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Amazon.co.jp ・本 (114ページ) / ISBN・EAN: 9784003254912
みんなの感想まとめ
南国の香気が漂う手記であり、ゴーギャンのタヒチでの生活や芸術への影響を深く掘り下げています。彼がフランスの生活を捨て、自然と現地の人々に囲まれて過ごす様子が描かれており、その中で彼の視点から見たタヒチ...
感想・レビュー・書評
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タイトルの通り、南国のかぐわしい香気を感じられるような手記であった。
ゴーガンの見るタヒチは、本人の意向とは裏腹に、それでもヨーロッパ的な偏見を逃れ得ていないものであるが、しかしそのヨーロッパ的偏見の色眼鏡をもって描かれたタヒチがこの上なく美しいのも事実である。
原色の風景が目の前に浮かんでくるような文章ですばらしかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日タヒチに行く機会があり、ゴーギャンのエッセイを読んでみた。フランスの生活を捨ててタヒチに渡り、圧倒的な自然と原始的で世話好きな現地の人々に囲まれて、充実した日々を過ごすゴーギャン。
タヒチでの経験がゴーギャン作品に影響を与えたことは間違いないのだろうが、フランスを捨てきれていない、現地の人々を掻き回す好奇心の強い観光客…くらいの印象で、「月と六ペンス」のストリックランドほど首尾一貫した世捨て人ではなかった。 -
It is fiction or not? Paul Gauguin, an artist, ex-trader of great journey in Tahiti. Is there the 'Never Land'?
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あくまで有名人が書いたもの、というところに価値がある類の本で、ゴーギャンが書いていなければ読んでいない。
素朴に書いていているところは良い。
「王女」などの言葉が、国を違えると、規模だとか装いとかさまざまな意味で違っているのだなというところが面白かった。 -
サウンド文学館・パルナス「第一章」 朗読:草野大悟
タヒチとその人びとを愛している、といいながら、宗主国の人間だという特権意識に気付くこともできないでいた。 -
画家として有名な著者が、地位も捨て42歳にして移り住んだ際のタヒチ紀行文。今でこそ南半球の楽園として有名となっていますが、1891年、フランスから60日をかけて船旅で渡った当時の生活を、楽園万歳といったお気楽な観点ではないところで描いていて興味深いです。俗世に嫌気がさして逃れたはずのタヒチに、同じヨーロッパの俗世が進入していた様を目の当たりにして身勝手に失望するゴーガン。侵略者であるヨーロッパ人としての著者と、侵略された原住民との間の互いに疑いの目で観察しあう緊張感と孤立感。あこがれてはいるものの野蛮人・食人族として捉えていたヨーロッパ人の目線も素直に描いています。そうはいっても、一人身はさびしく欲求不満も重なって、いろんな村へ恋人探し。徐々に人々と接触していくうちに次第に視点が変わっていく姿が率直につづられています。タヒチに行くときは絶対に持っていく本だな。これは。
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私は未開墾地に、現地人と共に、全く彼らと同じような生活をして、それを忍耐づよくつづければ、彼らの不信を打ち破ることもできるだろう。また、きっとそれは「できる」のだと考えた。
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これを読んで、彼の絵を見ると違う視点が見えてくるかも。ゴーガンがそんなに現地に入り込んでるとは知らなかったよ。
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ポール・ゴーギャン
Paul Gauguin
1848-1903 フランスの画家。パリに生れる。父は共和制支持の新聞記者。母は初期の女性解放論者フローラ・トリスタンの娘。1849年から1855年まで、ペルーで過ごし、その後帰国。1865年から1871年まで航海士、その後、株式仲買人を1883年まで勤める。かたわら日曜画家として、印象派展に出品。1886年にブルターニュのポン=タヴェンに滞在、その後、1887年にはパナマとマルティニック島に滞在。1888年、再度ポン=タヴェンに滞在後、アルルでゴッホとの2ヶ月の共同生活を行う。1891年から1893年まで第一次タヒチ滞在。帰国をはさみ、1895年から第二次タヒチ滞在。1901年にはマルキーズ諸島に移り、1903年に歿する。
ノアノア
by ポール・ゴーギャン、大島利治
だから、文明人たる私は、いま、まわりで仕合わせに暮らしている土人たちよりも劣っているのだ。なにしろ、ここでは自然から生まれでたものでないお金は、自然が生む本質的な 幸 を得るのに何の役にもたたないのだ。
彼女はヨーロッパ的美学の規則からいえば、どうみても綺麗とはいえなかった。それでいて、彼女は美しかった。彼女のすべての線は、曲線と交じわり合って、ラファエル的な調和を生みだしていた。彼女の口は、思考と接吻、喜びと苦しみなどのあらゆる言葉を話す彫刻家によって 像 どられていた。私は彼女のうちに、未知のものへの恐怖、快楽に混じった苦悩の 憂鬱、みかけは服従しているが結局は支配的なあの受身の才能、を読みとった。
私の前を歩いてゆくのはひとりの男性だろうか。……裸の蛮族にあっては、動物界と同様、男女の性の相違がわれわれの国ほどはっきりしていない。われわれは、女性からつらい仕事を免れさせることによって、すなわち発達の機会をとりあげることによって、女性の弱さを強調している。そして、女性がきゃしゃだという観念的な嘘つきの言にしたがって、女性を 象っている。
タヒチでは、森や海の大気が、すべての人間の肺を強くし、肩や腰をがっしりとしたものにする。太陽光線と同じく、海岸の砂までが、男でも女でも容赦しない。女は、男たちと同じ仕事をする。男たちは、女のようにのらくらしている。女たちには、どこか男性的なところがあり、男の方にはどこか女性的なところがある。この両性の類似が、男女関係を安易にする。またいつも裸でいるということが、未知のもの、神秘的な特権、偶然、あるいは運のいい盗みといったあらゆる考え……文明人のあいだにある恋愛のサディズム的お仕着せや、恥ずかしい、人目を忍ぶものといったあらゆる色合い……をその風習からとり除いて、男女関係を全くけがれのないものにしている。
キリスト教道徳の厳しさについては、彼女は全然知らないのか、すこしも気にかけない。結婚の 絆 でむすばれずに、 男 といっしょに暮らしていることを後悔しようなどとは夢にも思わない。彼女の信仰のなかで、ターオラとキリストがどのように結びついているのか私にはよくわからない。彼女は両方とも崇拝しているのだと思う。 ゆき当りばったりに、彼女は私にタヒチの神学について一から十まで講義してくれた。私は私で、ヨーロッパ流の知識にもとづいて、自然現象のいくつかを説明しようと努めた。
アトゥアの一族とオロマトゥアの一族のつぎに、神の国の最下等の階級に属するティイの一族がくる。ターオラとヒナ(月)の息子たちは非常に数が多かった。彼らは、神々よりも劣り、人間とは無関係の精霊である。マオリ人の天地開闢 説によると、生物と無生物との 仲立ちとなり、あらゆる侵害から、無生物の権利と権力と特権をまもるという。
海の魚だけでは間に合わなかったろうし、森のあたえる果実は足りなかったろう。人食いの風習がおこった原因は、「たぶん」人口過剰がもたらした飢餓以外の何ものでもなかったのである。形こそいろいろとちがうけれども、マルサスの提出した問題に人食い以外の解決法は示されていないと私はあえて言いたい。地球上のある一点で押し合いへし合いしている人間は、文字通り、あるいは象徴的な意味で、いつもたがいに食い合ってきた。移民も、それ自体、死のもつ数多い仮面のひとつとはいえないにしても、問題の要因をそらすことによってたんに解決を引きのばしているにすぎない。
こうした延期というような手段にたよれなかったマオリ人は、そこで根本的な対策を講じた。大人の殺害をしないかわりに、子供を殺害することにしたのである。おそらく、十中八、九、彼らは人食いの慣習に嫌悪を感じていたであろう。それに、アレオイ人にとって、この点で民族的風習を変えるのは異常な精力が必要だったであろう。彼らは、宗教的権威と、彼らがその尊敬すべき保管者である太古の伝承の力をかりてこれを民衆に押しつけることによってはじめて、首尾よくそれに成功したのである。
人々が片づけているあいだに、私はひとりの若い少年に、私が二匹獲物を釣りあげたとき、人々が小声でかわした言葉とそのとき浮かべた笑いの意味をたずねた。少年は返事をしぶった。しかし、大方のマオリ人がどんなに人に逆らう力が弱いか、強硬にせがまれるとすぐに負けてしまうかを私はよく知っていたので、頑張り通した。すると、相手の少年は、もし釣り針が魚の下顎にかかっていれば……私の場合がそうだったのだが……それは 夫 が留守のあいだに 妻 が不貞をはたらいたことを意味すると打ち明けてくれた。私は、半信半疑で笑った。
ゴーガンが『ノア・ノア』の執筆に着手したのは、一八九三年十一月と推定されている。これより先、一八九三年十月の、妻メット宛ての手紙に、彼はこう記している。 「ぼくはまた、タヒチについての本を書く準備をしている。これはぼくの絵を理解する助けになるだろう……ぼくがタヒチに行ったのが狂気の沙汰だったかどうか、いまに分かるはずだ」
この年の九月一日、ゴーガンは二年にわたるタヒチ滞在を切りあげて、パリに到着したばかりだった。彼は早速、十一月初めに、パリのデュラン=リュエル画廊で、タヒチから持ち帰った四十一点の油絵を中心に個展を開く。しかし、新聞・雑誌の批評が賛否相なかばしたのはともかくとして、肝心の絵がさっぱり売れず、「期待したほどの成果」はあげられなかった。一八九三年十二月の妻メット宛ての手紙をみると、ゴーガンが早急に自分の絵を説明し、パリの人々に理解してもらう必要を感じたことが分かる。展覧会が「芸術的には非常な成功をおさめ」、「現代絵画のもっとも偉大な画家」として認められたのに、絵の売れ行きが悪かったのは、自分の絵の主題が一般大衆にまだ十分になじんでいないせいだと考えたのだ。ゴーガンはタヒチ時代の覚え書きをもとに、島の人々の素朴で平和な生活情景と、遠い歴史を伝える暗く、恐ろしい不思議な神々の話を紹介しようと思いたつ。
ゴーガンが出会ったのは、ヨーロッパ人の総督、役人、宣教師、警官がのさばるヨーロッパ社会のミニチュアだった。しかも、パリとちがって、彼をかばってくれる友人もいなければ、彼の絵を理解してくれる知識人も少なく、芸術家同志の連帯もなく、文字どおりの孤立無援だった。ゴーガンはさらに島の奥地へとのがれ、絶望の果てに自殺を試み、最後に、さらに遠くマルキーズ諸島へわたり、彼の地で客死する。 このように地上の楽園を探し求めて、遠く、さらに遠くさ迷って、ついに見出せなかったところに、ゴーガンの運命の悲劇性がある。
『ノア・ノア』のなかで、ゴーガンは十三歳のポリネシア娘テフラ(テハッアマナ)との出会いと愛の生活を語っている。それはまさに「楽園のイヴ」との夢の生活である。そこには、フランス本国に絵の売れ行きをしきりに問い合わせ、病苦と貧困を訴える当時のゴーガンの手紙からはおよそ想像もできないフィクションの世界が展開されている。テフラは、月の明るい晩、彼と並んでベッドに横になり、タヒチの神々のことを語ってくれた、とある。だが、実際のゴーガンはタヒチ語をほとんど解さず、テフラは口数の少ない娘だった。それに、タヒチの女は神殿に入ることを許されず、宗教的儀式はすべて男の司祭がとり行なうので、テフラがタヒチの宗教や神話を知っているはずがなかった。ゴーガンがこれらの知識をえたのは、テフラからではなく、アメリカのオセアニア領事をしていたJ・A・ムーレンハウトの著書(一八三七)からであることが判明している。
ゴーガンは夢と現実のギャップに悩みながら、貧苦、挫折、病苦という悲惨な生活を隠して、絵筆とペンで、古きよきタヒチをよみがえらせようとしたのである。失われたタヒチの過去を自分の願望に合わせて復活させようとしたのである。『ノア・ノア』の魅力は、このように虚構と真実、理想と幻滅をないまぜにして、失われた楽園を再現しようとしたゴーガンの悲痛な願いがこめられていることにあるのではないだろうか。(大島利治) -
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2020年1月読了。
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散文のようなもの。画家の、(若干演出の入った)感性や思考を垣間見た気分になれる。視覚的で色彩豊かな情景描写が良い。ゴーギャンは最も好きな画家の一人だが、ゴーギャンの作品を見たことがなくても、散文単体としての楽しみ方ができる。
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サマセット・モームは画家ポール・ゴーギャンの人生に着想を得て名作『月と六ペンス』を書いた。そんな破天荒な画家ポール・ゴーギャンのタヒチでの生活を本人が書いた紀行文がこの本。ゴーギャンの生きざまが少しわかった気がする。もう一度『月と六ペンス』を読みたくなる一冊。2012/034
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(1976.09.19読了)(1976.08.19購入)
*解説目録より*
株式仲買を職業とした日曜画家ゴーガンは、内心に潜む美のデモンに駆られついに職業と家族をなげうつに至るが、文明社会を嫌悪した彼が最後に行きついたところは南海の原始の島タヒチであった。そしてその神秘な原色の美は彼に無限の霊感をもたらした。本書はこのタヒチ行の記録である。ゴーガン自身の手になる版画を多数挿入。 -
読みやすく数時間であっという間に読み終えた。以前から画家としてのゴーギャンが好きだったが、この本を読んで自由奔放なゴーギャンがすっかり嫌いになってしまった。しかしながら現地での生活や神秘的なタヒチの風景が描かれており興味深い。
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ゴーギャンのタヒチ滞在記。というほど詳しくはなく、むしろ印象記という方が正しいかもしれない。ゴーギャンとタヒチをめぐってはいろいろな批判もあるが、彼が異文化に対して自らを開くことのできるすぐれた柔軟さをもっていたことが確かめられる。
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株式仲買人としてまずまずの成功を収めていながら、全てを捨て芸術の道を選んだ。
そんな画家の実像に興味を持ったので読んでみた。
彼にとって芸術以外の実人生とは始終続く演技のようなものだったのだろうと思う。
この本も“俗世を離れ芸術に生きる画家”というイメージを売る目的で書かれた紀行文。
土人はあくまで土人。
ゴーギャンは文明側の観察者としてそこにいる。
そのあたりの見切りに逡巡の跡がまったく見られず、かえっておそろしさを感じた本だった。 -
未読
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どこででも女性がいないとだめなんだな…さすがフランス人。それはともかく、ゴーギャンがけっこういい文章を書くことにびっくり。
ポール・ゴーガンの作品
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