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Amazon.co.jp ・本 (396ページ) / ISBN・EAN: 9784003251140
みんなの感想まとめ
古代ギリシャのエウリピデスを基にした二つの戯曲が収められた作品は、運命と情念の深い葛藤を描いています。特に「フェードル」では、叶わぬ恋と妬情が引き起こす悲劇が、登場人物の運命を規定する重要な要素となっ...
感想・レビュー・書評
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「アンドロマック」と「フェードル」の2篇の戯曲を収録。いずれも古代ギリシャのエウリピデス古典劇の翻案。個々の台詞が長いのは、これらが韻文で書かれており、したがって語られるのではなく、朗誦されるような調子だったのだろう。したがって、シェイクスピア劇のようなドラマティックな要素にはやや乏しい。葛藤が劇を新たな地平に導いて行くといった手法をとらず、個々の登場人物たちの背負う運命そのものが劇を規定していくのである。それは、叶わぬ恋であり、さらに「フェードル」においては、彼女の妬情が若きイポリットを死に至らしめる。
ラシーヌは、日本に当てはめれば元禄時代人。近松の初期とラシーヌの晩年が重なっている。葛藤を激化する近松はシェイクスピア型。ラシーヌは、むしろ能に近いかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
396P
恋愛、amour
ルイ14世は、ブルボン朝第3代のフランス国王(在位: 1643年5月14日 - 1715年9月1日)である。
アンドロマック
初演: 1667年11月17日
フェードル
初演: 1677年
ルイ14世が居た時の17世紀フランスは一番華やかだった時代だけど、その頃の作品超面白い。一番世界史の勉強で頑張った時代だな。
ルイ14世時代フランスの三大劇作家のラシーヌも恋愛とは狂気であるって言ってて、恋愛結婚って、狂気で決めた人を家族にするって違和感あるんだよね。親も大学時代の恋愛結婚で私が中学生の時に離婚してるから。
ジャン・ラシーヌ
(Jean Baptiste Racine,1639年12月21日誕生、12月22日受洗 - 1699年4月21日没)17世紀フランスの劇作家で、フランス古典主義を代表する悲劇作家である。シャンパーニュ地方のラ・フェルテ=ミロンに生まれる。幼少時に両親を亡くし、ジャンセニスムの影響下にあるポール・ロワイヤル修道院の付属学校で、厳格なカトリック教育を受ける。ラシーヌはこの学校で古典文学に対する教養と、ジャンセニスムの世界観を身につけた。このことは後のラシーヌの作品に深い影響を及ぼす。名門校コレージュ・ダルクールに進学することでパリ生活を初めて経験し、文学へ傾斜し始める[1]。18歳の時にルイ14世の結婚を祝したオードを書き、はからずも褒賞を受けたのがきっかけで詩作に専念するようになった[2]。1667年に悲劇「アンドロマック」のために格別の厚遇を得て、レピネの小修道院長の肩書を与えられる。1677年、悲劇「フェードル」上演にあたってゲゴネー座と抗争したことをきっかけとして劇作からは離れ、国王の修史官としての職務に励むようになる[3]。1692年から4年間は国王に同行して戦場をめぐり、ヴェルサイユ宮殿やフォンテーヌブローに自室を与えられ、貴族を差し置いて王に面会を許されるというくらい寵愛をされていた。その悲劇作品のほとんどは、三一致の法則を厳格に守り、主にギリシア神話、古代ローマの史実に題材をとる。『旧約聖書』に題材をとるものを、ラシーヌは悲劇とせず史劇と呼んだ。ラシーヌは均整の取れた人物描写と劇的な筋の構成を、アレクサンドラン詩行と呼ばれるイアンボス6詩脚の丹精で華麗な韻文に綴った。後期の『聖書』を題材とする作品を除けば、ラシーヌの劇は、二人の若い恋人を中心とするものが多い。二人は愛し合っているが、女性が王など高位の男性に望まれる、あるいは二人が敵対しあう家系にいるなどして、恋愛は成就しない。この葛藤がラシーヌの悲劇の中心となる。これに第三者の嫉妬、政治闘争などが加わり筋が複雑になり、最終的に二人の恋は成就せず、主人公の死をもって幕が下りる。またラシーヌは自身の作品を印刷に付し刊行する際、必ず書き下ろしの序文をつける習慣があった。このためラシーヌの作品は、たんに悲劇としての価値のみならず、演劇論としての価値をももつ。ラシーヌの詩論のなかではオスマン帝国の皇位継承争いを題材にする『バジャゼ』につけた序文での「悲劇の題材は観客から適切な隔たりをもつものでなければならない。この隔たりは神話や古い歴史のような時間的な隔たりだけでなく、時間的にはあまり遠くないがわれわれの風俗になじみのない距離的な隔たりであってもよい」とするものなどが知られる。ラシーヌの代表作として今日もなお上演されるものには『アンドロマック』、『ベレニス』、『フェードル』などがある。なお1960年代から90年代までのフランス50フラン紙幣にはラシーヌ肖像が描かれていた。
ラシーヌ名作集
by ジャン・ラシーヌ、戸張規子、戸張智雄
ぼくの心も、本来のたくましい力をとりもどし、恋心を、この胸から消し去れるのではあるまいかと。だが、運命のたくみな 策略 をぼくと一緒に讃えてくれ。運命は、執拗にぼくをつけまわし、避けて来た罠にぼくをみごとに追いこんだ。
あのつれない人は、ぼくの心をふたたび虜にしていた。思い知らされたのは、消しそこねた恋の残火。だんだんと憎しみの心が消え失せてゆくのを感じた。いや、むしろ、あの人を、かわらず愛していたことを悟った。そこで一計をめぐらし、ぼくは全ギリシアの賛同を熱心に説いてまわった。ピリュスの許へ派遣が決まり、そしてこの旅を実現した。諸国に不安の種をまきちらすあの子供を国王の手から奪いとれるかどうか見に来たわけだ。だが、アスティアナックスではなく、もし仮りに恋慕う王女を、この心を駆りたてる激情の赴くままに奪い去ることができたら、どんなに仕合わせだろう。というのも、恋の炎は、以前にも増した烈しさで燃えあがり、どんな危険がふりかかろうとも、もう思い悩むことはないのだから。あれほどの努力の末に、ぼくの抵抗は、なんの稔ももたらさなかった。この上は、ぼくを引き摺りまわす運命に盲となってこの身をゆだねよう。あの人を愛している。この地にもとめて来たのは、エルミオーヌただ一人。
運命は、二人の女をこの国へ導いた。一人は、鎖につながれるため、一人は、わたしを鎖につなぐために。だが、わたしが少しでも、あの女の心にとり入ろうとしたことなどあるだろうか。それどころか、あなたの美しさは人目をひいて、あらゆる力をもち、あの女の魅力は、ないがしろにされている。それならあの女こそ、この国では、囚われの身で、あなたこそ妃さながらに支配しているといえまいか。ああ、あの女なら、この心があなたに贈る恋の吐息のひとつでもあたえてやれば有頂天だろうに。
オレストだって、立派なお心の持主。あの方は少なくとも、人を愛することのできる方。たとえ、相手に愛してもらえなくても。そして、おそらく、ご自分のことを愛させる術もわきまえておいでの方。さあ、あの方をお通ししてちょうだい。
【ピリュス】 あの女がなぜ思いあがっているのかわかっている。あの女はその美しさを武器にしている。高慢なあの女は、わたしが、どんなに怒り狂おうと、かならずその膝にこの身を投げ出すにちがいないと待っているのだ。逆にあの女が 縋って来ても、わたしは、平然と見下してやるぞ、フェニックス。あの女は仇敵エクトールの妻、そしてわたしは英雄アシルの息子だ。アンドロマックとピリュス、二人を隔てる憎しみの根はあまりに深い。
【ピリュス】 わたしが、あの女を愛している、恩知らずなあの女をか。情けをかけてやればやるほど、ますますわたしを憎むあの女を愛しているというのか。わたしを頼るいがいには、身内も、友も、希望さえないあの女だが、わたしには、その息子を殺すことだってできる。おそらく、そうするのが、わたしの務めだろう。この国では、異国の女、いやエピールでは奴隷の身、そんな女に、息子を、この愛を、帝国までもあたえてやろうと言うのに、あの不実な女の心には、わたしは迫害者の席しか占められない。いや、これではいけない。あれだけ心に誓ったのだから、この復讐を確かなものとしよう。あの女が、わたしを憎むなら、その憎しみが正当化されるような事態にあの女を追いこんでやろう。息子のことなどかまっていられるものか。だが、あの女は、どんなに嘆き哀しむだろう。その苦しみのさ中にあって、わたしをどんな名で呼ぶだろう。今日、あの女のために、なんと忌まわしい光景がくりひろげられることか。それだけで、あの女は生きてはいられまい、フェニックス。そして、それを命じるのは、わたしなのだ。あの女の胸にこの手で剣を突きたてるにひとしい。 -
ラシーヌの代表的ギリシャ悲劇、「フェードル」と「アンドロマック」。アリストテレスの時代から読まれ、現代の日本でも公演しているところが名作の所以。悲劇の普遍性を感じる。
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原書名:Phedre, Andromaque
アンドロマック
フェードル
著者:ジャン・ラシーヌ(Racine, Jean Baptiste, 1639-1699、フランス、劇作家)
訳者:渡辺守章(1933-、東京、演出家) -
真実
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テアトル・ヴィディ・ローザンヌの「フェードル」を
観た後、購入して余韻に浸ったが、
改めてストーリーを追うと、
道理を引っ込めても無理を通そうとするフェードルって怖い。 -
訳がイマイチなんだよなあ。ちょっとナルシスティック。
でも物語自体は素晴らしい。 -
あー自分頑張った。良く読んだな笑。もう、文体(?)がえっらい…なんなんだ。オペラをそのまま本にしたみたいに全編歌でいけそうでした。話的にはまあよくあるっちゃあるっていうか。傍観して読んでいる私は「バカめら」と思ってしまいました。当事者は必死。あたしはひんやり。
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授業の参考文献として読んだ本。
「アンドロマック」それぞれが片想いという4つ巴の話。
地位のせいで誰もが身動きが取れない。
感情は募る一方、行動を起こせば結果悪い方向へ、、、
登場人物のセリフのみで構成されるこの手の本はほんと読むのに時間がかかる。
先ず登場人物がなかなか覚えられないから大変。。。
フェードルは読みきれなかったからまた次の機会に。
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悲劇。世阿弥がよき能につき定義した「本説正しく、めづらしき風体にて、詰め所ありて、かかり幽玄」と目指すところが同じだろう。「アンドロマック」より「フェードル」のが好きだ。ただ、愛憎の一元を描く小説的、ロマネスクともいうべき点に限れば、アンドロマックのが好き。また、多くの注釈があるとはいえ、ギリシャ神話について全く知識がないと若干厳しい(だからこそ古典悲劇なのだからやむをえないが)。プロットもよいが、同時に特に女性の心理描写が、素晴らしい。「逃げるようにしてどちらへ?」などは心理的弱点を衝く華麗な駆け引きだし、破壊的な嫉妬の情念およびそこから破壊への情念へと至る変容の描写はラシーヌの独壇場だろう。 以下、若干ロラン・バルトに負うが、ラシーヌにとって「運命」とは何よりまず人間を捉えて放さぬ「情念」なのだと考える。したがって、ラシーヌ悲劇の主人公達は運命に操られる人形ではない。彼らは運命たる情念には対抗しえないが、その情念によってなお多くのことをなしうる。そしてその「情念」とは、「ああ、愛しているのか、憎んでいるのか、それさえ知ることができないのか?」に顕著なように、愛と憎しみであり、これが情念を進める両輪であろう。また、ラシーヌが「幸福なる少数者」に対してのみ劇作すればよかったのは、人類にとっての幸せだったと思う。なお、シェークスピアとの違いを論ずれば、ラシーヌが古典主義をとる以上、個人的に気になるのは、三単一の規則における「時の単一」だ。これは、一昼夜に劇中の時間を収めなければならないという規則だ。無論、ラシーヌがこれを遵守しているのは理の当然であり、一見シェークスピアもこれを守っているかに見えるが、後者は「オセロー」「ヴェローナの二紳士」その他に代表される「二重の時間」を使っている点で極めて興味深い。
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アンドロマックは、トロイ戦争後の4人の男女が織り成す情念の連鎖。
・・・ていうか誰か一人でいいから「人の話をちゃんと聞く」ということを覚えたほうがいいと思いまーす!
って言いつつ好きですこの話。
この本が好きな人におすすめの本
ジャン・ラシーヌの作品
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