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Amazon.co.jp ・本 (480ページ) / ISBN・EAN: 9784003256923
みんなの感想まとめ
地底への冒険を描いた本作は、リーデンブロック教授と甥のアクセル、案内人ハンスがアイスランドの火山から地球の中心を目指す物語です。19世紀の科学的知見と想像力が融合したこの作品は、地中探検のスリルや教授...
感想・レビュー・書評
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地底つながりで、読んでみました。
インターネットはもちろん、車も飛行機もない時代の古典になります。
事前の下調べはどこまでできたのでしょう。
大量の物資を抱えての探検になるので、帰ることができなくなるかも?というリスク不安をどうするのか。。。そこは小説ですので。
地底は高温高圧で、闇に包まれているーーーのではなかったです。 -
地学博士のリーデンブロック教授とその甥アクセルが、現地案内人ハンスと共にアイスランドにある火山の火口から地球の中心を目指して地底冒険の旅に。
実際に地中に潜るのは物語がだいぶ進んでからなんだけど、エネルギッシュな教授とともにまず地底への入口を目指す旅路もなかなか興味深い。寡黙ながら淡々と仕事をこなしてくれるハンスが有能。 -
劇的に面白くも無いし、めちゃくちゃつまらないというわけでも無い、微妙な感想しか湧いてこない内容だった。途中で止めようかと思いつつ、結末も多少気になったから、なんとか最後まで読み切った。
人におすすめするほどでは無いかな。 -
P481
アイスランド
ジュール・ヴェルヌ「地底旅行」#読了
1864年作のSF冒険小説の古典、けして子供向け小説ではない、鉱物や地質学、植物学の解説も詳しく勉強になる。様々な小説は勿論、漫画やアニメなどに多大な影響を与えていると思う。やはり有名な古典は読むべきです、今の作品の楽しみ方が変わるような気がする。
ジュール・ヴェルヌ
Jules Verne 1828年フランス、ナントに生まれる。ナントのリセを出たあと、 1847年法律の勉強のためパリを訪れる。 48年にアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志す。地理や科学、博物学の広範な知識と、豊かな空想力を駆使して数多くの作品を発表した。空想科学小説の父と呼ばれる。主な作品に『地底旅行』『八十日間世界一周』『神秘の島』など。
「ところで、鉱物学には結晶の種類や鉱物の名前などを表わすのに、ギリシア語やラテン語をもとにした言葉が頻出する。そういった言葉はおしなべて発音がしにくく、繊細な詩人が口にしたら、唇がすりむけてしまうのではないかと思うほど、言葉つきがざらざらしている。いや、私は決して鉱物学の悪口を言いたいのではない。そんなことは絶対にない。だが、菱面体結晶、レティンアスファルト、ゲーレナイト、ファンガサイト、モリブデン酸亜鉛、タングステン酸マンガン、チタン酸ジルコン酸鉛などという言葉を発音しようとしたら、どれほどよく回る舌でも、もつれてしまうのはしかたがない。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「といっても、もともと地質学は大好きだったので、そうやって日がな一日、石を相手に暮らしているのは嫌ではなかった。私には鉱物学者の血が流れているのだ。 まあ、そういったわけで、私はケーニヒ通りのこの小さな家で、まずは幸せに暮らしていると言えた。多少、乱暴なやり方ではあったが、叔父はみんなを愛してくれていたからである。ただ、叔父はあまりにせっかちで、待つことを知らない。それが難点と言えば難点だった。なにしろ、早く結果を出そうとするあまり、自然の先を行こうとすることさえあるのだ。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「その質問に私は答えなかった。が、それには理由があった。叔父に訊かれた時、私はちょうど壁にかかったグラウベンの肖像に見とれていたからである。前にも書いたように、グラウベンは叔父の養女で、今日はたまたまハンブルクの近くのアルトナという町にいる親戚の家に泊まりに行っていた。そのせいで、私は朝から淋しくてしかたがなかったのだ。というのも――思いきって、告白してしまおう! 私とグラウベンは、相思相愛の仲なのだ。あくまでもドイツ式のやり方で節度を保ってはいるが、叔父に内緒で結婚の約束まで交わしている。婚約を内緒にしているのは、叔父の頭のなかは鉱物のことでいっぱいで、こうした愛だの恋だのという事柄は理解できないと思ったからだ。いや、それはともかく、グラウベンは金髪で青い瞳の美しい女性で、きまじめすぎて、ちょっと融通のきかないところはあるが、私を愛してくれていることはまちがいなかった。私のほうは、もしお堅いドイツ語でこんなふうに言うことができるならば、彼女に〝ぞっこん〟だった。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「おそらく、そのきまじめな性格のせいもあって、「科学的に真理をきわめる」ということに、並々ならぬ情熱を持っているのである。もちろん、私も鉱物学にはひとかたならぬ情熱を抱いているので、彼女と一緒に標本を整理するのは、至福の時間だった。とはいっても、彼女がその魅力的な手で標本を手にする時、彼女の手に包まれてもいっこうに感情を表わさないその鉱物標本に、私がどれほど嫉妬したことか! 私は木石のようなその標本を心の底から羨ましいと思ったのである。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「ああ、そういうことですか」先生は納得したように答えた。「リーデンブロック教授、本は国じゅうを巡回しているんですよ。氷に閉ざされている期間が長いこともあって、私たち国民は読書が好きなのです。農民でも漁師でも、文字が読めない者はひとりもいません。また本を読まない者もいません。私たちはせっかくの蔵書を書庫の鉄の扉の向こう側でカビさせるより、広く読者に提供して、興味のある人に読んでもらったほうがいいと考えているのです。その結果、本は人々の手から手へと回り、一年か二年しないと図書館の本棚に戻ってこないこともあります。戻ってきた時も、ぼろぼろになって……。でも、それでよいのです」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「しかたありませんよ。よその国の方は、ご自分のところの図書館を利用すればいいのですから……。繰り返しますが、農民にも漁師にも、この国の人々には本が必要なんです。アイスランド人には学問好きの血が流れているのですから……。一八一六年には文学協会が設立されて、順調に活動しています。これには外国の学者の先生も協力してくれています。文学協会はアイスランド国民を教育する目的でたくさんの本を刊行し、それによってアイスランドに対する真の貢献をしているのです」そこまで言うと、先生は急に口調を変えて続けた。「ああ、リーデンブロック教授、もし教授がこの協会の通信会員になってくださるなら、私たちにとってはこれ以上、嬉しいことはないのですが……」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「ところで、教授は図書館でなんの本をお探しになっていたのですか? 教えてください。もしかしたら、お役に立てるかもしれないので……」 私は思わず叔父のほうを見た。その質問は、今度の旅行の核心に触れるものだったからである。叔父はためらったような顔をしたが、しばらく考えて、おもむろに口を開いた。どうやら、情報を得るのに必要なところだけ、話すことに決めたらしい。「それはありがたい。実は、わしはアルネ・サクヌッセンムの本を探しているのじゃ」「アルネ・サクヌッセンムですか?」先生は驚いたような声を出した。「十六世紀の、あの偉大な博物学者であり、偉大な錬金術師であり、はたまた偉大な旅行者でもある、あのアルネ・サクヌッセンムですか?」「そのとおりじゃ」「アイスランドの科学と文学の誉れである?」「そうじゃ」「誰よりも有名な?」「おっしゃるとおり」「あの勇気と才能がひとつになった?」「さすがによくご存じじゃ」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「そうですか」叔父の困った顔を見て、それ以上は訊かないほうがいいと思ったのだろう、先生は言った。「いずれにしろ、ドイツにお帰りになるまでに、この国をしっかり調査なさってください。鉱物学的に見ても、アイスランドは素晴らしいところだと思います」「もちろんじゃとも!」叔父は答えた。「だが、わしは調査に来るのが遅すぎたかもしれん。これまでにも調査に来た者は、たくさんおるのじゃろう?」「ええ、教授。十八世紀には、デンマークの地理学者のオラフセンとポヴェルセンのふたりが国王の命によりやってきていますし、ウプサラの大司教フォン・トロイルも若い時にこの地にやってきて、地勢を研究しています。一八三五年にはラ・ルシェルシュ号に乗って、ゲマールとロベールというフランスの学者がアイスランドを訪れています(*)。また最近では、レーヌ・オルタンス号に乗って、たくさんの学者がやってきて、この土地を研究し、アイスランドに対する知識を深めています。でも、研究はしつくされたわけではありません。やることはまだあります」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「なるほど」叔父の目がきらりと光った。だが、それを抑えるようにして、叔父は何くわぬ顔で続けた。「それはまたどんな分野で?」「山ですよ。アイスランドの氷河とか火山については、まだほとんど研究されていません。ほら、たとえば、すぐこの近くにも素晴らしい研究対象があります。ファクサ湾の北にそびえるスネッフェルス山です」「ああ、スネッフェルス山かね」叔父は言った。「アイスランドでもいちばん興味深い火山のひとつです。この山の火口まで行った人はほとんどいません」「休火山なのか?」「ええ、ここ六百年くらい、活動を停止しています」「それはいいことを聞いた」叔父はテーブルの下で何度も足を組みかえながら言った。そうしないと、おそらく嬉しくて踊りあがってしまうからだろう。「では、わしは手始めにそのスネなんとかという山の地質を研究することから始めるかな。えーと、スネ……スネフェッセルとか言ったな」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「これだけ準備が整っていたら、どこまで遠くに行っても大丈夫じゃな」叔父は言った。 結局、十四日は荷物を仕分けるだけで終わった。夜はトランペ総督のところで半ば公式の送別会が開かれ、レイキャヴィーク市長のフィンセン氏、アイスランド医学会随一の実力者ヒャルタリン氏とともに夕食をとった。この会には、フリードリクソン先生は招かれていなかった。それもあって、夕食の間、私はどんな話が交わされているのか、ひと言も理解できなかった。ただ、叔父がひっきりなしにしゃべっているのを見ていただけだ。ちなみに、あとで聞いたところによると、フリードリクソン先生がこの会に招かれなかったのは、行政上のことでトランペ総督ともめているかららしい。ふたりは不仲で、ほとんど会う機会はないということだった。 翌十五日には、荷物の準備はすべて終わった。叔父はフリードリクソン先生からアイスランドの地図をもらって大喜びだった。この地図はオラフ・ニコラス・オルセン氏が作成したもので、縮尺は四十八万分の一、叔父が持っていたヘンダーソンの地図より、はるかに精密なものだった。版元はアイスランド文学協会で、測地はシール・フリサック氏、それをビヨルン・グムラウグソン氏が地形図に起こしたもので、鉱物学者に贈るなら、これほど素晴らしいプレゼントはなかった。 夜は先生と三人で、さまざまなおしゃべりをして過ごした。私はあらためて先生に好感を持った。明日は出発ということで、おしゃべりはかなり遅くまで続いたが、そのうちに眠気がさしてきたので、みんなは寝室にひきとった。といっても、私は不安が先に立って、なかなか眠りにつけなかった(おそらく叔父はそんなことはなかったろうが……)。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「スタピの村の断崖は玄武岩でできていたが、ご存じのように、玄武岩は火成岩の一種で、自然のなかでびっくりするほど規則的な形をとることがある( 8)。ちょうど〝自然〟が定規やコンパス、下げ振りを使って、人間と同じようにきちんとした建物をつくったようなもので、この断崖で見られるのは、そんな不思議な光景なのだ。ほかの場所で〝自然〟がつくりだす造形物は、使う道具と言ったら、せいぜい大槌で、それをでたらめにふるってつくるのだから、円錐形の山も四角錐の山も形としては荒削りだ。どうひいきめに見ても、ピラミッドの完璧さには遠く及ばない。線も奇妙に曲がりくねっていて、直線や真円は望むべくもない。ところが、ここでは人間が原始的な建築をつくりだす、はるか以前に、〝自然〟によって、幾何学的に厳密な建造物ができあがっていたのだ。その素晴らしさは、バビロニアの建築物やギリシアの建築物にもひけをとらない。いや、私は玄武岩がつくりだした、そういった幾何学的な光景としては、アイルランドの《巨人の石道》やスコットランドの《フィンガルの洞窟》があるということも知識としては知っていた。だが、実際に目にするのはこれが初めてだったのだ。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「そんな珍しい景色を堪能したあとに、私たちはスタピの牧師館に到着したのだが、このスタピの村は私たちが地上で過ごす、最後の村になるはずだった。レイキャヴィークからの長い道のりをまったく危険を感じさせず、ハンスはよくここまで連れてきてくれたものだ。私はそのことに感心した。そして、「このあともまだハンスは一緒に来てくれるのだ」と思うと、少しだけ安心した気持ちになった。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「「その点で、科学はまちがっていたということですね」「ああ、アクセル。科学などというのは、まちがいでできているようなもんじゃ。だが、まちがいは犯したほうがいい。それによって、少しずつ真実に近づいていくのじゃからな」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「巨大な爬虫類とは恐竜のこと。だが、当時、フランス語には《恐竜》という言葉はなかった。したがって、ヴェルヌは《恐竜》という言葉を使っていない。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「ああ、そんな怪物のことを思うだけで、今、ペンを持つ手が震えてくる。なにしろ、人類は実際にそんな巨大な爬虫類が生きているところを見たことがないのだ。その怪物は人類が誕生する、はるか以前に地球に現われ、はるか以前に絶滅した。ただし、骨の化石は、ジュラ紀の地層であるイギリスの《ライアス統》と呼ばれる青色石灰岩の層から発見されて、骨格標本がつくられている。それによって、人類はかつて、そういった巨大な爬虫類がいたことを知ったのだ。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「私はイクチオサウルスが空中で跳ねた時に見える、縦型の尾鰭の大きさから、全長を推測した。それはおそらく三十メートルはくだるまいと思われた。顎も大きく、強力だった。なにしろ、博物学者によれば、イクチオサウルスには歯が百八十二本もあるのだ。いっぽう、プレシオサウルスのほうは、蛇のような首に亀のような丸い胴体がついていた。尻尾は短く、鰭を櫂のように動かしていた。胴体は甲羅に覆われて、その長い首を白鳥のようにしなやかに立てていた。首の長さは海面から十メートルはあったろう。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「私はその場に立ちつくした。叔父は天に向かって、両手を差しのべていた。その格好で、何かを叫ぶように口を開き、眼鏡のレンズの奥で両目を爛々と輝かせながら、しきりに首を縦にふったり、横にふったりしている。目の前の光景によほど驚愕したのだろう。そんな不自然なやり方でしか、驚きを表現することができなかったのだ。目の前にはレプトテリウムやメリコテリウムの骨があった。ロフィオドンやアノプロテリウム、メガテリウムの骨もあった。マストドンやプロトピテック、プテロダクティルスの骨もある。ああ、こういった今では絶滅した動物の骨が山と積まれているのを見るのは、叔父にとってはどれほどの驚きで、またどれほどの喜びだったろう。まるで、イスラム帝国の二代目カリフ、ウマルの命令で焼かれたアレキサンドリア図書館の書物が灰のなかからよみがえったのを見た、熱狂的な書物蒐集家のようなものだった。いや、叔父はまさしくそういう状態だったのだ。 だが、そこでもっと驚愕するような出来事が起こった。最初の興奮が治まると、叔父はしばらくの間、夢中になって骨の山のなかを駆けずりまわっていたが、突然、骨のひとつを指さして、震える声で、こう叫んだのだ。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「叔父はあいかわらず〝岩〟のことが気になるようで、松明を手に、竪穴の内壁をしきりに眺めていた。地層を観察することによって、私たちが置かれている状況を把握しようとしているのだ。もちろん、そんなことでわかることは限られているだろう。だが、叔父は学者だ。しかも、きわめて優秀な学者だ。事物を前に、熱狂に取り憑かれることさえなければ、並みはずれた能力を発揮することはまちがいなかった。そして、私もまた学究の徒だった。叔父の口から地質学の専門用語が聞こえてくると、私は耳をそばだてずにはいられなかった。「花崗岩じゃ。地球ができた時に、熱く溶けた岩が固まったものじゃ。したがって、ここはまだ初源岩類の時代の層だということになる。だが、わしらはのぼっている。のぼっている。この先はわからんぞ!」」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「最後にもうひとつ、つけ加えておくと、この『地底旅行』は世界じゅうのあらゆる言語に翻訳されて、それを読んだ人々に熱狂的な興奮をもたらした。最も権威のあるものまで含めて、新聞や雑誌は主要な旅のエピソードをこぞって紹介し、解説や論評を加え、批判や支持を表明した。世間はこの旅を信じる者、信じない者の二手に分かれ、どちらの陣営も同じくらい熱心に自説を掲げて、大論争を繰り広げた。どんなに偉大なことを成しとげても、まだ生きているうちからこれほど評判になることは珍しい。だが、叔父はその珍しいケースに属し、喜んでその栄誉を受け入れた。いや、実際、叔父の名前は世界じゅうに知れわたっていた。なにしろ、あのインチキ興行師のバーナムまでが、「アメリカ合衆国で叔父を〝展示〟したい」と言って、莫大な契約金を提示してきたくらいなのだから……。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「ヴェルヌは SF(サイエンス・フィクション――空想科学小説)の祖と言われているが、この「空想」と「科学」の関係は、作品によって変わってくる。かなり大ざっぱな分け方で申し訳ないが、たとえば、『海底二万里』や『月世界旅行』などは、将来実現されそうな科学をもとにして、未来の姿を先取りして空想したものである(その点では、時代が未来でなくてもかまわない)。これに対して、『八十日間世界一周』は、当時の科学が生みだした技術をもとにして、「この科学技術のもとで、現在、人類はどのくらい早く世界を一周できるか?」を空想(思考実験)したものである。 では、この『地底旅行』はどうか? この作品でも「科学」がもとになっているのはまちがいない。だが、「空想」はどこに向かっているのだろう? いや、その前に、そもそも『地底旅行』は空想科学小説なのだろうか? そこでこの「解説」では、まず『地底旅行』における「科学」と「空想」の関係について考えてみたい。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「そういった観点からすると、この作品を書くにあたって、ヴェルヌが鉱物学、地質年代学、火山学を始めとする地学や、古生物学を含む博物学、そして物理学や化学など、広範な科学の知識を自家薬籠中のものとしていたことはまちがいない。その中心になるのはもちろん地学だが、その博識ぶりから見ると、この小説が当時の教養人に向けた「地学の啓蒙小説」だったのではないかと思えるほどである。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「もうひとつ、ヴェルヌがどれほど新しい科学知識に敏感で、それを意欲的に作品に反映させていたかは、本書の次のような記述を見てもわかる。《シルル紀の地層、それからデボン紀の地層と、地下道を進むにつれて、私たちは動物の変化の歴史をたどっていた。その変化はやがて人類を生みだし、人類が動物界の頂点に達するのだ》。これはまさにダーウィンの「進化論」にのっとった記述である。ダーウィンが『種の起源』を上梓したのは一八五九年。『地底旅行』が刊行されたのが一八六四年であるから、科学知識に対して貪欲なヴェルヌがその内容を知らなかったはずはない。また、ダーウィンが地質学者であったことでもわかるように、「地学」と「進化論」には深い関わりがあるので、地学的な知識を広げていくなかで、ヴェルヌが『種の起源』に出会った可能性もある。ヴェルヌはおそらく『種の起源』が刊行されてまもなく、その内容を知り、「生物は進化する」という考えをすんなりと受け入れて、作品に取り入れたのだろう。あるいは、『地底旅行』が今の形になったのには、「進化論」が大きく関係しているとさえ言えるかもしれない。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「おそらく、そうではあるまい。その証拠に、いったん「地球の内部に空洞があり、そこに海があって、明るく照らされている」と設定をしたあとでは、なぜそこに空洞があるのか、海があるのか、光があるのか、ヴェルヌはできるかぎり科学的に説明しようとしている。また、その地下世界には、マンモスの番をする巨人の影を除いては、空想上の生物は出てこない。科学から離れて、空想の翼を広げようとしたりはしないのだ。それよりも、ヴェルヌはこの地下世界を「過去の地球」に見立て、その世界がどんなものであったのか、当時の地学、古生物学の知識を総動員して、その姿を科学的に忠実に再現しようとしている。そうなのだ! この小説は「科学」をもとに過去の地球を「空想」した「タイム・トラベル小説」なのである。そして、この小説の SFとしての本質は、まさにそのタイム・トラベル性にある。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「そう考えると、どうして地下に巨大な空洞がなければならなかったかも理解できる。だいたい、地層は過去から積みかさなっているのだから、地下に降りるということは、そのまま地球の歴史をさかのぼるということである。だが、どうせ歴史をさかのぼるなら、本当に過去の地球に行き、その時の地球の姿がどんなものであったのか、実際に目にしたほうが面白い。そこで、地下に広大な空間をつくり、過去の姿を保存して、主人公たちが出会えるようにしたのだ。その意味で、「地球空洞説」は、過去の世界に行き、その世界を見るための「装置」――いわば、タイムマシンとして使われたのである。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「というのも、「科学」の最先端の知識が、「宗教」や「哲学」にも影響を与え、この三つを切り離せないものとして考えるというのは、きわめて現代的だからである。この小説が書かれた十九世の中頃は、「科学」は「宗教」と対立し、「哲学」とも別のものであったろうと思われる。そのなかにあって、この「アクセルの夢」の最後の部分は、「科学」と「宗教」と「哲学」を包括的に考えることが要求される「現代の状況」を予言している。タイム・トラベルの要素とはまた別に、「科学」から出発して新しい世界観を提示したという意味で、『地底旅行』は高度に SF的だと言えよう。ヴェルヌ、恐るべしである。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「すると、その瞬間、この作品の魅力がはっきりしてきたような気がして、それならこの作品が訳せると思った。また、訳したいと思った。そして、さっそく、本書を読みかえしてみたところ……。リーデンブロック教授をドン・キホーテだと考えると、本書はとってもよくわかる。そのうえ、とっても面白いのである。最初に読んだ時には、「一流の科学者」なのに、「科学的に怪しげな説を唱える。水のことも考えない。帰り道はのぼってこなければならないのに、その点も気にしていない」と釈然としない思いをしていたのだが、「一流の科学者」というのは世を忍ぶ仮の姿で、その実体がドン・キホーテだとすれば、常識にとらわれないのはあたりまえ、いったん目的を決めたら、もうそれしか見えない、ただひたすら目的に突き進むのは当然だと思えてきたのである。 また、もしリーデンブロック教授がドン・キホーテなら、サンチョ・パンサはハンスである。ハンスは教授の言うことが、どれほど常識から逸脱していても、決して異を唱えることなく、教授についていく。そうなったら、ただひとり、まっとうな感覚を持つ語り手の「私」――アクセルに何ができよう? そうなのだ! この小説は、アクセルという合理的な精神を持つ、まともな人間がドン・キホーテとサンチョ・パンサの旅に巻きこまれて、常識的な感覚を揺さぶられる話なのだ。実際、一流の科学者であるのに、教授はちっとも合理的ではない。植木鉢に植物を植えたら、早く成長させたくて、毎朝、葉っぱを引っ張るし、アクセルが地球の中心に向かう危険を科学の理論で説明しようとすると、「理論なんぞ、くそくらえだ! そんなものは、わしらの邪魔をするためにあるようなものではないか!」と答える(これが科学者の言葉だろうか?)。また、ハンスは教授がどんなに非合理な提案をしても、いつも黙ってそれに従う。まわりを合理的ではない人間に取り巻かれているという意味で言えば、アクセルの婚約者、グラウベンだって合理的ではない。なにしろ、アクセルの心配を無視して、熱心に地底旅行を勧めてしまうのだから……。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
「表面的には「科学」を装いながら、その実、根本的なところでは、合理的なものをどこかで否定している。それがおそらく、この作品の、「 SF」としてではなく、「文学」としての意味だろう。そう考えると、 SFとしてはタイムマシンの機能を果たしていた「地下の空洞」は、文学としては非合理的な世界の象徴としての役割を果たしている。だが、別にそこで戸惑うことはない。私たちはただ、 SFとしての解釈の上に、文学としての解釈を重ねあわせてやればよいだけだからである。この作品は SFとしてはタイム・トラベル小説だが、文学としてはドン・キホーテ的なアンチ合理主義の小説なのだ(もっとも、それを「科学小説」の枠組みのなかでするところが、ヴェルヌのすごいところなのだが……)。ちなみにこの小説で、地下に降りるまでに全体の三分の一の分量を使ったのは、教授のドン・キホーテぶりを通じて、アクセルや読者を少しずつ非合理的なの世界に慣らすためだったのだろう。この部分は旅行記としても面白い。」
—『地底旅行 (光文社古典新訳文庫)』ヴェルヌ著
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SFの祖とも云われる19世紀フランスの作家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の長編小説、1864年。地理学・地質学・鉱物学・古生物学などの科学的知見と作家の想像力とが融合した空想的科学小説であり、スピーディな展開とスリルに満ちた冒険譚でもある。
本書が執筆された19世紀半ばは、交通・通信・メディアなど科学技術と産業の急速な発展が人々の世界経験を変容させていった時期と重なる。それは、詩人や芸術家を含む同時代人に、想像力のこれまでにない仕方での拡張を齎し、新たな知覚経験(視覚・速度感覚・空間知覚・時間知覚など)を提供することとなる。例えば、1858年に写真家のナダールが気球を用いて世界初の空中撮影を行っているが、ヴェルヌの出世作である『気球に乗って五週間』(1863年)やオディオン・ルドンの『眼=気球』(1878年)といった作品は、こうした同時代の空気の中で生まれている(ヴェルヌとナダールとの間には交友関係があった)。実証主義が興隆した時代は、また同時に想像力が新たな領域を見出した時代でもあった、ということは興味深い。
文化が世俗化する中で、ヴェルヌは子どもの教育向けに啓蒙的な科学小説を多く残したが、そんな彼の作品がランボー、リラダン、レーモン・ルーセル、サルトル、グラック、ル・クレジオら多様な作風の作家を魅了してきたという点も、併せて興味深い。
臆病で優柔不断なところもあるアクセルが、リーデンブロック教授(知性と情熱の研究者)と現地人ハンス(如何なる危機的状況にあっても超然として動じることなく実務をこなす案内人)との冒険を通して成長するという筋書きを読むにつけ、「教養小説」なるものは、単なる抽象的な"人間"としての成長を目指しているのではなく、飽くまで"男"の物語であり、"理想的な男性像"を獲得しジェンダー規範を習得すること="男になる"ことを目指すという意味で、ジェンダーバイアスのかかった代物なのだと改めて感じた。帰還後、主人公は恋人との結婚を果たす。
「おまえの言うことは、意志を失った男、エネルギーのない人間の考えだ!」-
40年前リック・ウェイクマンの地底探検のレコードを買いました。怪獣の闘いと火山の噴火の勢いで地上に戻るという話としか理解してませんでした。
...40年前リック・ウェイクマンの地底探検のレコードを買いました。怪獣の闘いと火山の噴火の勢いで地上に戻るという話としか理解してませんでした。
レビューを拝見し、読んでみたくなりました。2018/11/20 -
yuu1960さん
コメント下さり有難うございます。
そのように言っていただけて嬉しいです。yuu1960さん
コメント下さり有難うございます。
そのように言っていただけて嬉しいです。2018/11/23
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とても読みやすかった。
たまにはこの手の本もいい -
多少読みやすくなっているとはいえ,当時こんなにワクワクする作品を書けたのは驚き
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ヴェルヌの冒険小説は本当にワクワクさせてくれる。
ぽんぽんとよくわからない専門用語が飛び交い、冒険までの準備の描写をこれでもかと盛り込んでくるけれど、それがより解像度を鮮明にしてくれる。
超人ハンスがすごかった。
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地球が誕生したときは、地球は現在よりも膨大な量の熱を持っており、その熱が長い年月を経て宇宙空間へ放出され続けていると考えられている。つまり、地球の持つ熱源は地球の内部にあり、地中深く潜っていけばいくほどその温度は高温になっていく。そして地球の中心の温度は太陽の表面温度にも達する。そんな高温では人間はおろか、どんな生物も生息することは不可能なのは言うまでもない。しかし、今まで誰も地球の中身を見た人はいない。地震波などの間接的な方法から推察をしているに過ぎないのだ。もし、過去に地球の中心へ行った人がいると知ったらあなただったらどうするだろうか。そしてその先駆者が地球の中心への行き方まで詳細に示していたら、試してみるだろうか。
私が今回紹介するのはジュール・ヴェルヌ著の地底旅行である。タイトル通り、地底深くに潜っていく冒険小説だ。鉱物学の権威であるリデンブロック教授が発見した古文書には死火山の噴火口から地球の中心までの道が示してあった。教授は自分の甥アクセルを半ば無理やり地底旅行へ連れていく。この物語の主人公である甥は旅の中でいくつもの試練にぶつかることとなる。
この小説のお薦めポイントは鉱物学・地質学・岩石学の専門知識が随所に散りばめられていることだ。しかし一方で、間違っている、現実とは異なることもあたかも理論的に書かれている。自分が地球学コースで身に着けた知識を基に、ヴェルヌの描いた理論に対しこれは正しい、正しくないという精査(ツッコミ)をしながら読み進めるのも面白いだろう。 (地球環境学コース 修士1年) -
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学校の課題のために手にとってみました。
フランス文学は、あまり読んだことがなく
このジュール・ヴェルヌという作家さんの作品は
初めてだったのですが、冒険小説ということもあって
面白かったです。
地球の中心に行くという未知な世界に飛び込む2人が、
地道に地球の中心に向かって旅をしている姿が印象に残っています。
最後は、火山の影響で行けなかったですが
終盤にかけて、目が離せませんでした。
書かれたのは、もう70年くらい前なのに
色褪せない世界観が素敵で、ワクワクしました。 -
地球内部へと続く道が発見された…との一文だけで即購入。ロマンしか感じられなかった。高校時代、専攻していた地学のおかげでちょいちょい小ネタを理解できたのが嬉しかった。個人的に中盤までダレることが多かったが、それ以降は怒涛の展開で読む手を止められませんでした。読んでよかった。
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おもしろかった。
これをなぜ、
これをなぜ小中学生時代に読まなかったのか。
今読むのとは全く違うワクワクドキドキを得られたはずなのに!後悔。 -
はるか昔のわくわくする冒険譚
これが1860年代につくられたおとぎ話だからと言ってなめてはいけない。
アイスランドの火山の噴火口から地球の中心へ
現代の科学でも未だ完全解明されてない、まさしく前人未踏の世界をヘンテコな三人が大冒険。
この三人、特に奇人リーデンブロック教授の魅力がたまらなく、ときに芸術家のモチーフになるほどのおもしろさ。
作者ヴェルヌの空想力が細部にまでいきわたり、本当に噴火口から地底世界に行けてしまうのでは、そして、もしかするとそこには・・・
なんてリアルを勘違いしてしまいそう。
はたして、三人は地底で何を見たのか、そして全員無事に生きて帰ってこれるのか
少年の頃に、この本を読んだなら、卒業文集に「なりたい夢は冒険家」って書いて将来恥ずかしい思いをしただろうなあ -
ヴェルヌは二作目。前回読んだ「十五少年漂流記」が少年の冒険譚な作品だとすると、ヴェルヌのSF小説はこれが初めて。サイエインス・フィクションの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる彼の作品をこれまで読んでいなかったのは、特段何か大きな理由があったわけではありませんでした。ただなんとなく「また今度でいいや」が繰り返されてきただけ。そんな彼の作品を手に取ったのは、これまた何か理由があったわけではなく、「そろそろ読んでみようかな?」という気分になったぐらい。
そんな不純?な動機で手に取った本書はヴェルヌのなかでも有名な作品です。1864年に描かれただけあって、古臭さというか、物語の展開に単調さを感じることはあったのですが、それでも地球の内側に広大な世界が広がっているというドキドキワクワクな設定には、胸を膨らませて読み進めるばかり。暗くて長い洞穴を進んだ先に広がる果てしない海、巨大な茸で形成された森林、古代の海洋生物の出現や眼前に広がる無数の骨々、そして人間に似た何か巨大な生物…確かにSFの父と呼ばれるに相応しい胸弾む作品でした。 -
アイスランドの火山の噴火口から地球の中心に到達できるという文章を解読したことから地球の中心を目指すお話。
終始わくわくしながら読めました。
こんな世界だったら面白いなぁ~と思わせてくれる話でとてもよかったです。
子供ができたらいろんな想像力を働かせるためにも読んでもらいなぁと感じました。
ハンスがとても好きでした。
リーデンブロックも終始ポジティブで明るい気持ちになりながら読めるのでいいですよ。 -
センターオブジアースの原作。
偏屈なおじさんと甥っ子と案内人の奇妙な地底探検旅行。
ジュール・ヴェルヌの冒険小説は本当におもしろい。 -
ドラえもんでバッジを付けて地球空洞説を信じる話があった気がする
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空想レベル高い
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