美しい夏 (岩波文庫 赤714-2)

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  • 岩波書店 (2006年10月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784003271421

みんなの感想まとめ

青春の一瞬を切り取った物語が描かれています。都会での生活を送る16歳のジーニアと19歳のアメーリアが、若さと恋の葛藤を抱えながら過ごす夏の日々は、カラッとした筆致でありながらも、内に秘めた気怠さを感じ...

感想・レビュー・書評

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  • 終始女性の扱いが酷くて、合わなかった。あらゆることも過ぎてしまえば「美しい夏」なのかもしれない。冒頭の一文が一番良かった。

  • ツイッターで三秋縋さんが紹介されていて気になって買った本シリーズ。三秋縋さんの感性に絶対の信頼を寄せているので、何を読んでいるのか分かるや否や躊躇なく飛びついちゃう。
    大嫌いな夏を乗り切るためには、こんな風に夏を乗り切るための小説を山ほど用意するに限るのだ。

    「あのころはいつもお祭りだった。」
    都会で働く16歳のジーニアと、19歳のアメーリア。子供ではない。でもまだ大人でもない。青春の途上で若さと熱を持て余した2人の女のひと夏のストーリーが、カラッとした筆致ながらもじっとりと気怠く書かれている。
    画家の前でヌードモデルをするか、しないか。なんだかその経験がこの小説での重要なキーワードの一つになっているような気がする。
    「色は太陽からやってきた、夜にはそれがなくなるから」という一文が素敵だ。こんな一文を序盤にポンっと置いてしまうなんてすごい。
    そしてグィードという彼氏ができてからのジーニアが、脇の下を洗って香水を振りながら、「自分は男たちを愛することが何かを知った」と満足げに思う姿もいじらしくって好きだな。ジーニアは、3つ年上のアメーリアが3年分先にすすんでいる青春に必死に追いつこうとしている。

    **
    こうして彼女の恋のほんとうの生活がはじまった。なぜなら、グィードと裸になっている姿を見てしまったいまでは、すべてがちがって彼女には見えたから。いまはもう新妻と同じで、しかも独りだったから、彼女を見つめたときの、彼の目を思い出すだけで、もはや自分が独りでないと感じられた。
    《結婚するというのは、こういうことなのね》ママもこういうふうにしたのかしら。しかし彼女には、この世のなかのほかの誰かが、自分と同じあの勇気をもっていたとはどうしても思えなかった。どんな女も、どんな娘も、自分がグィードを見たように、裸の男を見たはずがなかった。あんなことが二度起こるわけがない。
    **

    初体験を済ませたジーニアの心情の機微をひとさじも逃さない、あまりにも強烈で鮮やかな文章。
    男性の前ではじめて裸になる、ということがどれほど恐ろしく勇気のあることだったか、と思い出した。それを乗り越えてからの、自分はもう一人ではないのだ、という心強さと多幸感も。まるで山田詠美と村田沙耶香の小説の私が好きな部分を凝縮して煮詰めたみたい。
    とにかくすごい小説。

  • 苦い恋物語だな…と思いましたが、そうかこれは過ぎ去った夏の話だから『美しい夏』なのか、と気付きました。
    何処となくセピアに色褪せた光ではありました。
    ジーニアは過去のアメーリアだし、アメーリアは未来のジーニア。
    失恋の同じ痛みを持つなら、それが過ぎ去った時には再び仲良くなれるのかもしれません。元カノ同士で仲良くなるのはわたしは無理だけどイタリアの人なら可能かも??
    ロドリゲスもグィードもわからん……特にラスト、グィードはなぜロドリゲスを妬むんだろ。

    ファシズム政権下のイタリアを舞台にした作品は読んでこなかったので、ドイツとはまた違うんだな…と思いながら読みました。

  • タイトルに全て込められているなぁ…!
    一際美しい、二度と来ない夏。
    終われば、大人になるしかない。
    その感傷の中にも社会背景はしっかり描かれているのも良かった。

  • twitterか何かで見たので、いつものジャケ買いではありません。あらすじを見た感じでは何かもっと甘酸っぱい感じを想像してたのですが、思いの外重たい大人の入り口でした。イタリアではこれが普通かつ甘酸っぱい話なのかな…

  • 女の子が大人の女に変貌して行くとき、男性との愛に変性させられて行く部分と、同性の友人と交わり評価されたり批判されたりすることで大人になっていく部分があると思うのですが、この作品は後者の部分に大きくポイントをおいていると思います。

    二人の少女たちは、互いに厳しい生活環境の中で生きていますが、互いを品定めするのじゃなく、相手の愛おしくも弱い部分に、冒頭からいたわりと鋭い直感を働かせていることが、この作品をいいものにしています。

    青春の息吹は瑞々しく、冒頭の1ページだけで作品に引きこまれ、繊細なのに乾いた文章が、少女たちのこころの乾きと、潤いを際立たせて印象的です。戦時下のファシズムの国家にあってなお、叙情性を失わなかったイタリアの芸術。この作品もその代表なのでしょうね。

    愚かで熱く、通り過ぎれば二度と同じ夏はない。
    寂しい季節。

    夏。

    青春と呼ばれる人生の夏はかくも美しいのか。

    長い女友達の打ち明け話を、しんとした部屋でささやき交わしながら聴き終えたような。語られ終えたあとのひんやりした空気が、本を閉じるとやって来ます。

  • 一文目があまりにも美しい

    この一文目を読むためにページを開く価値がある

  • この本のピークは1ページ目。あまりに1ページ目が美しい。大学時代、このシンプルで絵画的な題名に惹かれて大学の図書館で借り、1ページ目だけ読んであとは読まずに返したのをすごく覚えていて、改めて手に取って読了してみたけど、やっぱりその思い出のままでも良かったかもというくらい。それ以降が最悪、というわけではないのだけどあまりにも1ページ目が良すぎるから。

  • 執筆は1940年、刊行は戦後の49年。この作品でイタリア最高の文学賞ストレーガ賞を受賞。しかし、パヴェーゼはその2カ月後に自殺。
    名は体を表す。ストレートなタイトル『美しい夏(La bella estate)』で正解。執筆時は、暗示的な『カーテン』というタイトルだったという。それだと、内容は同じでも、作品全体から受ける印象はまるで違ってくる。
    出だしのパラグラフから魅せられる。1930年代後半のトリーノ、16歳の少女ジーニア。その心の動きの描写がみごと。書き手のパヴェーゼは少女になりきっている。まるで太宰治(自殺という点でも似ている。放蕩vs.禁欲という点では対極だけれど)。
    巻末には訳者の河島英昭による「解説」と「あとがき」、28ページ。種明かしと解釈のし過ぎのような気もする。少々興醒めかな。

  • 書き出しの「あのころはいつもお祭りだった。」から引き込まれた。「何もかも美しくて、特に夜にはそうだった」は学生の頃少しだけ門限を破って遊ぶ時間を思い出したし、「あなたたちは元気だから、若いから、苦労がないから」という言葉をわかる年齢になってしまった。
    大人になるための手段や、大人になったという価値観は人それぞれで何も間違いではない。でも自分の中でよく考えて選んだものだとしても、こんなもんかという気持ちや後悔だったりが浮かぶ。少し自分の生活と比べて辛くなった。
    描写はとても綺麗だった。端から端まで美しかった。

  • 甘酸っぱい青春の話かと思いきやなかなかシビア。

    嗚呼セピア色の青い季節よ。

  • 少女が大人へ変身していく過程。本作の表現がどれほどリアルなのか、私には想像するしかないのだけれど、繊細にかつ丁寧に描かれていることは伝わってくる。
    煌びやかなだけではない青春の、憧れ、焦り、戸惑いなど複雑な感情を流し漉いたような作品。

  • 特に刺さらず。少女から女性へ変わりゆく一夏。

  • 登場人物

    ジンニア(Ginia)

    本作の主人公。16歳の少女。縫製工として働きながら、まだ恋や人生について右も左も分からない。芸術家の世界に憧れ、グイドに恋をする。繊細で純粋。

    アメリア(Amelia)

    ジンニアの兄の恋人。モデルとして芸術家の仲間に出入りしており、ジンニアをその世界に誘う。成熟した大人の女性で、自由奔放だが影もある。

    グイド(Guido)

    若い画家。静かで内向的な性格。ジンニアと関係を持つが、どこか突き放した態度をとる。芸術至上主義的で、感情よりも表現を重んじるタイプ。

    ロレンツォ(Lorenzo)

    グイドの友人であり、同じく画家。陽気で人懐っこい性格。芸術家たちの自由な生き方を体現する人物で、ジンニアにも優しい。


    チェーザレ・パヴェーゼ
    (Cesare Pavese, 1908年9月9日 - 1950年8月27日)イタリアの詩人で小説家、文芸評論家、翻訳者。20世紀のイタリア文学におけるネオレアリズモの代表的な作家の一人。マルクス主義者でもあり、第二次世界大戦下、イタリアのパルチザン活動も行っていた。

    「た。「あんたたちは若いし、健康だし」と皆が言うのだった。「結婚もしてないし、心配ごともないものねえ、むりもないさ」仲間の娘たちのひとりで、入院のかいもなくびっこになり、しかも家には食べるものもろくにないティーナでさえ、なんでもないことをおもしろがってよく笑った。そしてある晩など、びっこをひきひき他の娘たちのあとを追って歩きながら、だしぬけに道のまんなかに立ちどまり、眠るなんてばかげている、遊ぶ時間を食いつぶしてしまうだけだわと泣きだしたことがあった。」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著

    「それから、ジーニアの腕を取りながら、彼女はさらにこうつけくわえた。「仕事としてはいい仕事よ。だってなにもしなくてすむんだし、ひとがしゃべるのを聞いてるだけでいいんですもの。いつだったか、すごいアトリエをもってる画家のところへ通ってたときなんか、お客がくるたびに皆でお茶を飲んでたわ。世のなかの勉強ができるわよ、その点は映画にいくよりもずっとためになるわね」」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著
    https://a.co/bUbhFP8

    「「皆はいっていいかと聞いてたわね。いちばんおかしいのは女の画家ね。女にも絵をかくひとがいるなんてこと、あんた知ってる?  お金を払って、女の子に裸でポーズをさせるのよ。なぜ自分で鏡の前に立たないのかしらね?  男をモデルにしてかくのなら、あたしにもわかるけど」「きっと男もかいてるんでしょ」とジーニアは言った。「そうかもしれないわね」アメーリアは家の戸口の前に立ちどまり、軽く片目をつぶってみせながらそう言った。「でも、ある幾人かのモデルには、とくに倍もモデル料を払ったりするのよ。ほんとに驚いちゃうわ、世のなかにはいろいろなことがあるので、まあどうにかなっていくものなのね」」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著

    「ロドリゲスはからかうようにつぶやいた。「なぜだと言うのかい?  それはきみたちのほうこそ、よく知ってるはずのことじゃないか。本能的にね。女どうしでは、そういうことは起こらないのかい?」」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著

    「「でも、いまはいるじゃないの」とアメーリアが答えた。「楽しく遊びなさいよ」  そのとき、ジーニアの心に欲求が生まれた。グィードと二人きりになりたいという激しい欲求。けれども、アメーリアがそばにいてくれないかぎり、とてもそんな勇気をもてないことは、彼女にもはっきりわかっていた。アメーリアがいなければ、彼女はたぶん逃げだしてしまっただろう。《あたしはまだ心を落ちつかせる方法を知らないんだわ》彼女は何度もくりかえしてそう思った。《おどおどしてちゃあだめなのに》」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著

    パヴェーゼ『美しい夏』
    再読
    美しいけれど胸が苦しくなる物語
    映画はどんなふうになってるのか気になる

    このところパヴェーゼの『美しい夏』を読んでいる。たまたま海外文学のフェアで見つけた一冊。そうしたら今年の8月に映画が始まるらしい。あと、『あみこ』という山中瑶子監督の日本映画にもちらっと出てくることはあまり知られていない。
    #美しい夏

    『美しい夏』映画化?! 一番好きなパヴェーゼ作品です!!!

    『美しい夏 (岩波文庫)』パヴェーゼ

    キャラクターの実在感を乏しく感じ、没入できないまま読み終えた。今夏に映画公開を控えているが、映像化による肉付けでどうにかなる問題でもない気がする。
    #読書メーター

    イタリア映画の『美しい夏』を試写会で観た。学生時代に読んだパヴェーゼの原作は、書き出しの文章がもっとも美しく印象的な小説のひとつだが、女性監督らしい解釈の作品になっていて、アメーリア役のディーヴァ・カッセルに魅せられた。日本公開をきっかけに『美しい夏』が新訳されそうになく残念。

    パヴェーゼの原作の話の筋はほとんど覚えていないがとにかく何かとても心地よい読書体験だった感触だけが残っている。改めて映像として楽しみたい。トレイラーはまず魅力的だ。

    美しい夏 – アップリンク京都

    パヴェーゼの本。和訳はどれも既に新刊では手に入らないことが分かった。『美しい夏』と『祭の夜』は古書店から買ったが、送料を含めると割高になってしまう。そこで残りの作品はドイツ語か英語で読むことにした。私は訳者である河島英昭の書く文章が好きなので、彼の巻末解説を読めないのは残念。

    あのころはいつもお祭りだった。家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜にはそうだったから、死ぬほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもならないかしら、家に赤ん坊でも生まれないかしらと願っていた /パヴェーゼ「美しい夏」

    『美しい夏』は、すごく若い頃にはじめて読んだ(晶文社のパヴェーゼ選集だった)時の感動も含め、大好きな小説である。どのくらい好きかというと、これまで読んできた全ての小説の中で十指に入るくらい。書き出しと末尾は初読の時から今も口ずさめる。そういえば『それを小説と呼ぶ』でも引用した。

    大胆というのは、言ってしまうと、ルケッティは『美しい夏』を女性同士の恋愛の物語に着地させるのだ。この要素は原作ではけっして顕在的ではない。というかむしろ現在的な視点による読み替えというべきではないかと思う。だがこれがすごく良いのだ。やや俗っぽさもあるのだけど、感動してしまった。

    映画は小説の物語をほぼ忠実になぞっているが、ルケッティ監督は原作のある部分をかなり大胆に読み変えることで、極めて現代的と言える作品に仕立て上げている。そもそも『美しい夏』は一種の黙説法的な要素があり、ヒロインであるジーニアの心理は必ずしも明確ではない(そこが良いのだ)。

    2人の女性の青春と恋愛を描いた話。淡々と進むけど心理描写が細かくて面白かった。
    #読了
    美しい夏 パヴェーゼ(著/文) - 岩波書店 | hanmoto.com/bd/isbn/978400… @hanmotocomから

    『故郷』『流刑』『月と篝火』『美しい夏』『祭の夜』、パヴェーゼの5作品を推したい。文庫で彼の小説を読めるのは、おそらく岩波だけのはず。ただただ、河島英昭の名訳に、心を洗われるような気持ちで……(#これは読むべき岩波文庫)

    パヴェーゼ『美しい夏』
    夏の盛りに読み始めて、真夏のピークが去ったいま読み終えた。夏は何かを閉じこめる。それは閉鎖的な祭りで、永遠と見まごう一瞬の光だ。ある少女が煙草を吸い始めるまでを残酷に、魅力的に、やわらかな文体で描いた小説だった。

    パヴェーゼ『美しい夏』読了。大人であるアメーリアに憧れたジーニアが、少女から女になり、きたないものを知り傷ついてゆく、その過程が静かに、ひたひたと描かれていて息を呑んだ。恋を味わい挫折を覚えることは、元には戻れないということ。それでもどこかに行けると思えたなら。少し羨ましかった。

    今夜はイタリア映画祭でパヴェーゼ原作『美しい夏』(ラウラ・ルケッティ監督)。

    イタリア北部の季節ごとに移り変わる光。少予算だったと監督が語っていたが、撮影、音楽、脚本、衣装デザインすべてが丁寧な佳作だった。
    パヴェーゼの作品を映像化する困難さを思いつつ、とても美しい余韻が残る。

    パヴェーゼ著「美しい夏」を読んだ。ファシズム体制下で書かれたとは思えない内容だけれど、それは巻末で解説されている。ロシア文学に慣れたせいかイタリア文学の孤独や傷の明るさみたいなものがある。恋愛文化というか、男女平等とはまた違った意味での女性理解の深さを感じた。

    ファルコン・レイク、パヴェーゼの美しい夏読んだときに感じた苦しさと似た部分があったな
    ラストの切なさ苦しさはまたちょっと違うんだけど
    とにかくよかった

    パヴェーゼの美しい夏とか倉橋由美子のヴァージニアみたいな百合が好き

    イタリアはファシズム体制下で書かれた小説。あまり情景が描かれず、ぼやーっとした印象だけれど、当時の若い女性たちの青春と瑕疵を鮮やかに切り取っている。

    チューザレ・パヴェーゼ『美しい夏』河島英昭訳、岩波書店、2006年。

    パヴェーゼの『美しい夏』。
    文中での畳み掛けるようなセリフの連続と、冷静な情景描写がストーリーにリアルな感触を織りなしていて、ページをめくる手が止まらない。執筆当時は著者31歳、ファシズムが蔓延っていた時代に書かれた小説で、刊行の翌年にストレーガ賞受賞、2ヶ月後に作者は自殺とのこと。(岩波文庫)

    イタリアの夏といえばパヴェーゼ『美しい夏』の冒頭思い出す。「あのころはいつもお祭りだった。家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜はそうだったから、死ぬほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもならない…」

    パヴェーゼの美しい夏、半分くらい読んだけど「わ、若ェ〜〜〜〜!!!」って感じ 生々しい青春… 文が全部歌のようできれい 短いのですぐ読み終わるな

    パヴェーゼの「美しい夏」を読んだ。この小説、社会的に安全な立場で二十歳前頃を生きていた男性、という私のような人間の場合は、細心の注意を払わないと色々読み落とすと思うのです。が、もしかして危うい青春を経験した女性の場合かなり自明な本に映るのかしら、とちょっと気になりました。

    #読了 
    パヴェーゼ「美しい夏」

    あのころはいつもお祭りだった。
    イタリアの少女2人の終わりゆく青春期の物語。青春は美しくそして崩れさる。

    夏の終わりはさびしい気持ちになるし、お祭りの終わりもせつないですね。

    美しい夏/パヴェーゼ

    月と篝火についで2作目に読むパヴェーゼの作品。16歳の女主人公が、歳上の女友達に連れられ、その友達が青春のときに体験したことを追体験していく。構成としては素晴らしいが、物語としてはあまり面白くなかったな。象徴だけが動いていて、感情が置き去りにされている感。
    #読了

    パヴェーゼ「美しい夏」読了。若い二人の少女が女になるまでの過程を描く。どことなく冷たい孤独の中にありながらも、若さ故のエネルギーが二人の中には充満している。夏とその終わりに人生の青春とその終わりを被せた美しい女の青春小説である。

    パヴェーゼ「美しい夏」読書会。正直、読み終わった直後はそれほど好きではなかった小説だったが、読書会で意見を交わすうちに読み方のアングルや登場人物への感情移入が変化して、最終的に好きな作品になった、という読書会グルーヴの楽しみを満喫した会でした。 #猫町倶楽部 #猫町オンライン

    百合文学(?)といったら、パヴェーゼの『美しい夏』くらいしか読んだことないや

    「 アメーリアは乳房を指のあいだにはさみながら、ジーニアの顔をじっと見あげた。「じゃあ、ここに接吻してちょうだいよ」彼女はゆっくりした口調で言った。「この赤い斑点のあるところに」一瞬、二人はじっと顔を見あわせたが、それからジーニアは目をとじて、アメーリアの乳房の上に身をかがめた。「あら、だめよ」とアメーリアは言った。「前に一度あんたに接吻したことがあるでしょ」  ジーニアは自分が汗びっしょりになっているのに気づき、まのぬけた微笑を浮かべて、顔を真赤にした。アメーリアはだまってジーニアの顔をじっと見つめていた。「あんたってほんとにばかね」しばらくするとアメーリアはやっとそう切りだした。「あたしに好意をもってくれてるのね。だけど、あんたはグィードが好きなんでしょ、もうあたしのことなんかどうでもいいんでしょ」そう言って、彼女は痩せほそった手でブラウスのボタンをかけた。「はっきり言ってしまいなさいよ、あたしのことなんかどうでもいいんだって」」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著



    ジンニア(Ginia)

    本作の主人公。16歳の少女。縫製工として働きながら、まだ恋や人生について右も左も分からない。芸術家の世界に憧れ、グイドに恋をする。繊細で純粋。


    アメリア(Amelia)

    ジンニアの兄の恋人。モデルとして芸術家の仲間に出入りしており、ジンニアをその世界に誘う。成熟した大人の女性で、自由奔放だが影もある。


    グイド(Guido)

    若い画家。静かで内向的な性格。ジンニアと関係を持つが、どこか突き放した態度をとる。芸術至上主義的で、感情よりも表現を重んじるタイプ。


    ロレンツォ(Lorenzo)

    グイドの友人であり、同じく画家。陽気で人懐っこい性格。芸術家たちの自由な生き方を体現する人物で、ジンニアにも優しい。

    パヴェーゼ『美しい夏』
    イタリア・ファシズムの狂騒を生きた二人の”少女”の物語。青春の終わりは美しい夏の終わりでもあった。
    画家の男を巡って裏切り合い惹かれ合う女と少女。裸を見せるか見せないか、タバコを吸うか吸わないか、梅毒に罹るか罹らないか。痛切にリアリティのある文体は語る。

    パヴェーゼ「美しい夏」が発送手配になってる!あとは「祭りの夜」のみ。これで「月と篝火」が読めます。予想以上に面白かったり美しかったりすると寂しいので初読み作家はいつも数冊買うのが個人的鉄則です

    本屋でタイトルに惹かれて手に取った本が、またパヴェーゼの本だった(美しい夏)。直感の出会いは大切にしたい。タイトルの天才か?

    パヴェーゼの『美しい夏』はガチ百合だったのでみんな読んでください

    百合というには男がでしゃばりまくるけどパヴェーゼの美しい夏は最高よ…

    「この小説家は、つい二か月ほど前、『月と篝火』でストレーガ文学賞(これはマルゾッ卜賞とともに、イタリアで最高の権威をもつ賞である)を得たばかりのチェーザレ・パヴェーゼだった。まだ四十代にさしかかったばかりで、ようやく安定した作家的地位に就いたといってもいいパヴェーゼが、このように惜しげもなく未来の栄光を断ちきったことは、ゴシップ好きの世間を沸かせるに十分だった。彼の魂の地底の消息を正確に読みとれなかったひとびとは、失恋の痛手のための自殺だと割りきって。スキャンダル趣味を大いに満足させた。また彼がその一員であったイタリア共産党──『月と篝火』をうしろむきの個人主義的な作品だと批判した共産党は、たぶん彼の自殺を、裏切り、あるいは脱落と判断したのだろうが、最後まで他者との連帯を求めて苦悩した誠実なるチェーザレに、ついに一言の哀悼の言葉も贈ろうとしなかった。」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著

    「たしかに、パヴェーゼの作品は、彼の個的な体験と密接に繋がっている。しかし、いうまでもないことだが、その詩や小説を彼の体験に還元することはできないし、だいいちパヴェーゼ自身が実際の体験を再組織して、それを小説として差しだしているわけではない。たとえば、『丘の上の家』などは、性急な読者にとって、個的な体験の記録と受けとられかねないかもしれないが、そういう作品においても、パヴェーゼは彼自身の体験を跳躍台としつつ、普遍的な魂の深層へ一挙に到達しようと試みている。また、『美しい夏』のように、日常性に即して頽廃的な風俗描写をさりげなく織りこみながら、孤独と孤独からの脱出の欲求との微妙な交錯を、いわば魂の原型として暗示する場合もある。要するに、個的な体験から出発して、普遍的な原型の裸形に接近していく巧妙な転身を。パヴェーゼの作品のなかから見失ってはならないと思うのである。」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著

    「『美しい夏』について  小説としての処女作『刑務所』から『浜べ』までの四つの作品を、パヴェーゼは自ら《自然主義》と規定したことがある。しかしこの《自然主義》が、ゾラのごとく、遺伝的体質を動かしようのない自然と決めこんで、人間をその枠のなかに閉じこめるという意味でないことは、いまさららしく註釈を加えるまでもないだろう。資質的に外界だけに目を向けていられないパヴェーゼが、この時代には比較的外側に関心を向けていたという事実を、やや回顧ふうに思いだした上でのこれは規定なのである。たしかに、『美しい夏』においても、目はトリノ(作品のなかには固有名詞は一度も書かれていないが、舞台が一応トリノに設定されていることはあきらかである)の若い世代の風俗に向けられている。そして頽廃した性風俗をするどくえぐりだす目の背後には、若い世代の魂を荒廃させるファシズムの毒にたいする、痛烈な諷刺があるかもしれない。」

    —『美しい夏』チェーザレ・パヴェーゼ著


  • 嫉妬孤独自分語り。

  • 孤独を垣間見た
    青春と傷跡

  • 恋愛中はいつでも再読できる状態にしていたい本だと思った

    p.172
    が、このまま自殺するだけの価値はなかった。女になろうとしたのは彼女のほうだった。ただ、うまくなれなかっただけのことだ。

  • 國光のブログから。タイトル詐欺すぎる。何かの旅行の時に読んだ。

  • 4〜5時間で読み終わった。

    入りの部分から終わりまで共感しかない本でした。
    若さは有限
    それに気づくのは終わりがけの頃
    楽しさは一瞬
    今を大切にするしかないんでしょうね
    でもその大切は、本当に正しい選択の上に成り立っているのか
    幼心には終わってからしか判断しきれない
    そうして人間関係の破壊と構築を繰り返して、大人になっていくんでしょうね

  • 青春と夏、、儀式的なものである。

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