月曜物語 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1997年5月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784003254233

みんなの感想まとめ

庶民の視点から描かれる短編集は、普仏戦争とパリ・コミューンの時代を背景に、戦争の影響を受けた人々の生活を生き生きと描写しています。特に「最後の授業」や「タラスコンの防禦」などの作品は、ユーモアと共に愛...

感想・レビュー・書評

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  • アルフォンス・ドーデ(Alphonse Daudet, 1840年5月13日 – 1897年12月17日)はフランスの小説家。ドデ、ドデーとも表記される。『アルルの女(フランス語版)』を含む短編集『風車小屋だより』、「最後の授業」を含む『月曜物語』などで有名。アルフォンス・ドーデは、フランスのラングドック地方ガール県にあるニームでカトリックの正統派の家庭に生まれた[2]。彼の両親はどちらもブルジョワ階級に属していた。父ヴァンサン・ドーデは絹を製造していたがの先祖はセヴェンヌ地方の出身で、織物工場の経営と絹糸売買を営んでいた。母アデリーヌはアルデッシュ地方の裕福な絹織物商アントワーヌ・レイノー[3]の娘であった[4][5]。幼少期のほとんどをニームから数キロ離れたベズース村で過ごす。その後、ニームのカニヴェ校に通う。父ヴァンサン・ドーデは生涯どこまでも不運と失敗に付きまとわれた男だった。父親が工場を閉鎖したため、憂鬱な少年時代をすごした。一家は1849年にリヨンに移り、アルフォンスはコレージュ=リセ・アンペールの6年生に入学した。1855年に父親が倒れ、アルフォンスはバカロレア取得を断念せざるを得なくなった。その後、1856年、彼は学校生活の主な舞台だったリヨンを離れ、フランス南部の現ガール県のアレスで学校教師としての新生活を始めた。しかし、彼にとってこの仕事は耐えがたかった。後にドーデが語ったところによると、アレスを去った後何ヶ月も、未だ言うことをきかない生徒の中にいるように感じぞっとして目が覚めることがあったという。この辛い体験が彼の処女作Le Petit Chose (1868)にインスピレーションを与えた。1857年11月1日、彼は教職を辞め、3歳くらい年上の兄エルネストの元に転がり込んだ。エルネストはパリでジャーナリストになろうと励んでいた。アルフォンスもそれを真似て筆を執るようになり、詩を書いて、じきに小さな作品集『恋する女たち』(1858年)を出版したところ、これがそれなりに評判になった。彼はフィガロ紙に雇われて、カルティエ・ド・ヴィルメサン(Cartier de Villemessant)の精力的な編集手腕の元で2~3作の戯曲を書き、個性と将来性があるとして注目され始めた。ナポレオン3世の万能の大臣であったシャルル・ド・モルニー公爵はアルフォンスを親切に扱い、モルニが亡くなる1865年まで秘書の一人として待遇した。こうしてアルフォンス・ドーデは輝く将来に一歩を踏み出した。ドーデは普仏戦争での敗戦によってプロイセン(ドイツ帝国)領土となったアルザスの学校で、フランス語に基づく愛国心を描いた「最後の授業」で知られる。ドーデはサロンを運営しており、そこにはジュール・バルベー・ドールヴィイ、エレディア、フィガロ編集長フランシス・マニャール(フランス語版)、エドゥアール・ドリュモンが集っていた[1]。ドリュモンはフーリエ派のトゥースネル(フランス語版)やプルードンなど社会主義的反ユダヤ主義の影響を受けており[7]、「金ずくめで強欲、陰謀と策謀を好む狡猾なセム人」であるユダヤ人によってフランスは搾取されていると論じた大著『ユダヤのフランス』を執筆していたが、当時無名だったため出版社を見つけるのに苦労していた[1]。ドーデはユダヤ人嫌いで有名であり、ドリュモンがドーデに相談したところ、ドーデが尽力して出版が実現した[1]。1886年にドリュモン『ユダヤのフランス』[8]は刊行され、ベストセラーとなり、フランスにおける反ユダヤ主義の興隆に大きな影響を与えた[9][1]。ドーデはドリュモンを「人種の啓示者」であると称賛した[9]。




    「つづいてアメル先生はフランス語についてそれからそれへと語りはじめた。フランス語は世界でいちばん美しい、いちばん明晰で、いちばんしっかりとしたことばであること、ある民族が奴隷になっても、その国語を保持しているかぎりは、いわば牢獄の鍵を握っているようなものだから、民族のあいだではこのことばを守り、けっして忘れてはならぬということを彼は言った……。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著



    「この子のかなしみようはわたしの胸を打ちました。軍人の子であり孫である彼女、父は、マク =マオンの司令部にいましたが、自分の前に横たわっているこの背の高い老人を見ると、同じようにおそろしいもう一つのイメージが彼女の心にうかぶのでした。わたしはできるだけ彼女を安心させてやった。が、実はわたし自身あまり希望は持っていなかったんです。なにしろ典型的な半身麻痺で、八十歳という年じゃあ、まず恢復することはない。事実三日というもの、病人はずっと動けず意識朦朧のままでした……。そうしているあいだにライシュスオッフェンのニュース〔この小村で仏軍司令官マオンは指揮下の胸甲騎兵に独軍を奇襲させたが、失敗に終わる〕がパリにとどいた。おぼえておいででしょう、実に奇妙な話で。夕方までわれわれはみんな大勝利を信じていました、プロイセン軍の死者二万、王子を捕虜にした、と……。どんな奇跡、どんな磁力によってか知りませんが、この国をあげての喜びの反響が、中風で意識もない耳も聞こえず口もきけないこのあわれな病人のところまでとどいたのでしょう。とにかくその夜、彼のベッドに近づいたとき、そこにいたのはもう全然別の人間でした。目はほとんど澄み、舌も前ほどもつれていない。わたしに微笑するだけの力もあり、どもりながら、」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「『自分がフランス人だということをけっして忘れてはいけない……。あわれな人々に対しては温情を持て。彼らにとってあまりにもたえがたい侵略をするな……』  それからはもうとめどもない忠告、所有権の尊重、婦人に対する礼儀についてのすばらしいお説教ばかりでした。まさに征服者のための軍紀集です。政治について、敗戦国に課すべき講和条件についての一般的考察もそのなかにはいっていました。この点については、これは言っておかねばなりませんが、彼はきびしくはなかった。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「「モッシエ!……モッシエ〔アルザス人は元来ドイツ人なので、ムッシュウをドイツなまりで発音する〕!  四時ですよ」と宿屋の小僧がわれわれにさけぶ。  いそいでベッドから飛び出し、袋の口をしめて、よく足音のひびくもろい小さな木の階段を手さぐりで降りる。下に降りてから、出発する前にわれわれは、はやくから火の燃やされているあの宿屋の大きな台所でキルシュを一杯飲む。ぶどうの蔓が燃えながらひくひく動いているのを見ると、霧や湿った窓ガラスのことを考えてしまう。やがて出発だ!……」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「 砲室の連中は皆、目をさました。ハンモックからハンモックへと呼びかわしている。そしてみんなパリのやつらだから、冗談やひやかしを言いはじめる。おれはそっとしておいてほしいから眠ったふりをしている。けっしてひとりになれないこと、大勢で暮さねばならないということは、なんというおそろしい拷問だろう!  他人が怒ればこちらも怒り、同じようなことを言い、心にもない憎悪をよそおわねばならない。そうしなければスパイと見られるのだ。そしていつも冗談、冗談ばかりだ……。なんという海だろう、いやはや!  風がそこらに大きな黒い穴をあけ、艦はそのなかに沈んでぐるぐるまわっているような感じがする……。そうだ、家族を連れて来なくてよかった。国で家のものたちがあの小さな部屋のなかでのんびりとしていると今考えられるのはどんなにありがたいことか!  暗い砲室の奥から、ランプの光が注ぐあの家のものたちの顔、眠っている子どもたちや身をかがめて思いにふけり仕事をする母親が見えるような気がする。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「こいつがまたおもしろかったね、このブゥルヴァールが。カーニヴァルの最後の日や暴動の日と同じでね。車はほとんど通らない。あの広い車道を思う存分はねまわれるんだ。そしておれたちが通るのを見ると、その界隈の店屋はどういうことになるか知っているから、あわてて店をしめたもんだ。鎧戸が音をたててしまるのが聞こえる。そのくせ、店をしめてしまうとこの連中は店頭の歩道にがんばっている。何しろパリっ子ってものは何よりも好奇心が強いからな。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著
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    「鷓鴣が群れをなして歩き、ほんのちょっとした危険の気配にも飛び立てるように畑のくぼみに巣を作り、飛んで行くときには一つかみの麦粒をまいたように散って行くことはごぞんじでしょう。わたしたちの仲間は陽気で大勢でしたが、大きな森の縁の原っぱに居をかまえて、森でも原っぱでも餌を取り、両方に逃げこめるようになっていました。だからわたしも、羽がそろい餌も充分とって走りまわれるようになってからは、生きることはほんとに楽しいことだと思っていました。けれども或ることが少々わたしには心配でした。それは、おかあさんたちのあいだでささやかれはじめた、あの悪名高い狩猟の解禁日のことです。わたしたちの仲間の古老がこのことについてはいつもわたしにこう言っていました。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「一八六六年の春、オランダに仕えるバイエルン人の大佐で日本の植物誌に関するすばらしい著述で学界によく知られているフォン・シーボルト氏は、彼が三十年以上も滞在したあの驚くべきニポン =ジェペン =ジャポン(日出ずる帝国)の開発のための国際協会という大計画を皇帝に提案するためにパリに来た。チュイルリー宮殿で謁見をゆるされるまで、この有名な――日本滞在にもかかわらず依然としてバイエルン人らしさを失わない――旅行者は、いっしょに旅行しているミュンヘンの若い令嬢を連れてフォブール・ポワソニエールの小さなビヤホールで宵を過ごすのだったが、彼はこの令嬢を自分の姪だとふれていた。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「数年前からフランス人の盲目的愛国主義、愛国心からの愚行、虚栄心、誇張癖についていろいろと書かれているけれども、わたしはバイエルンの国民以上に高慢ちきでいばりくさってうぬぼれた国民がヨーロッパにいるとは思わない。ドイツ全史のなかから取りだした十ページばかりのごくささやかなバイエルンの歴史が、絵画となり記念物となってばかでかく仰山にミュンヘンの町々に誇示されている。まるで子どもにお年玉としてやる絵本の趣だ。文章はほとんどなく、絵がむやみに多いのだ。パリには凱旋門は一つしかない。バイエルンには十もある。勝利の門だの、元帥の柱廊だの、「バイエルン戦士の勇武のために」建てられたいくつとも知れぬオベリスクだのと。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

    「もう大分前のこと、この「ラーメン三コ」嬢と同じように魅力的な娘さんにフランス語の手ほどきをしたことがある。私はあいかわらず酒を嘗めながら、酔いのこころよい痺れのようなものに包まれた頭の片隅で、この娘さんがわざとこまっちゃくれた顔をして言った言葉を思い出していた。「ああ、フランス語って、なぜそんなにうるさい規則だの仕来りってものだのがあるんでしょう。もうやめっちゃおうかしら」  フランス語では祖父のことを grand-pereという。その複数は grands-peresである。祖母は grand-mereで、その複数は grand-meresだ。つまり祖母の場合に grandに sがつかない。「どうして?」と彼女はきいた。その理由らしきものを説明してから、「理由はともかく、そうなっているんだということは忘れてはいけませんよ」と私が言ったのに対する答えが、さきほどの歎声だったのである。」

    —『月曜物語』アルフォンス・ドーデ著

  • 主に普仏戦争とパリ・コミューンの時代を庶民の暮らしの視点から断片的に書いた短編集。有名な「最後の授業」が収められている。面白いのは「タラスコンの防禦」である。皇帝の軍隊が破れたので、南仏の田舎町タラスコンでも町を守ろうとするが、まず組織したのは合唱隊、町のカフェーなどがゴテゴテとがらくたを集めて、「ウチは占領不能だ」などとぶち上げたり、なんとなくほほえましい。国民兵も組織され、戦場へいく「野ウサギ隊」と町を守る「家ウサギ隊」に分かれるが、「野ウサギ隊」は女の子にチヤホヤされて得意げ。いつまでたっても出陣の命令が来ないから、将軍が軍令部にいってみると、格好をつけていた「野ウサギ隊」の面々が身体の不調やら何やらを訴えて、出陣不能の陳情をしていた話。他にもパリがプロシア軍に包囲されているのに国民兵主催の演劇が行われていたり、まじめに戦争しようとしていない。フランス人は面白い。パリジャンは「政治が好きなのではなく、政治で起こる騒ぎ」が好きなんだそうだ。タラスコンの暢気な雰囲気が気に入ったのかドーデーは後にほら吹きが活躍する「タルタラン」三部作を書いている。赤シャコの話では鳥の視点から狩猟(殺戮)を書いており、宮沢賢治みたいだ。シーボルトに会って日本の百人一首の一部を訳してもらって感動したりしている(盲目の皇帝)。

  • 41の掌編からなる。
    冒頭が有名な「最後の授業」。舞台はアルザス地方の小学校。明日からここはドイツになって、授業はドイツ語で行なわれる。先生も去る。彼は「フランス万歳!」と板書する。しかし、アルザスの固有の言語はアルザス語。アルザスは戦争のたびに、ドイツになったり、フランスになったりした。愛国心を掻き立てる作品とされてきたが、別の読み方もできる。
    トリをつとめるのが「盲目の皇帝」。これだけでも読む価値がある。シーボルトと日本のことが書いてあるからだ。主人公は、パリのビアホールでシーボルトと知り合いになり、日本のこと、なかでも「盲目の皇帝」という悲劇に好奇心を掻き立てられる。しかし、後日その内容を送ってくれるというシーボルトの約束は果たされず、痺れをきらしたドーデは、彼を訪ねてミュンヘンまで行くのだが……
    ドーデがパリに逗留していたシーボルトと知己になったというのはほんとうだ。しかし、ミュンヘンまで訪ねてゆくのはフィクション。シーボルトは、『江戸参府紀行』のなかで観劇した歌舞伎に言及している。「盲目の皇帝」とは、歌舞伎の『妹背山』、天智天皇の話。
    パリのビアホールで日本のことを熱く語る70歳のシーボルトと、それを熱心に聞き入る25歳のドーデ。目に浮かぶようだ。

  • 1/17入手【08.12.04/図書館】
    古書で入手したけど新品だったっす。

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