ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003255629

作品紹介・あらすじ

文献: 175-190p

感想・レビュー・書評

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  • これは、久々に感動の良書であった。しばらく書棚に積んだままだったが、もっとさっさと着手しておくべきだった。

    「ベートーヴェンの生涯」、「ハイリゲンシュタットの遺書」、「ベートーヴェンの手紙」、「ベートーヴェンの思想断片」と続き、付録もある。その付録の中には、著者ロマン・ロランが行った「ベートーヴェンへの感謝」と題する講演記録と、本書の翻訳者片山敏彦氏による「ベートーヴェンの『手記』より」が収められている。

    表紙にこうある。「少年時代からベートーヴェンの音楽を生活の友とし、その生き方を自らの生の戦いの中で支えとしてきたロマン・ロラン(1866-1944)によるベートヴェン賛歌。二十世紀の初頭にあって、来るべき大戦の予感の中で自らの理想精神が抑圧されているのを感じていた世代にとってもまた、彼の音楽は解放の言葉であった。」

    「ベートーヴェンの生涯」は、その「序」とする文において、25年前の1902年に書いたものであると著者は述べている。つまり1902年にすでに書かれていた「ベートーヴェンの生涯」に、序文を加え1927年(すなわち、ベートーヴェン没後100年目)の3月に再度発表されたものということだ。
    ※ベートーヴェンの生涯は、1770年12月16日~1827年3月26日。

    その序文の中で、ロランは、「今、ベートーヴェン百年祭にして、生きること死ぬことを私たちに教えてくれた彼、簾道と誠実との「師」ベートーヴェンーあの偉大な一世代の人々のために「伴侶」であってくれたベートーヴェンをほめる私の言葉に添えて、あの一世代への追憶を記念する」と記されている。

    ここにいう「あの偉大な一世代」とは、表書きの言葉から、二十世紀当初の大戦、すなわち第一次世界大戦に巻き込まれた世代を指しており、その彼らもまたベートヴェンの楽曲を伴侶とし、自らの抑圧された精神を開放することができたのだろうと著者は追憶を記している。

    ベートーヴェンの生涯が波乱万丈の人生であったことは世に知られていることである。本書の中でもその生涯について一通り語られている。

    貧困な家庭に生まれ、暴力を伴う父親の過度な音楽教育の幼少期を過ごし、17歳にして最愛の母親を失い、酒飲みの父親に代わって一家(2人の弟たち)を養い、22歳で生まれ故郷のボンを離れ、ウィーンにて音楽活動を行うも、若干26歳にして腸を患い、また耳鳴り、難聴から30歳の頃にはすでにほとんど聴力を失ってしまうことになる。

    しかし、その後もその状況のままで、作曲活動に取り組み、途中テレーゼと熱烈な恋愛をし、そして身分差等による理不尽な失恋に失意のどん底に落ち、それをも音楽の糧として作曲活動を続け、1824年5月、54歳のときにあの世紀の「第九交響曲(合唱付)」を生み出し、1827年3月26日に57歳の生涯を閉じたのである。

    ロマン・ロランによるベートーヴェン賛歌。この激しいベートーヴェンの生涯に対し、ロランは語る。以下、主だった文章を抜粋した。

    「第九交響曲は気狂いじみた感激を巻き起こした。多数の聴衆が泣き出した。ベートーヴェンは演奏会の後で、感動のあまり気絶した。」

    「依然として彼は貧しくて病身で孤独であった。とはいえ彼は今や勝利者であった。彼は人々の凡庸さを征服した勝利者であった。自己自身の運命と悲哀とに打ち克った勝利者であった。」

    「かくて彼はその全生涯の目標であったところのもの、すなわち歓喜をついにつかんだ。」

    「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれた人間が自ら歓喜を作り出すーそれを世界に贈り物とするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す。そのことを彼は次の誇らしい言葉によって表現したが、この言葉の中には彼の生涯が煮つめられており、またこれは、雄々しい彼の魂全体にとっての金言でもあった。-「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」

    「ハイリゲンシュタットの遺書」は、甥のカルルと弟のヨハンに宛てた遺書の意味を込めた書簡である。その中でも、次の「ベートーヴェンの手紙」の章で紹介されている親友への手紙の中でも、悪化していく自身の病状への憂い、運命との格闘、希望、そして自身の音楽における使命について語るベートーヴェンの思いを素肌で感じることができる。

    「たびたびこんな目に遭った私はほとんど全く希望を喪った。自らの生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。-私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事をし遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。」

    「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」

    「ブルタークの本が僕を諦念へ導いてくれた。できることなら僕は運命を対手に戦い勝ちたい。」

    「僕は運命の喉元を絞めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。-おお、生命を千倍生きることは全くすばらしい!」

    圧巻は、「ベートーヴェンへの感謝」と題するロランの百年祭での講演。これは文章全体が感動であり、ここへそれを書きつくすことはできない。ロランは、ベートーヴェンのすべての楽曲にも精通していて、もしその部分にも詳しい読者であればその感動はさらに大きなものとなるだろうと思う。

    ベートーヴェンのすべての曲に貫かれているものについて語るロランの言葉により、ベートーヴェンの偉大さをようやく感じることができたことろで、そのことを念頭に、もう一度ベートーヴェンの楽曲を聴いてみたいという衝動に駆られている。

    ベートーヴェンのすべての曲に貫かれているもの。ロランはこう語っていた。

    「すなわちそれは二つの要素の間の闘い、広大な二元である。この事は、ベートーヴェンの最初の作から最後の作に至るまで表れている。(中略)しかしながら、ベートーヴェンの気魄のー灼熱せる、勝手気ままでしかも逼迫せるこの嵐のごとき気魄の統一そのものの中に、一つの魂の二つの様態、ただ一つのものである二つの魂があるのである。それらは結合し、また反撥し、論争し格闘し、互いに身体を絡ましあっているが、それは戦いのためともいえるし、また抱擁のためともいえる。不均衡な二つの力であり、また心の中で不同に発言する二人の敵手がそこにいる。一方は命令し抑圧する。他方はもがき呻く。けれどもこの二人の敵対者らは、征服者と被征服者とは、ともに同様に高貴である。そして、これこそが重要な点である。

    (中略)ベートーヴェンのこの戦いとは、魂と運命との間のそれである。(中略)彼の書いたの中にこの事はたくさんある。」

    ベートーヴェンは、自身の人生におけるすさまじい運命と、それに打ち克とうとする強烈な魂と、その壮絶な格闘を楽曲の中に込めているということだろうか。しかし、そうであるならば、それができるのは、この人生でこの格闘を貫いてきたベートーヴェンただ一人だと思われる。

    彼は聞こえなくなった耳で、神の声(音)を聞き取れるようになった。彼は、音楽は啓示を越えるものだと言っていた。彼は、そうして生み出した楽曲を、人々に伝えることを自分の使命と考えた。貧しい人、悩める人に歓喜を与えるための曲を作ることを使命として生き抜いた。自身の境遇の苦悩から、人々の歓喜を生み出した。

    人生半ばで「第五交響曲(運命)」を生み、そして最後に「第九交響曲」の歓喜の歌を生み出した彼自身の人生そのものがそれであるなとも感じられた。

    そういう人生を貫いたベートーヴェンの生きざまに改めて感動し、他の作曲家と一線を画した超人的な芸術家ベートーヴェンを再発見した感覚である。

  • ロランによるベートーヴェンの伝記部分と、
    ベートーヴェンと友人達の手紙のやりとり、
    ベートーヴェンの思想断片、
    そしてベートーヴェン記念祭でのロランの講演、
    複数の角度からベートーヴェンについて書かれている本。
    ただ、ロランの愛情たっぷりで少し偏っているかもしれない。

    『ミケランジェロの生涯』と同じく、悲劇的な側面を大きく取り上げている。
    ベートーヴェンが生み出した曲の裏側にある苦悩。
    彼を最も苦しめたのは音楽家には致命的な耳の病気。
    それに立ち向かう力強い姿と、孤独のうちで苦しむ姿。
    筆不精なベートーヴェンが友人に送った手紙から、苦悩が伝わってくる。

    ベートーヴェンは自分の障害を乗り越え、曲を残すことによって、他人に役立ちたいと考えていたという。
    そしてその曲たちは現代までその役目をしっかり果たしている。
    ベートーヴェン歿後100年の記念祭(ウィーン)でのロランによる講演の一節。

    この勝利は孤独な一人の人間のもののみにとどまらない。それはまたわれわれのものである。ベートーヴェンが勝利を獲得したのはわれわれのためにである。彼はそのことを望んだ。p.172『ベートーヴェンへの感謝』

    一番しびれたのは『第九交響曲』が生まれるエピソード(p.63-68)。
    初演では聴衆が泣き出すほどの感激を巻き起こし、演奏会のあと、ベートーヴェンは感動のあまり気絶したという。まさに歓喜の瞬間。

    悲劇のうちから歓喜を造りだした、熱い生涯。

    ベートーヴェンについて、もっと知りたくなった。

  • ロマン・ロランの表現(訳)は本当美しい。読み終えるのが勿体無くて1ページ1ページ噛み締めながら読んた。「賛美」とはまさにこういうものを指すんだろうという気づきを得られる。

    『ミケランジェロの生涯』と同様に、天才の裏側にある苦悩を描いている。そんな天才の一人であるベートーヴェンを簡潔に表現した一節に心打たれた。

    「人生というものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつまた最も幸福でもある」とあるように彼は自分の不幸を用いて歓喜を見出した。

    これはマルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』に書かれている「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。」と通ずる。

    ちなみに今年2020年はベートーヴェン生誕250年!

  • この本を読んだのは、私がメンタルの調子を崩し、言葉をうまく話せなくなって、半分ヤケになりながら自分の少しでも興味を持てることをしようと試行錯誤していた時でした。
    興味を持てることの中に、佐渡裕が指揮をする一万人の第九というイベントがあり、それはたまたま知ったもので第九は歌ったことも全曲聴いたこともなかったのですが、吹奏楽での少しの楽器の経験と、年末になるとよく開催されている第九のコンサートはどういうものなのだろうという些細な興味から応募し、2年目に当選して参加をしました。

    12回のレッスンに参加をする必要があったのですが、合唱団に参加している人には合唱や音楽の初心者も多く、私もその一人で、レッスンの中では歌をただ教わるだけでなく、ドイツ語の歌詞の意味や、作曲者のベートーヴェンの話も色々ときけて、その中でベートーヴェンの話で、ベートーヴェンは耳が聴こえなくなったから絶望したのではない、耳が聴こえないことを、まわりに知られるのが耐えられなかったのだということや、ベートーヴェンの音楽には、全ての芸術、仕事、人生に通じる哲学がある、という話をきき、印象に残って、ベートーヴェンのことを知りたくなり、この本を手に取ったのでした。

    私が圧倒的に心を揺さぶられたのが、ハイリゲンシュタットの遺書でした。そこには、当時の私がまさに経験していたような、耳が聴こえなくなったことでの苦悩や葛藤が書き綴られていました。私はその文章によって自分自身が救われ、また、この本の著者であるロランロマンがぴったりと寄り添うようにベートーヴェンに対して終始一貫して敬意を注ぎ続ける様に、共感のようなものを感じたのでした。

    何度も読み返した印象的な本です

  • 読んでいて思った。「ベートヴェンすごい苦労人だな~」と。有名な遺書も私の頭で訳すと「私は本来社交好きな活発な性格なのに、耳が聴こえないばかりに孤独にならねばいけない。音楽家の自分が聾だなんて言えるものか!故に二重の苦しみにさいなまされている」・・・めちゃくちゃ苦労している。圧倒的な音楽の才能もあって5度ものスタンディングオベーションを受けようが、貧乏って・・・切なすぎる。

    オススメ度:
    ★★★☆☆

    ノブ(図書館職員)

    所蔵情報:
    品川図書館 762/R64

  • クラシックが少しでも好き、またな興味があるひとに読んでほしい。文体は古く難しい漢字も多くてつい流し読みして無味乾燥な文字の羅列にしてしまいそうになるけれど、一節一節噛みしめるように言葉の意味を反芻しながら読んでいくとまるでスルメのように味がしてきてとても美味しく、おもしろい。

    もともとは1903年、高校師範学校時代の教え子シャルル・ペギーの個人雑誌「半月手帖」にて掲載された文だそう。

    この本は著者であるロマンロランによるベートーヴェン愛に溢れている。人が人を思う気持ちは尊い、それが例え世紀を跨いでいても!

  • 松丸本舗で発見して読んでみた。

  • ベートーヴェンという天才は、他の天才的芸術家の例に漏れず、健康問題、人間関係、貧困という苦難にもまれながら名曲を残していった。
     ベートーヴェンというと、まず、難聴の天才音楽家というイメージが強いが、それによる精神的な問題以外は屈強な身体をしていた。この点が、音楽の戦闘的な戦慄、激しさ、雄雄しさにも反映されているように感じる。
    もちろん難聴という障害が彼の生涯、精神、作風に与えた影響は語りつくせぬものがあるであろうが、著者の記述からはそういった側面はあまり感じられない。耳の障害とベートーヴェンという天才、その音楽についてロランは、むしろ耳が聞こえなくなったことが一層、ベートーヴェンの自然に対する愛を深めたというように積極的に捉えているように感じる。
    一方で、彼自身は自身の才覚を意識し、「救済者」、音楽を通じて人々を救うという使命間にも似たものを背負っていたようだ。
    たとえばそれは、「俺は人類のために精妙な葡萄酒を醸す酒神(バッカス)だ。精神の神々しい酔い心地を人々に与える者はこの俺だ。」という彼の光栄の時期における発言にも感じ取ることが出来る。
    またその使命感は、家族に対する愛にもつながる。ベートーヴェンは甥カルルを引き取って正しく育てようとしたが、彼の愛は甥には必ずしも通じず、生涯を通して天才はこの問題に苦悩した。
    そしてベートーヴェンは家族愛だけでなく、恋愛にも没頭した。ジウリエッタやテレーゼといった女性を愛し、とくにテレーゼとの幸福な恋愛は彼の楽曲創造に大きく影響を与え、別かれた後も彼のより所となっていたようだ。彼はテレーゼを、「あなたは本当に美しくて偉大だったね。まるで天の使いたちのようだったね。」と表現している。
    不埒な父親や、自分の愛を受け止めない甥など、必ずしも家族愛に満ちていたとはいえないが、恋人、そして友人シントラーなどの彼の理解者は常に存在し愛にも満たされていたと思われる。
    この『ベートーヴェンの生涯』の著者、ロマン・ロランは『ジャン・クリストフ』というベートーヴェンをモデルにした大河小説によってノーベル文学賞を受賞しているが、この『ベートーヴェンの生涯』は、それが発表される以前にかかれたものである。
    従って、ロランは小説の格好のモデルとしてベートーヴェンという人物に興味を持ったのではなく、ベートーヴェンという人間に惹かれ、そしてその音楽を愛していたからこそ『ジャン・クリストフ』という大著が完成できたのであろうと察せられる。
    この『ベートーヴェンの生涯』は、ロランのベートーヴェンに対する愛にあふれる視点から、感情の起伏とその時折に創造した楽曲を含め彼の人生が描かれている。したがって、この著作を読みながら楽曲を聴いて、ベートーヴェンという天才の生涯に思いを馳せてみるというのも非常に楽しいベートーヴェンの楽しみ方ではないかと思う。

  • ベートーヴェンが作品のほとんどを耳が聞こえない状態で書いたのに驚いた
    古めの文体がベートーヴェンのイメージと合っていてよかった

  • 歴史というのは証明であり、我々の灯火なんです。
    実際にどんな苦難にも打ち倒されずに歩みきった人間がいるのだということ。
    この作品を読むと、不幸であることがことごとくベートーヴェンを前に進ませたのだということがわかると思います。
    彼ほど思い悩んだ人間はいない。でも彼ほど偉大なことを成し遂げた人間もいない。
    ベートーヴェンを常に支えていたのは信仰なわけですが、だからこそあのコーラル・シンフォニーと呼ばれる第九交響曲に対して拘ったんですね。最後まで声楽の部分をいかに仕上げるのかを悩み続けた。
    それは神の創造物である我々が奏でる音楽であったためなんです。
    つまり、彼の中心軸はそこにあった。だから身に降り注ぐ不幸は彼を一時悩ませはしたけど、それが結果的に彼に最大の「歓喜」を与える源泉ともなったんです。
    「彼の力は悲哀と戯れているように見える」と。これこそがロマン・ロランの素晴らしい所で。
    つまり悲哀が悲哀ではなくなっているのだということなんです。彼ほどの不幸は普通は無いわけだけど、彼の作曲した作品を聴けば、その悲哀が全て昇華されていることがわかる。
    人間は闘うことで勝利を得る。闘わない者には勝利は無い。ならば、過酷な戦闘をした者は巨大な勝利を得るということなんです。
    不幸というのは実は悪いことじゃないんですよ。ただこういう風に言っても誰にも通じないけど。
    でも本当にそれがわかると、人間は「不幸と戯れる」ことが出来るんです。面白いんですよ。まあ、今はみんな不幸を異常に嫌いますからね。私のような人生のベテランになると面白い。不幸が不幸でなくなる。
    で、自分の中に不幸が無くなると、他人の中の涙が見える。誰もが辛い思いをし、涙を抱いていることがわかる。歴史は涙の歴史なのだということがわかる。
    人生というものが素晴らしいものなのだということがわかります。
    ベートーヴェンは不幸を乗り越えようなどとは考えていないんですね。ただひたすらに神、信仰のために曲を創りたいと考えていた。
    私はいつも役目を果たす人間になれと言っているんですが、それがどんなことも転換し、価値に変換する生き方になるからなんです。
    転換できるのだから、何も恐れることは無いんです。最後には死ぬだけなんですから。
    ここがポイントなんですね。自分が価値あることをし続けることなんです。

    「私は、はっきりとみせてやりたい。真実高貴なる行為によってのみ、人は不幸に堪えうるものなのだといふことを」(ベートーヴェン「ウィーン市議への言葉」1819年2月1日)

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著者プロフィール

1866年、フランスの中部クラムシーに生まれ、1944年に没する。作家、音楽史家。第一次世界大戦中は反戦論を唱え、第二次世界大戦中も反ファシズムをアピールした。文学や芸術の領域で活動するだけでなく、現代社会の不正と戦い、人権擁護と自由を獲得するために政治的・社会的論争を起こし行動した。1915年、ノーベル文学賞受賞。主な作品に、大河小説『ジャン・クリストフ』、『魅せられたる魂』をはじめ、『ベートーヴェンの生涯』や『戦いを超えて』、『インド研究』などがあり、そのほか、小説、戯曲、伝記、自伝、評論、日記、書簡などの膨大な著作がある。

「2023年 『ジャン・クリストフ物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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