モンテ・クリスト伯〈7〉 (岩波文庫)

制作 : Alexandre Dumas  山内 義雄 
  • 岩波書店
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レビュー : 67
  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003253373

感想・レビュー・書評

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  • モンテ・クリスト伯爵の復讐が終わった。ただ、ダングラールへの復讐の方法が他の二人に比べて甘くないか?おそらく、この人は痛い目に会っても全然反省しないで、翌日からケロっとまた金だけが生き甲斐の俗っぽい暮らしを繰り返すんじゃないのか?
    それにしても、ダングラール家は男爵も夫人も娘も、揃いも揃って低俗でしたたか。この人達はいかなる環境でもするっと蛇のように生き抜いていくのだろう。それはそれで天晴れだ。

    反対にヴィルフォールへの復讐は最も過酷だ。他の二人が嫉妬から来る単なる嫌がらせなのに対して、彼自身はダンテスに何の恨みもなく、立場上最も罪が重いのは間違いない。にも関わらず気の毒に思えてしまう。

    勧善懲悪である意味出来すぎで突っ込みどころ満載ではあったけど、キャラクターがなかなかいい味を出していて、ストーリー展開も波乱に満ちていて一大絵巻物として楽しめた。

  • 絶望と希望の第七巻!
    ヴィルフォールへの復讐は、思わぬ命までも奪うこととなった。
    悩めるモンテ・クリスト伯が訪れたのは、
    あのシャトー・ディフ。
    ヴァランティーヌ、マクシミリアン、メルセデス、そしてエデ。
    彼らの運命は?そして最後の一人、ダングラールへの復讐は?
    フランス版大河小説は、これにて完結。
    ボヴィル氏(意外と登場回数多し)、ペピーノ、ルイジ・ヴァンパ、
    そしてジャコポと、1,2巻での登場人物が再登場します。
    最終巻は多少退屈に感じる場面や独白が多いのですが、
    超人的だったモンテ・クリスト伯の人間としての部分が
    ここで噴き出しているようにも思われます。
    復讐について懐疑的にもなった彼がシャトー・ディフで
    見出したのが、あのファリア司祭の著作!
    過去は未来への指針というべきか・・・感動してしまいました。
    ヴィルフォールの絶望は、自らが犯した罪・・・子ども!
    ダングラールはの絶望は、積み上げた富の喪失。飢えの恐怖。
    マクシミリアンの絶望は希望へ。
    メルセデスの希望はアルベール。
    モンテ・クリスト伯とエデは・・・「待て、しかして希望せよ!」
    今回は世界地図帳を側において読書しました。
    実在するモンテ・クリスト島とマルセイユ、
    コルシカ島の位置関係、
    ノルマンディーのトレポール(ル・トレポール)や
    ノワルティエ氏の待つリヴールヌ(リヴォルノ)の場所等を
    確認しながら読むのも面白かったです。

  • すべての終わり。待て、しかして希望せよ。

    そこまでやる必要があったのか、当然だった、何がしたかった、何を得られた
    ここまで来ても一気に終わりに進むのではなくいまだに葛藤が描かれる、最後まで一気に読み切ってしまった。

    読み切った!達成感がすごい!同時に終わってしまったという無気力感もすごい!
    エデ、マクシミリヤン、それぞれが幸せに暮らしていけるかと思う。
    伯爵は今後も葛藤することがあるかもしれないけど、エデがいれば大丈夫かと思わせてくれる。

    最後数ページ、読了の翌日も翌々日も余韻がずっと続いていてなんども読み返してしまう。
    きっとまた最初から読み返すんだろうなあ…
    全7巻、なかなか手を出しにくかったものの読んでよかったと思える長く愛される名作。

  • 典型的な勧善懲悪ものかと思っていたけど、懲らしめる側も懲らしめられる側も双方自分の哲学を持っていて、要するにそれらのぶつかり合いが描かれている物語と言っていいと思う。
    ヴィルフォールが罪人を裁く時の気持ちを吐露したところではハッとさせられた。誰もが醜い部分を持っているということへの安心感。これってとても正直で人間らしい感情だと思う。だからと言って自分のした悪をかばってよいことにはならないけれど。
    そして伯爵も自分のした復讐に対し正否を考え、苦悩する。そうでなくちゃおかしい。誰だって正しいことをしたいし、自分のしたことを正しいと信じたい。でも、本当に正しいことってなんなのか。私はキリスト教徒ではなく神を信じていないから、その代わり自問することの大切さを思う。
    全七巻の長編だったけれど、さすがデュマと思わせられる物語。

  • 19世紀フランスの小説家アレクサンドル・デュマ(デュマ・ペール、1802-1870)の代表的長編小説、1841-1845年執筆。19世紀のフランスはしばしばその政体を変えており、物語も第一帝政・復古王政・百日天下・七月王政という歴史的情況を重要な背景としている。また、近代市民社会が勃興するのにともない新たな近代的メディアとしての大新聞が誕生することとなったが、当時は各紙が新聞小説を掲載することで読者獲得を図った時期でもある。本書も或る大新聞に2年間にわたり連載されたもので、物語も大衆性・通俗性を帯びている。


      □ 第一巻

    1815年、ルイ18世の復古王政下。エドモン・ダンテスが、人生の幸福から一転、ナポレオンの「百日天下」に巻き込まれるような形で政治的謀略に嵌められて無実の罪を着せられ、牢獄に幽閉されるまでを描く。筋の起伏が明白かつ豊かで読んでいて実に楽しい。特筆すべきは、やはり獄中に於ける老学者ファリアとダンテスとの遣り取りだろう。ファリアは獄中で且つ病魔に侵されながらも、脱獄の為の諸計算やその実行に必要な様々な工具類や縄梯子、更には精密な日時計や紙・ペン・インクそしてロウソク等々を気の遠くなるような長い時間と絶えること無き創意を重ねて作り上げていた。そればかりでなく、様々な言語の単語帳を作って勉強したり、持ち前の学識を用いてイタリア統一に関する大論文まで執筆しているというのだから驚く。舌を巻いたダンテスから「紙とかペンとかインクとか、それをおもらいになったのですか」と尋ねられてファリア曰く、

    「いや。わしがつくった」

    痛快な一言。不撓不屈の精神と強靭な知性(「順序は、あらゆる問題にとっての鍵だ・・・」)に、清々しさを覚える。そして、ダンテスが陥った謀略の真相をファリアが次々と暴いていく過程は探偵小説の如く(「・・・、犯人を見付けるためには、まずその犯罪によって利得する者を求めよ!」)、また旧家の財宝の秘密を探ってモンテ・クリスト島を暗号解読さながらに導き出す過程は冒険小説の如く、読んでいて胸が躍る。

    個人的には、条件が限られた閉鎖空間の中で知性と創意を躍動させる情況に、昔から不思議と魅了されてきた。なお、幼少の私に今は亡き祖父が聞かせてくれた『巌窟王』は、ちょうどこの場面だった。


      □ 第二巻

    1829年、投獄より14年を経て、脱獄。この有名な脱獄場面は、読む者にまさに冒険活劇の興奮を与える。その後、モンテ・クリスト島の財宝を手にし、故郷へ。そこで、父の既に亡きこと、14年前に自身を陥れた者たちによる謀略の真相と彼らのその後、許嫁の行方、そして昔日の恩ある船主モレル氏の窮状を知る。嘗ての雇い主であり庇護者でもあったモレル氏に対するダンテスの恩返しは、モレル氏が困窮の最後に於いてまで家族や部下の船員たちに失うことなく示し続けた気高く腹蔵無き真の愛情とともに、読む者に大きな感動を与えるだろう。

    脱獄を果たしたダンテスの相貌は、「眼には深い悲しみがしめされ、その悲しみの底からは時折、世を厭う心と憎悪の心との暗澹たる閃きが迸り出て」、「自分自身にさえ自分がわからないのだった」。ダンテスは、この世が、神の存在のもと善悪が真っ当に報われる"最善"の世界ではないことを痛感し、神に代わって神が為すべき正当なる報いを実行しようと決意をした。「・・・、遅かれ早かれ、正直者にはたしかにお賞めがありましょうし、悪いものにはきっと報いがありましょう・・・」。これは実に畏怖すべき決意である、人間が神に取って代わろうと、人間自身が決意するのだから。ダンテスにあっては、最早、ライプニッツ(1646-1716)が唱えた「弁神論=世界最善説・予定調和説」など全くの無力である。ここに、ヴォルテール(1694-1778)によるライプニッツ批判(『カンディード』など)を通過して、神に対する奴隷状態からの、人間の倨傲とも呼ぶべき自律の兆候が読み取れる。善への報い(モレル氏への恩返し)が果たされれば、残るは悪への報いのみである――神ならぬ人間が為すそれは、「復讐」と呼ばれる。人間が神に代わってその役割を果たそうとするとき、人間は、次第に唯名化していく神という観念から自律しようとするとともに、人間性という観念をも超え出てしまいかねない。

    「なさけよ、人道よ、恩義よ、さようなら・・・・・・人の心を喜ばすすべての感情よ、さようなら! ・・・・・・私は善人に報ゆるため、神に代わって行った・・・・・・さて、いまこそは復讐の神よ、悪しき者を懲らすため、御身に代わっておこなわしめたまえ!」


      □ 第三巻-第七巻

    エドモン・ダンテスはモンテ・クリスト伯爵を名乗り、巨万の富をその力の背景として、復讐の鬼神となって、パリへ、モンセール家へ、ダングラール家へ、ヴィルフォール家へ、入り込んでいく。そこは「価値ありげな顔をせよ、しからば世間も価値をつけよう」という欺瞞の準則が罷り通っている俗物社会だ。効率的な利益の獲得という即物的な無内実を糊塗する為につけられる仮面。仮面の下が虚無であることを自他に対して欺瞞的に隠蔽する為だけの仮面。目前に迫った死がその仮面を剥ぎ取る段になって初めて、仮面の下には何も無かったということが、他ならぬ自己自身に対して突きつけられるだろう。仮面は、その下が実は虚無でありながらさもそこに意味ある何かが存在するかのように仮構する為のものでしかないが、こうした俗物"界(champ)"にあっては当の仮面そのものが内実そのものであるかのような倒錯が起こるだろう。「社交"界"」とは、そうしたルールに則ったゲームだと云える。

    人間が神に取って代わろうとするとき、逆説的に、当の人間は悪魔じみてくる。

    「『わたしは、いままで神の摂理という言葉を聞かされていた。だが、それを見たこともなければ、またそれに似たようなものさえ見なかった。したがって、わたしは、それが存在しているとは思わない。わたしは神の摂理そのものになりたい。なぜかというと、わたしの知っているかぎり、この世においてもっとも美しい、偉大な、そして崇高なことは、自分の手で賞罰を与え得ることにほかならないのだから』。すると、悪魔は、首うなだれて、溜息をつきました。『・・・。わたしがお前のためにしてやれること、それは、お前を神の摂理の使徒の一人にしてやることなのだ』。取引はできました」


      □

    長大な物語は次の句で結ばれる。

     【待て、しかして希望せよ】

    ここでは、「待つこと」そして「希望すること」が可能とされる。しかし、神なるものが完全に無化されている現代にあっては、ニヒリズムが行き着くところまで行き着きニヒリズムがニヒリズム自体に捩れを来している情況にあって、これは余りにオプティミズムが過ぎないか。現代にあっては、希望を徹底的に否定し断念した上でそれでもなお「待つ」という自己矛盾を含んだ態度以外に不可能ではないか。希望は、語られた途端に口の端をボロボロと崩れ落ち、語るに堪えぬ紛い物と化す。しかしここで居直ってしまうなら、それは即物的なシニシズムに到るしかない。それを峻拒するならば、希望を予定することなく、その上でなお、「待つ」しかない。何を? それは決して語られることなく。

  • 「待て、しかして希望せよ!」


    累計2000ページ読破しました。達成感すごい!


    今なら国語辞典も読破できそうな気がする…!

  •  何度も読んでいる。
    そのたびに、新たな感動がわきあがる。

     エドモンが好きだ。
    だが、復讐をすべてなし終えた男の心には
    何が残ったのか。
    いつも考えてしまう。

  • おお、おお!神よ!悪人たちは報いを受けたのでした。そしてモンテクリスト伯爵は再び幸せになることができるのでした。思わず涙があふれてきたというわけでして。

    モンテクリスト伯爵は友達からも許嫁からも検察官からも裏切られ塗炭の苦しみを嘗めたので人を信じることができなくなった。そのため恩人の息子であり、自分の息子のようにも思っているマクシミリアンも信じきれない。だから最後の最後まで試したのだと思う。エデももしかしたら自分のことを愛してくれているかもしれないとは思いながらやはり信じることができなかった。マクシミリアンを信じることができ、ヴァレンティーヌの言葉と本人の言葉でようやくエデのことも信じられるようになったのだと思う。

  • 壮大な復讐劇も幕を閉じた最終巻。伯爵の復讐の目的も明らかにされ、腑に落ちた感じである。復讐劇や結婚のことなども、メルセデスの存在が伯爵に影響を与え、出会わなければまた違っていたかもしれない、出会ったことで大きく良い方へ向かったこともあったし、伯爵にとってメルセデスの存在は大きいと感じた。人は日々成長し、気持ちの変化や出会いによってまた違う一歩を踏み出すなど、絶えず変化している。伯爵の困難に立ち向かい、出会った人たちから吸収し、壁を砕く勇気を持つことが大切だと感じた。

  • ダンテスによる復讐劇もいよいよクライマックスです。
    長かったですが、ようやくここまで来ました。
    残りのターゲットはダングラールとヴィルフォールです。

    ヴィルフォールに関しては予想通りといえば予想通りの結末でした。
    もっとも、娘のヴァランティーヌに関しては予想通りというわけにはいきませんでしたが。
    まあ、注意深く読んでいれば気付きそうですけどね。
    ただ後にダンテスが後悔しているように、ヴィルフォール一家に対してはやりすぎの感はありました。
    特にエドゥワールは、悪童だけれども犯罪に手を染めたわけではなかったわけですし、気の毒といえば気の毒でした。

    思い起こせばダンテスに対する一連の謀略を首謀したのはダングラールでした。
    当然どれだけ凄い復讐でお返しするんだろうと思っていましたが、4悪人の中で一番寛大な結末となり、ちょっと意外でした。
    ダンテスの中でヴィルフォール一家に対する贖罪意識が尾を引いていたことが一番の理由でしょう。
    最後に回されたおかげで命拾いしたのですから、何とも皮肉なもんです。
    ただダングラールに関しては、信号機事件の時もそうでしたが、モンテ・クリスト伯の掌で踊らされるピエロのような描かれ方をしているようにも感じられ、確かに死をもって償うという展開はふさわしくないのかな、とも思えました。

    そして最終章。
    ヴァランティーヌを亡くし、失意の底にいるマクシミリアン。
    彼にモンテ・クリスト伯はどういった手ほどきをするのか。
    そしてエデはどうなるのか。
    ラストの有名な一文はまさにダンテスの生きざまを表しているようで、読み終えて深い余韻が残りました。
    完璧なフィニッシュです。

    最後に岩波文庫版の山内義雄訳について。
    一般では名訳と評価されており、これはこれでありだと思いますが、私にはあまり合わなかったです。
    きっと素直に直訳したんだろうなあと思える箇所が散見され、総じてそれらの文は日本語として違和感があり、個人的にはもう一工夫して欲しかったです。
    第1刷が60年以上前なので仕方ない面もあるのかもしれませんが、とっつきにくくて内容を理解するのに時間がかかったことは告白しなければなりません。
    自分の読解力の無さは棚に上げつつ、歴史に残る娯楽作品の傑作であるからこそ、21世紀の言葉による新訳を出して欲しいなあと思いました。
    光文社の古典新訳文庫なんてぴったりだと思うのですが。

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著者プロフィール

1802-70。フランスを代表する小説家・劇作家。生涯に長短合わせて250篇あまりの作品を書いたとされる。主な作品に『コルシカの兄弟』『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』『三銃士』『ブラジュロンヌ子爵(鉄仮面)』『ダルタニャン物語』『王妃マルゴ』『王妃の首飾り』など。

「2016年 『ボルジア家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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