フィガロの結婚 (岩波文庫 (32-522-1))

制作 : 辰野 隆 
  • 岩波書店 (1976年1月1日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003252215

フィガロの結婚 (岩波文庫 (32-522-1))の感想・レビュー・書評

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  • 18世紀フランスの劇作家ボオマルシェエ(1732-1799)の代表的戯曲、1784年の作。『セヴィラの理髪師』の続編。モーツァルト(1756-1791)によるオペラでも知られる(オペラ化は1786年)。ルソー或いはヴォルテールなど百科全書派の自由思想に覆われた革命前夜の同時代フランス社会に充溢していた反"旧体制"の空気を存分に吸いながらも、明朗な恋愛喜劇となっている。

    自己の領地の女に対する"初夜権"を一度は自らの意思で廃棄しながら、それが惜しくなった堕落貴族たる伯爵アルマヴィヴァが、民衆フィガロの許嫁シュザンヌに抱いた卑しい欲望を、フィガロやシュザンヌや伯爵夫人など女たちの機知によって挫かれてしまう。



    フィガロ――・・・。貴方[伯爵]は豪勢な殿様ということから、御自分では偉い人物だと思っていらっしゃる! 貴族、財産、勲章、位階、それやこれやで鼻高々と! だが、それほどの宝を獲られるにつけて、貴方はそもそも何をなされた? 生れるだけの手間をかけた、ただそれだけじゃありませんか。

    出自により賎とされる"血の差別"を受けたと出版社を糾弾する者が、ただただその生れによってのみ貴とされ(ることによって支配層に政治利用されてい)る天皇家を尊崇しているポーズをとるという、鼻白むほどに見え透いた茶番が大真面目な顔で罷り通っている現代日本社会に於いて、情けないかな、フィガロの単純な叫びは未だに意味あるものとして響いてしまっている。

    次の台詞も、そのまま現代支配層への叫びである。

    フィガロ――・・・、どいつもこいつも、俺には正義を強いながら、奴らは勝手に盗みほうだいで、こっちはいよいよ没落の体だ。

    支配層により作・演出されているところの天皇制という空虚な中心で踊っている茶番劇は、恰も現代日本のあらゆる虚偽の源泉であるかのようだ。当該社会に於いて不可避的に空転せざるを得ないあらゆるコミュニケーションの行き着く先であるかのようだ。



    それにしても、この伯爵の、自己の欲望に対するオプティミズム、そこから無尽蔵に快楽を汲み取れるであろうと何の疑いも抱かずにいられるオプティミズム、それは人間の欲望というものの在りようを余りに平板化して描いてしまっていないか。尤も、喜劇の一要素への戯画化・単純化にこんな難癖をつけても栓無い話ではあるが、要するにそこには自己反省という機制が無いのだ。欲望は、常に惰性態へと堕ちていきながら、その上でなおも依存的に渇望せずにはいられないところの、乾涸び続ける砂漠でしか在り得ない。この屈折した在りようは、伯爵の姿からは全く窺えない。



    60年以上前の辰野隆訳は滑稽なほど読みづらく、新訳が俟たれる。

  • セビリアなどを舞台とした作品です。

  • おちゃっぴい。

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