい自然の描写、
    音楽の与える高揚感、
    様々な方法を駆使してクライマックスまで持っていき、
    感情が最高潮にかき立てられた所ですぱんとシーンがカットされる。
    この切り方が実に見事で、この読後感だけでも
    読んで良かったと思わせるものが充分にある。

    こういった粒ぞろいの各章を全体として俯瞰したとき、
    上記「時間の扱い」「精神論」が作品に与える深みにも
    唸らせられるのであって、
    この作品を「時間に関する小説」「教養小説」などと単純に
    一面的な部分を切り取って断定するのはナンセンスである。

  • ハンブルクでの就職を控えた「文化人」、厨二病的で高慢ちきな性質をいくぶん強く持った、いわゆる多感な、しかし純朴で平凡な青年、ハンス・カストルプ。

    彼はひょんなことから、「精神と時の部屋」(ドラゴンボール的なそれではなくて、文字通りの。)ともいえるスイスの高原にあるサナトリウムで、地上と隔離されつつもさまざまな人物や自然と対峙しながら精神の旅を始めることとなった。

    時間を徹底的に分解し無意味化していく高原の気候とサナトリウムの習慣、ひっそりと患者の入れ替わりが進行する細胞体のような病室、美しい自然のなかで、時は十年一日のごとく過ぎ去り、ハンス・カストルプも次第に順応し、魔の山に陶酔していく。

    (「文化人」にとっては理想的な)まどろみのような自由のなかで、青年は自らの好奇心によって、「理性と神」「死と生」「精神と自然」「個と普遍」「概念と力」「合理と非合理」「自由と混沌」「進歩とニヒリズム」「生の意思と自己否定」といった深刻な分裂が、精神の理想郷を目指すそれぞれの欲動のなかで「ごちゃまぜ」となっている姿を目の当たりにする。

    精神の逍遥は、しかしながら、自然の一部たる肉体の活動、生命のはたらきによらなければそもそも発生しない。ある日雪山で自然と対峙し、死に直面したハンス・カストルプは、厨二病的な「死への親愛」を克服し、新たな善意と人間愛の姿をとらえるのであった――


    こうしてみると多分に「教養小説」ではあるけれども、この物語の楽しみは、白紙状態の自由で危うい青年の心をめぐってさまざまな形態で行なわれる「二つの流れ」のガチバトルだと思う。
    いずれも普遍的な善と高貴さへの収束の希求から発生した流れであるのに、なぜ両者は違ってくるのか、どこから同じなのか、なぜ対立しなければならないのか、人間的とは何か。そして、そんな問いかけなどお構いなくやってくる不条理と、魔術的な誘い。自然と、生と死と、時間。ミクロとマクロ、有限と無限。

    モラトリアムも終わりが見えかけている時期に、そうしたことをのんびりと考えられるような機会に巡り会うことができ、今までシコシコと続けてきた「お勉強」も捨てたものではないなと思えるような小説だった。つぎにこれを読むのは何年後になるだろう?

    個人的にはセテムブリーニさんのキャラが憎めない感じで好きだったなぁ。


    長いけど、暇な人は読んでみるといいと思う。世界史、思想史、音楽に興味がある人は特に面白いはず。

  •  「退屈な教養小説」というのが率直な感想である。
    「魔の山」と言うと何やらファンタジーな空間を連想する向きが多そうだが、実際には結核療養のための施設…サナトリウムである。
    高山の療養施設ながらまるでリゾート施設のような雰囲気で、若くしてここに送られた主人公は特に将来を悲観する事も無く周囲の一癖も二癖もある大人達から色々学ぶ事になる。
    まぁ大半は主人公について回るセテムブリーニとかいうオッサンの寓話的警告で、表向きはただ食って散歩して寝ているだけなのに分厚い本の上下巻とかよく書けたものだ。

     元々は「大学に入ったら何やら小難しそうな本に挑戦したい」というだけの理由で読んだので内容らしい内容はもうほとんど覚えていない。
    この本を読んで何か一つ得た事があるとすれば主人公がやたら気にしている人妻のクラウディア・ショーシャがサルバドール・ダリの妻となったガラのモデルらしいと後に判った事ぐらいだ。

  • これは読むのに苦労したなー…
    なぜならば終盤のハンス青年の
    ほのかな思いが成就するときに
    他の言語でしゃべっているのを表現するために
    カタカナ混じりの会話になってるのよ。

    平凡な位置青年であるハンスが
    いとこの療養に付き合いうために
    3週間の期限付きでサナトリウムに
    行くことになったけれども…

    …がつく通りでお察しです。
    それとページ数で。
    結局彼も発熱により
    サナトリウムから降りられなくなるのです。

    平凡な彼は
    やがて様々な患者に感化され
    心の成長を遂げていきます。
    人体に興味を覚えたり
    恋というものを覚えたり
    そして、それが成就したり。

    下巻、すごく気になるのよね…

  • 2009.1.26 読了

  • 「このことに連関して、たとえばトーマス・マンの小説「魔の山」では、いま扱っている強制収容所の囚人とやや比喩的に類似した状況にある人々、すなわち結核療養所の入所患者で、同様に退院の期限を知らず、同様に「未来を失って」、すなわち未来の目的に向けられていない存在を送っている人々の心理的な変化が描かれているのである」『夜と霧』フランクル p.174

  • 資料ID:C0034657
    配架場所:本館2F文庫書架

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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