死都ブリュージュ (岩波文庫)

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  • 岩波書店 (1988年3月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (191ページ) / ISBN・EAN: 9784003257814

みんなの感想まとめ

哀愁に満ちた街ブリュージュを舞台に、愛する妻を失った主人公ユーグ・ヴィアーヌが、亡き妻に似た女性ジャーヌと出会う物語が描かれています。この作品は、単なる筋書き以上の深い情景描写と、町そのものが主役とし...

感想・レビュー・書評

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  • 著者、ローデンバックさんは、ウィキペディアによると、次のような方です。

    ---引用開始

    ジョルジュ・ローデンバック(Georges Rodenbach、1855年7月16日 - 1898年12月25日)は19世紀末のベルギーの詩人、小説家。日本語表記はロデンバック、ロダンバックとも。

    その代表作に「死都ブリュージュ」があり、日本ではフランス文学研究者の村松定史が現代和訳、ローデンバック研究の第一人者。

    ---引用終了


    本作は1892年刊行で、内容は、BOOKデータベースによると、次のとおり。

    ---引用開始

    沈黙と憂愁にとざされ、教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都ブリュージュ。愛する妻をうしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは、亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった。世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギーの詩人・小説家ローデンバック(1855-98)が、限りない哀惜をこめて描く黄昏の世界。

    ---引用終了


    そして、訳者は、窪田般彌さんで、ウィキペディアによると、次のような方です。

    ---引用開始

    窪田 般彌(くぼた はんや、1926年1月6日 - 2003年1月22日)は、日本のフランス文学者・詩人・翻訳家。早稲田大学名誉教授。

    ---引用終了

  • 19世紀末のベルギーはフランドル地方の詩人ローデンバック(1855-1898)の代表的な小説、1892年。

    「この情熱研究の書において、ともかく私はとりわけ一つの「都市」を呼び起こしたいと思った。人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる一人の主要人物のような「都市」を。かくして、私が好んで選んだこのブリュージュは、現実の中にほとんど人間そのものとして姿を見せる……その影響力はそこに滞在する人々に及ぼされる。この都市はその風光と鐘とによって彼らを育成する。〔略〕読者自身、高い塔が本文にながながと投じている影を感じとるにちがいない。」(p5ー6はしがき)

    ブリュージュは、ほとんど強迫観念のように、あるいは超自我のように(?)、ユーグの思考、感情、意志に取り憑いている。あたかもこの作品の主人公はブリュージュそのものであって、ユーグはそれが具象化されるためのひとつの媒体に過ぎないかのようだ。作中、ブリュージュの街並みの写真が「書割」として多数挿入されている。そこに写る人工建造物は、デ・キリコの形而上絵画(「通りの神秘の憂愁」「イタリア広場」)のように、非人間的な存在として突っ立っている。

    「彼は《類似の感覚》と呼びうるようなものを持ちあわせていた。それは補足的な、脆く貧しい感覚だが、幾千もの微細な紐で事物を互いにむすびあわせ、空中に浮遊する蜘蛛の糸で木々を縁組みさせ、彼の魂と嘆き悲しむ尖塔とのあいだに無形の通信をつくりだすものであった。」(p64)

    「無言の類似! 魂と事物との相互浸透! われわれは事物の中に入りこみ、事物はわれわれの中に浸みこんでくる。」(p112)

    「だが、「町」は信心深い女のような顔つきをして彼を咎め、執拗をきわめた。「町」はそれ自身が本来もちあわせている清浄さと、きびしい信仰の手本を彼の前にさらけだしていた……そして、鐘もまた「町」の共犯者であったから、今や彼は日々夕暮れになると、苦悶をいよいよつのらせ、〔略〕、ありうべき地獄落ちの恐怖を身に感じつつ、さまよい歩いた……鐘の音は最初は親しみぶかげに、やさしい忠告で諭してくれたが、やがて冷酷に彼を叱りとばし――いわば彼のまわりに姿を見せ、はっきり知覚できる鐘の音は、まるで塔の周辺の鴉さながらだった――つきとばし、頭のなかに入りこんで彼を辱めた。そして彼からその惨めな恋を奪いとり、彼の罪を抜きとるために、いやでも自分の思いどおりに彼をあやつろうとした!」(p127)

  • ベルギー文学なるものを初めて読んだんだけど、最高だった。読んでてその世界観に包んでくれるような小説って本当に凄いと思う。空気の冷たさとか霧深い感じとか匂いすら伝わってきた。

    生誕
    1855年7月16日
    ベルギー、トゥルネー
    死没
    1898年12月25日
    フランス、パリ

    ジョルジュ・ローデンバック
    (Georges Rodenbach、1855年7月16日 - 1898年12月25日)は19世紀末のベルギーの詩人、小説家。日本語表記はロデンバック、ロダンバックとも。1855年7月16日、ベルギーのトゥルネーの名家に生まれた。誕生後すぐに家族に連れられゲントに移り住む。ここで学業を修め、サント・バルブ校に通学し、生涯の友ヴェルハーレンと出会う。その後、ゲント大学に入学して法律を学び、1879年、法学博士となる。翌年、修学のためパリに赴くが、劇場や芸術家の集まりに多く出入りし、ユゴー、バンヴィルらと知り合う。[1]シャルル・ボードレールの『悪の華』に衝撃を受け、デカダン派や象徴派の詩人たちと交遊するようになる。ポール・ヴェルレーヌやステファヌ・マラルメとも面識を得る。
    帰国後、ゲントで弁護士生活に入るが、1883年にブリュッセルに移り、文芸誌『若きベルギー』に集う若者たちのリーダーとなる。1886年には弁護士を辞めて創作一筋の生活を始める。
    1877年、処女詩集『炉辺と野外』。
    1879年、名品「小箱」を含む詩集『悲しみ』。
    1881年、『優美な海』。(『悲しみ』および『優美な海』は、凡庸な出来として後に詩人は否認。)
    1884年、詩集『社交界の冬』。
    1885年、ブリュッセルで弁護士を開業。同時期にマックス・ワーラー主宰の「若きベルギー」誌に詩作を発表。
    1886年、この頃の詩人の個性がはっきりと表れている詩集に『白い青春』がある。
    1887年、パリに移住。ここで多くの文学者と交わりを持ち、「ジュルナール」誌に発表の場を与えてくれたゴンクール兄弟の《屋根裏サロン》の一員となり、アルフォンス・ドーデらと知己を得る。また、ステファヌ・マラルメの《火曜会》の常連ともなる。
    1888年、詩篇『静寂』。マラルメが初めてローデンバックに出した手紙(1888年3月25日付、パリ)は、この詩集への礼状であり、そこには「ものの意味形成性」を詩に読む共通の観点が述べられ、「最も純粋で奇跡的な」詩篇のひとつという賛辞が見える。この年の8月11日に、5歳年下のアンナ=マリア・ユルバンと結婚。ブルターニュへ新婚の旅。
    1889年、最初の長編小説『配所(流浪)の芸術』を発表。
    1891年、詩集『静寂の国』(詩篇『静寂』を含む詩集。)
    1892年、息子コンスタン誕生。「ル・フィガロ」誌の2月4日〜14日に連載した小説『死都ブリュージュ』が、写真挿画入りで刊行される。
    1893年、詩集『眼の中の旅』。
    1894年、コメディ・フランセーズで、1幕韻文劇『ヴェール』が上演され、高い評価を受ける。小説『ベギン会修道女の美術館』。
    1895年、『召命』。一時健康を害し、ノイローゼを患う。
    1896年、散文『墳墓』、詩集『閉ざされた生活』。
    1897年、長編小説『カリヨン(楽鐘)奏者』を刊行。
    1898年、自由詩型の詩集『故里の空の鏡』。クリスマスの宵、盲腸炎で急逝。享年43歳。詩人マラルメや画家ギュスタヴ・モロー、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌも同じ年に他界している。
    1899年、小説『木』。
    1899年、評論『エリート』。
    1901年、短編小説集『霧の紡車』。
    1924年、随想『招魂集』。
    日本に於けるローデンバックの移入は、永井荷風や北原白秋、西条八十らがローデンバックを愛読し下記に訳がある。
    上田敏訳(『海潮音』本郷書院 明治38年)「黄昏」1 Ⅱ
    大木篤夫訳(『近代佛蘭西詩集』 アルス 昭和3年)「田舎の町に」1ⅩⅩⅣ
    矢野峰人訳(『志るゑつと』 東京学藝社 昭和8年)「鏡」1Ⅴ
    内藤濯訳(『形影集』 白水社 昭和28年)「悲しさや」1ⅤⅣ、「月光」1ⅩⅥ、「室には光うすれしを」1Ⅳ[抄訳]、「野の里の……」1ⅩⅩⅣ
    小浜俊郎訳(『詞華集』 国書刊行会 昭和60年)「田舎では……」1ⅩⅩⅣ
    永井荷風は1911年(明治44年)の長崎旅行記『海洋の旅』で、うらびれた島原の旅館に滞在して「そして悲しいロオダンバックのように唯だ余念もなく、書斎の家具と、寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るる堀割の水とばかりを歌い得るようになりたい」と記している。
    ブリュージュに似て堀割の多い水都・柳川で育った北原白秋は「かはたれのロオデンバッハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし」と詠んでいる。


    「それに、こういう夕暮れどきのブリュージュは、なんと悲しみにみちているのだろう。そんなブリュージュが、ユーグは好きだった。自分が悲しみにひたされていたから、わざわざブリュージュをえらび、妻の死ののち、ここへ住みに来たのだ。むかし、幸福だった時代、妻と一緒に、妻の言いなりにあちこち旅をして廻り、きょうはパリ、あすは外国、また海岸などと、「世界中が家」みたいな生活を送っていた頃、ここへもふらりと立ち寄ったことがあった。もちろん、夢中のふたりが、この町の切々とした侘しさに心動かされるはずはなかった。けれど、時経て、独り身になったとき、ユーグに、ブリュージュの思い出が甦ってきた。ほとんど即座に、今後の自分が住む所はあそこしかないという直観があった。神秘ともいいたいつながりが出来ていたのだ。死んだ妻は、死んだ都市とどこか通じる所があるようだった。愛する人を失った大きい悲しみには、このような舞台装置がぜひともなくてはならないのだ。この町以外に、ユーグには生きられる場所があっただろうか。本能的にここへやってきたのだった。他の連中はよそで、勝手に騒ぐなり、はしゃぐなり、浮かれまわるなり、いいたい放題をわめき立てているがいい。自分には、完全な静けさが必要なのだ。ほとんどもう生きているのかどうかが感じられなくなる程までに、簡素なつきつめた生活がしたいのだ。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    「この都市もまた、むかしは愛され、美しかっただけに、ユーグの愛惜をそのままに体現していた。ブリュージュは、死んだ妻だった。死んだ妻がブリュージュだった。運命が等しいのだから、すべては同じひとつのものなのだ。死んだ町ブリュージュだった。打ち寄せる大波に岸べを洗われることがなくなった日から、入り組んだ運河の水は冷たく淀み、護岸の石が川べりを包んで、町も墓の中の眠りに入ったのだ。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    「まちがいない、あの女だった。踊り子だったのだ。こんなこととは、一瞬間も思っていなかった。しかも、文字通りいったん死んで墓石から降り立ってくる女だった。死んだその人が、今、すぐそこに微笑んでいた。こちらに進み寄ってきて、手をさし出していた。  こうしてみると、似ているのは思いの外だった。泣きたいほどに似ていた。薄明の舞台に一条の強い光を加える黒に近い茶色の目がそうだった。またとない金色の、ことに目立つ髪の毛がそうだった。この金色を持つ女は、あとひとりだけなのだ……」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    死都ブリュージュ / ローデンバック
    妻を亡くしたユーグは、教会の沈鬱な鐘の鳴り響く灰色の町ブリュージュに自らの心情を重ね移り住む。
    悲嘆に暮れ町を彷徨い歩いていたある日、亡き妻に生写しのジャーヌに出会い、妻の幻影を追い求め破滅していく。
    実際のブリュージュは明るい町だそうです。

    好きな小説•海外
    パッと思いつくのは

    ヘッセ『知と愛』
    ジッド『田園交響楽』
    ユイスマンス『彼方』
    ポー『アッシャー家の崩壊』
    ローデンバック『死都ブリュージュ』
    魯迅『故郷』

    オペラにもなっている「死都ブリュージュ」の著者と同じ名前のベルギーのビール銘柄があるのね

    世紀末文学『死都ブリュージュ』を読んでいるのだが、この主人公、一日中、妻の死を嘆いているだけでなんの仕事もしている様子がない。妻が生きているあいだは贅沢な旅行をしていたのかなって感じはある。ヨーロッパにはこういう金持ちがいたんだなー。

    「むかし、この町は、死の町ブリュージュだった。自分は、この町を亡くした夫でもあった。それが今では、ほんの少々、悲哀の表皮をさすってくるだけだ。静まりかえった町を、今は心安らかに歩いた。ブリュージュまでが、墓の中からよみがえって、古い町によく似た新しい町の装いをつけて出現したと思えた。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    「ユーグは思うのだった。似ているということは、なんとも得体の知れぬ力を及ぼしてくるものだと。  似ていることで、人間が生れながらに持つふたつの矛盾した要求が満たされるのだ。すなわち、慣れと新奇さというふたつの要求が。慣れは、生き物にとって必須のことで、日常のリズムをも作り出す。ユーグもこのことは痛切に感じてきたし、自分の運命はもう取り返しがつかぬとまで思いつめていた。愛してやまぬ妻とともに十年間を過してみて、もはや妻のいない生活に慣れることはできなかった。妻亡き後も、ただ妻を一心に思いつづけ、他の女の顔にまで妻の面影をさがし求める始末だった。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    「ユーグは、次第に不快な気分が高まるのを感じていた。まるで、見るも無残な仮面舞踏を見ているふうだった。初めて、肉体的な一致だけでは真に心を引く力とはならぬと感じられた。かえって、肉体的な一致があるだけに、逆の力が働きかけてきた。妻と似ていなければ、ジャーヌは、ただの安っぽい女と映ったにちがいない。なまじっか似ているだけに、一瞬間、亡き妻に再会したのかとの、なんとも切ない印象が与えられた。その印象が汚されたのだ。同じ顔をし、同じ衣裳をつけているのがかえって悪かった、――同じことは、祭りの行列の日などに感じることがある。そんな日の夜、聖母マリアだとか、もろもろの聖女だとかに扮した女たちが、まだ祭りの衣裳のマントやコートをつけたまま、少しお酒がはいって、街灯が夜の闇の中に、傷口からしたたる血の色を投げかけている中を、宗教行列か、カーニバルの列かわからぬさまでやってくるのに出くわすとき。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    「それなら、私自身のことなのだ。何か非難されることでもあるのかしら。なんの罪を責められるのだろう。自分は今まで、これっぽちも人を欺したことはない。懺悔に行っても、本当のところ何を言っていいのか、自分になんの罪があるのかわからない始末なんだから。  バルブは、すっかり不安な気持になっていた。シスター・ロザリーが、あの話をしたとき、妙に暗い感じだった。突き詰めた様子だった。楽しかった一日も、これで終りだ。笑う気にはなれなかった。向こうで、陽気にはしゃぎながら、ぺちゃぺちゃとおしゃべりし、造りかけのレース編みの品定めにいそがしい連中に加わりたいとも思わなかった。入り組んだボビンの糸がこれから織り出そうとする新デザインのレース編みだった。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    岩波文庫版が絶版になっているので、仕方なくKindleで購入して読んでいます。ブルージュ、昔から訪れてみたいと、どこか心の隅っこにあり憧れている

    死都ブリュージュ

    「特に、どんな都市にも、人格が、自立した精神が、よろこび、愛情の獲得、断念、独り暮しなどとどこかあい通じるような、いわば外にあらわれた性格が、そなわっている。どの都市も、ひとつの「心の状態」である。少しでもそこに住むことで、この「心の状態」が伝染し、人の内部にまで流体となって浸入してくる。空気の微妙な効果かと受けとってしまうのだが、本当はこの流体に感染力があるのだ。  ユーグは、初めのうち、ブリュージュの弱々しいながら、どこか痛みを鎮めてくれる作用に身をゆだねていた。それが、いつしか、思い出だけに生き、すべての希望を見失い、あとはただ信仰の中に死ねればいいという境地にまで追いやられてしまった……」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    ローデンバックに『死都ブリュージュ』という作品があるが、クノップフの不安感立ちこめる風景画を小説化するとああいう感じになるのかも知れない。

    「むかしと同じに、夕方の散歩の途中で教会に寄ってみる気が起こってきた。とくに好んだのは、黒い大理石が長々とつらなるサン・ソーヴールの身廊だった。大きく張り出した高座からは、ときに音楽が降り落ちてきて、波打っておし寄せ、砕け散る……  音楽の広がりは大きかった。何本ものパイプから、敷石の上へどおっと流れ落ちるのだった。この音楽が教会堂内のいたる所に埋めこまれている墓石、銅板の埃まみれの銘文に浸み入り、消し去ったのかとも思われた。ここにいると、本当に、死の中を歩んでいるといえそうだった。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    『死都ブリュージュ』。男は、若い妻を亡くし、彼女の髪を屍から切りとり保管していました。男が自殺を考えていたところ、妻に生写しの踊り子の女に出会い、女の髪を愛撫し、妻のドレスを着せます。「この陰鬱な都では、死以外になんの選ぶべき題目があろう」。書肆ゲンシシャにてお読みいただけます。

    ローデンバック『死都ブリュージュ』#読了
    陰鬱ながらなんとえもいわれぬ美しさ…!
    作中でユーグの言動と宗教的なるものとを対比しているようで次第に均質化させていき、この哀れな男の執着に神聖さすら感じさせるその恐るべき表現力にただただ語彙を失います
    この死都で起こった悲しき一つの物語

    ローデンバックの『死都ブリュージュ』、今は定価以上になっているのですね。時々読み返す小説ですが、思えば冷たい風が吹く今の季節に読みたくなる小説です。挿入されている写真も、物音ひとつ聞こえないような世界で大好きです。

    お茶しながら読了報告。

    死都ブリュージュ/ローデンバック
    去年の締め括り一冊。「アルゴールの城にて亅と近い舞台装置としての土地が物語に効いてくる作品。前者との違いはより現実的で、悲しく、しっかり抉ってくるところ。ブリュージュ歩いてみたくなった。夏休みにでも行こかな。
    #読了 #茶好連

    レアな海外添乗員20年ですが、ベルギーの『ブルージュ』は運河が街を巡る美しい都市です。「北のヴェネツィア」とも呼ばれ、中世に繁栄した趣を残しています。伝統工芸品は「レース編み」。静かでロマンティックな雰囲気が漂う街から年末年始の添乗でライブ配信計画中!ご興味がある方はフォローミー→

    ローデンバック『死都ブリュージュ』のイメージ
    岩波文庫に入ってたけど現在は絶版のようす

    地名など馴染みない言葉も多くとっつきにくいですよね。死都ブリュージュきっかけにわたしも苦戦しながら読んでます笑。

    『死都ブリュージュ』#読了

    繁栄から見捨てられた都ブリュージュと、愛する妻を失い、見捨てられた男が、亡き妻と類似の踊り子に狂い、同一に近づこうとすると差異が気になり、悲劇へと向かう展開。世紀末に生きたローデンバックが当時の空気感を蘇らせてくれたかのような一冊。

    「死都ブリュージュ」って
    150年以上前に書かれた作品とは信じられないな。人間はそんなに簡単に変わらないから、150年どころか1000年前だって考える事は変わらない…でも
    150年前の作品を「あぁそういう事ね…うん、分かるわかる」とか言いながら読めるのって奇跡って感じがする。

    読書ネットワークで出会った【死都ブリュージュ】という本、最高に良い。コレ、こういうのが読みたかったって感じがして素晴らしい、主人公から建物から街から、全てから死の匂いがする。

    →出来不出来はロジックの完成度以外では解かない。おそらくここいらはローデンバック「死都ブリュージュ」から学んだもので、あれを観念的都市とは誰も言わないだろう。「幻影」やら「見知らぬ町」と言いながら戦後派的観念とはズレる。あと「花火」は純文学の掌編では最高傑作だと思います。

    美しい・・・
    むかし、ロオデンバックの『死都ブリュージュ』から、ブリュージュに憧れた時期がありました。結局この本の中身を読んだのか、それともただ単にタイトルに惹かれたのか、それすらも忘れましたが。
    憧れは憧れのままこの彩雲のように浮かんでいたこと、久しぶりに思い出しました。

    #日本怪奇幻想読者クラブ
    G・ローデンバック『死都ブリュージュ』(窪田般弥訳)を読了。妻を失った男が、妖艶な美女に翻弄され破滅するという幻想作品です。
    美しかった妻に先立たれた男ユーグ・ヴィアーヌは悲しみに囚われ、ブリュージュに住まいを移すことになります。

    #美しいと思える小説のタイトル

    「愛されたもの」
    「白魔」
    「バビロン再訪」
    「征服されざるもの」
    「死都ブリュージュ」
    「暗夜行路」
    「瓶詰めの地獄」

    私の趣味がふんだんに盛り込まれてる

    死都ブリュージュ本当に好き、言葉の一つ一つが光の粒みたいに美しくて、なのに陰鬱で曇りの日の夕暮れみたいな作品


    昏色の都/諏訪哲史
    低い冬の陽が平原を黄金染めるベルギーの都市ブリュージュを舞台とする幻想小説。
    同じくブリュージュが舞台の幻想小説、ローデンバックの「死都ブリュージュ」と併せて読みたい一冊。
    ブルージュは中世の面影を残す石畳と運河の美しい街だそうです。行ってみたいなあ。

    ローデンバックの死の都ブリュージュを読んで 今で言う聖地巡礼がしたくてブリュージュにはたくさん観光客が来たけど みんながっかりしたそうなのだ。小説に出てきたような暗く憂鬱な様子はなく 普通のきれいな街に元気な人々が住んでたからなのだ。

    ジョルジュ・ローデンバック『ローデンバック集成』(ちくま文庫2005)
    これを幻想文学といっていいのかどうか。亡き妻に似た女性と出会った男の物語「死都ブリュージュ」のイメージが先行。陰鬱な雰囲気を醸し出す作品と、実際のブリュージュの乖離は周知のこと。けっこう読み手を選ぶ作品ぢゃね(^^♪

    #ジョルジュ・ローデンバック 高橋洋一訳『ローデンバック集成』を図書館で借り再読中。本書所収『死の都ブリュージュ』は悲しくて美しい物語です。瞑想的で静謐です。
    ↑と質が異なると思いますが、最近 #ボードレール 『#悪の華』を読みました。
    19世紀の象徴派と呼ばれる人たちの作品に惹かれます。

    #本当に復刊して欲しい岩波文庫リクエスト
    「李賀詩選」
    「玉葉和歌集」
    「金子光晴詩集」
    「天体による永遠」
    「死都ブリュージュ」
    「死神とのインタヴュー」
    「虚栄の市」

    そのうち復刊しそうな気がするけど、しないのは本当にしないからとりあえず復刊して!、と。

    いです)、ウィキを見たら地名の由来は「橋」らしい。「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」という都市。
    死都ブリュージュは19世紀の小説でしたね。そこまで有名な小説なのかわからないのですが、森茉莉さんのエッセーや中島先生からも聴いたかしら?ちゃんと読んでないのであれなんですが、陰鬱な、幻想

    #オペラ・ファンタスティカ

    コルンゴルト 死の都
    美しいオペラですね。真面目に聞いたことがなかったので、この番組に助けられる。

    あらすじを聞いていたら、以前に読んだことがある内容だった。死都ブリュージュ(原名はブリュージュ)なんだ!びっくり。

    ローデンバックの死都ブリュージュ読み返したら心の中学生が騒ぎだした。煤と埃にまみれた鬱屈した近代都市…

    筆が止まったので好きな本を読みます
    ベルギー美術が好きなんですが、その流れで知った『死都ブリュージュ』都市が主人公ってコンセプトが特殊でもう最高
    「この都市はその風光と鐘とによって彼らを育成する」

    死都ブリュージュ、読み終わったけどブリュージュがめちゃくちゃ陰鬱な街として描かれててなんかちょっと笑ってもうた。そこまで言わんでも的な

    ‪bruges la morte(死都ブリュージュ)読み始めた‬
    ‪美しい日本語を隣に置いてるけど、岩波の日本語訳も名訳だと思う‬

    ローデンバック「死都ブリュージュ」
    退廃的で美しい文章に感嘆する。完璧に美しい悪夢。

    死都ブリュージュを読むためだけにフランス社会史文化史経済史都市史をとった澤島。

    電書で出てない古書が多くて頭かかえてる。岩波さんとこの死都ブリュージュきいてますか????

    全然理解出来なかったけど岩波文庫なら濫読したな。ローデンバックの「死都ブリュージュ」とか

    ブリュージュの街並みは世界遺産に登録され、観光客でにぎわっていますが、13世紀以降水運により貿易拠点として栄えたのち、港が土砂堆積で使えなくなり、15世紀から19世紀末まではローデンバックの小説のタイトル通り「死の都」となったのでした。
    でもそれが幸いして古い建物は保存されたわけです。

    死都ブリュージュ(1892)/ローデンバック

    愛する妻と死別した悲しみに暮れブリュージュに来た男が妻と瓜二つの女と出会う。

    男の心象を映し出すような憂愁の街ブリュージュ、フランドル地方の都市の描写が心に残る。
    30数葉の写真も挿入され、ベルギー象徴派の画家クノップフの絵が思い浮かぶ。

    「死都ブリュージュ」死を扱う作品は大抵生についてばかり書いているが、珍しく死を主題にしている。ここでは死は一点ではなく、むしろ無限に近い。

    ブリュージュは、ベルギー国西フランドルの首邑で、英仏海峡から二十四キロメートルの内陸部に現実に存在する都市である。だが、この都市は、一八九二年以来、もはや単に地理学上の一地点であることをやめ、「詩」の中の場所に高められ、独特の暈を負わしめられ、文学のみがよく果す呪縛力によって幻想の王国に不朽の位置を与えられることになった。この年、ジョルジュ・ローデンバックが「フィガロ」誌二月四日号から十四日号までにわたり小説『死都ブリュージュ』を発表したのである(単行本はその四か月後、最初の反響はさほどではなかったが、数年を経ずして、この作品は、フランス語の読者の間に、非常な成功を博することになる)。ブリュージュが中世の昔から、ハンザ同盟諸都市の金融の中心地として、また英国やスカンジナヴィア諸国との交易の要衝として重きを占め、殷賑をきわめ、さらにはブルゴーニュ公らのすぐれた文芸保護者を得て、美術工芸の分野でも旺盛な活動を示したことは周知の通りである。その最絶頂期が十五世紀であり、ルネサンス前派の画家たちのあの輝かしい名、ファン・アイク兄弟、ファン・デル・グース、ハンス・メムリンク、ペトルス・クリストゥス、ヘラルド・ダヴィドなどの名と、その栄光は切り離すことはできない。だが、この眩ゆいばかりの輝きは、一旦は歴史の闇の彼方に没し去ってしまった。ブリュージュの町から「海が遠くへ離れ去って」行くとともに、町の経済的発展は衰え、華やかさにかげりが見え、そして、ついに北海から忍び寄る灰色の霧の中にこの都市の生命の火も消えたと思われた。人の一生と同じで、都市の運命もまた、転変をくりかえす。現実のブリュージュは、今世紀の初め(一九〇七)、ゼーブルッヘに通じる運河の開鑿などによって幾分の活気を取り戻したとも見受けられる。しかし、ひとたびは過去の一時期に確かに燃え立った熱さを、哀惜と共感をこめて追想し、紛らわしい現在のうわべの華やぎに敷かれずに、はっきりとその終焉を、すなわちその「死」を認めること、――このとき、ノスタルジーはいよいよ深く、取り返しのつかぬ切なものとなり、幻のブリュージュは魂の宙天に、呼べど答えぬ、永遠の虚の対象、――それゆえにますます、熱い憧憬の対象となってうかぶ。この奇蹟を、一篇の小説『死都ブリュージュ』がなしとげたのである。

    「ローデンバックがパリに住みながら、つねにその詩の中で故郷フランドルの風物をうたいつづけてきたことは顕著な事実である。かれもまた、プロヴァンスのミストラル同様、「心に郷国を抱きしめて」いたひとりであり、「その姿に似せておのが作品を作ろう」とする人であったことは確かだろう(「ミストラル」)。「私は、蓄財家のように、この眼にたくわえてきた、(……)私の魂だけに、その優しさがわかる風景を……」(「眼の中の旅」)。それにしても、ローデンバックはなぜ、ブリュージュを特にえらんで魂の秘庫からとり出し、あたかもメムリンクの筆づかいのように細密に、入念に、愛情を傾けてその諸情景をきざみあげ、ここまで比類のない「都市の詩」としてうたい上げることができたのだろうか。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    G.ローデンバック「死都ブリュージュ」(窪田般彌訳、岩波文庫)読む。
    尖塔と鐘、水路と石畳の町、ブリュージュ。灰色で憂愁に満ちた町で亡き妻に似た女に出逢った男はやがて……。って、ま、ぶっちゃけると、イカれたおっさんのストーカーぶりと妄執の果てをなまぬるーく鑑賞して、割と面白い。
    #読了

    【死都ブリュージュ (岩波文庫)/G. ローデンバック】灰色の街の灰色の物語。退廃の美学というのがよく分かる。某を書きながら読んでいたこともあり、その影響が良くない形で現れた部分がある。 → bookmeter.com/reviews/980157… #bookmeter

    「ローデンバックの特愛のテーマが「死」であるのなら、ブリュージュがひたすらその適確な象徴に仕立てられて行く経緯は了解できよう。そして、時代の暗色と、現に生きる風土への倦怠と、何より個人の生の有限の自覚がある場所では、「死都ブリュージュ」の魅力から人は逃れられぬといい切ってもいい。」

    —『死都ブリュージュ』ジョルジュ・ローデンバック著

    わが日本においても、この詩人は、『黄昏』を訳した上田敏以来、「『廃都ブルウゼ』のロオデンバッハ」の名で、選ばれた一部の人々の間で格別の熱愛を受けてきた。その中には、だれよりも早くかつ深刻に、この国の精神的不毛に見切りをつけ、すすんで頽唐の生活に沈んだ荷風がいる。また、「かはたれのロウデンバッハ」をうたった白秋以後、西条八十、日夏耿之介、矢野峰人らの詩人たちがいる。三島由紀夫の小説『禁色』(一九五二)にも出てくる。そのほか、福永武彦、高橋たか子など。あやかしを偏愛する者らの系譜というのか。そうではあるまい。地上の生は余りに無残であり、はかなく折れる肉身をまとって此処に日々の吐息を重くつき、せめても言葉の芸術をつむぎ出すことに人たることのあかしを果たそうと思い定めたほどの者なら、ローデンバックの呟きは今も、何よりの心のよるべであり、慰めのうたとなりうるのではあるまいか。私自身は、京都大学の古く暗かった教室で、恩師生島遼一先生の口から、「ローデンバッハの『死都ブリュージュ』」の響きを初めて聞いたとき、心に走ったおののきを忘れることができない。川端康成がうつつの中で綴り上げた、(日本語で書かれた、おそらくは唯一の「都市」を主人公とした小説)『古都』(一九六一)の町は、私自身の生れ故郷であり、もうひとつのブリュージュである。この町(京都)に堆積された過去も当然、私や私たちの愛惜の対象となることはいうまでもないが、ベルギーのブリュージュの旅宿のひとり居のベッドでなんども耳にしたカリヨンの音もまたついに忘れられない。あのカリヨンの音が羽ばたいて消えて行く天の向こう、メムリンクやファン・アイクの描いた天使たちのうた声がそれと和するところも、わが永遠の悲願の当てどである。

  • ・単純に筋だけ追うと大変めめっちいお話。
    しかし情景描写、小道具の使い方、全体を覆う憂愁が凄まじい。
    ・主役は町。
    ・町について語ることが自分について語ることになるという回路の発見。
    ・死にかけた町の中でジャーヌだけが生きている。町は彼女を放ってはおかないだろう。
    ・衰微するものへの哀歌。

  • <amazonからの転記>大学の授業で何年か前に読みました。
    象徴的な意味で、死ぬことなしには永遠という行為が得にくいこと、
    永遠であり続けるには、死に続けるしかないということが感じられます。
    死に続けるとは、時間を止めることなのか。
    無彩色のまち、黒い塔、鳴り響く教会の鐘、死したキリストを賛美する祭り。
    動いているはずのお話の中のまちが、時間を止めるように描かれているのは、
    まちを穏やかに死に続けさせるためなのかと思われます。
    そして死に続けるまちは、ずっとユーグのものとなる。

  • 若くて美しい妻と死別した男やもめのユーグが主人公。ユーグは暗くて静かな世界に身を置きたくて陰鬱な雰囲気漂う古都ブリュージュで暮らしているが、ある日死んだ妻と瓜二つのジャーヌと出会う。

    ユーグは敬虔なキリスト教信者でありながら、ジャーヌのなかに死んだ妻の面影を求めて関係を持ってしまうが、死んだ妻を求めているだけであると言い訳し続ける。

    しかしながら派手なジャーヌとおとなしかった妻とではやはり違っていて、ユーグはその差異に悩まされ始める。悩みながらも、ジャーヌ自身を愛していることにも気付き始め、今度は信仰に反していることとの二重苦に落ちていく。さらに身持ちの悪いジャーヌに夢中になる様子を街の人々に嘲笑われ、長く共に暮らしていた家政婦も出て行ってしまう。

    ジャーヌはユーグのことを愛しておらず、ユーグの遺産目当てに家を物色していて死んだ妻の肖像画や遺体から切り取って大切に保管していた髪の毛を取り上げてユーグをからかっていたところ、ユーグははずみでジャーヌを殺めてしまう。
    ユーグは疲れ果てて椅子に座り、教会の鐘の音が部屋にこだましているところで物語は終わる。

    ユーグの精神世界の描写が最高だった。このどん底感をしっかり書き落とすのはどれほど労力がかかったことか。ユーグとジャーヌのすれ違い、エゴの塊感もたまらなかった。
    ユーグ、家政婦、ブリュージュの住民たちに一切の宗教信仰がなくて、ただ単にユーグがジャーヌを好きになったという設定だったら全然違ったかもしれない。それでいいのかは別として信仰とはなんだろうなあと考えてしまう話でもあった。(この話は宗教なしでは語れないしそこが面白いのだが、だからこそその大前提が違ったらどうなるんだろうなあと考えたという感じ。)

    過去に栄えた寂しい都ブリュージュの様子もとても魅力的だった。鐘の音や教会が物語に重みを与えていてとてもよかった

  • プログレバンド「夢幻」のアルバム『レダと白鳥』で、
    タイトルそのままモチーフにされた「死都ブリュージュ」
    を聴いて以来、気になっていた本をやっと読んでみた。
    そして、バレンタインデーであり
    同時に「ふんどしの日」でもある今日、読了。
    それはさておき(笑)
    愛妻に先立たれて悲嘆にくれ、喪に服す男が、
    ベルギーはブリュージュの街角で妻に瓜二つの女を見出す――
    という、
    19世紀末の作家ローデンバックによる小説。
    敬虔なカトリック信者としてのメンタリティが言動を抑制し、
    そこから生じるストレスが暴発して……といったところでしょうか。
    ともあれ、「男」と「女」と「古い街」の
    三角関係とでも呼びたくなる様相。
    挿絵代わりに鏤められた、
    運河を初めとする当時のブリュージュの風景写真が
    寒々とした雰囲気を一層盛り立てている。
    尚、20世紀に入って
    E.W.コルンゴルトによって翻案され、オペラとして上演されたそうな。

  • ベルギー、ブリュージュ、フランドル……、私にとっては霧に包まれたような不思議な響きだ。ローデンバック(永井荷風によればロオダンバック)という名も(彼の同輩は、メーテルリンク、それともメーテルランク?)。歴史的・文化的にも複雑だから、と説明することもできるけれど、まずもって私には、この『死都ブリュージュ』のイメージが鮮明だから、かもしれない。"BRUGES-LA-MORTE" を『死都ブリュージュ』とするのは間違いだ、と、森茉莉が熱弁をふるっているけれど、私には、これでいい。この物語の主人公は(本書解説にもあるように)ブリュージュという「灰色の都」だから。そのためにも、30葉余の写真が「書割」として必要だったのだから。宿命とか、(本人たちもあずかり知らぬ)深い血のつながりによる恋の物語、どうしてこのように心をとらえて放さないのだろう、私は幾度、この本を開いては溜息とともに閉じただろう。「解説」によれば、荷風は、ロオダンバックとレニエを愛したとのこと、宜なるかな。同じく荷風先生による、掘割の都としての、ヴェネツィア、ブリュージュ、そして島原…、ああ、なるほど。

  • 特に最後の場面、ブリュージュの街とユーグの心境が共鳴していて巧みだった。類似が綺麗。亡き妻とジャーヌも類似という言葉で語られていたし、類似というのが一つのテーマなのかな。

    街を描きだそうとするローデンバックの試みが面白い。この小説は世紀末のフランスで流行り、ベルギー象徴主義の基礎を形作ったものだが、この「街の姿」「街の息遣い」という概念が、当時の作家、芸術家にどれほど影響を与えたのか気になる。

  • 死都ブリュージュ

    著者| ジョルジュ・ローデンバック
    出版| 岩場書店
    発売日| 1988年 3月16日

    「類似は、慣習と新奇さとの地平線である」

    ーーーー

    愛に類似を求めれば破滅する。

    ベルギー旅行に行ったので、ベルギー舞台の本を読みたくて図書館で借りて読んだ。

    最愛の妻をなくした男ユーグが妻、の遺品とともに住むことを選んだ都市、ブリュージュ。そこで、ユーグは妻と容姿も声も瓜二つの踊り子ジャーヌに出会い、関係を進めていくお話。灰色の都ブリュージュの景色が、ユーグ自身の心情(おもに哀しみ)を反映している。というよりは、ユーグ自身が励ましてくれる場所を選んだのではなく。哀しみを思い出させてくれる都市を選び、みごとに死都ブルージュは、哀しみの記憶を薄れさせない。

    ブリュージュに行った身としては、マルクト広場のカラフルな家屋の外壁のイメージと水の都のイメージがあったから、灰色や死都という言葉が似つかわしくないと感じてた。でも、振り返ってみると、誰かときれいで静かな景色を見るのには良いが、確かに一人で暮らすにはすこし、寂しい気もする。景色をマルクト広場以外の家々の色は基本的に灰色ですし、運河の水も綺麗ではなく灰色だった。

    この作品は、類似の力、特に良くない面を如実に表している。類似してると思うから、人は類似元のフィルターを通して、ものを見てしまう。そして、その類似してることは本人にとってプラスの認識であればあるほど、類似していない点が見えた時、 それがマイナスにはたらく。

    愛もそうだ。期待するから、それにそぐわない時に、失望してしまう。愛の類似性は、ときに自分の先入主となり、人との関係構築を妨げるのだ。

  • コルンゴルト作曲のオペラ「死の都」を見て、この原作を知りました。本文中のレトロなモノクロ写真が、物語の幻想性を盛り上げています。

  • 窓辺に吊るした鏡に映る、生と死の輪舞。幾重にも響く鐘の音は、かの面影を夜ごと水面に蘇らせる。

  • ああ!中断することのないこれらのブリュージュの鐘の音、死者たちのために、休みなく大空に聖詩を歌うこの盛大なお勤め!そこからは人生の嫌悪が、いっさい空のはっきりとした意味が、徐々に迫りくる死の告知が、どんなにしみじみと感じられることか……

  • なんか雰囲気が凄い本ですね(笑)挿絵の効果も良かった全体的に灰色な感じの街、病んでしまっている主人公、主人公を魅了する少女と信仰心の篤い使用人、そして悲劇といい流れですね(笑)物語の流れもいいですがやはりこの雰囲気に引き込まれる作品ですね(笑)

  • 試みはおもしろいが、うまくいっているようには思えなかった。

  • [ 内容 ]
    沈黙と憂愁にとざされ、教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都ブリュージュ。
    愛する妻をうしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは、亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった。
    世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギーの詩人・小説家ローデンバック(1855‐98)が、限りない哀惜をこめて描く黄昏の世界。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 悲嘆した金持ちのオッサンが死別した妻に似た女を見かけて・・という三文オペラな小説。正直、なにが佳いのか分からなかった。
    ブリュージュは最も繁栄したのが14世紀から15世紀にかけてであり、静かに衰退している町が、亡き妻と重ね合わさって「死都ブリュージュ」らしい。
    ブリュージュ住民にはすこぶる評判が悪いらしいが、それはもっともだ。

  • 亡き妻への想い、敬虔な宗教心、と息苦しい程の静謐さが支配する作品の中で、ただ一人ジャーヌだけが現状に飽き飽きし侮蔑している。その不協和音が増せば増すほど読者の苛立ちもまさり、主人公との同調を余儀なくされるだけにプツリと音楽が中断されたような終わり方にハッとさせられた。印刷の都合かもしれないがエッチングのような街の挿入写真が良く合っていた。

  • 過去の幻影にとらわれ、亡き妻に似た女性を追うユーグの物語というよりは、作者のはしがきに生きているとおり、ブリュージュという都の物語と意識して読むほうがひろがりがある。ただ、現実のベルギーの都ブリュージュは作者の生前から、「死都」などと形容されることに異議を唱えるような、美しい観光都市である。フェルナン・クノップフに深い感慨を持つ画家として、私はこの作品を読んだ。珠玉の名品。

  • 妻を亡くした男ユーグが出会った妻そっくりな女性ジャーヌ。劇場の踊り子であった彼女を愛人とし郊外の館に住まわせ通う日々。亡き妻の服を彼女に着せたことから変わる世界。彼の行動に批判的な目を向けるブリュージュの人びと。信仰心篤い使用人バルブの存在。母のような目で彼を諭すバルブ。昼食に招いた彼女との間の悲劇。

    市川図書館
     2011年6月10日読了

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