暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

制作 : 野村 修  野村 修 
  • 岩波書店 (1994年3月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003246313

暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)の感想・レビュー・書評

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  • 法の背景には暴力があり、暴力が法を措定・維持するというとりあえずの基礎はわかった。
    が、全然内容をつかみきれていないとおもうので、もう一度読まねばならないなぁ。

    とりあえず正確かわからないけどメモ↓

    自然法 目的の如何
    実定法 手段
    →根本のドグマは共通(目的⇄手段)

    外部による、暴力の根拠の承認
    法的目的》普遍的 歴史的承認が必要
    自然目的》承認の欠如

    個人の所有する暴力の、
    国家による略奪(暴力→法の成立を恐れる
    →暴力は法関係の確定・修正をできる
    →〈法措定的暴力〉

    〈法維持的暴力〉
    +運命(処罰逃れられるかどうか?)→不自然さ
    死刑=最高形態の暴力(法の強化

    警察
    暴力が法をはみだす
    →法措定・法維持(保ち、生み出す)

    法は常に暴力を要請

    暴力は法を目的とし、法になっても暴力は手放されず、権力となる(過去の暴力の正当化

    法=暴力(権力)によって措定さる(=神話的
    政治的ゼネスト》国家暴力の強化 法措定的

    正義=神的な目標→神的暴力(神話的暴力のりこえるもの?=革命的
    プロレタリアゼネスト》国家の強制なくす アナーキスト

    神的暴力
    行為の以前としてある〈戒律〉

  • すべての法の根源・背後には暴力がある。そしてその暴力は「法の措定」や「法の維持」の手段として機能する。

    これら<手段としての暴力>とは別種の、「目的の正しさ」について決定をくだす暴力がある。<神的暴力>である。

    <神的暴力>は、法を措定し維持する<神話的暴力=手段としての暴力>に対峙する。

    <神的暴力>は、処罰への恐怖としてではなく、行為者個人を追及する<戒律>として存在する。<戒律>はカントの定言命法とは異なり、“個人や共同体は……非常の折りには、それを度外視する責任をも引き受けねばならぬ”(したがって正当防衛の殺人は必ずしも断罪されない)。

    ベンヤミンは、革命的暴力の基礎づけのために<神話的暴力>を批判し、かつ<神的暴力>なるものを称揚しているようである。が、現代においては、<神話的暴力=手段としての暴力>が排除された社会というのは、実際想像しがたい。

    しかしながら、法の根源・背後には暴力があるという厳然たる事実を明るみに引っ張り出したのがすごいところ。また、<手段としての暴力>とは異なった、<神的暴力=戒律=正義>が神およびわれわれ行為者自身に宿っているのだというメッセージは強く印象に残った。

    「他十篇」はまたいつか読む。

  • さらっと目を通した。法概念は難しい。

  • 暴力批判の基礎となるべきは、目的の正当性でなく法の措定だ、と暴力に潜む権力性を鋭く分析した表題作をはじめとして、ベンヤミンのリアリズムが堪能できる。

  • ソレルの『暴力論』に応答するかたちで書かれた「暴力批判論」は、
    暴力を2種に区別し、一方を断罪、他方を称揚しようとするために非常な困難に遭遇している。
    一方とは権力による法の暴力(神話的暴力)、他方とは最終的には国家を揚棄する革命の暴力(神的暴力)である。

    革命は、正義に適うためにあるが、
    それはつねに法の外に正義があることを前提としている。
    しかし、この論では端から〈正義〉については論じないとしている。
    そのため、この革命の根拠はどのようなものか、ということには答えられない。
    おそらく、正義は労働者の生き方、翻訳されているところの〈生活者のこころ〉に求められるだろうか。

    しかし、このテクストは、人を行為主体へと呼びかけている。
    これは目的の合目的性に如何を別にすれば、人間の生き方にかかわっている。

    どういうことかというと人間の現前性の認識能力の問題をベンヤミンが苦悩した結果、
    革命的暴力の結果の良し悪しは事後的にしか決定できないため、
    今ここの私は〈責任〉を引き受けるかたちでしか、行為を実行しえない、としたのだ。
    革命の暴力として評価する神的暴力は、断罪すべき神話的暴力としてしばしば現れざるをえないとしている。
    革命のための暴力は、肯定されうる。
    その評価は未来の歴史家の仕事である。
    現在の人間は、あらゆる配慮ある判断の後に行為することしかできない。

    その決定不可能性は、〈運命〉という言葉に表れる。
    必然性として総括したところで、蓋然性というものが拭いがたく存在しているためだ。
    その蓋然性を含めて行為は〈責任〉を媒介として私に取りまとめられる。


    最後にベンヤミンのテクスト全般に言えることは、
    彼のテクスト群はアイデアボックスであって、必ずしも適切に論証されたものではない、ということだ。
    彼が天才型で大量のエッセーを書いたのは分かるが、そのことと書かれたテクストの是非とは区別されなけばならない。
    何を思って、ベンヤミン信者が彼のテクストの周りに取りついているのか、
    私にはいまいちつかめない。

  • 全体的に難解ですが、言語の可能性としての翻訳論とか、本当に凄いし勇気づけられるものだと思うのです。

  •  初ベンヤミン。バルトやバタイユをかじってみたからこちらもどうかと読んでみた。うーん、なかなかにハードだな。。こやつもクリスチャンの影響が強いような気がする…。暴力批判論だけはもう一度読んでみよう。

  • 20世紀のデストロイヤー、ベンヤミン。
    松本人志のコントに出てくるベンジャミンさんが
    好きだったというだけの理由で手に取り、読んでみたら、いつの間にか愛読書に。
    3回くらい読まないと書いてることが理解できなかった。でも野村氏の訳文がとにかくカッコいいので読ませる。「生命が、殺戮の酩酊を克服するのは、産みへ向かう陶酔のなかでだけなのだ」

  • ¥105

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