月と篝火 (岩波文庫)

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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003271452

作品紹介・あらすじ

イタリアの寒村に育った私生児のぼくは、人生の紆余曲折を経て、故郷の丘へ帰ってきた-。戦争の惨禍、ファシズムとレジスタンス、死んでいった人々、生き残った貧しい者たち。そこに繰り広げられる惨劇と痛ましくも美しい現実を描く、パヴェーゼの最高傑作。

感想・レビュー・書評

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  • いやいや~こういうタイトルは一見して心惹かれます。古きものに現代的な意味を込めたような……そこにはどんな謎や心象や詩情が込められているのか?

    先日久しぶりにイタリアの鬼才、イタロ・カルヴィーノを読んだことをきっかけに、イタリア脳内旅行を愉しんでいるこの頃です。
    本作の作者チェーザレ・パヴェーゼ(1908~1950年)は、カルヴィーノの先輩で、イタリア・ネオレアリズモ文学の代表の一人でもあります。とにかく情景描写が美しい。あまりにも透徹した描写に身震いし、映画のようなおどろおどろしい光景に息をのみます。また月やかがり火には、いにしえから語り継いできた深い意味が込められ、あるいはそこへ隠され、それらが絶妙な隠喩となって作品全体を神秘的な色あいにしています。

    「赤みがかった光が照らしていた……低い雲の裂け目から、短剣の傷口にも似て、利がまのような月が現われ荒野を血で染めていた」

    ***
    ぼくは大聖堂の前に置き去りにされた捨て子。自分の名前すらわかりません。そもそもぼくに名前なんてあったのだろうか……。 
    彼は孤児院で育ち、銀貨一枚の養育費目当てに極貧の山手の農家に引き取られます。その後、平地の農家に売られた彼は、友人ヌートと触れ合うなかで字を覚えます。むさぼるように本を読み、労働と階級の意識に目覚め、しだいに地下組織(パルチザン)とも関係を深めていきます。故郷をあとにした彼は渡米して成功するも、すでに人生の道半ば。数十年ぶりに故郷を訪ねます。

    本作は戦後まもない混乱期にかかれた(1949年)、パヴェーゼ最期の作品です。故郷の山や沢には、大雨で流されてきたドイツ兵のむくろが露わになり、いまだ戦争の生々しさが残る、リアルで写実的な作品です。その一方で、どこか神話的・呪術的な雰囲気が漂っていて、貧しい寒村の閉塞感やグロテスクさをより際立たせています。このあたりはカルヴィーノの短編もふくめた初期作品に相通ずるものがあって、親近感と大きな繋がりを感じて嬉しくなります。

    作品全体のトーンとしては決して明るいものではありません。月明かりのような仄暗さに覆われています。そのぶんしっとり落ち着いた作品世界が楽しめます。まちがっても、語り手の視点が飛び乱れたり、時空が歪んでみたり、わんさか人が登場したりするようなことはありません。

    寄る辺ない彼の孤独、自己の存在の揺らぎ、根無し草のように生きてきた彼にとって、育った土地とそこに根づいて生きる幼なじみのヌートは、ある種の憧れであり、圧倒的な存在であり、はたまた力強い現実でもあった。ふと気づいてみれば、それらは彼の存在、生の拠り所なのかもしれません。

    哀しみに染まった郷愁、淡い月の光、妖しく揺れる祭りのかがり火が混然一体となって、死と(再)生と希望を感じさせます。じつはパヴェーゼにはほかにも郷愁をさそう作品、初期作品の『故郷』がありますが、わたしは本作のほうがより素直で、明暗のバランスがとれていて、ほのかな生命の萌しを感じさせるいい作品だと思います♪

    「サルトの丘には、ぼくの友達のヌートがいて、ぶどうの桶を作り、遠くカーモまで谷間一体にぶどう搾り機を卸している。これは何を意味するのか? 故郷(ふるさと)は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。故郷は人が孤独でないことを告げる。村人たちのなかに、植物のなかに、大地のなかに、おまえの何かが存在し、おまえがいないときにもそれが待ちつづけていることを知らせる」

    ***
    先の大戦末期の前後に描かれたイタリア・ネオレアリズモ作品は、パヴェーゼのほかにも、ヴィットリーニ『シチリアでの会話』(1941年)、カルヴィーノ『くもの巣の小道』(1947年)などがあります。イタリアファシスト、ドイツナチズムとの壮絶な闘いの歴史、そんな勇猛な地下組織パルチザンの克己と偽善と悲哀、隠喩を駆使した幽玄的世界……それぞれ深い作品たちで面白い。
    興味のある方に本作とあわせてお薦めします(^^♪

  • 一切が回帰する世界のなかで、物語は象徴に導かれながらすすみ、やがて始まりに到達する。すでに決められた世界から飛躍し、別の物語へと繋がるためには、神話と時代が必要なのだ。
    パヴェーゼが目指したのは神々がまだ人間、動物と平等だった時代の共産主義的ユートピアなのだろうか。とすれば、死すべき者は常に不死である神々なのだ。

  • 解説が素晴らしい

  • 主人公にとってこの村は血の繋がった家族はいなくても様々な繋がりがあり確かな故郷と言える
    それが失われていくそんなストーリーだと感じた
    時代の変化だとか、主人公の成長、戦争とか様々な形での喪失を味わうことになる
    ただ、孤児など弱者に対する容赦のなさは変わらないことを痛感した
    暗いストーリーと美しい描写がよかった

  • 残酷さも貧しさも全ては美しい過去となり郷愁の中に葬られる。
    地続きの今がその先にあるとしても。

    篝火はすぐに焚けないけれど、外に出れば今夜も綺麗な月が浮かんでいます。

  • 2014-7-10

  • 読んでいて、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い出した。
    イタリア(といっても地方は違う)が舞台であることと、田舎を出て成功した主人公が一時帰郷するということからなのだけど、今作はずっとシビア。
    孤児だった主人公の貧しい少年時代、主人公の回想と村に残った親友が語る周囲の人々の末路、過去よりなお悲惨な現状。
    重苦しい物語だが、文章が非常に美しいために読み進めたくなる。
    主人公は帰郷の間、自らの過去の幻を避けながら探すような複雑な心境でいたが、祭(=非日常)の時にはまた帰郷すると言い残した彼自身が亡霊のようなものだと思った。
    ハッピーともアンハッピーとも言えない結末が絶妙。

  • 「故郷は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。」
    すべてが“私生児だから”というのが理由になるだろうか?
    月は憧れ、篝火は最期の象徴。

  • 先日読んだスーザン・ソンタグが取り上げていた、パヴェーゼの最後の長編小説。
    40歳になった主人公が、生まれ育った故郷の村を訪れる。その村でかつて起きたさまざまなこと、現在のさまざまな様子、あるいは別の土地(アメリカ)で体験したさまざまなことが綴られる。
    これもまた、「場所」に関する小説である。時系列が少々入れ替わっており、通時的な「歴史」というよりも、すべての事象が共時態的に「止まった時」のなかに漂うような、そんな場所=時間が描出されている。
    この場所に登場する人物が多く、どの名前がどんな人物を指しているのか、ちょっと混乱させられた。
    背景として、両大戦にまたがって、ファシスト党のムッソリーニが権力をふるい、それに対抗するパルチザンが活躍し、やがてファシストが滅びる、という暗く陰惨な、激動の時代がある。この小さな村も、そうした歴史性に完全に巻き込まれており、決して独立したユートピアを形成しているのではない。
    この小説を読みながら、小説的な言語ということを考えていた。イデオロギーの言語は、人びとを絶えず争闘のなかにたたき込むということを、日頃目にしている。イデオロギー的な言語とは、否定し、排斥し、攻撃するパワーそのものであり、人びとはむしろ、そんな争闘のパワーに操られているだけのようにも見える。(ただし哲学の言語はまた別だ。)
    小説の言語とは、それとは全く異なるものだ。それは誰をも攻撃しない。否定するよりもひたすらに肯定し続ける。そうして、構築された言語は象徴的なイメージを結実し、そこにポエジーを生成する。このポエジーは「語り得ぬもの」であるがゆえに、小説の言語を別の言語に交換することは出来ない。
    かけがえのないポエジーが、確かにこの小説にも宿っている。

  • パヴェーゼ最後の長篇小説。
    本作の他にも岩波文庫から出ているものは読んだが、自然描写、特に田舎の村の景色を描いたところがとても美しい。その中で生きる登場人物は決して善人ばかりだとは言えないが、そこもまた魅力と言える。
    しかし『月と篝火』という邦題は何とも言えず美しいね。

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