美しき惑いの年 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 手塚 富雄 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 27
レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243633

作品紹介・あらすじ

ギムナージウムを終えた私は、大都市ミュンヒェンで医学を学びはじめる…。60歳を過ぎ、円熟味を増した老作家は、時代の子として"危険な年齢"を生きた40年以上も前の若き日を振り返る。青春の行路において様々な"惑い"に出会いながらも、質実に人間であることを目指して生きる一青年の歩みを描いた自伝的小説。

感想・レビュー・書評

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  • 美しい文章の古い時代のエッセイ。
    ニュートンの万有引力は地上の運動法則を宇宙に広げて記述しなおした。今人の科学の歌は小惑星イトカワまでも届いているけれど、人の心は「月までは地球の歌が届く」と書かれたこの頃と何も変わっていない。

    (抜き書き)
    徒歩の旅 312ページから

     葡萄の茂みの隙間から上ったばかりの月の光が私の顔を射た。しだいしだいに血は静まっていった。新しい人間が古い人間の束縛から身を振りほどくような感じであった。
     しかし今予期しなかったこの輝きが私のベッドの上を少しずつ移動し、ますます強く私の思いをひきつけていくにつれて、私たちがこの世紀の子であったことは無駄ではなかった、また私たちが自然界の認識に身をささげたのも無駄ではなかったことが、またしても悟られるのであった。この白銀の光との邂逅のひそやかな幸福に単純に身をゆだねるかわりに、私は進んで、私の記憶の中から、常に私たちの周囲を巡ってやまぬこの球体について、私が聞いたり、読んだりしたいくつかの事柄を呼び起こそうとした。すると私の心には、この天体の真価は今まで何人によっても十分に把握されていなかったのだというような、そしてそれを地球に属するひとつの精神的機関として尊重する人はこれから出現してくるに違いない、でなければ、そういう人々はすでに過去のものとして消えてしまったのに違いないと言うような感じが、湧き上がってきた。学者は月の運動を計算しその山々の高さを測定する、詩人にとっては月は、その詩句を清らかにするためのやさしい神秘な光であり、また睦まじい戯言の機縁でもある。謙虚な人にそれは、天上の永遠の大殿堂への道のほとりに立つひとつの荒れ寂れた小礼拝堂である。しかしおそらくは、独立の探求をする心情に対して、また特殊な意味を持ちうるであろう。
     月がこのように近い距離に在るのに、われわれがそこに行くことができないのは奇妙なことである。絶えず旅行する人には、老年までに、われわれと月との距離に相当する里程を踏破することは難事ではない。それにもかかわらず何人も月の世界を踏むことはできないであろう。そこには空気も無く水も無い、したがって生命も存在せず、またおのずから腐敗も墓も無い。行為に煩わされることなく苦悩にも染まらぬすさまじい沈黙の聖域、その月がわれらの遊星の周りを歩きめぐっているのである。そして、その地球も、月が無ければ決して今日あるような地球ではなかったであろう。学者は言う、月は太古の時代、地球がまだガス状もしくは流動状を成していたとき、地球から飛び離れたものであると。そして私たちは喜んでその言葉を信ずる。何故なら月はわれわれの一部であるから。われわれはただそれを常には自覚しないだけなのである。月の描く軌道の内側においては、まだ地球の歌が通用する。その外側においては、別の法則が奏でられているのである。そして地球と言う堅牢な核が、この美しい球の低い足音に気づいたとき、この星がわれわれの海に大きい潮の干満を作り出すとき、いかに生きとし生けるものの多様な心はこの天体の力に捕らえられ、それに滲透されることだろう。
     しかしその夜その時、特に私の胸に去来したことを、言葉に言い表すのはほとんど不可能である。それは天文学者が説く「月の重力は少ない」ということに関係しているのであった。この球体は私たちのそれよりはるかに小さい。そしてより軽いより繊細な物質からなっているのである。そこでわれわれは地上の場合と比べてかなりに幅の広い川を飛び越せようし、すべての物体をずっと高く投げ上げることもできるであろう。一切がそこではより軽快であり、到達距離は、より長いに違いない。おそらく思索や行為までがそうであろう。非地球的な軽さのこういう予感、それが、あんなにしばしばおのが重さに悩んでいるわれわれの性質を、憧憬の思いにたえなくさせるのではあるまいか。
     その間に、家の中では一切の物音が絶え果てた。月はもう窓には無かった。けれどもその光は、まだドアの近くの私のレーンコートと暗色の徒歩旅行靴を照らしていた。
     こういう風に若者の多くはあるいは万有へ、あるいは自分自身の内部へと、目をそそぐのであろう。そして真夜中の真の霊活の時刻(といっても霊異や妖怪とは無縁である)の息吹を感ずるのである。地球の影響圏の果てを劃する境界石、われわれの切り離せない近親であるこの月、それを若者はおのれの心の中にも発見するのである。高い諸霊の会合点として彼はそれに挨拶を送る。詩人、とくに老ゲーテの詩や句には、そこに盛られた地球上のことがらについての知識があまりにも偉大に冷徹にわれわれの心をつかみ、そのためにわれわれはそういう知識がこの地球そのものの上で獲得されたのだとはほとんど信ずることができないようなものがある。こういうような啓示の発祥の場所としてわれわれは、何ものによっても思いをかき乱されることのないあの心内の月と静寂を想像する。そういう内面の月にわれわれは時として住むべきであろう。一度まったくこの地上を離れたことのある人のみが、より高い共同献身へと成熟するのである。また一切がより軽くより清純であるその世界に住んでこそ、われわれは過酷な騒がしい人生の中にあって心底の願いを実現することのできなかった孤独の人々を、もっと良く理解することができるようになるだろう。それによって、多分私たちは、私たち自身の存在によってそういう人々の生の完成を進めていくことができるのではあるまいか。そのことはわれわれ自身の天性への最も美しい補いとなるであろう。われわれはわれわれ自身については知ることが少ない。われわれの精神的な眼は、われわれ自身を直接に認識することはできないような構造を持っているらしい。われわれは他の人々に宿る可能性を、われわれ自身の中に耕していかねばならぬ。そこから良い収穫が生まれ出るであろう。そしてわれわれは、その際われわれの払う苦労によって、われわれ自身に固有のものを、最も早く知ることができるであろう。

  • 岩波文庫 080/I
    資料ID 2012200327

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