カンディード 他五篇 (岩波文庫)

制作 : 植田 祐次 
  • 岩波書店
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レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (552ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003251812

作品紹介・あらすじ

人を疑うことを知らぬ純真な若者カンディード。楽園のような故郷を追放され、苦難と災厄に満ちた社会へ放り出された彼がついに見つけた真理とは…。当時の社会・思想への痛烈な批判を、主人公の過酷な運命に託した啓蒙思想の巨人ヴォルテール(1694‐1778)の代表作。作者の世界観の変遷を跡づける5篇のコントを併収。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 高校生の時に読んだと思ったんだけど内容は何一つ覚えていなかった。ただ、思い出したのは、床屋で待っているときにこの話を読んで気持ち悪くなったこと。不幸の描写がこのうえなく凄惨なのに淡々と語られることが恐ろしかった。善とか悪とかに拘泥するのではなく、そのような真理・哲学なんかよりも今は庭を耕さないと、ということか。

  • 「カンディード」そのグロさエグさに想像力が悲鳴をあげる。でも大味な心情描写やいかにも翻訳調な語りのおかげか、悲惨な展開にありながらも人物は妙な落ち着きを呈しており、そのアンバランスさについ失笑してしまう。それともこれが最善説の世界か。

  • フランス啓蒙期の戦闘的な(それゆえに人間的な)反権威主義者にして自由主義者であったヴォルテール(1694-1778)による哲学コント集。ヴォルテールは、宗教的権威や世俗的政治権力と結びついた神学・形而上学が人間的自由・人間性の可能性を抑圧することに対して徹底的に反抗した。生涯を通して、宗教的権威への盲目的依存服従からの人間の自律を標榜した。

    「神が在りながら何故なおも世界は悪に満ちているのか」と云う問いに対して、当時有力だったライプニッツ哲学は、最善説・予定調和説で以て神の存在を弁護する「弁神論」を唱えていた(「神によって創造されたこの世界はおよそあらゆる可能世界の中で最善のものである」「悪の陰影は善の色彩を引き立てる」「個々の不幸は全体の幸福をつくり出す」)。しかし、元来、思弁的なライプニッツ哲学とは対照的なベーコンやロックなどイギリスの経験論哲学に影響を受けていたヴォルテールは、1755年のリスボン大地震・並びに1756年-1763年の七年戦争の惨劇を目にし「自然上の悪・道徳上の悪」を見せつけられることで、ライプニッツの最善説・予定調和説による「弁神論」を徹底的に批判し、殆ど無神論に近い理神論の立場に到るまでになっていった。そうした思想的背景のもとで書かれたのが「カンディードまたは最善説」(1759)である。

    戦争の惨劇や人間の悪徳を前に「全ては善である」と嘯くパングロス、そのパングロスによって戯画化されたライプニッツの思想は、当時を生きていたヴォルテールの眼からすれば、その欺瞞性に於いて、「市場こそが万能である」と喧伝して現代の非人間的なグローバル経済体制を正当化する市場原理主義・新自由主義、ひいてはそれを裏打ちする即物主義と同様に映ったのかもしれない。

    ライプニッツの「弁神論」が基づく彼の目的論的な哲学の根底には、ライプニッツ自身によってその名称が与えられた「充足理由律」がある。「どんな事実が起きたときにも、それが起こる充分な理由・根拠が必ずなければならない」「どんな事実が起きたときにも、「何故それが起きたのか」と問うことが可能であり、それに対して必ず「何故なら***の理由で起きた」とその根拠が与えられなければならない」とする原理である(或いは「弁別できない対象は同一である」「∀a.b.[∀P.[P(a)=P(b)] ⇒ a=b]」と定式化されることもある)。ここから、哲学的には決定論が、神学的には理神論が導出される。ライプニッツは更にそこから進んで、最善説・予定調和説と云う形而上学を構築した。

    「カンディード」が、最善説を論駁する為に書かれたものとするならば、それは必然的に充足理由律をも否定しなければならなくなる。それは「事実に対して、それを説明する理由・根拠・意味・目的は必ずしも存在しない」と云う世界観を導くことになる。これは、ニーチェがその扉を開き、20世紀に入りカミュによって「不条理」と呼ばれた世界の姿ではないか(ヴォルテールの思想は、ニーチェやサルトルにも影響を与えているとも云われている)。その意味で「カンディード」の世界は、ニヒリズムの一歩手前まで来てしまっていたのではないか。しかし、「カンディード」の最後の「庭の教訓」の場面には、20世紀的ニヒリズムに見られる出口無き自我によるアイロニカルな自己否定の無限運動の暗鬱さは無い。

    「・・・、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」

    明朗にして清澄である。主人に虐待された黒人奴隷との出遭いによって最善説を放棄するに到ったカンディードの姿に、アイロニーの捩じれは無い。人間の理性を信じ、生の意味を信じ、"感情のアナーキー"(ルカーチ)に陥ることなく、神から自律しながら同時にルカーチ的"節制 Haltung "を保つことが出来た、18世紀近代と云う時代精神の幸福な瞬間を刻んだ作品と云える。この点、17世紀のミルトン『失楽園』と類似した位置付けになるのではないかと思う(尤も、ヴォルテールは「カンディード」に登場する人物の口を通して『失楽園』を酷評しているが)。この時期に書かれた物を読むと、近代と云う時代精神はこのように作られていったのかと追体験させられる思いだ。

    その他「ミクロメガス」(1750-51?)「この世は成り行き任せ」(1746-47?)「ザディーグまたは運命」(1748)「メムノン」(1749)「スカルマンタンドの旅物語」(1756)



    250年以上の過去から現代を射抜いているような警句を幾つか。

    「・・・、どの職業でも、人前に姿を見せる価値がだれよりも少ない者に限って、いつだってだれよりも図々しくでしゃばり出る・・・。真の賢者は、ひっそりと引き込もり、静かに内輪だけで暮らしています」

    「・・・、では、いったいこの世界はどんな目的で作られたのでしょう」「わたしたちを激怒させるためですよ」

    「パリでは、本当に人はいつも笑っているのですか」「ええ、笑っていますよ。・・・。でも笑いながらとてもいら立っているのです。なぜなら、げらげら大声で笑いながら、すべてに文句をつけていますからね。どんな憎むべき行為も、笑いながらするのです」

    「・・・、人間は不安による痙攣か、さもなければ倦怠の無気力状態の中で生きるように生まれついているのだ、・・・」

  • ヴォルテール(本名:フランソワ=マリ・アルエ,1694-1778)の哲学コントが6篇はいっている。どれも傑作である。「ミクロメガス」は身長38kmのシリウス星人が土星人と一緒に地球にやってきて、そこに住む微生物(人類)と自然科学や霊魂について語るという話です。「この世は成り行き任せ」はペルシャが舞台で、人間社会は悪と善の混合物であるという話、「ザディーグまたは運命」はカルデア人ザディーグが身に具えた美徳ゆえに数々の不幸を招く話です。恋人を助けてケガをし、宰相となって賢い政治をすれば王妃に慕われ、王から暗殺されそうになるなど、万事がこんな感じです。最後は天使に会い、「善を生まない悪はない」とさとされます。「メムノン」は賢者になろうした男の話、決心したその日に女性に騙され、片目をつぶされ、大金をすります。「スカルマンタドの旅物語」は世界中を旅して、人類の悪逆な所行をみた男の話、最後はアフリカの海賊にさらわれ、奴隷になります。最後の「カンディード」は、ドイツの田舎、ウェストファリアで純朴に暮らしていた召使いの青年が、令嬢キュネゴンドを愛したため、屋敷から放り出され、ブルガリア軍に入り、戦争を生き残り、オランダにいき、リスボンで大地震にあい、南米に旅立ち、いろいろあって、ペルーのエルドラードに入り、当地の完璧な幸福に飽いて、また、フランス・イギリス・ヴェネチアと旅をつづけます。その間に人類の悪と愚かさをさんざん体験します。さいごにコンスタンチノーブルで醜く変わり果てたキュネゴンドと再会します。結局、この世の悪から身を守るには、労働をするしかないという結論になります。全編を通じて、ヨーロッパ人の悪を指摘しています。異端者をすぐに死なないように壮麗にとろ火で火刑にしたりするのは、その最たるものだと思う。ヴォルテールは信じていたライプニッツの最善説(この世界は現にある状態が最も善であるという予定調和にもとづいた学説)を、「カンディード」では批判し、結局、幸福は自分の労働でつくりだすしかないのだといっています。中国についても「理」や「天」の考え方が少しでてきて、ヨーロッパよりましだけど、人間社会だから、悪はあるという立場です(ザディーグ)。日本の「踏み絵」についてもでてきます。

  • すごく好き

  • 『カンディード』。18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの代表作が、ついに光文社古典新訳文庫から出版されました。本書は、当時ヨーロッパで有力な思想となっていたライプニッツの「最善説」を背景とした小説です。

    主人公カンディードは、「神によって創造されたこの世界ではすべてが最善である」という恩師の教えを素朴に信じている青年。しかし、男爵の娘と恋に落ちてしまったがために故郷を追放され、彼の受難が始まります。戦乱やリスボン大地震、盗賊や裏切りなど数々の不幸がカンディードを襲い、「最善説」への信頼が試されることになるのです。

    ここにはもちろん、著者ヴォルテールによる「最善説」への鋭い批判があります。この世界では毎日のように悲惨な出来事が起きているのに(本書は1755年のリスボン大地震をきっかけに執筆されました)、「すべては最善である」と主張することは、苦しんでいる人々の痛みを無視することであり、「生の苦しみに対する侮辱」ではないかとヴォルテールは考えたのです。

    一方で、風刺の対象となった「最善説」は、本書においてはかなりアンフェアな仕方で扱われているようにも思えます。ライプニッツ自身の「最善説」は今日でも通用する意義を持った思想と言えますが、こうした点については「解説」においてバランスのとれた説明がされています。

    多くの災害や人間の悪事を経験したカンディードが、どのような境地に至るのか。ラストの有名な一言も含めて、ぜひご自分で確かめてみて下さい。古典新訳文庫シリーズの他の訳書同様、訳文は現代的でこなれていて、とても読みやすくなっています。
    (ラーニング・アドバイザー/人社 KURIHARA)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    ※レビュー本(光文社古典新訳文庫,2015)は所蔵していないため、ヴォルテール作、植田祐次訳「カンディード : 他五篇」岩波文庫2005年の所蔵情報をご案内します。
    http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1223493

  • 2011.12.30 読了

  • 意外にもコスモポリタンな物語で、結構楽しめた。思想的背景については、Booklogにあるほかの方たちのレビューが巻末の解説よりも参考になる。騙されやすい、もしくは善良な男が災難に遭いながら世界各地を転々とするパターンのストーリーが多いのは、欧州を転々としたヴォルテール自身の人生が影響してもいる気がした。

    1.ミクロメガス
    2.この世は成り行き任せ
    3.ザディーグまたは運命
    4.メムノン
    5.スカルマンタドの旅物語
    6.カンディードまたは最善説

  • メムノン

  • 人間万事塞翁が馬。物語として古さを感じさせず面白かった。描写が艶っぽい。

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著者プロフィール

1694年にパリで公証人の息子として生まれ、20歳を過ぎた頃から83歳(1778年)で没するまで、詩、韻文戯曲、散文の物語、思想書など多岐にわたる著述により、ヨーロッパ中で栄光に包まれたり、ひどく嫌われたりした文人哲学者。著書に『エディップ(オイディプス)』『哲学書簡』『寛容論』『哲学辞典』などがある。

「2016年 『カンディード』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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