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Amazon.co.jp ・本 (222ページ) / ISBN・EAN: 9784003252215
作品紹介・あらすじ
『セヴィラの理髪師』で、主人の伯爵の恋の橋渡しとして傍役をつとめたフィガロは、この劇では主役となり、自分の許嫁シュザンヌへ横恋慕する伯爵を、あふれる機智と勇気でこっぴどくやっつける。作者はこの中で当時の堕落貴族や、不正の法律、権力、政治を攻撃し、思索、言論、著作の自由を擁護しようとした。一七八一年。
みんなの感想まとめ
物語は、愛と人間関係の複雑さを描いたドタバタ劇で、フィガロの結婚を巡る騒動が展開されます。前作『セビーリャの理髪師』から続くストーリーでは、フィガロの出生の秘密や過去が明らかになり、キャラクターたちの...
感想・レビュー・書評
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モーツァルトのフィガロの結婚をご存知の方は多いと思います。原作を知ってから聞くと、物語の雰囲気に本当にピッタリです。『セビーリャの理髪師』では脇役だったフィガロが結婚するのですが、色々邪魔が入ってひと筋縄にはいきません。前作以上のドタバタ劇になっています。今作ではフィガロのびっくりするような出生の秘密が明らかになったり、彼の辛かった過去が語られますが、そのことよりもなんの打算もなく純粋に誰かを好きになることの素晴らしさ、美しさをモーツァルトは曲にしたのだと思いました。『フィガロの結婚』はすごく明るくて賑やかで楽しい曲で、暗いところなんてありませんから。
オペラの中で『恋とはどんなものかしら』という歌が歌われるのですが、〝安らぎなんてありません、昼も夜も。でもこんな風に悩むことが嬉しいんです〟という歌詞があります。相手の気持ちが見えないから感情がジェットコースターのように揺れ動くけれども、それでも僕は幸せだよって。こんなに大きな幸せを、こんなに美しくて素敵な曲にしてくれたモーツァルトに感謝の気持ちで一杯です。 -
222P
諷刺に富む喜劇
ボーマルシェ
(Beaumarchais)こと本名ピエール=オーギュスタン・カロン(Pierre-Augustin Caron, 1732年1月24日 - 1799年5月18日)は、18世紀フランスの実業家、劇作家。現在は『セビリアの理髪師』、『フィガロの結婚』、『罪ある母』からなる「フィガロ3部作」で名高いが、劇作を専門としていたわけではなく、始めは時計師、次いで音楽師、宮廷人、官吏、実業家、劇作家など様々な経歴を持つため、フランス文学者の進藤誠一はボーマルシェを「彼ほど多種多様の仕事をし、転変極まりない生涯を送った作家も珍しい」と評している[1]。
「【シュザンヌ】 ほんとに私たち女をほんのちょっぴり自由にして下されば、本当は裏表のない人間だということがおわかりになりましょう。【伯爵夫人】 この話はこれくらいにしましょう。あなた、私も少しやりすぎたかもしれません。ですけど、こんな重大な場合でも大目に見てさしあげるのですから、あなたも寛大にして下さらなければいけませんわ。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
「【フィガロ】 その通りで、政治なんか知っていることが自慢になるんでしたらね。ともかく、知っていることは知らないふりする、知らないことは知っているふりする、わからぬことはわかったふり、聞こえたことは聞かぬふり、そしてとりわけ肝心なのは、力にあまることもできるように見せかける、何でもないことをしょっちゅう秘密めかして大仰に隠しだてし、鷲ペンを削るにも部屋に閉じこもり、中味はからっぽでがらんどうのくせに深刻らしく見せかけ、上手へたはともかく、ひとかどの人物らしく振る舞ってみせる、四方八方に密偵を放ち、謀反人に年金を与え、手紙の封印を溶かし、密書を横取りし、目的の重大さを口実に、手段の貧困に勿体をつける、これが政治というものでピンからキリまででさあ! でないとおっしゃるなら首を縊ってもようござんす。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
「【フィガロ】 一番罪の深い奴が他人には一番厳しいんだ。それが世の中の決まりだ。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
「【フィガロ】 うん、あるとも! 昔犯した過ちも、時がたてば分別になる、出まかせについた小さな嘘が、とてつもなくでっかい本当になったりする。そうことに気がついてからってものは、本当にも種々様々のものがあるってことになったんだ。知っていても口には出さぬ真実もある。なぜって本当のことなら何をいってもいいってもんじゃないからね。信じちゃいないがやたらにいいふらす真実もある。なぜって本当なら何でも信じていいってもんじゃないからね。熱烈な恋の誓い、母親のこけおどし、酒飲みの誓言、お偉方の約束、商人の口にする掛け値なし、数え上げればきりがない。正真正銘の真実は、シュゾンに惚れたおれの心だけさ。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
「しかし国王やその取り巻きが外国軍をフランスに引き入れて革命政府をたたきつぶそうと謀り、外国軍の侵入が目前にせまって、政府が左翼化してくるにつれ、ボーマルシェは前歴が前歴だけに、次第に革命政府にとってうさんくさい人物になった。しかし彼のほうは愛国的熱情を持ち、政府の必要とする武器をオランダで入手することを申し出、その使命を帯びて一七九二年九月同地へ行ったが、たぶんこの利権を横取りしようと図った外務大臣ルブラン =トンデュの指し金で、亡命者リストに載せられてしまった。これに載ると財産は没収だし、第一、帰国したら反逆者として逮捕である。ロンドンに行っていろいろ工作し、国民公会で弁明する機会を与えられるよう請願、聞き届けられて翌年三月帰国、公安委員会を説いて、小銃入手のため再びオランダへ行った。ところが再び亡命者リストに載せられ、妻と娘と妹は逮捕され、その財産は没収になった。その後間もなくテルミドールのクーデタでロベスピエールが倒れ、妻たちは釈放になったが、ボーマルシェのほうはオランダにいる亡命者の間でロベスピエールの手先と見られ、そこにいては危険なのでハンブルクへ移った。何とか帰国しようと運動したがなかなか功を奏せず、持ち金はなくなり、アメリカ政府に武器の代金を請求したが、それも支払ってもらえず、同地で困窮の生活を送った。一七九六年七月ようやく帰国することができた。帰国後は何とかして没収された財産を取り戻し、家運を挽回しようと奔走したが、十分にそれに成功しないうちに、一七九九年五月、卒中におそわれ、十七日に永眠した。彼は無宗教で葬られることを希望していたので、遺骸は邸内の庭に葬られたが、一八二二年ペール =ラシェーズの墓地に改葬された。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
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「以上が波瀾に富んだボーマルシェの生涯である。この略伝でもわかるように、彼は文学一筋に生きた人間ではない。文学・演劇などは、彼にとっては数ある事業の一つ、名を成し、産を成すための一つの手段にすぎなかったであろう。彼は文学者にふさわしい純粋な男でもなかった。旺盛な野望と事業欲と権勢欲と情欲とを持った男、いうならば「俗物」であった。世間からはうるさい奴として一目も二目もおかれたろうが、尊敬すべき人物かというと、決してそうではない。当時の評価がそうであったし、後世の評価もそうである。たしかに彼は成り上がり者で、現金主義者で、俗物臭芬々たる男だが、しかし他方において理非曲直のあいまいな場合には損をしても徹底的に闘う正義心を持ち、権謀術数は弄するが陰険ではなく、天性楽天家で、どんな逆境にあっても失望落胆せずに大勢の挽回を図る不屈の精神を持ち、愛する人(とくに女性)には親切で、感情がこまやかで、豊かな感性を持った人間であることを認めないわけにはゆかない。でなければ、姉のためにマドリードに乗り込んだり、ゴズマンをやっつけたりしたことはもちろん、アメリカに武器を売り込んだり、ヴォルテール全集を刊行して大損したり、革命政府のため小銃を入手しようとしてひどい目に遭ったりしたような彼の行動は説明がつかない。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
「以上が波瀾に富んだボーマルシェの生涯である。この略伝でもわかるように、彼は文学一筋に生きた人間ではない。文学・演劇などは、彼にとっては数ある事業の一つ、名を成し、産を成すための一つの手段にすぎなかったであろう。彼は文学者にふさわしい純粋な男でもなかった。旺盛な野望と事業欲と権勢欲と情欲とを持った男、いうならば「俗物」であった。世間からはうるさい奴として一目も二目もおかれたろうが、尊敬すべき人物かというと、決してそうではない。当時の評価がそうであったし、後世の評価もそうである。たしかに彼は成り上がり者で、現金主義者で、俗物臭芬々たる男だが、しかし他方において理非曲直のあいまいな場合には損をしても徹底的に闘う正義心を持ち、権謀術数は弄するが陰険ではなく、天性楽天家で、どんな逆境にあっても失望落胆せずに大勢の挽回を図る不屈の精神を持ち、愛する人(とくに女性)には親切で、感情がこまやかで、豊かな感性を持った人間であることを認めないわけにはゆかない。でなければ、姉のためにマドリードに乗り込んだり、ゴズマンをやっつけたりしたことはもちろん、アメリカに武器を売り込んだり、ヴォルテール全集を刊行して大損したり、革命政府のため小銃を入手しようとしてひどい目に遭ったりしたような彼の行動は説明がつかない。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
「それからボーマルシェはモリエールより葛藤の組み方が格段と上手である。モリエールは決して葛藤の名手とはいえず、『タルチュフ』や『守銭奴』に見られるように取ってつけたような結末が目立つ。いろんな事業に手を出し、豊富な人生体験を積んでいるせいか、ボーマルシェにはそんな不自然な筋立てはない。ことに『結婚』のかなり入り組んだ筋のさばきは見事の一言に尽きる。初め伯爵に味方していたマルスリーヌ、バルトロ、バジールなどがつぎつぎにフィガロに寝返って、最後には伯爵は孤立無援、これでは劇が彼の完敗に終わるのは無理もないが、筋をそういうふうに運ぶ作者の腕さばきにはそんなに不自然なところはなく、さすが人生の辛酸をなめ尽くしたボーマルシェだけのことはあると思わせる。」
—『フィガロの結婚』ボーマルシェ著
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前編 にあたる セビーリャの理髪師に引き続き大変楽しくすらすら読めます。 キャラ設定がさらに濃くなっていてドタバタの内容もちょっと 心理面が強くなっているというところで余計に面白い。
前編であんなに頑張ったのに 、なぜご主人たらああいう行動に走るんでしょうか。女好き!!
そこをどうやって女たちが乗り切っていくか、フィガロがかわしていくか。本編は、意外に女たちがしたたかな感じで動くのもいいですね。 -
1976.11.12 購入。
名古屋メルサ・鎌倉文庫
定価 ⭐︎⭐︎ (⭐︎印二つは200円)
岩波文庫は、確か昭和40年代後半までは定価を⭐︎印で表していた。
当時 ⭐︎ 一つは100円 -
第一部『セビーリャの理髪師』読了後に観劇を経て、こちらを読みました。第一部から何年後の設定かはわかりませんが、釣った魚に餌はやらんと言わんばかりに奥方そっちのけで、フィガロの許嫁を追いかけまわす残念極まりない伯爵に呆れる暇もなく、フィガロとバルトロ医師の衝撃的な関係や、せわしない登場人物たちに翻弄されて、もうお腹いっぱいです。盛り込まれた設定と古風な訳で、前作より小難しい印象を受けました。
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岩波で読んだわけではないので本の内容についてだけ…
舞台用の作品ということなので会話調でサクサク読むことが出来た。
事前に大まかなあらすじは知っていたので細かい内容を読むことが出来てよかった
このような舞台用文学作品は本として読むよりも舞台や劇形式で見る方がいいのかなと思った -
18世紀フランスの劇作家ボオマルシェエ(1732-1799)の代表的戯曲、1784年の作。『セヴィラの理髪師』の続編。モーツァルト(1756-1791)によるオペラでも知られる(オペラ化は1786年)。ルソー或いはヴォルテールなど百科全書派の自由思想に覆われた革命前夜の同時代フランス社会に充溢していた反"旧体制"の空気を存分に吸いながらも、明朗な恋愛喜劇となっている。
自己の領地の女に対する"初夜権"を一度は自らの意思で廃棄しながら、それが惜しくなった堕落貴族たる伯爵アルマヴィヴァが、民衆フィガロの許嫁シュザンヌに抱いた卑しい欲望を、フィガロやシュザンヌや伯爵夫人など女たちの機知によって挫かれてしまう。
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フィガロ――・・・。貴方[伯爵]は豪勢な殿様ということから、御自分では偉い人物だと思っていらっしゃる! 貴族、財産、勲章、位階、それやこれやで鼻高々と! だが、それほどの宝を獲られるにつけて、貴方はそもそも何をなされた? 生れるだけの手間をかけた、ただそれだけじゃありませんか。
出自により賎とされる"血の差別"を受けたと出版社を糾弾する者が、ただただその生れによってのみ貴とされ(ることによって支配層に政治利用されてい)る天皇家を尊崇しているポーズをとるという、鼻白むほどに見え透いた茶番が大真面目な顔で罷り通っている現代日本社会に於いて、情けないかな、フィガロの単純な叫びは未だに意味あるものとして響いてしまっている。
次の台詞も、そのまま現代支配層への叫びである。
フィガロ――・・・、どいつもこいつも、俺には正義を強いながら、奴らは勝手に盗みほうだいで、こっちはいよいよ没落の体だ。
支配層により作・演出されているところの天皇制という空虚な中心で踊っている茶番劇は、恰も現代日本のあらゆる虚偽の源泉であるかのようだ。当該社会に於いて不可避的に空転せざるを得ないあらゆるコミュニケーションの行き着く先であるかのようだ。
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それにしても、この伯爵の、自己の欲望に対するオプティミズム、そこから無尽蔵に快楽を汲み取れるであろうと何の疑いも抱かずにいられるオプティミズム、それは人間の欲望というものの在りようを余りに平板化して描いてしまっていないか。尤も、喜劇の一要素への戯画化・単純化にこんな難癖をつけても栓無い話ではあるが、要するにそこには自己反省という機制が無いのだ。欲望は、常に惰性態へと堕ちていきながら、その上でなおも依存的に渇望せずにはいられないところの、乾涸び続ける砂漠でしか在り得ない。この屈折した在りようは、伯爵の姿からは全く窺えない。
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60年以上前の辰野隆訳は滑稽なほど読みづらく、新訳が俟たれる。 -
セビリアなどを舞台とした作品です。
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おちゃっぴい。
辰野隆の作品
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