無関心な人びと〈上〉 (岩波文庫)

制作 : 河島 英昭 
  • 岩波書店 (1991年10月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003271315

作品紹介

20世紀を代表する作家モラーヴィアの処女作。主人公の青年ミケーレは、自分をとりまく現実と自分とのずれを意識している。が、あらゆる行為に情熱が持てず、周囲に対して徹底した無関心におちこんでゆく。ローマの中産階級の退廃と、苦悩する若者を描いたこの作品は、当時のファッショ政権から発禁処分をうけた。

無関心な人びと〈上〉 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • イタリアの作家モラーヴィア(1907-1990)の処女小説、1929年の作。

    作中を一貫して流れる倦怠の腫れぼったいような重苦しさ。ミケーレの倦怠は、無関心は、どこから来るのだろう。有産階級の爛れた頽廃、そこにあるのはただ二つ。実も蓋も無い即物的な慾望(金銭慾、肉慾、虚栄心・・・)と、その剥き出しの俗物性の外面を取り繕いながら同時に当の慾望を充足させるべく費やされる膨大な欺瞞の分厚い堆積(虚偽、虚飾、手練手管、駆け引き、騙し合い・・・)。ただこの二つで以て、生活と社会関係の全てが塗り込められてしまっている。そこには、それ自体として意味を持ち得る自律的な内実が、一切欠けている。内実の重みが無い。即物的な欲望との関係に於いてのみその意味を獲得し得る、即物的な目的合理性に奉仕する手段としてのみその価値を獲得し得る、相対的で空虚な駄弁と身振りの喧騒しか無い。

    自己の慾望の渇きを満たすべく他者を瞞着しようと、俗物どもは仮面を被る。しかしここで仮面と云ってしまえば、恰もその仮面によって隠蔽されている大仰な内面があることを前提としているかのようではないか。しかしその仮面の下に在るのは、ただただ即物的な欲望だけ、それは内面と呼ぶに値する代物ではない。内面というものは無い、仮面の下に在るのはただ虚無のみだ。何も無いところに仮面を被って、さもそこに内面があるかのような振りをするだけ、さもそこに誠実があるかのような振りをするだけ。もはや隠すべき内面をもたずに仮面だけをつけた無数の虚無が、内面の誠実から切り離されて、自動機械のように蠢き交渉し合う――これはまさに現代云うところのコミュニケーションなるものの実相ではないか。

    よって、もしここに内省的な人間がいたならば、その内省する内面が外部世界と関係を築き得る余地は無い。他者との関係を築く上で、内面が存在する意味がないから。しかし内面は自省する、自分はこの世界で何者であるのか、と。自らをも対象として反省するのが内面というものである。しかしこの生活に、内面の誠実に共鳴する余地は無い。即物的な欲望とそれを包装する欺瞞だけで塗り込められたこの生活の一体何処に、自己の内面を吊り支える理念がその存在を許されよう、自己の誠実を託すことができる信念を見つけられよう。内省する内面にとって、この世界は、そこにいる他者は、関心を寄せることができない物体に等しい。内面にとってこの世界が無であるように、世界にとってもこの内面は無である。この状況下で自分の生活を切り拓いていく「強さ」が、この主人公には無い。ここにミケーレの無関心と孤独が、空転するしかない自己反省の無限遂行が、発する。

    この弱くて透明な精神の行き着く先は何処だろうか。虚無に窒息して自殺するか発狂するか。自己欺瞞によって卑小な生活に自らを抹消していくか。苦悩に居直り、虚偽を自覚した上で誠実の振りを遂行する偽善者になり果てるか。或いは・・・。

    内面を世界に根付かせることができずに行き場も無く浮遊し、ついにこの世界の中で何者かとして場所を占めることができない、自己の存在証明が世界によって裏打ちされない、そんな不定態の実存の苦悩を描いた傑作。

    □長い引用

    その日も、雑踏のなかを歩きながら、足もとの歩道に無数の足が往き交い、ぬかるみの泥を跳ねとばして行くのを、見るともなく見ていると、突然、自分の行為の空しさに襲われた。《この夥しい人波は、みな、どこへ行くのだろう? 何をしたいのだろう? はっきりとした目的を持っているのだろうか? もちろん、だからこそ、申し合わせたように急いでいるのだ、気を揉んでいるのだ。悲しそうなのもいれば、嬉しそうなのもいる。とにかく、みなが生き生きしている、ところが、ぼくは……ぼくは、それに引き換え……何の目的も持っていない……歩いていなければすわっている……ただそれだけのことだ。どちらにしても、ぼくにとっては同じように無意味なのだ》彼は地面から目を離さなかった。目の前の泥を踏みつけて行く無数の足、それらの足には、たしかに、一種の安堵が、また自信が感じられる。それが、彼にはないのだ。じっと目を凝らしていると、おのれに対する嫌悪が、胸もとに込み上げてきた。そして彼は、例の、落ち着きない、無関心なミケーレに戻っていた。目の前に延びていく雨に濡れた街路は、彼の人生そのままの姿だった。冷えきって情熱の影すらも、そこには映っていない。不信に満ちた瞳をあげて、彼は空しく明滅するネオンを見た。《いつまで生きつづけるのだろう?》天を仰ぐと、黒ぐろとした高みに、広告塔が二つ、ぐるぐる回っている。一つは歯磨きの宣伝で、もう一つは靴ずみの広告だった。ふたたび視線を落とした。無数の足の群れが相変わらず忙しげに動いて行く、踏みつけられては泥水が跳ねあがる、群衆はひた歩きに歩いていく。《だが、ぼくは、どこへ行くのだろう?》彼は我と我身に問い返した。指を入れて、襟首のカラーをゆるめた。《ぼくは、いったい、何なのだ? なぜ走らないのだ? この人たちといっしょになって、なぜ急がないのだ? なぜ素朴な本能的な人間になろうとしないのだ? なぜ持って行き場もない不信感ばかり抱えているのだ?》苦悩が彼の上に伸し掛かってきた。通りすがりの人びとのコートの襟を、手当たりしだいに摑まえて、きみはどこへ行くのか、なぜそんなに急いでいるのか、と問い質してみたい衝動に駆られた。どんな目的でもよい、たとえ偽りのものであっても、目的を持ちたかった。これらの自信ありげな人びとの流れのなかを、自分だけが、目的を持たずに、通りから通りへと、当てもなく泥水を跳ねあげて行くのは、もう堪えられなかった。《ぼくは、いったい、どこへ行くのだろう?》太古の時代には、人間にも生まれてから死ぬまでの足取りがみなわかっていたかもしれない。が、現代では、そうはいかない。頭を袋のなかに突っ込んだみたいに、あたりは一寸先も見えぬ闇だ、目はあっても見えない。が、それでも、どこかへ行かねばならない。どこへ? 家へ帰ろうか、とミケーレは思った。

  • 執筆当時のモラーヴィアから見た大人世代の登場人物たちが、極端に抑制も倫理もない唾棄すべき存在として描かれていて、うむ、モラーヴィアくんどうした、という気持ち。その一方で、同世代の姉弟は痛ましい。あの母親じゃなあ、と思いつつ、健やかな自己肯定力を育むにはいったいどうしたらいいんだろう、とぼんやりした。自分は幸せになる権利がある、と信じる気持ちを持つには。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    20世紀を代表する作家モラーヴィアの処女作。
    主人公の青年ミケーレは、自分をとりまく現実と自分とのずれを意識している。
    が、あらゆる行為に情熱が持てず、周囲に対して徹底した無関心におちこんでゆく。

    ローマの中産階級の退廃と、苦悩する若者を描いたこの作品は、当時のファッショ政権から発禁処分をうけた。

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