神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003254332

感想・レビュー・書評

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  • わたしはノンフィクションの本を読む。一般書にしろ、専門書にしろ、あまり文学作品を読まない。その少ない読書経験で、この作品を評価できるのかと問われれば自信がない。けれども、この作品に編み込まれたいくつかの文章にあたって、わたしは思わず天を仰いだ。なんと巧みな筆使いだろうと、感嘆せずにはいられなかった。

    たとえば、それは216頁にある。モーリス・ブロト・デ・ジレト、その名から察するとおり、革命前の彼は貴族だった。老齢の彼は革命ですべてを失い、物語の現在時制では「市民モーリス・ブロト」として、操り人形をつくっては売り、主人公エヴァリエスト・ガムランの住むボロのアパルトマンの屋根裏部屋で命をつないでいた。ときは恐怖政治、休む間もなくギロチンの刃が上下する「偉大な日々」にあって、その刃は次第に、この老ブロトにも向けられはじめる。

    公安委員たちに追われていたのは、元貴族の老人だけではない。旧体制下にあっても大した権力など持たなかったであろう司祭ロングマールと、16歳の貧しい娼婦アテナイスも、身に覚えのない科で責められ、身を隠さなければならなかった。
    ロングマール神父もアテナイスも、ブロトとなにか特別な関係があったわけではない。しかし、彼らは共通して公民証明書を持たなかった。ゆえに追われ、追われたがために出会い、ひとときをともにブロトの屋根裏部屋で過ごすこととなる。

    ロングマール神父は、自分がどんな罪で告発されているのかわからないと語る。彼はたしかに妻帯せず、公民宣言もしなかったが、彼は信仰に正しく生きてきたと重ねる。
    娼婦アテナイスは、「国王万歳!」と叫んだことにより、警察に追われる身となる。けれど彼女は、王党派だとか革命派だとか、そもそも政治的主義主張を持ちあわせてはおらず、「風俗の乱れ」を正そうと躍起になった政府のせいで商売があがったりとなったことへの不満から、革命派の思惑とは反対のことを叫んだだけに過ぎない。彼女はいう、「あの人たちは寄ってたかって、しがない者や、弱い者や、牛乳屋や、角屋や、水運び人や、洗濯女をいじめるんだわ。貧しい哀れな者たちを、全部、敵に廻さなくては気が済まないんだわ」。

    ただでさえ狭い屋根裏部屋で、容疑者3名はめいめい床につく。ここからがアナトール・フランスの筆が冴える箇所である。老ブロトの若かりしころを照らした月の光が、彼の屋根裏部屋をふたたび射す。照らされた司祭と娼婦の眠る姿をみて、ブロトは思う。「これが、」つづけて「これが共和国の恐るべき敵だとは!」・・・。

    月の光は、旧体制の象徴。それにしてもなんと憂いに満ちた、美しく、悲しい瞬間だろうか。物語を読みすすめようにも、作者がしつらえた完璧な舞台装置をまえに、思考が一旦停止してしまう。見事としか讃えようのない巧みさである。

    物語は多重のメロディーから構成されているが、もっとも印象に残ったのは、この老ブロトに関わるそれだった。彼が処刑台にまで携えたルクレティウスの小型本が歌う。「われわれが生きることやめた暁には、何物もわれわれの心を動かすことはできないだろう。空や、大地や、海でさえも。空や、大地や、海も、その残骸をごっちゃに晒しているのみであろうから」。

    彼は主人公ではないが、主人公のガムランと対をなす人物として、物語に深みを与える。最終局面に向かって、ガムランは破滅の道を邁進し、ブロトは威厳に満ちてギロチンの刃の前へ歩む。革命と旧体制、彼らはその代弁者かのような後ろ姿を最後に消える。筆者は、どちらがよいかわるいかという話をここでしたいのではないのだろうと思う。それが革命だったと、近代の鶏鳴はかくも血を必要としたのだということをここに記したのではなかろうか。

    どんな真実よりも、物語は歴史を語る。

  • 再読。自分のフランス革命に関する基礎知識が「ベルばら」(+ラ・セーヌの星・笑)ベースなので、バスチーユの襲撃→国王と王妃はギロチン送り、はい終了、みたいな感じだと勝手に思い込んでいたのだけれど、実際にはその後数年にわたる革命政権による恐怖政治時代があり、名前だけはなんとなく憶えているロベスピエールやサン=ジュストなどが処刑されるまで、全部ひっくるめてフランス革命なのだなと改めて勉強になった。

    日本でも明治維新前の各藩や幕府内部では、主導権を握る人間がめまぐるしく入れ替わり、その都度前任者は断罪され、まさに血で血を洗う抗争、最終的に勝ったほう次第で、かつて謀反人として処刑された人間が英雄として奉られたりもするし、その逆もしかり。フランスでもつまり似たようなことをやっていたわけですね(幕末おたくの理解度)

    貴族や政治犯だけでなく、たんなるパン売りの娘や娼婦まで次々とギロチン送りにされる理不尽さ。まるで魔女狩り。どれだけ生贄を捧げても血に飢えた〝神々”は満足しない。まさに「神々は渇く」

    歴史ものとして読むには、正直フランス革命に関しての知識が足りないので十分読み込めたとは言えないのだけれど、単純に物語としては、人物の造形や配置が絶妙だなと感心。愛国心が強いだけの真面目な画家だった主人公エヴァリストが、やがてその母にまで「これは人でなしだ」と思われるまでに変わってゆく姿に説得力がありすぎてこわい。(勝手な思い込み=勘違いで恋人の元カレと決めた男を処刑したのとか最低だったなー)

    解説にもあったけれど作者自身を投影したと思しき無神論者でエピキュリアンなブロトは魅力的だった。彼が助けた神父さんや娼婦、元愛人など、取り巻く人物たちとの関係性や伏線も効いていて、ある意味彼が影の主役かも。

    そして結局最後まで生き残るのが、政治や思想を一切語らず、ただただ女性を追い掛け回してブレることのなかった版画家デマイだけだったというのも感慨深い。エヴァリストの恋人エロディも好きだった。彼女の最後のセリフは切なかった。

  • 3.91/177
    『フランス革命の動乱にまきこまれた純心な若者が断罪する側からされる側へと転じて死んでゆく悲劇を描いた歴史小説.人間は徳の名において正義を行使するには余りにも不完全だから人生の掟は寛容と仁慈でなければならない,として狂信を排した作者の人間観が克明な描写と迫力あるプロットによって見事に形象化されている.』(『岩波書店』サイトより▽)
    https://www.iwanami.co.jp/book/b247996.html

    冒頭
    『ダヴィドの弟子の画家で、「ポン=ヌフ」セクション(元の「アンリ四世」セクション)の一員であるエヴァリスト・ガムランは、朝早くからバルナバ会の旧聖堂に赴いていた。聖堂は三年以来、すなわち一七九〇年五月二十一日以来、セクションの総会の本拠となっていたのである。この聖堂はパリ裁判所の鉄柵に近い、暗く狭い広場に建っていた。』


    原書名:『Les Dieux ont Soif』(英語版:『The Gods Are Athirst』『The Gods Will Have Blood』他)
    著者:アナトール・フランス (Anatole France)
    訳者:大塚 幸男
    出版社 ‏: ‎岩波書店
    文庫 ‏: ‎396ページ
    ISBN : ‎9784003254332

  • フランス革命に続く恐怖政治時代のことは知らなかった。しかしこれが奇妙にも現在の状況に通じてしまうところが恐ろしい。まさに、歴史は繰り返す。何度でも、繰り返す。つまり、人間は過去に学ぶことができない、ということなのだろう。
    正義は、時代によっても、状況によっても変わってくる、相対的なものだけれども、それぞれの人間がそれぞれに考えて、自分が正義だと信じることを実行する。ガムランも然り。しかし、どこまでも正義を貫こうとすることは、たいていの場合、悪に通じている。まるでメビウスの輪のように。アナトール・フランスが説くように、必要なのは正義ではなく、寛容なのだ。正義のために、誰かが排除されるようなら、それはもはや正義ではない。
    そして、『神々は渇く』というタイトルが意味深だ。この世界に神がいるとしたならば、まるで神は血を求めているようだ。なぜ神は人間を創りたもうたのか。この、争いを好む人間を。まるで神は血に飢えているようではないか。
    この物語の中で最も良識的だと思われるブロト・デ・ジレトは、声高に主張することはない。ただ身近な人間に、思うところを語るのみだ。最期の時においてさえ、静かにすべてを受け入れている。本当のことは、こうして失われていくのではないだろうか。間違いを主張する者の声ほど大きい。
    そして、エロディはガムランの死後も、まるでガムランなど始めから存在しなかったかのように、日常に戻って行く。多分、これが一般市民の姿なのだろうけれども、そのなんと恐ろしいことか。否、人間はそうしてすべてを忘れて生きていくのだ。それが、人間なのだ。

  • フランス大革命については、数多くの著作もあれば、度々人口に膾炙する出来事でもあるが、どうにも理解が進まない事柄の一つだった。
    当然のこの出来事には歴史的意義、そして、事象として思想としての奥深さがあり、一様に理解できはしないが、あちこちに登場するため、自分の中に何かしらの取っ掛かりを持ちたいとも思っていた。

    訳者解説にあるように、著者Anatole Franceは、この歴史小説を執筆するにあたり、当時の事象を丹念に調べ上げたとのこと。また、著者の革命に対する確固たる眼差し、そこから導かれる普遍的な人間観が登場人物を通して、十二分に語られている。

    読後、私も、ようやく足がかりを手に入れることができた。

  • 古本屋へ

  • 【熊谷英人・選】

  • 学生のとき最後まで読み通せなかったのだが、30年ぶりに読んだ。たくさんの血が流れる話だった。

  • 主人公の心の動きは、恐怖政治の当事者がどのようにして自分を正当化していったのかを見るようで興味深い。個人的にはフランス革命というよりもソビエトの大粛正の方を連想する雰囲気だった。

  • フランス革命の一時期(恐怖政治の時期)をえがいた小説。
    作者は当時の状況をかなり綿密に調査した上で執筆しているらしいから、この作品の時代背景のリアリティは信頼してよいものだろう。
    主人公はもともと若い画家なのだが、どんどん政治(革命)に首をつっこんでいき、陪審員となって反革命分子を裁く役割に身を置く。そしてロベスピエールと共に処刑されるに至る。
    要するに革命イデオロギーの行き過ぎた不寛容さが破滅をもたらすわけだが、作者は王党派を支持しているわけではない。どのイデオロギーであろうと、「不寛容」が問題だというスタンスのようだ。
    作中、主人公らの会話や思考に「愛国心」という言葉が頻繁に出てくる。たぶん革命側も王党派も、双方「愛国心」を口にし、自己の正義を正当化しようとしたのだろう。いつの世も、「愛国心」はくせものである。「国」概念が「正義」と結びつくとき、ロクなことはない。
    読んでいて現在の日本世論の右翼(ネトウヨ)と左翼とのののしりあい想起した。争いが激化するのはみんながあまりにも「不寛容」だからである。この「不寛容」は時代に強制された、不安と裏腹の共通の心理状況だという気もする。
    フランス革命の当時も、人々は不安の淵にあったのだろう。この小説はそのような「遠い時代」のリアリティを印象づける。

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著者プロフィール

1844-1924年。パリ生まれ。高踏派詩人として出発、その後小説に転じて『シルヴェストル・ボナールの罪』、『舞姫タイス』、『赤い百合』、『神々は渇く』などの長篇でフランス文学を代表する作家となる。ドレフュス事件など社会問題にも深い関心を寄せ、積極的に活動した。アカデミー・フランセーズ会員。1921年、ノーベル文学賞受賞。邦訳に《アナトール・フランス小説集》全12巻(白水社)がある。

「2018年 『ペンギンの島』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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