ドイツとドイツ人 他五篇(講演集) (岩波文庫 赤 434-7)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243473

作品紹介・あらすじ

1945年5月,ナチスドイツが無条件降伏した直後におこなわれたトーマス・マンの講演「ドイツとドイツ人」は、ドイツの精神的伝統の特質を見事に描き出したもので、数多いマンの思想的政治的発言の中でも特にすぐれたものといわれる。他に「理性に訴える」「ゲーテと民主主義」等を併収。ドイツを考えるための必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 2/10

  • ドイツ、その民族性や民主主義擁護、ゲーテ、ノヴァーリスやホイットマン、ニーチェなどなど、冷静に語るトーマス・マンの言説の数々。

  • トマス・マンの自国ドイツに関する講演と書簡六篇を収録。

    読み始めたばかりで、表題の『ドイツとドイツ人』のみ読了だが、感嘆。
    当時既に渡米していたマンが、ドイツの第二次大戦敗戦直後に行った講演の内容である。

    主に三部構成であり、全編に渡って、15世紀以降のヨーロッパ全体を包括した議論、つまりフランス革命、政治と道徳、自然主義への態度などを踏まえ、相対化されたドイツ人として語られているところが秀逸と感じた。

    まず一つ目は、自由の概念について。
    ドイツは、国際社会の中で自由にドイツ的であるために、世界・ヨーロッパ・文明との戦いを決意した。
    そしてその目的に必要な国民の一致団結のため、国内では強権的統制となったのである。
    この外部的自由と内部的不自由の矛盾が語られている。

    ナポレオン戦争に対する国家主義という構図はトルストイの『戦争と平和』にも通じる。
    世界の中のフランス革命、という視点は、今後深めて学習したい点である。

    二つ目は、政治に対する考えの相違について。
    ここは特に面白い。
    政治に適した民族は、政治的不道徳と倫理を両輪とすることで、人生を「処理」する。
    一方真面目すぎるドイツ人は、そのような人生の処理は偽善と見なし、政治は明確な悪であり「人を卒倒させること」を為さねばならない、と考える。
    偽善を許さぬという正義が、より大きな不正義を生んだ。
    このレトリックは、ロシア人と通じる物がある。

    政治に必然の不道徳については、マキァヴェッリやバーリンが論じるところと同じである。
    国も時代も超えて同じ議論がなされるものは、一般の真理と言えるだろう。
    実生活でも実感する。
    但し、この「政治に適した民族」で言う「民族」の定義が引っかかった。
    マンがもし、文化よりも血族的な「人種」に拘ったのだとすれば、やはりそれ自身はドイツ的だ。

    そして三つ目は、ドイツ・ロマン主義についてである。
    合理的啓蒙主義に抵抗するロマン主義、という構図は、またバーリンを借用して言えば、自然主義と人文主義の対比から続く延長線だ。
    そのドイツ・ロマン主義は、ビスマルクの下ではヨーロッパ全体に功績をなした一方、ヒトラーの下では悲劇を生んだ。

    以上の三点が自分の本書の理解である。

    岩波文庫一括増版のお陰で、読むことができた。
    当時のドイツにとって極めて特殊な状況の中、自国民の特性を率直に表現し、亡命者の他人事の批判でもなければ、敗戦国の自己擁護或いは自己蔑視でもない。
    「ドイツ人」のところを、「日本人」や「人間」と置き換えても、当てはまるところがある。

    今敢えて再版する価値を見出し本書を届けてくれた岩波文庫に、敬意を評したい。

    ***************
    全編読了。
    素晴らしい内容。

    ドイツだけでなく、近代のヨーロッパを中心とした社会の思想、哲学、歴史を考える上での「軸」が輪郭を持って理解できた。
    現在の国際情勢や日本の抱える問題について、大いに参照すべきところがある。

  • 第一次大戦直後のドイツ国内には、高い精神文化を持つという自負と、敗戦の責任をめぐる混乱と、民主主義と同時に賠償金の支払いを押しつけてくる国際社会に対する不満とが、混然一体となって渦巻いていた。そうした状況の中でドイツの精神文化を称揚していたトーマス・マンは、国際社会との融和と民主主義(共和国)を受け入れるべく、人々に説得を試みる。その苦しい立場はナチスの台頭により、いよいよ厳しいものとなり、ついにはアメリカへの亡命に至った。こうした経緯をたどった彼が、彼に決して好意的でない人々を前に何を語ったか。講演という形ではなかなか理解されないような、一見矛盾するようにとらえられがちな自論を、誠実に丁寧に語る彼の姿は感動的だ。
    メモとして、彼の「政治」というものに対するとらえかたがよくわかる部分(第二次大戦後にアメリカで行った講演「ドイツとドイツ人」からだが)を引いておく。
    「政治は「可能性の芸術」と呼ばれました。事実、政治は、芸術と同様に、精神と実人生、理念と現実、望ましいものとやむをえざるもの、良心と行動、倫理性と権力との間に立って創造的にこれを仲介する位置を占めるものである限りにおいて、芸術に似た領域であります。政治には多くの苛酷なもの、やむをえざるもの、不道徳なもの、多くの「方便」、実利性への譲歩、あまりにも人間的なるもの、卑俗さから離れられないものが含まれています。そして、偉大な事業を成就して、しかもその後で、自分ははたしてまだまともな人間の一人に数えられるのだろうかと自問しないですんだような政治家、為政者は、いまだかつてほとんどいたためしがありません。それにもかかわらず、人間が自然界にのみ属しているのではないのと同様に、政治も悪の中にのみ包括されるものではないのです。政治がその理念的精神的成分を完全に放棄してしまうならば、つまり、その本性の中にある倫理的で人間的にまともな部分を完全に否定し去って、政治を余すところなく不道徳で下劣なもの、虚偽、殺人、欺瞞、暴力に還元してしまうならば、もはやそれは悪魔的で破滅をもたらすものに変質してしまい、人類の敵になりはてて、妥協に基づくことも多いその創造性を恥ずべき不毛性に逆転させてしまうことになるのです。もしそうなってしまえば、それはもはや芸術ではありません。 創造的に仲介し現実化する反語精神ではありません。それは盲目的で非人間的な不法であり、何ら現実的なものを創造できず、ほんの一時的にだけ恐ろしく成功することはあっても、少し続けばもう世界を破壊し、虚無的な、さらには自己破壊的な作用を及ぼすのです。なぜなら、完全に不道徳なものは、また生命に反するものだからです。
    政治に適し政治に生まれついた民族は、事実また本能的にも、良心と行動、精神と権力との政治的統一を、少なくとも主観的には常に維持するすべを心得ています。彼らは政治を実人生と権力の芸術としておこなうのですが、 その場合、この芸術には人生に役立つ悪や、あまりにも現世的なものが混入しないではすまされませんが、一方、より高いもの、理念、人類としてまともなもの、倫理的なものをまったく視野に入れなくなることもありません。まさにこうすることを彼らは「政治的」と感じ、このようにして彼らは世界と自分自身とを処理します。このような妥協に基づく人生の処理が、ドイツ人には偽善と感じられるのです。ドイツ人は人生を処理するようには生まれついておりません。彼らは政治をくそ真面目なやり方で誤解することによって、政治に不適格であることを証明します。天性からすれば決して悪人ではなく、精神的なもの理念的なものへの資質を持っているのに、ドイツ人は、政治とは虚偽、殺人、欺瞞、暴力以外の何物でもなく、完全かつ一面的に汚らわしいものにほかならないと考え、世俗的な野心から政治に身を売り渡す場合には、この哲学に従って政治をおこなうのです。」


  •  大学でドイツの文学についての授業を取っています。そこで課題図書として必要でしたので、読ませていただきました。
     古い本でしたので、翻訳も難しい言葉を使っており、少々読みづらい印象を受けました。しかし、読み進めるにつれて慣れてきて、すらすらと頭に入ってきたように思います。
     しかし、6篇の短編集のようになっており、飽きずに読むことができました。
     内容については、戦時中、戦後、晩年のドイツに対するトーマス・マンの考え方や、当時のドイツ人の考え方が分かります。当時、民衆に彼の考え方は受け入れられていないようですが、今のドイツが彼の言うような在り方になっているのを見ると、彼の考え方は今のドイツの在り方に一役買っているのではないかと考えさせられました。

  • 正月の酔いを一喝するような。
    ドイツの言語道断の非道を自身に落とし込む態度、その場にいなかったじゃないか?という声もあるようだけど、それを言う資格があるのはドイツ市民のみ。
    とにかくこちらの国との根本的認識の相違を感じますね。

  • 大戦前後の講演集。時局と作家。世界大戦のような時代に作家に何が言えたのか、何をどう指摘たのか考えさせられた。同じ敗戦国独逸の作家が自国の文化をどう検証したかはとても勉強になるような気がする。選択肢や光景の違いの中で、毀誉褒貶を恐れずに誠実にできることをしたいた印象を受けた。

  • ブックオフ太田、¥200.

  • 赤 434-7 青木順三訳 2008年12月20日 1/1_03:47:10

  • ¥105

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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