祭の夜 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 河島 英昭 
  • 岩波書店
3.55
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本棚登録 : 68
レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003271445

作品紹介・あらすじ

裏切りと復讐、自殺と自由、不条理な争い、暴力、弾圧-。均斉のとれた構造のうちに複雑な内容が秘められた、パヴェーゼ文学の原質をなす"詩物語"全10篇。当時エイナウディ社で働いていたカルヴィーノが遺稿から編み上げた生前未発表の短篇集で、いずれの作品も詩的想像力に満ち溢れ、完成度がきわめて高い。1953年刊。

感想・レビュー・書評

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  • パヴェーゼの魅力は、裏切りや孤独という自己に内包されて行く円が中心に向かって進んで行く過程で、収斂がいつか反転し、外へ向かって、世界に対して広がりを見せる極点に到達する閾が存在することだ。
    極端に個人的な内容こそが世界と繋がりうる。時代を超越し、この時代においてなお世界に対する問いがなされている。

  • 煙草とカンフルの臭い、そして消え行く村の記憶の中で
    「祭の夜」昨日買ってきたこのパヴェーゼの短編集には、集英社版世界の文学14にこの短編集の中から4編、「流刑地」、「自殺」、「丘の中の別荘」、「麦畑」を収録。
    もともとは晶文社版「チェーザレ・パヴェーゼ全集」が進行中であったが、晶文社の社長中村氏が亡くなったことにより企画は「自然消滅」したと河島氏。翻訳は続けていて、「叙事詩の精神ーパヴェーゼとダンテ」、そして「パヴェーゼ文学集成」がともに岩波書店から。岩波文庫ではその「集成」から「流刑」、そしてこの短編集「祭の夜」(パヴェーゼの自殺(1950)後、カルヴィーノが編集したもの)が敷衍版として出版。
    ということは、先の4編は以前読んでいるということか。前の日記見てみると、点描画のような素材をそのまま並べ、混ぜるのは読者に任せるということと、キーになるポイントを作品中に明言しないということが書いてあった。
    とりあえず、前に読んだとは知らずに、そして気づきもしなかった(「自殺」だけだと思っていた」)「流刑地」から最初の方…
    つまり、過ぎ去り、移ろい、消えてしまったものだけが、ぼくたちにその実相を現わすのだ。
    (p9)
    南イタリアへの流刑からトリーノ(この文庫の表記従う)に恩赦で帰還した時点で流刑地の村を想起する。そちらの方だけが「実相」という。この辺り、かなりパヴェーゼの実体験に近い。パヴェーゼ作品が全て「自伝的」かはこれからこの作家と付き合う際の重要ポイント。
    で、「流刑地」では妻に裏切られたという共通点を持つ男2人が語り手の間をぐるぐる回るという印象。この作品に関しては今回は「絵画的」ではあっても「点描画」ではない気がしたのだが…そいえば、浜辺に古びた小舟がある風景というのはなんとなく前回の記憶に残っている。でも、最後の1ページは自分には理解を超えて遠ざかっていった文章。「残った二人」というのは語り手を除くオティーノとチッチョなんだよね…と再確認する間に…
    地平線の向こうには何があるというのだろう、語り手にとって。
    あとは解説で、この短編と詩篇を書いていた時代のパヴェーゼに個人教授を受けたというパーオロ・チナンニの回想が興味深い。書棚の本と読みかけの本、パイプの煙と医薬品のカンフルの臭い…
    (2018 02/12)

    60ページくらい進んだ「祭の夜」。
    今回は「新婚旅行」。といってもパヴェーゼだから?孤独な男とそれを回る衛星のような妻と…妻は夫に接地することもできない。側から見るとなんで?という感じなのだが。
    駅に立ち寄っては、煤煙や雑踏をしきりに観察した。ぼくにとって幸せとは、つねに、遠い土地での冒険を意味していた。それは旅立ちであり、海原を行く船であり、異国の港へ入っていって錨を投げ出すときの金属質の轟音であり、叫びあう声であり、尽きない妄想だった。
    (p46~47)
    この文章が自分にとっては上の問いに近づく手助けになるかもしれない。あと印象的な場面はこの節の最後の、夕食の鍋を煮るガスの炎を通した、繋がりを見失った家の風景。
    (2018 02/26)

    「侵略者」と「三人の娘」
    パヴェーゼの「祭の夜」から標題2作を朝読む。
    「三人の娘」から。
    なぜ、初めのころ、あんなに浮かれた心で家を出たのか。なぜ、無性に外に出たくて、前ばかり見つめて、どの街路にも、建物と建物のあいだに開けてゆくあの一筋の空があって、嬉しくてたまらなかったのか。そういうことは田舎では意味をもたない。空がありすぎるから、そして誰の役にも立っていないから。
    (p94)
    前の「新婚旅行」でもこうした文章を引っ張ってきたと思う。パヴェーゼの基調を流れるものだろう。そしてそれは何かの裏返し?
    裏切らぬこと、せめて自分自身だけは。河原へ戻って、過去を呼び覚ましてもよい、だが、一足一足を、一つ一つの視線を、思い返してみるのだ。いや、むしろ、目を閉じるのだ。
    (p103)
    引用したかったのはここではない気がするのだが…
    とにかく、こうした「自分一人に戻る」のがこの短編の主要テーマ。それは、「侵略者」にも通じる。あの牢獄の中で「侵略者」となったのは、実はどちらなのだろうか。
    (「三人の娘」の中で「侵略者」という言葉がこの意味で出てきたと思っていたのだが)
    (2018 03/19)

    「祭の夜」からパヴェーゼの閑やかな大気
    短編集表題作。農作業を行うパードレと少年達の共同体に、遠くの街から祭の物音がしてくる。という設定。
    パヴェーゼ作品が始まると、これまでのどの作品でも共通に、静かな大気が密かに張ってくるように感じる。この作品ではこんなふうに。
    丘の麓では、太陽が反対側へ沈むとすぐに、大地はみずからのひかりで白みはじめる。岩石や露わな事物が、密かに、爽やかな光を発するのだ。
    (p114)
    ガラスのように張りつめた大気が、少しずつ霞んで暮れてゆき、遠くの物音を和らげ、物音を孤立させていった。
    (p121)
    しかし夜はまったく虚ろに、敵意にみちて中空に懸っていた。
    (p132)
    後半は翌日(以降…)
    (2018 03/29)

    四静一転
    一昨日読み始め半分くらい(3章まで)進んだパヴェーゼの「祭の夜」(表題作)ですが、昨日と今日でやっとさっき読み終えた。これなど「大事なことを語らないパヴェーゼ」の典型例かも。
    夜がさまざまな感覚を掻きたてることを、初めて知ったのです
    だからこそ、夜は眠るに限るのです
    (p163)
    (引用中「」を省略)
    前者はプロフェッサーの、それを受けた後者はパードレの会話。これは第5章、その前の第4章の後に、プロフェッサーと女はどこへ行ったのか。
    プロフェッサー(一ヶ所「先生」となっているところあり)というけれど、実際何している人物なのだろうか。案外に何もしてない人なのかも。というわけで、この人物なんとなくパヴェーゼ自身を重ね合わせてもよさそうな気がするのだが、一方パードレの方は全くの他人設定かというと、それはそれで違う気も。
    最後に構成面。5章のうち1〜3章と5章はパードレの農場での静かな場面、4章だけ飛んで村の祭の喧騒の中のプロフェッサー。静と動の対比が作品の味わいを律している。
    (2018 03/31)

    「ならずもの」、「自殺」
    パヴェーゼ「祭の夜」から「ならずもの」(一昨日から昨日)と「自殺」(今日)を読んだ。前者はこの短編集の中では「祭の夜」と並んで長い作品。構成も章形式(またしても5章)。海沿いの町の刑務所を焦点として、なぜかここに1日だけ収容される(また移動する)神父と、この刑務所から脱獄(といっても鍵かかってなかったらしい)したロッコという男が交互に描かれるという構成。刑務所の窓に象徴される区切られた光、光景、外から聞こえてくる物音といったものが人物と同じくらいの存在感を作品中に与えられている。パヴェーゼの文章は、ここでも独特な読んでも読んでも何が起こっているのか謎にはまってしまうような書き方で、例を挙げれば第3章最後(p238)のラストでは神父はどういう姿勢をとっているのか、寝床に入っているのか否か自分にはわからなかった(理解力がないだけ?)
    後者はパヴェーゼ短編の中でも取り上げあられることが多い(集英社版「世界の文学」だけでなく、池澤夏樹の「個人全集」の短編集でもこの作品が選ばれている)。これも章形式(4章)だけど、語り手や視点人物が変わるなどの構図はあまり変化がなく曖昧。語り手のぼくがどこまでパヴェーゼと同じなのかは全くもって不明だが、パヴェーゼの場合ある程度は共通のものがありそう。とにかく語り手が誰かを失ってカルロッタという女に出会い、カルロッタもまた夫を失い・・・というずれ構造が続いていくが、そこでカルロッタのように「自殺」する人と、ぼくのように「自殺」しない人には何の違いがあるというのだろうか。語り手ぼくはなんとなく自殺しなそうだけれど、作家パヴェーゼは自殺してしまった(グルニエの「書物の宮殿」にパヴェーゼが10代の頃に書いた自殺に関する詩があった)。
    あと「祭の夜」編集出版したカルヴィーノだけれど、パヴェーゼとの文学的共通性は今まで感じてなかったけど、こうしてみるとかなり繋がりはあるのかも。
    (2018 04/15)

    「丘の中の別荘」、「麦畑」
    というわけで、咲夜遅く「丘の上の別荘」を、今日午前中に「麦畑」を読んで、「祭の夜」全体を読み終えた。
    「丘の上…」は金髪の青年(パヴェーゼにとっては金髪は他人性の象徴)に自分の若い頃が重ねられているという、少し変わった作品。「麦畑」は「三人の娘」と同じく女性が視点人物となっている。
    (2018 04/16)

  • 暗い叙情が光る作品集だと思う。閉塞感があり、読んでいて辛くなったが、同じ作者の他の作品も読んでみたいと感じた。

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  • パヴェーゼは超短篇もよいです。個人的に一番気に入ったのは「ならずもの」。特に最初の、部屋(牢屋)に差し込む光の描写が、部屋の闇を際立たせて、夜におこる物語全体の闇を美しくしていて、とても印象に残ります。謎の神父?とほかの囚人たちの対比もよい。ただ、文章がぎこちないのは結構気になります。原文はどういう感じなんだろうか…?

  • カルヴィーノが遺稿から編纂したという紹介につられて手に取りました。翻訳ものって、よほど意訳なり現代語訳なりになっていないと、独特の退屈さが付き物だと思うんですが(とくに純文学だと)、これはその、翻訳ものの悪い面が出ちゃってた気がします。もちろんイタリア語なんてわからないですけど、日本語として明らかに文脈がおかしい部分とかあって、やっぱこれって翻訳の段階で見落とされたんだろうなあって。あと同じ人物が「ぼく」と言ったり「おれ」と言ったり混ざってるのも気になりました。もとの文章が難解なのか、翻訳がまずいから難解なのか、正直シロウトなので判別つかなかったですが(ベテランの翻訳者さんみたいなんですけどねえ…)、まあそういう余計なことに気をとられたせいもあり、作品自体もあまり楽しめませんでした。

  • 岩波文庫:赤 080/I
    資料ID 2012200189

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