三つの物語 (岩波文庫)

制作 : 山田 九朗 
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003253854

感想・レビュー・書評

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  •  読みやすい話から段々と読み辛い話に移っていくから、3つの話に対する印象が違う。ある意味正しい形の短編集なのかもしれない。
     収録されているのは19世紀初頭のある女性の人生を書いた『純な心』、千年前の世界で栄光と絶望の予言を授けられた男の話『聖ジュリアン伝』、サロメの首をモチーフにしたキリスト誕生の予言をした男によって翻弄される民族を描いた『ヘロディア』の三篇。

     『聖ジュリアン伝』がこの中では気に入ったのだが、人によって気に入る作品はそれぞれだろうと思えるほどに三篇の内容は全く違う。しかし、どの作品に対しても言えることは情報量が多いながら構成がとてもしっかりしていることだ。このフロベールは150年も前の時代にいたとは思えないほど、情景、風俗、民族、史実などの様々を完璧に描いている。
     どうやら彼は自分が満足いくまで資料集めを妥協しない人だったらしい。また作品をよりリアルに書く事に終始したとか。

  • 二番目の聖ユリアヌス(ジュリアン)の話がやっぱり秀逸。何度読み返してもラストでぞくぞくする。

  • フローベール唯一の短編集であり、生前に刊行された最後の著作、1877年。フローベールの死によって未完のままとなった『プヴァールとペキュシェ』の合間に構想され書かれた。「解説」で紹介されているアルベール・ティボーデによれば、この「三つ」の物語は、【歴史】から芸術を創り出そうとする際の、【歴史】に対する芸術家の可能な限りの三つの方法的態度であるとされているが、果して。

    「まごころ」
    物語の舞台は復古王政期から第二帝政期にかけての時代だろうか。19世紀近代はフランス政治史上の大動乱期である。そしてこの【歴史】の大河の中にあって、まるでその歴史の変革とは全く無縁であるかのような、大河の泡沫一つに過ぎない、しかしそこに確実に生きていた、小さなひとりの人間フェリシテ。その小さな日常、小さな幸福、小さな悲哀、小さな人生。オバン夫人、ヴィルジニー、ポオル、ヴィクトール・・・、そして鸚鵡のルル。ここに描かれたひとつの生、その物語には一分の無駄もない。完璧な短編小説であり本作品集中の白眉。「毎朝、彼女[フェリシテ]は眼が覺めると、暁がたの光にその姿[ルル]が見えて、消え去つた日や意味もない數々の事までがこまごまと、何の悲しみもなく、靜かな氣持で、思ひ出された」

    「聖ジュリアン傳」
    ルーアン大聖堂のステンドグラスに描かれた中世の聖人伝説に材を取っている。狩りに憑かれた男。幻か現か、不吉な豫言者の言葉。何かに憑かれた者――「獸がなければ、人間でも、虐殺したくなつてきた」――は、その無限遠という極端への疾走ゆえに、"世の中"という尺度に居場所をもちえない「・・・自分は今をかぎりもはや世に在るものではない・・・」。そんな人間に於いては寧ろ、【歴史】なるもののほうこそが無限小にまで極微化している。それは"世間"が数多吐き出す駄弁・戯言の一つに過ぎないではないか。【歴史】という perspective など、どうでもいいのだ。であればこその、伝説である。やはり聖人を取り上げた『聖アントワヌぬ誘惑』と同じく、終始、伝奇的・幻想的な趣きに包まれている。

    「ヘロヂアス」
    サロメの踊りとヨカナンの物語を、サロメの母ヘロヂアスを中心に、聖書や歴史書を精査して書かれた物語。尤も、オスカー・ワイルド『サロメ』のあの世紀末的妖艶さを知っている者からすれば、物語自体が随分と sachelich な書きぶりであると感じるが、それが謂わゆる所の【歴史小説】というものの在りようか。

  • 『三つの物語』は、「まごころ(純な心)」「聖ジュリヤン伝(ジュリアン聖人伝)」「ヘロヂアス(ヘロデヤ)」の短編三篇から成る。

    『ブヴァールとペキュシェ』が未完の遺作となったため、本書はフローベール自身によって公にされた最後の書物である。

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