- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003270967
作品紹介・あらすじ
ぼくの叔父さんテッラルバのメダルド子爵は、トルコ軍の大砲の前に、剣を抜いて立ちはだかり、左右まっぷたつに吹き飛ばされた。奇跡的に助かった子爵の右半身と左半身はそれぞれ極端な"悪"と"善"となって故郷に帰り、幸せに暮らす人びとの生活をひっくりかえす-。イタリアの国民的作家カルヴィーノによる、傑作メルヘン。
感想・レビュー・書評
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読めば読むほど味わい深い。
そして訳者も語っているが、お話としてとても面白い。
主な舞台はテッラルバ(訳者解説によると架空の地名であるとのこと)。
主人公「ぼく」の叔父さんメダルド子爵はトルコ人との戦争に赴き、戦場で大砲に撃たれてまっぷたつになってしまう。
奇跡的に助かり右半分の身体となって故郷に帰ってきた子爵は、とても悪い人間になっていて、何かにつけて悪いことをし、領民たちをたくさん絞首刑にして殺してしまう…いまやテッラルバは、まっぷたつの子爵により恐怖政治が行なわれるようになってしまったのだ…
最初の戦争の描写は異様なほどに生々しい反面、まっぷたつの子爵が半身のまま帰ってくる話やテッラルバの住民たちのエピソードなど、実に寓話的…メルヘンな話である。
しかし寓話的である分、子爵を始めとした数々の登場人物の発言や行動にさまざまな意図が含まれているようで、一度読んだだけでは咀嚼しきれない。
まず、この作品の語り部が子爵や第三者でなく、子爵の甥の「ぼく」であること。
そして平和の象徴たる子爵の父親が死んでから、悪い半分の子爵が帰ってくる様は、まるで子爵が戦争を平和な故郷に丸ごと持ち込んだかのようである。
また悪い右半身の子爵が統治する一方、なんとこれまた奇跡的に左半身の子爵が帰ってきた。
こちらの子爵はとても善い子爵であり、彼の帰還以降、右半身を悪半、左半身を善半と民たちは呼ぶようになる。
しかしまあ善半もそれはそれで随分極端で……
善と悪について、深く考えさせられる話だ。
またどうして子爵は善と悪両極端な2つの存在にならなければならなかったのか、なども。
(ところで気になるのが、よく左の方が不浄とされるイメージがあるのだが(私だけ?)、この作品では右が悪、左が善となっている。ここがなぜなのかもとても気になる。)
うん、語れば語るほど切りがない。
半身同士の決闘シーンは見応えがある。
その描写にもまた深いメッセージが込められており、熟考したいところだ。
そしてなにより、最後の一文で鳥肌がたった。
この一文で締め括るのか、と。
この物語はここに行き着くのか、と。
ぜひ読んでほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦争できっかり半分の体になってしまった子爵。
左半分は良い心、右半分は悪い心を持っていて、さあ半分たちはどんな世界を見るのかな?
とか言って児童書でも行けますみたいな顔して近づいてくるくせに、随所でめちゃくちゃ哲学ぶちこんでくる。カルヴィーノはお薬甘くして飲ませるタイプだ、大好き!
読みやすくてめちゃくちゃ面白くって心にも残るし考え続けてしまう上に考えるって楽しい!という気持ちになる。
ぜひ小中学校の道徳に、高校の倫理に、大学の哲学に題材として使われてほしい。
カルヴィーノ推しすぎてマッチングアプリに推してるって書いてる。でも誰も触れてくれない。カルヴィーノはいいぞ。未読の方はぜひこちらの子爵から! -
トルコとの戦争で砲弾を受け、体が半分になってしまった若きメダルド子爵。右半分だけになってなんとか生還した彼は、かつてとは別人のように邪悪な人間になっていた。罪なき人々を拷問・虐殺し、最後まで自分を心配してくれていた乳母ですら迫害、甥である少年(彼が語り手)の命も何度も奪おうとする。しかしある日、戦場で失われたと思っていた左側の善良な半分が帰還し・・・。
縦に半分になってしまった人間が実際に生きていられるわけではないのであくまで基本は童話的ファンタジー。表面的なあらすじだけ追えば子供でも楽しめる内容なのだけど、いくらでも深読み、いろんな解釈をできるのがすごい。
序盤、戦争の描写は結構残酷だし、なぜ戦場に鳥がいるのかという理由も怖い。子爵の父親はあるきっかけで鳥籠の中で暮らすようになってしまったこれまた一種の奇人。同じくカルヴィーノの「木のぼり男爵」もそうだったけど、一見キテレツファンタジー設定のようでいて、少し見方を変えればグロテスクでもある。
隔離されていながら堕落したユートピアのようでもある瀬患者たちの暮らす場所、異端迫害から逃げてきたもののすでに祈るべき神を持たないユグノー教徒たち等の存在も象徴的。
半分になった子爵はもとより、他の登場人物も個性的で楽しい。語り手の少年が師匠のように慕う医者だけど胡散臭い研究ばかりしてるトレロニー博士、まるで大阪のオカンのように愛情深くも小言の多い乳母セバスティアーナ、そして半分の子爵の両方に恋される少女パメーラと、彼女がいつも連れている山羊とあひるも可愛い。
善良なほうの半分は、そのような身となったことで、不完全であることのつらさを知り、すべての欠如した存在に対する連帯感をおぼえるようになったとパメーラに語る。プラトンの饗宴では、かつて人間には四本の手と四本の足と二つの顔があり完全な球体だったが、神の怒りを買いまっぷたつにされた、だから人間はその引き裂かれた半分を探し求めているのだという挿話が出てきますが、半分の子爵の言い分と通ずるものがあるかも。 -
これは面白い!単なる「メルヘン」とはまとめられない面白さがある。
「完全なものはなんでも半分になるのだ」
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「美も、知恵も、正義も、みな断片でしか存在しない」 -
一言でいうならば大人のための童話,かな.
童話と言ってもほのぼのとしたものではない.冒頭の子爵が戦場に向かう描写は,悲惨な戦争が描かれ,話がどちらへいくのか分からなかったが,大砲で吹っ飛ばされて半分になった子爵が帰還し,残虐な行為を続ける中,羊飼いの娘を見初めたあたりから,話は思わぬ方へ進み出す.
色々な解釈ができそうだ.特にラスト付近,子爵が「敵」と戦う場面は象徴的. -
メルヘンたるメルヘン!笑えるほどブラック。まさに一息で読めてしまう。意味深な言葉に逐一引っかからずにいられない。確実に記憶に残る一冊。
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善と悪の部分がまっぷたつに。面白いです。イタリア文学久々にはまり中。
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冒頭の戦場の描写が陰鬱で表紙の『傑作メルヘン』の言葉を疑ったのですが子爵の帰還後は確かにメルヘンでした。
右半身に悪が凝り固まり、左半身には善が。善も度を超すと疎ましがられる様子は皮肉だけれど事実だし、悪意を持った子爵の半身の言葉も色々と深い。
様々な解釈ができそうな大人のメルヘンでした。 -
1971年、1997年に晶文社より刊行された単行本を文庫化。
『メルヘン』ではあるのだが、なかなか『黒い』。その『黒さ』がカルヴィーノの魅力のひとつでもある。
一見すると子供でも楽しめそうではあるが、大人が読むとけっこう刺さるんじゃないかなぁ。