- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003271452
作品紹介・あらすじ
イタリアの寒村に育った私生児のぼくは、人生の紆余曲折を経て、故郷の丘へ帰ってきた-。戦争の惨禍、ファシズムとレジスタンス、死んでいった人々、生き残った貧しい者たち。そこに繰り広げられる惨劇と痛ましくも美しい現実を描く、パヴェーゼの最高傑作。
感想・レビュー・書評
-
榛の茂み、葡萄畑、サルトの丘。大地から、葡萄の樹のあいだの地面から湧いてくる熱気。雪の跡に残る狼の足跡。
アメリカに渡った主人公と、故郷に根付く親友ヌート。かつて主人公が住んでいた荒屋に住む少年チント。
個人的には、主人公が「アメリカの人びとがみな私生児である」と気づいた、というところが一番印象的だった。
解説にあった、「生贄」という考え方は、わたしには難しく読み取れなかった。
“どうやって人に説明できただろう。ぼくが求めているのは、かつて見たことがあるものを、ふたたび見たいだけだ、などと?荷車を見たい、干し草置場を見たい、葡萄の桶を、鉄柵の門を見たい、チコリの花を、青いチェックのハンカチを、瓢箪を、鍬の柄見たい、などと?”
“故郷は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。故郷は人が孤独でないことを告げる。村人たちのなかに、植物のなかに、大地のなかに、おまえの何かが存在しおまえがいないときにもそれが待ちつづけていることを知らせる。けれども、そこに、身を落着けるのは容易でない…”詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いやいや~こういうタイトルは一見して心惹かれます。古きものに現代的な意味を込めたような……そこにはどんな謎や心象や詩情が込められているのか?
先日久しぶりにイタリアの鬼才、イタロ・カルヴィーノを読んだことをきっかけに、イタリア脳内旅行を愉しんでいるこの頃です。
本作の作者チェーザレ・パヴェーゼ(1908~1950年)は、カルヴィーノの先輩で、イタリア・ネオレアリズモ文学の代表の一人でもあります。とにかく情景描写が美しい。あまりにも透徹した描写に身震いし、映画のようなおどろおどろしい光景に息をのみます。また月やかがり火には、いにしえから語り継いできた深い意味が込められ、あるいはそこへ隠され、それらが絶妙な隠喩となって作品全体を神秘的な色あいにしています。
「赤みがかった光が照らしていた……低い雲の裂け目から、短剣の傷口にも似て、利がまのような月が現われ荒野を血で染めていた」
***
ぼくは大聖堂の前に置き去りにされた捨て子。自分の名前すらわかりません。そもそもぼくに名前なんてあったのだろうか……。
彼は孤児院で育ち、銀貨一枚の養育費目当てに極貧の山手の農家に引き取られます。その後、平地の農家に売られた彼は、友人ヌートと触れ合うなかで字を覚えます。むさぼるように本を読み、労働と階級の意識に目覚め、しだいに地下組織(パルチザン)とも関係を深めていきます。故郷をあとにした彼は渡米して成功するも、すでに人生の道半ば。数十年ぶりに故郷を訪ねます。
本作は戦後まもない混乱期にかかれた(1949年)、パヴェーゼ最期の作品です。故郷の山や沢には、大雨で流されてきたドイツ兵のむくろが露わになり、いまだ戦争の生々しさが残る、リアルで写実的な作品です。その一方で、どこか神話的・呪術的な雰囲気が漂っていて、貧しい寒村の閉塞感やグロテスクさをより際立たせています。このあたりはカルヴィーノの短編もふくめた初期作品に相通ずるものがあって、親近感と大きな繋がりを感じて嬉しくなります。
作品全体のトーンとしては決して明るいものではありません。月明かりのような仄暗さに覆われています。そのぶんしっとり落ち着いた作品世界が楽しめます。まちがっても、語り手の視点が飛び乱れたり、時空が歪んでみたり、わんさか人が登場したりするようなことはありません。
寄る辺ない彼の孤独、自己の存在の揺らぎ、根無し草のように生きてきた彼にとって、育った土地とそこに根づいて生きる幼なじみのヌートは、ある種の憧れであり、圧倒的な存在であり、はたまた力強い現実でもあった。ふと気づいてみれば、それらは彼の存在、生の拠り所なのかもしれません。
哀しみに染まった郷愁、淡い月の光、妖しく揺れる祭りのかがり火が混然一体となって、死と(再)生と希望を感じさせます。じつはパヴェーゼにはほかにも郷愁をさそう作品、初期作品の『故郷』がありますが、わたしは本作のほうがより素直で、明暗のバランスがとれていて、ほのかな生命の萌しを感じさせるいい作品だと思います♪
「サルトの丘には、ぼくの友達のヌートがいて、ぶどうの桶を作り、遠くカーモまで谷間一体にぶどう搾り機を卸している。これは何を意味するのか? 故郷(ふるさと)は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。故郷は人が孤独でないことを告げる。村人たちのなかに、植物のなかに、大地のなかに、おまえの何かが存在し、おまえがいないときにもそれが待ちつづけていることを知らせる」
***
先の大戦末期の前後に描かれたイタリア・ネオレアリズモ作品は、パヴェーゼのほかにも、ヴィットリーニ『シチリアでの会話』(1941年)、カルヴィーノ『くもの巣の小道』(1947年)などがあります。イタリアファシスト、ドイツナチズムとの壮絶な闘いの歴史、そんな勇猛な地下組織パルチザンの克己と偽善と悲哀、隠喩を駆使した幽玄的世界……それぞれ深い作品たちで面白い。
興味のある方に本作とあわせてお薦めします(^^♪ -
あるとき書店で見かけて以来、中身をほとんど読みもせず、これを読むまでは死ぬまい、と心に決めた本である。それを読んでしまったのだが、やっぱり、自分の直感に誤りはなかったと思う。内容についてここであらためて語ることは野暮でしかないので、語らない。まあ、これはどんな話にも共通しているけれど。気になったら読めばいいと思うし、気にならなければ読まなくてもよい。ただ、気になったのなら必ず読んだほうがよい。そんな話。
-
残酷さも貧しさも全ては美しい過去となり郷愁の中に葬られる。
地続きの今がその先にあるとしても。
篝火はすぐに焚けないけれど、外に出れば今夜も綺麗な月が浮かんでいます。 -
読んでいて、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い出した。
イタリア(といっても地方は違う)が舞台であることと、田舎を出て成功した主人公が一時帰郷するということからなのだけど、今作はずっとシビア。
孤児だった主人公の貧しい少年時代、主人公の回想と村に残った親友が語る周囲の人々の末路、過去よりなお悲惨な現状。
重苦しい物語だが、文章が非常に美しいために読み進めたくなる。
主人公は帰郷の間、自らの過去の幻を避けながら探すような複雑な心境でいたが、祭(=非日常)の時にはまた帰郷すると言い残した彼自身が亡霊のようなものだと思った。
ハッピーともアンハッピーとも言えない結末が絶妙。 -
一切が回帰する世界のなかで、物語は象徴に導かれながらすすみ、やがて始まりに到達する。すでに決められた世界から飛躍し、別の物語へと繋がるためには、神話と時代が必要なのだ。
パヴェーゼが目指したのは神々がまだ人間、動物と平等だった時代の共産主義的ユートピアなのだろうか。とすれば、死すべき者は常に不死である神々なのだ。 -
パヴェーゼの最高傑作と名高い本作。タイトルとゴッホの絵に惹かれる。個人的にはやや難解。『美しい夏』の方が個人的には好み。
-
私生児の主人公が故郷である寒村の丘に帰ってきて、昔を懐かしむような話。
1回で名前が覚えられない。 -
4.06/155
『イタリアの寒村に生まれ育った私生児の〈ぼく〉は,下男から身を起こし,アメリカを彷徨ったすえ,故郷の丘へ帰ってきた――.戦争の惨禍,ファシズムとレジスタンス,死んでいった人々,生き残った貧しい者たち……そこに繰り広げられる惨劇や痛ましい現実を描きながらも美しい,パヴェーゼ(1908-50)最後の長篇小説にして最高傑作.』(「岩波書店」サイトより▽)
https://www.iwanami.co.jp/book/b248364.html
『月と篝火(つきとかがりび)』
原書名:『La luna e i falò』(英語版『The Moon and the Bonfire』)
著者:チェーザレ・パヴェーゼ (Cesare Pavese)
訳者:河島 英昭
出版社 : 岩波書店
文庫 : 304ページ
メモ:
・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」