二重人格 (岩波文庫 赤613-2)

  • 岩波書店 (1981年8月17日発売)
3.25
  • (21)
  • (37)
  • (94)
  • (24)
  • (5)
本棚登録 : 930
感想 : 58
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784003261323

みんなの感想まとめ

自己認識と他者との関係に悩む主人公の物語が描かれています。小心者でありながら強い自尊心を持つ彼は、もう一人の自分と出会うことで、真の自分を求める葛藤に直面します。この対立は、彼が本来なりたかった姿を象...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • タイトルからして、ものすごくドストエフスキーな小説。ゴリャートキンは小心者で憶病なんだけれど自尊心が強烈で、自分を認めてもらいたい願望が強いんです。そんな彼の前に自分とは全く正反対の性格をもつ、もうひとりの自分が現れます。きっと、もうひとりの自分こそが彼が本当になりたかった自分だったのでしょう。そんな風になれなかったから憎んだのだと思います。彼はズルくなくて純粋なんです。純粋ゆえに起こす言動がとても痛々しくて心が苦しくなります。

    誰だって人に認められたいという気持ちはあります。でも、自分自身を認められない人を誰が認めてくれますか。私たちは何の因果かわからないけれど今世、自分として生まれてきました。この自分が私の乗り物です。私たちは人の中で生きているから他人の乗り物と比べてしまうことはあるけれど、乗り物を変えることは出来ません。自分からは逃げられないのです。だから「自分」に拘りすぎると苦しくなるのだと思います。誰かのために、何かのために生きているときに「自分」はなくなると思います。私は、本当の自尊心はこの時に生まれるように思うのです。

  • なかなか、しんどい、きびしい内容であった。文章技法、構成の面で。発表当時、酷評されたそうだが、むべなるかな。

    『二重人格』とされているが、実態としては「ドッペルゲンガー」奇譚。
     通例ドッペルゲンガーは、本人の知らぬところでもうひとりの自分が街を歩いていたりする。本人とかち会うことは無い。たしか芥川龍之介『歯車』もそんなイメージだった気がする。
     なのだが、本作では、旧ゴリャートキン氏と新ゴリャートキン氏は対面するばかりか、あたかもがぷりよつに格闘する如しである。ただ、展開のテンポが悪く、文章表現もまわりくどい。読んでいてヘトヘトになる。なので、スラップスティックコメディのように軽快に読み進める楽しさには程遠い。
     ただ、途中で、これはゴリャートキン氏の精神病理、分裂症的な狂気から見た世界なのかも、と思い至る。その読み方にわりきってからは、少々読める気分になった。

  • 嗤う分身も良かった

  • この小説の主人公は内的な自尊心が強いものの、臆病者である。それがある悲劇の原因になるのだ。

    正直この主人公と自分は似ていると思う。

  • ドッペルケンガーとは自分への罠だろうか。

  • 全く知らない人が自分の上位互換ならまだしも、自分の分身が自分の欲するものを全て持っていたらゴリャートキンのように気が狂いそう
    最初はゴリャートキンにドッペルゲンガーが謙って始まったのに、翌日からはゴリャートキンの仕事を盗み、周りに媚びを売り、ゴリャートキンを避け、日に日にその悪意は悪化していくようになった
    最終的に立場は逆転し、ゴリャートキンはどれだけ悪態をつかれようともドッペルゲンガーに媚びを売る

    ゴリャートキンが憎めない、ただ不器用でお調子者もので無能なだけだから、ここまで周りに虐げられるのは見ていられない気持ちになった
    唯一対等に話してくれたのが、自分の召使いである男が別の家に買収され、上下関係が無くなった時のその男だった
    召使い、馭者、自分に優しいお喋りな上司、受付の嬢、などなど目下のものはとことん見下し疎ましく思い傲慢に振る舞い、閣下、ゴリャートキン、攻撃的な上司には敬い慈悲をこうという、ひねくれ者の典型である上下関係に全てを集約させ対等に人と接することができない。が如実にでていた
    さらにその上下関係を決定するのは、ゴリャートキンに対する攻撃性
    医者であろうが上司であろうが、攻撃性のないものは傲慢に内心で見下し、どれだけ地位の低いものであろうが憎むべきものであろうが攻撃性が高いやつは内心で恨み言を吐いたり内心で感動したり、媚びたりする
    寂しさを抱えているのに、絶対に満足できない構造

    内容は名前の連呼や反復表現に、蛇足とも思える内心の吐露、そしてよくわからない感情の機微。
    何故そこで感動する?何故そこで笑う?何故そこで驚く?などなど、多分ロシアと価値観が違うのか、僕に翻訳小説を読む読解力がないのか、読み取れないコミュニケーション多いのもあり、なかなか頭に入ってこず苦しい読書体験だった
    でもすごく重い学術書を読み終えたような、重荷を下ろしたような安堵があった
    地下室の手記は面白かったが、罪と罰を読んだ時同じような気持ちになったことを思い出した
    多分いつかカラマーゾフの兄弟と今積読してる貧しき人々を読んで、同じ後悔とある種の喜びを手にすることになるだろうな

  • 同じ文読んだ?みたいな反復があったり、
    1つ1つのワードにこれでもかと言葉がくっついててなかなか苦戦。慣れる前に読了。

    それでももう1人の自分に出会う章は空気が変わってめちゃくちゃ面白い。

  • ドストエフスキー初読。

    小心者でありながら実は能力があると妄想し、出世できないのは「敵のせい」という考えの小物の役人。誰しも自分と重なる部分があるのではないかと思ってしまう。

    挙句理想と現実の解離により精神が分裂してしまう⋯ような話なのだろうが、現実で起きていることと妄想の境が全くわからなくなりついていけなくなった。

    最近ついていけない本ばかり、ちょっと凹む。

  • 気は小さいがそれなりに自尊心もあって計算たかいくせにお人好しな主人公の物語。自分の中にもこういう人がいそう。延々と語られる主人公の苦境と空回りに辛くなりながらも目が離せない。ドストエフスキーの初期の作品で酷評されたらしいがこの内容で最後まで読ませる物語の持つパワーはさすがと思った。

  • 読んでいて苦しくなる。自分がこうなってた世界線全然あったなと思うと恐ろしい

  • 主人公の心情が、自分と似過ぎていて衝撃的でした。都会に疲れた小心者の、痛々しい心理がまざまざと描出されています。自分に自信がない人は、共感できる部分があるかもしれません。

  • 初期の作品(2作目)とのことで、テーマや展開も単純。後の長編群であればその中の1エピソードとして描かれるような内容で、今から見れば習作のように感じます。まあ、珍しいものを読んだなというところでしょうか。

  • 個人的には私はこの作品が大好きです。 初めて読んだ時は新ゴリャートキンの存在に混乱してしまいましたが、もう一度じっくり読んでいくと主人公の旧ゴリャートキンにとても感情移入してしまいました。 彼はたしかに不器用で世渡り下手で卑屈な言動を繰り返すのですが、世渡り上手なイケてる人間にはない魅力が彼にはあるのです。 私はそうした旧ゴリャートキンに共感を覚えます。 『二重人格』は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった長編作品とはまた違った魅力がいっぱいの作品です。

  • 結末が予想外な上に、読んでいるときもなかなか胸糞が悪くなるほど怖かったので、ホラー小説感覚で読んでいました。

  • ドストエフスキーは自信満々だった作品らしいが、当時世間からは酷評だったらしく…。
    あらすじをみた感じすごく面白そうな話だなと思って読み始めて、最初の方はまだ動きもあるしわかりやすいから楽しく読めてたけど、途中からはそりゃ酷評だったろうな…という気持ちになってくる。

    あまりにも冗長で反復的。
    ドストエフスキーはそういう作風ではあるとおもうけど、これは特にそうで、その上反復する内容が無意味で支離滅裂なことばかりなのでしんどくなってくる。
    あとゴリャートキンは読点感覚で相手の名前を連呼してくるので、台詞の半分近くが相手の名前になっちゃってることもあり、そこもうっとおしく感じた。

    新ゴリャートキン氏は、最初は実在してるとおもって読んでいたけど、あれ?幻覚か?と思わせる部分もあり、解説でも『完全な精神錯乱を起こし、ついに幻覚が現れるようになる。』と書いてあるからやはり幻覚なのかな?
    自分には敵がいると思い込んだり、呼ばれてもいないパーティーに参加して醜態をさらしたり、初っ端から精神になにか異常をきたしている気配はあった。
    どこまでが現実でどこからが幻覚だったのかわからないのでもう一度読みたいけど、いま読み返す気力はないのでまたいつかあらためて読んでみたい。

    テーマ自体は好きな部類なので、冗長さをもっと減らしてこざっぱりとした短編にしていたら、もしかしたらもっと楽しく読めたのかもしれない。

  • 最後の解説を読むまで、ゴリャートフの妄想だと気づきませんでした…

  • ドストエフスキー作品の中でも読みづらさでは上位にくるように感じた。中々入り込めない上に主人公も好きになれなかった。

  • 小心な下級官僚の主人公が、官庁、住む都市から、思わぬ圧迫感を受け、自分の分身を幻覚に見るようになる。病なのでやむを得ないところもあるやに感じるが、環境が違えば救済が得られたかは不明である。ドストエフスキーの「貧しき人々」に次ぐ第2作とのこと。著者として自信作だったらしいが、あまり知られていない。2020.8.26

  • ドストエフスキーの第2作目。
    1846年。作者25歳の時。

    内容からすると、「二重人格」よりも「分身」の方がぴったり。
    ドイツ語に直すとドッペルゲンガーだそうだし。

    ゴーゴリ風の文体で書かれた作品という訳者の説明だが、前半はとくにそうなのだろうが、後半になると、主人公のモノローグに近くなり、不安と葛藤と焦燥にかられて暗鬱なペテルブルグを彷徨う主人公ゴリャートキンの内面描写は、後年の「罪と罰」のラスコーリニコフを思い起こさせる。

    だが、デビュー作の「貧しき人々」の大好評に反して、この作品はさんざんな評価だったらしい。

    ドストエフスキーは終生この作品を気に入っていたというから、もともとこういう病的な心理描写が好きでもあり、余人には真似できないという自負もあったのだろう。ドストエフスキーの魅力の一つである支離滅裂にのたうちまわる内面を描写する手法を、ここで発見したということもあるのかもしれない。

    もちろん、作者も主人公も、まだ深淵に、地下に降りておらず、たんに地上を駆け回っているだけという感じ。
    発表当時、冗長という批判があったそうだが、そのせいもあるだろう。

    その一方で、すでにゴーゴリ的世界を抜け出て、現在の都市生活者の不安と幻想を持つゴリャートキンの心理的リアリティを、当時の感覚ではまだ理解できなかったということもあるのではないか。

全49件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

小沼文彦の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×