故郷 (岩波文庫 赤 714-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003271414

作品紹介・あらすじ

流刑地のイタリア南端の僻村から釈放されたばかりであったパヴェーゼにとって、また当時のすべての知識人にとって、おそらく最も深刻な事件はスペイン戦争だっただろう。ヴィットリーニの『シチリアでの会話』とならぶネオレアリズモ文学の原点。

感想・レビュー・書評

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  • 文庫で200ページ、すらすら読めてしまうのだが、理解することはできなかった。なので、『パヴェーゼ文学全集』の解説も読んでみた。(訳者は同じく、河島英昭さん。)


    ○ネオレアリズモについて
    《神話》〜『マラヴォリ家の人びと』 ー 『シチリアでの会話』『故郷』 ー 『蜘蛛の巣の小径』〜《民話》
    ・責務の文学である
    ・叙事・叙情の手法を基盤にしている
    ・ヴェルガの文学を承け継ぎ、ヴェリズモの延長上に新しいリアリズムを打ち立てようとしていること
    ・それまで未知であったアメリカ文学の影響を受けていること

    「故郷」について
    ・〈都会〉から〈田舎〉への、さらに言えば〈文明〉から〈原初〉への回帰の物語

    ・〈原初の罪〉
     アベルとカインの〈兄弟殺し〉を基にして書かれたタリーノとジゼッラの〈兄妹姦淫〉の物語
    →キリスト教世界観ではなく、神話の世界へ

    ・「やつらはみなぐるなのだ」
     タリーノ一家は〈原初の罪〉に発する現代の罪をも、彼らの日常性のうちに隠蔽してしまおうとする。
    →《おまえの故郷》のすべては、白日のもとに曝けだされる。
     しかし、その無の視線が、ひとすじの光のような温もりに濡れている



    隠蔽というのがキーワードなのか?キリスト教世界観からの脱出?断罪はしない?
    わたしには難しくて、途方に暮れてしまうのだが、パヴェーゼの文章は美しいとおもう。詩も読んでみたい。あと、読んでいる間、ぼんやりと大江健三郎の『万延元年のフットボール 』を思い出した。


  • え!あんな凶行に及ぶ必要あった!?

  •  主人公「僕」が、粗野な青年・タリーノ(放火の嫌疑)と共に警察管理から放たれ、タリーノの父親・ヴィンヴェッラ老人の麦扱きの仕事を手伝う、3日間の出来事が主な場面である。
     「僕」はタリーノの妹のうち、ただ一人上品な、ジゼッラと親しくなる。しかしタリーノが諍いでジゼッラを、三つ又で殺してしまい、終幕となる。
     固陋な田舎を描き、イタリアの文学運動、ネオ・レアリズモの出発とされる。
     僕も田舎在住だから、田舎の貧しさと固陋さは、わかるつもりである。また多くの人が、田舎住まいか田舎出身で、思い当たる所はあるだろう。
     「流刑」でもそうだったが、すぐ主人公が色恋に染まるのは、なぜだろう。1時の村上春樹みたいだ。

  • どこか馴染みがある様な、けど決して哀愁を感じる程ではない文体が終始印象に残っているのだが、解説を読んで納得。訳者自信も辛苦しつつ訳された文章はネオレアリズモ文学の源流に位置するものであり、それは意識的に文学以前の地を再興しようとする、時代に対する抵抗運動だったのだ。パヴェーゼの描く北イタリアの田舎は連帯と裏切りが心地悪げに共存し、性と暴力の強迫観念は風景と同化することで欲動を喚起するが、蟋蟀の鳴き声は内省と叙情を呼び戻す。最後まで残るこの居心地の悪さというのは、この地が私の故郷ではない「故郷」が故なのか。

  • 現代イタリア文学の香り
    1941年に出版されたこの『故郷』は、いわゆる「ネオレアリズモ文学の原点」(カバー裏の言葉より)らしい。私は文学専攻でもなく、もちろんネオレアリズモという言葉は初めて聞いた。解説によると、定義は次のようなものらしい。

    第一に、『責務』の文学であること。第二に、1941年、ほぼ同時に発表された二つの長篇、パヴェーゼの『故郷』とヴィットリーニの『シチリアでの会話』を出発点とし、叙事・叙情の手法を基盤にしていること。第三に、ヴェルガの文学を受け継ぎ、ヴェリズモの延長上に新しいリアリズムを打ち立てようとしていること。第四に、それまで未知であったアメリカ文学の影響を受けていること。
    第一と第三はよくわからないが、第四はなんとなくわかる気がする。

    刑務所で知り合い、同時に釈放された2人の若者、ベルトとタリーノが、タリーノの故郷の農村へ一緒に行くことになる。ベルトが主人公なのだが、機械工であるということと、真面目ではない人間ということぐらいしか明かされず、謎めいた人物。刑務所のある都会トリノから汽車に乗ってタリーノの実家である農園へ行く間のいくつかの出来事、農家でのタリーノの家族である男女との出会い、壮絶なラストまで、ストーリーがとてもおもしろかった。翻訳の文章もよかった。



  • 松島などを舞台とした作品です。

  •  ネオ・レアリズモという、今では必要としている人がいるのかどうかわからない文学運動の源流に位置付けられる作品。
     わたしにとって、パヴェーゼはイタリア文学の中では苦手な部類に入る作家で、どうもリズムがあわなくてもどかしい思いをすることも多いのだが、今回は中篇といってよい長さなので、それほど苦にならずに読めた。


     トリノ出身の機械工である「ぼく」と、農村の人々とのディスコミュニケーションはやや図式的かなぁ。しかし、ディスコミュニケーションであるにもかかわらず「ぼく」と農民たちがかかわらざるを得ないのは、村にも脱穀機を動かせる技術のあるものが必要だからである。
     機械の導入によって、農村と都市が否応ない関係を結ばざるを得ない状況になると同時に、農村内部における権力関係も変化をこうむることになるだろう。

     イタリアの農村における潜在的な暴力的雰囲気や、愚鈍さを装った狡猾さ、外来者に重要な事実を隠し続ける閉鎖性などの描写には、そこで採れる農作物のみずみずしさとは対照的に息苦しいものがある。

     刊行時の1941年の時点で、都市と農村との対立について、パヴェーゼは相互理解の展望を打ち出すことができず、これがパルチザン運動によって克服されたかというのはまた別の話になるわけだが。

     岩波は何をおもったか、ここに来てイタリア文学、とくにパヴェーゼやヴィットリーニといった作家たちを文庫に入れ始めた。もう少し軽めの作家たちは光文社の古典新訳文庫が担当。誰が得をしているのかさっぱりわからないが、蛮勇を評価。
     あとは国書刊行会による、カルヴィーノの初期短編集を待ちたい。いや待ちたくない、これはもう早く読みたいんだってば。

  • アンチファシズムで捕らえられた主人公が牢から出て、
    同じ受刑者仲間の故郷へ連れて行かれ、
    壮絶なラストを見る「故郷」
    受刑者仲間とその家族、特に美しい妹をめぐる不安定な関係は
    最期に血なまぐさい事件で崩れる。
    どちらにも共通するのは、主人公の醒めた目と観察者としての態度。
    「月とかがり火」はそれでも足の不自由な少年の将来のため友人に働きかけるが、
    「故郷」では悲劇をふせぐことはできない。
    悲劇をここまで淡々と書く作者は、さぞ感受性が鋭く、
    さらにそれを自分の中で冷静に論理的に分析できた人だろうと思う。
    人の心の醜さ、欲、そういったものを嫌うが、
    目をそむけず生きてきたのではないかと思わせる。

  • 「故郷」とは一体なんなのか?その定義は?イタリア文学はじめて読んだけど、ネオレアリズモ文学の原点だとか。終始曖昧な文体で書かれています。というのもこの本を書かれた時代が時代だし、まだファシズム下にあったから。言論の自由もあんまりなかったみたいですね。断定した表現があまりなく仄めかすような文章なのでわかりにくいですが、頑張って読めばわかります。主人公ベルトはタリーノをよく思ってないのだけどその妹ジゼッラに好意を持ってしまい、その間に段々色んなことがわかってくる、っていう話です。どちらにしろわかりやすい話ではないです。
    帯の解説はどう関係があるのだろう?スペイン戦争の話はなんにもでてきません。

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