暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

制作 : 野村 修  野村 修 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 255
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003246313

作品紹介・あらすじ

20世紀の最もアクチュアルな思想家、抜群の感受性と批評精神をあわせもつ文学者、繊細なきらめきに満ちた散文の書き手…。いま最も注目をあつめるヴァルター・ベンヤミンの多岐にわたる仕事のなかから、「翻訳者の課題」「認識批判的序説」「一方通交路」「ベルリンの幼年時代」など、ベルリン時代の主要な諸篇を収めた。

感想・レビュー・書評

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  •  毎日毎日、本当にうんざりするほど愚弄されているのに疲れてきて、なんでこんな思いをしなければならないのかと思う。なんの話かと言えば、もちろん大文字の政治の話である。ニュースを見ていても脱力感しか怒らないのは、そこでは僕ら人間の知性とか、尊厳とか、思惟とか、そのようなものが日々愚弄されて、蹂躙されているからである。
     ブルジョワ民主主義(すなわち選挙を軸とした代議制民主主義)がフィクションであるとして、そのフィクションを守る設定(正統性)すらもぶっ壊れている中で、頭をよぎるのは「抵抗権」(a.k.a. 革命権)のことである。この欺瞞に満ちたシステムを、更地にすることはできないのか。

     先日、なんとなくヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』を読んでいた。ベンヤミンは、同じく暴力について考えたジョルジュ・ソレルの議論を援用しつつ、暴力の性質を腑分けする。(言うまでもないが)ここでの「批判」とは、「じっくり掘り下げて考える」といった意味である。

     ベンヤミンによれば、特定の法を定め、またそれを維持する(国家による)統治の暴力は「神話的暴力」と呼ばれる。ある体制Aから体制Bに変わろうとも、それは統治を支える物語が神話Aから神話Bに取って代わるだけの話であって、暴力は消滅しない。ここで重要なのは、国家というもの自体がそもそも暴力機構であるという話である。僕らは「よりマシな政治」を求めるが、しかし「よりマシな暴力」というものが存在しうるのだろうか?

     それに対して、そうした神話的暴力すらも根絶する(すなわち、統治システムである国家すらも消滅させる)暴力のことを、「神的暴力」と呼ぶ。ベンヤミンは、この神的暴力について、必ずしも具体的な像を提示していないが、ソレルの唱える「プロレタリア・ゼネスト」のイメージと、おそらくオーバーラップしているのだろう。

     「神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない。前者が罪をつくり、あがなわせるなら、後者は罪を取り去る。前者が脅迫的なら、後者は衝撃的で、前者が血の匂いがすれば、後者は血の匂いがなく、しかも致命的である」(p59)

     まぁ、ぶっちゃけ何言ってるのかイマイチわからないところではあるのだが、なにか迫力があり、中二病的マインドをくすぐるものがあるのは確かである。神的暴力、どこかに売ってないのか。

     「あれかこれか」の政党選びに一喜一憂したり、法的な手続きの諸々に関与していると、なにか「現実的なもの」に携わっているような実感はあるかもしれない。が、それらを「フィクションである」と言い切る知性や尊厳というものもあるし、それがないと想像力が枯渇して追い詰められていく気もする。
     僕らは、このクソみたいな社会の雑事と政治に翻弄されながらも、思考の天窓を開いて、別の場所に抜け出していくことができるはずだし、そのような思惟が必要なときもあるのではないか。ベンヤミンの本を横目に、そんなことを考えたりしている。

  • 法の背景には暴力があり、暴力が法を措定・維持するというとりあえずの基礎はわかった。
    が、全然内容をつかみきれていないとおもうので、もう一度読まねばならないなぁ。

    とりあえず正確かわからないけどメモ↓

    自然法 目的の如何
    実定法 手段
    →根本のドグマは共通(目的⇄手段)

    外部による、暴力の根拠の承認
    法的目的》普遍的 歴史的承認が必要
    自然目的》承認の欠如

    個人の所有する暴力の、
    国家による略奪(暴力→法の成立を恐れる
    →暴力は法関係の確定・修正をできる
    →〈法措定的暴力〉

    〈法維持的暴力〉
    +運命(処罰逃れられるかどうか?)→不自然さ
    死刑=最高形態の暴力(法の強化

    警察
    暴力が法をはみだす
    →法措定・法維持(保ち、生み出す)

    法は常に暴力を要請

    暴力は法を目的とし、法になっても暴力は手放されず、権力となる(過去の暴力の正当化

    法=暴力(権力)によって措定さる(=神話的
    政治的ゼネスト》国家暴力の強化 法措定的

    正義=神的な目標→神的暴力(神話的暴力のりこえるもの?=革命的
    プロレタリアゼネスト》国家の強制なくす アナーキスト

    神的暴力
    行為の以前としてある〈戒律〉

  • すべての法の根源・背後には暴力がある。そしてその暴力は「法の措定」や「法の維持」の手段として機能する。

    これら<手段としての暴力>とは別種の、「目的の正しさ」について決定をくだす暴力がある。<神的暴力>である。

    <神的暴力>は、法を措定し維持する<神話的暴力=手段としての暴力>に対峙する。

    <神的暴力>は、処罰への恐怖としてではなく、行為者個人を追及する<戒律>として存在する。<戒律>はカントの定言命法とは異なり、“個人や共同体は……非常の折りには、それを度外視する責任をも引き受けねばならぬ”(したがって正当防衛の殺人は必ずしも断罪されない)。

    ベンヤミンは、革命的暴力の基礎づけのために<神話的暴力>を批判し、かつ<神的暴力>なるものを称揚しているようである。が、現代においては、<神話的暴力=手段としての暴力>が排除された社会というのは、実際想像しがたい。

    しかしながら、法の根源・背後には暴力があるという厳然たる事実を明るみに引っ張り出したのがすごいところ。また、<手段としての暴力>とは異なった、<神的暴力=戒律=正義>が神およびわれわれ行為者自身に宿っているのだというメッセージは強く印象に残った。

    「他十篇」はまたいつか読む。

  • さらっと目を通した。法概念は難しい。

  • 暴力批判の基礎となるべきは、目的の正当性でなく法の措定だ、と暴力に潜む権力性を鋭く分析した表題作をはじめとして、ベンヤミンのリアリズムが堪能できる。

  • ソレルの『暴力論』に応答するかたちで書かれた「暴力批判論」は、
    暴力を2種に区別し、一方を断罪、他方を称揚しようとするために非常な困難に遭遇している。
    一方とは権力による法の暴力(神話的暴力)、他方とは最終的には国家を揚棄する革命の暴力(神的暴力)である。

    革命は、正義に適うためにあるが、
    それはつねに法の外に正義があることを前提としている。
    しかし、この論では端から〈正義〉については論じないとしている。
    そのため、この革命の根拠はどのようなものか、ということには答えられない。
    おそらく、正義は労働者の生き方、翻訳されているところの〈生活者のこころ〉に求められるだろうか。

    しかし、このテクストは、人を行為主体へと呼びかけている。
    これは目的の合目的性に如何を別にすれば、人間の生き方にかかわっている。

    どういうことかというと人間の現前性の認識能力の問題をベンヤミンが苦悩した結果、
    革命的暴力の結果の良し悪しは事後的にしか決定できないため、
    今ここの私は〈責任〉を引き受けるかたちでしか、行為を実行しえない、としたのだ。
    革命の暴力として評価する神的暴力は、断罪すべき神話的暴力としてしばしば現れざるをえないとしている。
    革命のための暴力は、肯定されうる。
    その評価は未来の歴史家の仕事である。
    現在の人間は、あらゆる配慮ある判断の後に行為することしかできない。

    その決定不可能性は、〈運命〉という言葉に表れる。
    必然性として総括したところで、蓋然性というものが拭いがたく存在しているためだ。
    その蓋然性を含めて行為は〈責任〉を媒介として私に取りまとめられる。


    最後にベンヤミンのテクスト全般に言えることは、
    彼のテクスト群はアイデアボックスであって、必ずしも適切に論証されたものではない、ということだ。
    彼が天才型で大量のエッセーを書いたのは分かるが、そのことと書かれたテクストの是非とは区別されなけばならない。
    何を思って、ベンヤミン信者が彼のテクストの周りに取りついているのか、
    私にはいまいちつかめない。

  • 全体的に難解ですが、言語の可能性としての翻訳論とか、本当に凄いし勇気づけられるものだと思うのです。

  •  初ベンヤミン。バルトやバタイユをかじってみたからこちらもどうかと読んでみた。うーん、なかなかにハードだな。。こやつもクリスチャンの影響が強いような気がする…。暴力批判論だけはもう一度読んでみよう。

  • 20世紀のデストロイヤー、ベンヤミン。
    松本人志のコントに出てくるベンジャミンさんが
    好きだったというだけの理由で手に取り、読んでみたら、いつの間にか愛読書に。
    3回くらい読まないと書いてることが理解できなかった。でも野村氏の訳文がとにかくカッコいいので読ませる。「生命が、殺戮の酩酊を克服するのは、産みへ向かう陶酔のなかでだけなのだ」

  • ¥105

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