ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243749

感想・レビュー・書評

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  • 寡聞にしてこれまでジョゼフ・フーシェと言う人物の事、知りませんでした。
    この人物の事を既に知っておられる方も多いかとは思いますが、私の様に知らないと言う方の為に説明しますと、彼はフランス革命の時代、節操もなく所属する陣営をかえ、急激なアップダウンを繰り返しながら一時期はフランスの頂点に立った人物です。
    その変節ぶりはすさまじく、彼が最後に権力の地位から追い落とされた後、彼に反感を抱く人々から容赦の無い報復を浴びせられた事からも、彼が当時の人々からどの様に思われていたかが伺い知れる程。

    本書は題名からも分かるようにこの人物の伝記本であり、原著は1929年に執筆されました。
    その後、原著の著者のシュテファン・ツワイクは自身がユダヤ系故に、真珠湾攻撃から3ヶ月もたたない1942年2月23日、ドイツと日本の優勢に将来を絶望し自殺しました。
    邦訳版の本書は1979年に初版が発行された後、続々と版を重ねており、私が読んだものですと1992年に発行された第19版となります。
    隠れたロングセラーと言った所でしょうか。

    ツワイクが情感を込めた文章で綴られる、以下のフーシェの生き様(簡単にまとめようとしましたが、彼の人生の激しさの為、結構長くなってしまい・・)は、月並みな表現ですが、読み始めると本当にグイグイと引き込まれ、あっさりと読了。

    ---------------------------------------------------------------------------------
    元々は庶民出身の僧侶兼教師だったが、フランス革命の際、革命政府の一員としてキリスト教を否定。
    また、革命政府に反抗的だったリヨンでは弾圧の指揮をとり数週間で1600名を殺害。
    その後、革命政府首班のロベスピエールとの死闘の末、彼の一味をギロチン送りにするが、結局、革命政府を追われる。
    極貧の中、日々の糧を得る為、当時の有力者・バラーに密偵としてやとわれ、バラーが政権を握ると警務大臣として返り咲くが、政府が機能しないとみるとナポレオンのクーデターに協力して今度はナポレオン政府の警務大臣になる。
    ナポレオンの100日天下が終わった後、フランスを手中に納めるも、革命でギロチン送りにされたかつてのフランス国王の実弟であるルイ18世に国を売り、ルイの王国で要職につく。
    しかし、かつて革命政府の一員として国王の実兄を辱めて処刑した過去は消えず・・・
    最後は汚れ仕事を押し付けられ、使い捨てにされる。
    そして、自らの過去に切り刻まれながら惨めな漂流生活を送り、死に至る。
    ---------------------------------------------------------------------------------


    本書を一文でまとめると、

    どのような作家であれ、勧善懲悪なストーリーの小説を書こうとしたら、その小説が本書を越えることはない。

    この様に断言して間違いがない一冊です。

  • フランス革命の時代に暗躍した、
    完全無欠な裏切り者、卑怯者の伝記。

    よく言われることのない人物だが、作者ツワイクの
    淡々とした筆致から、逆に自らのプリンシプルに
    忠実な、清々しい、とはとても言えないけど
    それなりに魅力的なフーシェ像が浮かび上がる。

    人間とはなにか、考えさせる名著だと思う。

  • 聞いたこともない人名だったのですが、読み出してみるとこれが面白い。著者の、何と言うか気持ちのこもった筆致のせいもあるのでしょうが、フーシェのキャラ立ちっぷりは素晴らしい。なんかもう、半沢直樹系のキリッとした撮り方のドラマに仕立てたら面白そうだなぁなんて思ってしまいました。
    しかし、フランス革命期の政治家の話なんて(興味深いと思う人はいるかもしれませんが)楽しく読める話だとは思ってませんでした。

    それくらいの、同時代人からもボコボコに言われたカメレオン野郎の話であって、しかし現代の我々から見てみると、変化する状況の中で何とか生き残ろうとして能力を発揮してきた(まぁカメレオンか。。)努力家に思えるのです。
    「残念ながら世界歴史は、普通叙述されているような人間の勇気の歴史であるだけでなく、また人間の臆病の歴史でもあるのであり…」という著者の記述を見ても、歴史のこっち側の側面を読んでおくことはそれはそれで貴重なのではないかと。
    ナポレオンをして、「本当の完全無欠な裏切者」とまで言わしめた男。読んでいて何も感じないということはたぶん無いはず。

    しかし、訳の基調がおどけてるのか、岩波的な流儀なのか。「知らぬが半兵衛」は無いなぁ。。

  • 世紀末ウィーンの流れをくむユダヤ系文学者ツワイク(1881-1942)による代表的な伝記文学、1930年。フランスでは、絶対王政が革命によって打倒されてから、第一共和政・第一帝政・復古王政・七月王政・第二共和政・第二帝政・第三共和政と、その政体が変わり続け、19世紀の間は政情が安定しなかった。ジョゼフ・フーシェ(1759-1820)は、革命期から復古王政期におけるフランスの政治家であり、目まぐるしく移り変わる政体とともに無節操にも党派や思想を渡り歩くこととなったその「無性格」「無主義」な点を以て、ツワイクから「近世における最も完全なマキアヴェリスト」と評される。ツワイクは、政治というものが人間にとって逃れることのできない「運命」となってしまった現代にあって、人間が政治的であるとはどういうことか、フーシェを通して探ろうとした。

    フーシェの主な政治遍歴は以下の通り。船乗りの息子。神学校の物理学教師。国民公会に選出されて、ジロンド派へ。国王裁判では、ルイ16世の死刑に賛成しジャコバン派へ。地方派遣議員として、恐怖政治を敷き共産主義的(反私有財産、私財徴発)・無神論的(反教会、寺院掠奪)な政策を打つ。リヨンの叛乱に対して、粛清・大虐殺(「リヨンの霰弾乱殺者」)。テルミドール9日のクーデタにて、ロベスピエールを処刑。総裁政府にて、警務大臣。ブリュメール18日のクーデタにて、総裁政府を裏切りナポレオン支持。統領政府にて、警務大臣(「サン=クルーの風見」)。第一帝政にて、警務大臣・元老院議員・オトラント公爵。百日天下にて、ナポレオンを退位させ臨時政府首班、ルイ18世を王位へ。復古王政にて、ルイ16世に対する「国王弑逆罪」のため国外追放。



    ツワイクの指摘するフーシェの「無性格」というものが興味深い。

    それは次のような態度として一般化できるのではないか。則ち、他者による「おまえは○○だ」という断定=限定=可能性の否定のもとに自己を措くことを徹底的に峻拒する態度、常に自己を他者に対してmeta-level に位置づけて決して自己を他者によって対象化させない態度、そして自分だけが他者を対象化する権限(その極限が他者の生命の対象化=生殺与奪権である)を保持しようとする態度、として。

    このような態度のもとでは、彼が何か特定の具体的な個性を備えた者として現れることはない。なぜなら、対象化の手がかりを他者に与えてしまうような自己の内実だとか信念だとか情熱だとかいう形而上的な代物を、彼は自らの内に一切含まないから。態度表明というものは、彼にとっては弱味を晒すことと同義である(事実、フーシェにとって唯一の「態度表明」であった国王裁判での死刑賛成票が、のちの国外追放の理由となる)。このとき、彼は何者でもない。

    「・・・、その経歴の最初の最低の段階で、すでに彼の本質の最も特質的な一面が示される、すなわち誰かある人に、あるいは何物かに、あとで取返しがつかないまでに完全に結びついてしまうことに対する嫌悪の情が表れてくるのである。・・・。例によって例のごとく、どのような境遇にあっても、抜け道だけはあけておく、変転自在の可能性だけは残しておくのである」

    「こうした黒幕の人物にとどまることが、一生涯ジョゼフ・フーシェの態度であった。けっして表向きには権力の所有者にならぬが、しかも完全に権力をおさえていること、あらゆる糸を引きながらもけっして当の責任者にはならないことが、それである」

    「彼は書卓に向かっている自分、閉めきった部屋の中にいる自分、蔭に隠れている自分が一番強いことを知っていた。ここならうまくうかがい、さぐり、観察し、説きつけることができるし、糸を引き糸をこぐらしながら、自分自身は外から見られず、つかまえられないでいることができたのである」

    「情勢を達観し、人々を左右し、表面上の世界の指導者を実際においてあやつり、自分のからだは賭けないで、あらゆる博奕のなかでも最高度の興奮を与えてくれる恐ろしい政治の博奕をうつことで、彼は満足なのだ。こうしてほかの人間が主義主張に縛られ、公言した言葉や公然とふるまった態度に縛られている時に、光を恐れ蔭にかくれている人物たる彼は、いつも心中何の束縛も受けず、したがって表面上固くつかまっていた柱も逃げ道となるのだ」

    ここには、一方では韜晦的な振舞いによって自己の内面を隠蔽し他者の眼差しによる対象化を回避しながら、他方で密偵や秘密警察を駆使して政敵の弱味を把握しておこうと欲する、マジックミラーの如き非対称性への欲望=支配への欲望が表れている。これは、マキャヴェリズムの最も純粋な形式による人格化ではないか。

    現代のコミュニケーションにおいても普遍的に見られる、人間性のひとつの典型が、フーシェの「無性格」に表れてるように思う。

  • ジョゼフ・フーシェという政治的な化け物の評伝。
    カルロゼン先生のお薦めがあり、手を出してみた。
    ここまで政治的であることにこだわった政治家もいないのではないか。
    英雄足り得ない、しかしある種の憧れがそこにある。
    なんとも不思議な存在である。

    まあ同時代に生きた人にとってはとんでもない迷惑な御仁だったろうけどさ。

  • フランス革命なのでバンバン処刑されます。その執行者として君臨し続けたフーシェの伝記。

    ポルポトもカンボジアのナポレオンかフーシェになりたかったのではなかろうかとふと思う。旧仏領だし。

  • 4.01/412
    『「サン=クルーの風見」.フーシェにつけられた仇名である.フランス革命期にはもっとも徹底した教会破壊者にして急進的共産主義者.王制復古に際してはキリスト教を信ずることのきわめて篤い反動的な警務大臣.フーシェは,その辣腕をふるって,裏切り,変節を重ね,陰謀をめぐらし,この大変動期をたくみに泳ぎきる.』(「岩波書店」サイトより)


    原書名:『Joseph Fouché: Bildnis eines politischen Menschen』(英語版『Joseph Fouché: Portrait of a Politician』)
    著者:シュテファン・ツワイク (Stefan Zweig)
    訳者:高橋 禎二, 秋山 英夫
    出版社 ‏: ‎岩波書店
    文庫 ‏: ‎367ページ

  • おもしろい!

  • 革命を泳ぎ切った風見鶏フーシェの伝記である。ツヴァイクの『マリー・アントワネット』の次に読んだ。

    どの派閥、政体をも裏切っていることから、ロベスピエールのような政治的理想はないと分かる。
    ジャコバン党員として時代の要請以上に王党派を虐殺していることから、裏切りが単に心身の安寧を求めて立ち回った結果でないことが分かる。
    理想もなく、保身に汲々とするわけでもなく、なぜ激動の時代の政界に身を置き、変節を重ねたのか。ツヴァイクは権力欲とともに、権勢の得る方に賭ける賭博的愉悦をフーシェは持っていたとする。勝敗を見越せるくらいまで張るのを待つスリル、どちらが優勢か調べ尽くす探究の楽しみ、勢力図を胸三寸で塗り変えられる立場、そのようなものに魅入られていた人物として描かれている。
    人物伝としては非常に面白く、凡人然とした現代の一市民には理解しがたいマキャヴェリスト的心理もツヴァイクによる巧みな補助線で生き生きと蘇っている。恩人を売り、思想を踏みつけ、勝馬に跨り悠々と時代をすり抜ける姿はもはや清々しい。
    フーシェの最期は誇り高く散ったマリー・アントワネットとは対極だった。晩年にやっと己を知り、寂しくも穏やかに亡くなったようだ。これだけのことをして穏やかに死ねるのか大いに疑問だが、これだけのことをするくらいだから神経も太いのだろう。
    現代にも平気で嘘を付く政治家や他人の利益には一瞥もくれない経済人はいるが、彼・彼女らは凡人には度し難い楽しみや興奮があるのかもしれないと思った。

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