車輪の下 (岩波文庫)

制作 : Hermann Hesse  実吉 捷郎 
  • 岩波書店
3.57
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本棚登録 : 801
レビュー : 93
  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243527

作品紹介・あらすじ

誇りと喜びにあふれて首都の神学校に入学したハンスがそこで見出したものは、詰めこみ主義の教育と規則ずくめの寄宿舎生活であり、多感で反抗的な友人の放校であった。疲れ果てて父の家に戻った彼は機械工として再び人生を始めようとするが…。重い「車輪の下」にあえなく傷つく少年の魂を描くヘッセ(1877‐1962)の永遠の青春小説。

感想・レビュー・書評

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  • 中学・高校時代の読書感想の対象本だったのを読み直してみました。

    古いせいか、訳はちょっと違和感ありますが。内容は色んな意味で良いです。巻末の解説にもありますが、暗記型の押しつけ教育を「大人の無理解・利己主義」と否定するもの。これがこの本の最大のテーマです。これを読書感想の対象本に選んだ先生のセンスもGoodでした。私立の進学校でしたけど(笑)

    それにしても、最近は暗記型押しつけ教育の復権って感じがしますが、いかがでしょ? 日経なんか見てると、「国際的に日本の若者の点数が低下した」「ゆとり教育のせいだ」と煽ってる印象がしますが?

    ま、テーマをちょっと横に置いて。原文を読んだわけではないのですが、訳文でもヘルマンヘッセのセンスは良いと感じさせられました。

  • 20世紀前半のドイツの詩人・小説家ヘルマンヘッセ(1877-1962)の自伝的小説、1905年。

    「若さ」という生牡蠣のように傷つきやすく鋭敏な感受性は、或る覚醒を契機に、「社会」という即物性・散文性に対して美的であることを、「社会」の規矩に対して自由であることを、その純粋さゆえに自己を滅ぼしかねないほどの極端な徹底さで以て、希求する。この潔癖にして感じやすい内面の直接的な純粋性は、「社会」という媒介的俗物性とは、本質的に相容れない。そして、この老獪な「社会」にあっては、そうした純粋性への志向それ自体が、恰も罪であるかの如く"矯正"の対象とされてしまう、純粋性のあらゆる疾走が禁じられてしまう。なぜなら、それは、「社会」の「社会」性、"中庸"と詐称されるその欺瞞的安寧を、紊乱しかねない不穏さを帯びたものであるから。よって、「若さ」という感受性は、「学校」という装置に於いて施される"特殊な訓練"を通して、美的志向に羈絆がつながれ、対「社会」向けに馴致されてしまう。純粋さとは、それ自体、反「社会」的だ。純粋さと折り合いをつけ得ない者は、「社会」の即物的暴力性を、まるで罰として、剥き出しの痛覚で以て受け止めねばならない。「社会」とは、即物的な生を――何事とも冷笑的に両立可能であるような中途半端な生を――強要する、暴力だ。現代、その暴力性は、20世紀初頭の比ではないだろう。

    少年は、「学校」と「homosociality」に組み込まれることで、「男性性」が心身に刻み込まれた「社会」人となる。

    一切奇を衒うことのない文体と物語は、その全編がハンスの内面そのもののようだ。

    「偉大な英雄的行為はできるが、日常の退屈な、こまかしい仕事はできない、という気持ちだったのである。そういうわけで、かれは再三再四、絶望的なためいきをつきながら、自分自身をかせのなかへはめこんだ」

    「そしてまたただひとりとして、学校と父親や二三の教師たちの、やばんな名誉心とが、このきずつきやすい人間を、こんなことにしてしまったのだ、ということを、ゆめにも考えなかった」

    「・・・、かれはみじめなきもちになった。あれだけの苦労と勤勉と汗、あれだけの投げすてられたささやかなたのしみ、あれだけの自尊心と名誉欲と、あかるい望みにみちた夢想――すべてはむなしかった。すべてはただ、今あらゆる仲間よりおくれて、みんなに冷笑されながら、最小の見習い小僧として、製作所へゆくことができるため――そのためのものだったのである」

  • 少年の青春時代の心の悩み、移り変わりが書かれた作品。それにしてもなんと可愛そうな。主人公はあまりにもまじめで、純粋だったためにこんな悲劇的なことになってしまったのか。周りの大人たちはなぜ何もしてやれなかったのか。悲しい悲しい結末です。

  • 受験戦争に勝ち抜いて神学校へ入学した主人公の少年が、アウトローな友人の感化でどんどん孤立、落ちこぼれ、鬱になって退学させられ故郷へ帰るもニート生活、やっと就職したのは肉体労働で、仲間たちと飲みに行って深酒するにつれて自分の人生に対して悲観的になり、うっかり自殺(事故死?)してしまうという、なんというか、普遍的な名作というのは、現代に置き換えてもありそうな要素を含んでるんだなあというお手本のようなお話。ラスト以外はほぼヘッセの自伝的な感じらしいです。あまり救いのない話ですが、神学校時代の描写は、さながら萩尾望都の世界で楽しかった(笑)。

  • 誇りと喜びにあふれて首都の神学校に入学したハンスがそこで見出したものは、詰めこみ主義の教育と規則ずくめの寄宿舎生活であり、多感で反抗的な友人の放校であった。疲れ果てて父の家に戻った彼は機械工として再び人生を始めようとするが……。
    重い「車輪の下」にあえなく傷つく少年の魂を描くヘッセの永遠の青春小説。

    初めて読んだのは中1の時です。旺文社文庫のものを読みました。
    『少年の日の思い出』の授業中、担当教師が薦めてて、なんなとく読みました。
    意味がわからなくて挫折しました。
    再読してようやく意味が分かったつもりです。

    周りの人々から期待されていたけど、期待に押し潰されてしまったハンス。
    タイトルの「車輪」というのは、彼の生きる「社会」なのだと再読して気付きました。
    優秀だったという過去の事実が、機械工として生きる道を妨げ、やがて死んでしまう……。
    死に方に「え!?」って思いました。どうしてそこに行っちゃったのって。
    ハンスに救いの手を差し伸べる人が居なかったというのが、何だかやるせないです。

  • ーーーーー完全にネタバレですーーーーー
    有名な作品ですし、ネタバレしただけでつまらなくなるような作品でもないと思いますが。これは、どうしてもハンスに感情移入せずには読めない。日本で教育を受けた人なら誰だってそうなのかも。ハンスはつめこみ教育と、まわりからの期待とに押しつぶされて死んでしまう。たぶん、自殺だったのだ思う。僕自身は、教育はある程度つめこみ的に行われるべきだとは考えながら、厳しい教育は受けたことがないし、両親にも過度な期待はされなかった。幸せに育ったものだなあ。感想になってないか。

    ヘッセの翻訳を読むのは、中学1年の時に、教科書にあった『少年の日の思い出』という、クジャクヤママユなる蛾をめぐる話を読んで以来。Wikipediaによればその作品は1947年から教科書に採用されていて、2009年度は81.7%の中学生が読んでいるというから、誰でも知ってる作品だ。ちなみに高橋健二訳。今回、積読していたこの本を読んだのは、この高橋健二が登場する『文学部をめぐる病』という本を読んでるうちに、読まなければと思うようになったから。あとは、たまには新書みたいの以外にも読まないと体に悪いかな、と。

    引用。「そしていつでも科学は、新らしい革袋に気をとられて、古い酒を忘れてしまったし、その一方、芸術家はのんきにいろいろとせんぱくな誤りを固執しながらも、多くの人達をなぐさめたり、喜ばせたりしてきた。批判と創造、科学と芸術のあいだには、昔ながらの、不釣合な戦いがあって、その場合、そうなってもだれのとくにもならないのに、いつでも前者は正しいとされるが、しかし後者は、信仰と愛情となぐさめと美と永世感のたねをまいては、再三再四いい土壌を見出すのである。なぜなら、生は死よりも強いし、信仰は疑惑よりも優勢だからである。」(p.51,52)科学と芸術、もしくは科学であろうとする神学と芸術である神学との対比。よくわからないですけど(訳のせい?)。

    訳は、まあ読みやすかったと思うし、気に入ったとこもあります。たとえばホオマアを辞書をひきながら読むときの、「ふるえるほどのいらだちと緊張に満たされて」(p.65)とかを読んで、ホメロスってそんなすごいのかあと。ただ、「車輪の下」というのが本文中に出てくるのを知ってたのに、どこだったのか気づかなかった。それは解説にもあるように、unters Rad kommenを直訳せずに「車にひかれる」としてるから。でも、車にひかれるだと、具体的過ぎて本当に車にひかれるということを意図しているようにしか聞こえない。多分、そうではないと思うのだけど。

    http://miura.k-server.org/newpage117.htmによれば、高橋訳、実吉訳とも低水準で、旺文社の岩淵訳(絶版!)がよいそうです。というわけで、感想らしい感想も書かずに終わり。

    訳・解説は実吉捷郎。

    • pn11さん
      お気に入り登録していただいたので、読んでみたのですが、改行がなくて読みづらい。たなぞうからインポートすると改行が消えてしまうのかしら。という...
      お気に入り登録していただいたので、読んでみたのですが、改行がなくて読みづらい。たなぞうからインポートすると改行が消えてしまうのかしら。というわけで、改行を入れて、一箇所誤変換を直しました。
      2011/11/17
  • 文学
    生きるための古典

  • 第1章;町随一の秀才、ハンス・ギーベンラート(14歳?)が州の神学校の試験を受ける。他の受験生の受験後の様子から、自分は試験に落ちたと確信していたが、結果は見事第2位で合格。父をはじめ町中の人たちから祝福を受ける。

    第2章;神学校への出発をひかえ、ハンスは故郷の自然を満喫しゆっくりと休養にいそしむ。しかしこれからのハイレベルな授業を心配する町の大人たちがおせっかいをはじめる。リベラリストの神父は聖書を使ったギリシャ語を、今の学校の校長からはホメロスを使ったヘブライ語をつめこまれる。だが才能のあるハンスは彼らからの知識をみるみる吸収したうえで、外国語と古典の世界に沈潜していく。一方、キリスト教右派の靴屋のフライクおじさんは勉強漬けのハンスにいい顔を見せず、”男の子に必要なのは運動と聖書”と注文を付ける。

    第3章;神学校の寄宿生活が始まる。同じ部屋”ヘラス”の9人の学級たちのこと。とりわけハイルナーのこと。ハイルナーは優秀でとりわけ詩作に秀でている。まわりとは一線を画し自分の世界を確立している。模範生のハンスは自分にないものを持つハイルナーにあこがれを感じており、やがて一番の親友となる。が、自由なハイルナーは必然的に教師たちの目に留まりやすくなる。ある日彼が些細な問題を起こし罰として謹慎させられる。これによって彼はますます孤立していく。教師の目を恐れるハンスもハイルナーと距離を置くようになる。やがてクリスマスシーズンに入り、各々が帰省していく。ハンスも故郷の町に帰る。

    第4章;同じ部屋の目立たない生徒ヒンディンガーが事故で溺死する。この突然の死と向き合ったハンスは、勇気をもってハイルナーと仲直りする。ハイルナーの親友にもどったハンスだったが、こんどは教師たちからハイルナーの同類とみなされ敵視され始める。ハイルナーは「やまあらし」紙上で辛辣な警句を弄する。ある日彼は学校から突然脱走、すぐに保護され連れ戻されるが、結果放校となる。ひとり残されたハンスは完全に腑抜け状態となり、教師の質問にもまともに答えられない。教師たちはハンスにあからさまないやがらせさえ始める(「なぜきみはりっぱな親友ハイルナーといっしょにいかなかったのだ?」)。ひどい神経耗弱におちいったハンスは自然、退学の運びとなる。
    「教師たちにとっては、天才というものは、教授を尊敬せず、14の歳にタバコをすいはじめ、15で恋をし、16で酒房に行き、禁制の本を読み、大胆な作文を書き、先生たちをときおり嘲笑的に見つめ、…。学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、10人の折り紙付きのとんまを持ちたがるものである。」

    第5章;ハンスは失意のうちに故郷の町に帰ってくる。父親でさえ今のハンスを面と向かって叱責することはできない。しかし父を含め、あれほど自分をちやほやしていた町の人々、リベラリストの牧師、校長先生も、今のふがいないハンスを矯正させねばならないと考えている。ハンスは懐かしい自然や街並みの中に自分を埋没させようとする。が、自分はもう幸せな子供時代には戻れないこと、期待された未来もとうに失われてしまったことを痛感する。そして自殺を真剣に考えるようになる。
    「校長から父親や教授や助教授にいたるまで、義務に励精する少年指導者たちはいずれもみな、ハンスの中に彼らの願いを妨げる悪い要素、悪く凝り固まったなまけ心を認め、これを押さえて、むりにも正道に連れ戻さねばならないと思った。たぶん例の思いやりのある助教師を除いては、細い少年の顔に浮かぶとほうにくれた微笑の裏に、滅びゆく魂が悩みおぼれようとしておびえながら絶望的に周囲を見回しているのを見るものはなかった。学校と父親や二、三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじることによって、このもろい美しい少年をここまで連れてきてしまったことを、だれも考えなかった。」

    第6章;リンゴ絞りのイベントで美少女エンマと再会する。すでに色気づいているエンマはコケティッシュにハンスに絡む。ハンスはいきなりエンマに夢中になってのぼせ上がる。自分が抑えられないハンスはエンマを訪ねていく(今はエンマは靴屋のフライクおじさんのところに滞在している)と、エンマから求めるようにキスされ、エンマの体を触らされる。ハンスは子供時代を卒業したことを実感する。もはや関心ごとはエンマの体、それだけだ!

    第7章;ハンスはフライクおじさんの子供からエンマが田舎の実家に戻ったことを聞かされ、身も世もなく落ち込む。父から働くように言われ、旧友のアウグストもやっている機械工になることに決める。機械工としての生活が始まり、体力がないなりにがんばるが万力とヤスリに指を痛め自信を失う。休みの日に、アウグストたち機械工仲間がいっしょに町に繰り出さないかと誘われる。それを父に告げると、夕食どきには戻ってくるならと小遣いまでくれる。町で彼らは、羽目を外した冗談や、歌や踊り、お菓子にビールにワインと、盛り上がりに盛り上がる。ハンスはしこたま酔っぱらい、夕食時間を過ぎてもう帰らなければならないのにトドメのブランデーを1杯飲まされ、フラフラになりながらひとり店を出る。一方そのころ父は遅くなっても帰ってこないハンスに業を煮やし、笞を掴んで玄関でハンスを待ち構える。
    翌日昼間になってやっと、川に浮いたハンスの死体が発見される。
    埋葬の日、フライクおじさんが父に言う。「あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手抜かりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」



    この手のドイツ文学、ひさしぶりに読んだが、表現がみずみずしくて、構成ががっしりしてて、思索が深くて、芸術的に洗練されてて、本当に素晴らしかった!

    ・・・ところで、知人や有名人が自殺したと聞いた時などに、「バカなことをしでかしたなぁ」と呆れたような口調で死者をさげすんだり、「最悪の結果になったなぁ」と自分にも害が及んだみたいに迷惑がる人たちがいる。
    なんでそんなこと言えるのか!?
    なんでそんなこと言えるのかはここで私は明かさない(私はそんなに気前よくはない)。
    ここで見てほしい。ハンスが死んだと知れた時、フライクおじさんの反応はどうだったろう? 彼はハンスの親父さんにこう言っているのだ。「あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手抜かりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」
    ハンスが自殺したのか事故死なのか話の中では明らかにされてはいない。しかし有為の若者が死んだと聞かされたとき、フライクおじさんが言ったようなことをひとり心の中で呟ける人はぼくは立派な人だと思う。そしてそれを声に出して言える人は、偉大な人だと思う・・・。
    誰か知らんがドイツの靴屋のおっさん、あんた、イカしてるぜ!!

  • 百年以上も前の作品であり、神学校や田舎の暮らしなど、私たちの生活とはかけ離れているにも関わらず、少年の押しつぶされ傷ついた心に共感できる。
    心は不変なものだと感じました。

    神学校時代もそうだが、田舎に戻ってからの少年の、友も少なく死に囚われた描写が痛々しい。救われてほしかったけれど、悲しい最後でもやもやしました。

  • 優秀さ故に大人達から勝手に期待されて勝手に失望されて
    勉学と引き換えにせっかく築いたはずの友情は脆くも消え去り鬱状態になったあげく
    初恋の純情は弄ばれ
    仕事は二日目にして早くも苦痛で
    仕事仲間が一週間の楽しみにしているらしい酒盛りもそれほど楽しく感じられない
    そりゃ辛いよね…まして若くて繊細な子だもの…

    名作はどの時代にも通じることが描かれているから名作なのだと、改めて思った。

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著者プロフィール

ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)
1877~1962年。ドイツ、バーデンヴュルテンベルク州生まれ。詩人、作家。1946年ノーベル文学賞受賞。代表作に『青春彷徨』(『郷愁』)『車輪の下』『デーミアン』『シッダールタ』『荒野の狼』『ガラス玉遊戯』などがある。

「2019年 『文庫 愛することができる人は幸せだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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