- Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003264515
作品紹介・あらすじ
20世紀ソヴィエト文学の「異端者」ザミャーチンの代表作。ロシアの政治体制がこのまま進行し、西欧の科学技術がこれに加わったらどうなるか、という未来図絵を描いてみせたアンチ・ユートピア小説。1920年代初期の作だが、最も悪質な反ソ宣伝の書として長く文学史から抹殺され、ペレストロイカ後に初めて本国でも公刊された。
感想・レビュー・書評
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1920年代中頃のディストピア小説。壁で隔絶された世界観や、巨人アトラスの名が出てきたりと、もしかしたら『進撃の巨人』に少なからず影響を与えたかも知れないと感じました。
話しは、単一国なる統一国家が、野蛮な外界とを「緑の壁」によって隔絶した世界。そこでは「恩人」の名の下に、「守護者」に監視された「員数成員」たちが、「時間律法表」によって分刻みに管理されている。もちろん、自由も個性も除去され、恋愛や出産も単一国の管理下にあり、名前は男性は子音、女性は母音で始まるナンバーで呼ばれ、建物は総ガラス張り。プライバシーは、夕方と夜1時間ずつ、ブラインドを下ろすことができるのみ。
この『われら』は、宇宙船インテグラルの制作担当官であるD-503号の独白形式の覚え書きによって語られていきます。最初は、単一国の素晴らしさを宇宙船で広めていく使命に駆られていたのが、ある女性I-330号と出会うことで、徐々に狂っていきます…
狂っていくと書きましたが、現代の私達の感覚では、まともになっていくと表現した方があっているでしょう。この小説が、ソビエト政府に発禁にされたのもわかる気がします。
この小説、人物の容姿の例えが独特なので、ちょっと読みづらいところもありますが、監視社会のなんたるかを感じ取る事ができて、総じて良かったと思いました。
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3.82/409
『ザミャーチン(1884―1937)の代表作で,1920代初期の作.ロシアの政治体制がこのまま進行し,西欧のテクノロジーがこれに加わったらどうなるかという未来図絵を描いてみせた,アンチ・ユートピア小説である.最も悪質な反ソ宣伝の書とされ,長く文学史から抹殺されてきたが,1988年に初めて本国でも公刊された.』(「岩波書店」サイトより▽)
https://www.iwanami.co.jp/book/b248310.html
原書名:『Мы』
著者:ザミャーチン (Евгений И. Замятин)
訳者:川端 香男里
出版社 : 岩波書店
文庫 : 371ページ -
「へりくだりや温順が徳行であって、高慢が悪徳であるということ、《われら》は神に、《われ》は悪魔に由来するものだ」(193頁)
1920年代のロシアで書かれたディストピア小説。
科学技術と結びついた全体主義の行き着く先を描く。
そのため、その後ソ連で禁書とされた。
SF小説としての面白さよりも、資料的な価値の方が重要かも。 -
原書名:Мы(Замятин,Евгений И.)
著者:エヴゲーニイ・ザミャーチン、1884ロシア-1937、作家、ペテルブルク理工科大学卒
訳者:川端香男里、1933東京生、ロシア文学者、東京大学教養学部教養学科→同大学院→パリ大学、東京大学文学部名誉教授 -
古典
SF -
P193
<われら>は神に、<われ>は悪魔に由来するものだということである。
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その最初のディストピアを描いた小説として、ザミャーチンの「われら」が紹介されていました。
古いディストピア小説で、当時のソヴィエト連邦を批判したとして、長らく発禁処分になっていたとか。
内容は以下の通り、ネタバレに注意。
<要約>
無謬の独裁者、「恩人」によって支配された「単一国家」。そこでは「緑の壁」で野蛮な外界と隔離され、人々は決められた「時間律法表」に則って生活していた。
「単一国」は、「理性」が国是であり、それをかき乱す「想像力」や「魂」は忌むべき疾患として、治療の対象となっていた。
そこで科学の粋を集めたロケット、「インテグラル」が作られていた。
その設計士である「私 D-503号」は模範的な構成員(ナンバー)だった。
そこでは、恋愛も「ピンク・クーポン」と呼ばれるシステムで管理され、お互いの申請によりそういう時間はもてるけれど、個人の「専横」は認めらておらず、そのクーポンなしでの「交渉」はあり得ない。
しかし、「D-503号」はある女性、「I」と出会う。
たばこや酒など、禁止されているものを嗜む放埓な彼女に、どうしようもなく惹かれる「D-503号」。彼女が単一国に対する反逆を画策しているのを知っても止めることはできなかった。
しかし、彼女との出会いと逢瀬を契機に「想像力」や「魂」等忌むべき病に彼は侵され始めた。
「治療を望む私」と「破滅を望む自分」の間で苦悩する「D-503号」。
結局、彼は「単一国」への忠誠を選び、「I」を告発する。
そして、彼女は死刑台の露と消えた。
で、読んだ途端、
「これ、『1984』じゃん(゚∀゚;)!!!」 -
反ソビエトの本と言われているが、直接の反論でないので少しわかりにくい。
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今まで読んだディストピア物は、異なる場所から箱庭の中を覗いているような間隔、距離感だった。
この作品は主人公の1人語りが続き、人としての悦びがない分、絶望を感じる心が育ってないという感じが出ていて、怖い。
魚が釣り上げられ、呼吸ができなくなるまで必死にバタバタもがく。そういう情景が浮かびました。最後も希望がなく、なんというのかそこがまたリアルですね。
今まで読んだディストピアの中でも群を抜いて地味だと思います。そして強く感情移入でき、後引く読書だったと思います。 -
独裁体制によって奪われた個人の自由と、普通の意味における人間性。社会が全体主義によって支配エれると、こうなるのだろうなと思い、少し背筋が寒くなる。
この小説は、書かれた当時のロシアを参考に書き続けられたものだという。
「われら」という言葉は、同じ思想を持った、画一化された国民達である。今の日本で考えれば、例えば「ミギ」「ヒダリ」とに分かれ、それぞれの「われら」がいる状態。一つあるだけで充分なのに二つもあると、ただ社会扮断するだけで、何も産みださない不毛な状態だ。今こそ、日本人はこの本を読むべきかも・・・