休戦 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2010年9月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784003271711

感想・レビュー・書評

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  • 『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か 』の続編とも言うべき著者の第二作目。ナチス・ドイツが戦争に敗れ、著者もアウシュヴィッツ収容所から解放されたのち、紆余曲折を経て、故郷イタリアに帰還するまでの記録。文章力があるので、読んでいてまったく飽きなかった。収容所時代よりは希望のない生活ではない。しかし、「終戦」ではなく「休戦」しているに過ぎないと受け取れる世界観にのちに筆者の自殺につながる悲観主義が根底に流れている。私はその悲観主義が好きだ。

  • 973

  • フランクルの『夜と霧』の次に読んだ。淡々と、思った以上に明るく話が進むものの、その終わり方と最後に作者のその後を知ると、言いようもない苦しい気持ちになる。解放され、世界がどんどん「戦後」になっても、収容された彼らの戦いはずっとずっと終わらなかったんだなと。

  • 第二次世界大戦のソ連を舞台にした小説を読んだので、積読状態にしておいた同時期のこの本を読むことにした。

    複雑性PTSDの患者の整理しようのない感情と絶え間ない苦痛と非人間的な環境に対する絶望の吐露ではじまり、自分の人生を取り戻せないまま終わる。

    彼はがん治療で苦しむ母を見て呼び起こされたラーゲリの記憶に、追い立てられるように投身自殺をした。彼はとうとうラーゲリ以前とラーゲリ以後の人生を統合できなかった。
    読んでから気付いたけれど、この本の題名は「終戦」ではなく「休戦」だ。彼だけではなく多くの人が人生を戦争の悪夢に塗りつぶされてしまった。

  • ギリシア人とツェーザレの生き方の対比が印象に残った。
    ギリシア人が魚を売っていたら、子どもの視線にたえられず魚を放り出したツェーザレとは違い、やせて衰弱した女と子どもたちに何も残さなかったにちがいない。彼にとって、人生はいつも戦争なのだ。

    「チェーザレは自由であり、ギリシア人は自分自身の奴隷だった。
    後者は吝嗇で、理性的であり、前者は浪費家で、夢想家だった。ギリシア人は自分以外のすべてと永遠に戦う一匹狼で、歳よりもずっと老成しており、よこしまな野心の輪の中に閉じこめられていた。チェーザレは太陽の子で、全世界の友達であり、憎しみや侮蔑を知らず、空のように変わりやすく、陽気で、狡猾で、純真で、大胆かつ細心であり、ひどく無知で、とても無邪気で、非常にたしなみがあった」

    「チェーザレの企てに立ち会うのは、それが控えめな、ありふれたものであろうとも、またとない経験になったからだ。それは生命力を高める、生きた見せ物であり、私と世界を和解させ、アウシュヴィッツが奪った生きる喜びを、私の中で燃え上がらせてくれたのだ」

    ギリシア人は、ツェーザレよりもしぶとく、長く生きるやり方をしていると思う。それは、彼がアウシュビッツで二年間生き抜いたことが証明している。

    しかし、それでは本当の人間にはなれない。彼はアウシュビッツから解放されても、奴隷のままなのだ。主人がドイツ人から自分自身に変わっただけである。

    フロムの「愛するということ」と合わせて考えたい内容だった。

  • 戦争は終わってもまだ続いている。

    アウシュヴィッツ解放後、混乱の東欧各国へ移送され、帰郷までを綴った手記。

    国境を越えた民族間の交流が、
    混沌とした大陸に秩序の融和をみた。

    投獄中の陰鬱な魂を浄化し、人間性を回復する彷徨ではなかったか。

  • ホロコーストに関する「基本図書」の一つレーヴィの「これが人間か」を読んで、あらためて慄然とした。続けて、ホロコーストに関する本を読むのは、つらいが、「これが人間か」のその後を知りたくなるのは人情かな?

    フランクルの「夜と霧」は家に帰るところまで書いてあったと思うのだが、「これが人間か」はソ連軍によるアウシュビッツの解放で終わって、そこから故郷に帰る話しは書かれていない。人の心理としては、「帰還」の旅をしりたいわけだ。

    そういうわけで、レーヴィのアウシュビッツから故郷のトリノに帰るまでの話を書いたのがこの「休戦」。

    アウシュビッツが解放されたら、すぐ帰れるかというと、そうではない。1945年1月はまだ「戦争は終わっていない」、ヨーロッパでの戦争終結は、5月なのだ。そして、日本が降伏する8月まで戦争は終わっていないのだ。そして、戦争が終わろうとするなかで、すでにソ連とアメリカの戦争が始まろうとする雲行きなのだ。

    そういうわけで、ソ連の支配下にあったポーランドから旧敵国のイタリアには簡単には帰れないのだ。

    結局、レーヴィがトリノに帰るのに約9ヶ月がかかり、その間、あちらこちらの収容所、抑留施設をまわることになる。

    ソ連による抑留というと、シベリアでの強制労働みたいな話しになるのかと思ったら、そんな感じではない。

    ソ連というか、ロシア人の東欧での支配は、おおらかというか、大雑把なもので、収容所といっても出入り自由だし、誰がいるのか、何人いるのかも把握していないゆるやかなもの。食事も無秩序なものながら、ロシア人も含めて、みんな同じものを食べている。カオスではあるが、人を差別しているわけではない。まあ、よくもわるくも「人間的」なものだったようだ。
    (「解放」してもらった恩義もあるのか、レーヴィのロシア人の描き方は、概ね、肯定的。当時のソ連はスターリンが支配しており、ここはここで、もう一つの「収容所群島」だったはずなのだが。。。現実はいろいろな側面があるということか)

    そうしたなか、アウシュビッツで徹底的に人間性を否定され、個性をなくした人々が、すこしづつ人間性を取り戻してくる。なんだかキャラがたってきていて、ほんと人間って多様だな〜と思う。

    この9ヶ月の物語は、一種のピカレスク・ロマンとでもいうもので、著者の冒険が描かれていて、そこまで暗くない。

    というわけで、「これが人間か」の救いのない世界から解放されて、ちょっとほっとするわけだが、アウシュビッツの傷は、完全に癒されることはない。

    日常に戻っても、それが常に戻ってくるのではないかという深いおそれがある。今、ちょっとした「休戦」の期間で、そのうち、また戦争、収容所という現実が戻ってくるのではないかという恐れをもって、この帰還の物語は静かに終わる。

  • この本も、読み終えて、すぐには感想を書けなかった一冊。絶滅収容所を生き延びて、祖国イタリアに生還する様を描く。
    結果として、21世紀を待たずして、また、混乱と 収斂と拡散の1990年代を見ずして、自死したプリーモ・レーヴィ。
    その残された詩文を、一行一行、確かめていきたい。

  • アウシュヴィッツからイタリアに生還した筆者の、解放から帰国までの旅路について。様々な人間が非常に、非常に豊富な表現で、ときにユーモアを交え描かれておりすばらしい。

    (本題からは外れるが)ナチスの蛮行によりこのような才能がどれだけ葬られたのかと考えるとつらい気持ちになる。

  • 怒涛のレーヴィ第三弾。
    大戦。アウシュヴィッツ。そして「書くこと」。
    「悲惨な」体験であったアウシュヴィッツを「悲惨な」という言葉の中に閉じ込めないようにするには、血の滲む努力と自制心が必要だろう。それをレーヴィは『アウシュヴィッツは終わらない』と本書の中で成し遂げている。単なるセンチメンタリズムではない、本当の記録文学がここにある。

  • プリーモ・レーヴィの「見る」という行為は実に静かで淡々としたものだ。それは彼が化学者であったことに起因するのであろうか? わかならない。ただその視線が自分の人生をも突き放して見つめることを可能にしたことだけは確かだ。
    http://sessendo.blogspot.jp/2015/07/3.html

  • [ 内容 ]
    人間の肉体だけでなく、魂をも破壊した“アウシュヴィッツ”という死の世界を体験した者が、いかにして普通の世界に戻っていくのか、いかにして一度失った生を新たに獲得していくのか―。
    絶滅収容所を奇跡的に生き延びた主人公=作者レーヴィ(1919‐87)が、故郷イタリア・トリーノに生還するまでの約9カ月の旅の記録。

    [ 目次 ]
    雪解け
    大収容所
    ギリシア人
    カトヴィーツェ
    チェーザレ
    ヴィクトリー・デイ
    夢見るものたち
    南に向かって
    北に向かって
    クーリツァ
    古い道
    森と道
    ヴァカンス
    演劇
    スターリエ・ダローギからヤーシへ
    ヤーシからリネアへ
    目覚め

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 同著者の「アウシュヴィッツは終わらない」が収容所から解放された瞬間で終わっているとするならば、まさにその瞬間から、イタリアの我が家に帰り着くまでを描いた作品だ。

    収容され人間らしさを剥奪された状態から、辛く厳しい道のりではありながら、自由・交換・栄養を得て人間らしさを回復していく過程が描かれている。
    国民性を思わず嘆きたくなるくらいの明るさだ。

    例をとるなら「食事の配給用に配られた皿-これは次の配給には必ず必要になるもの-を鶏が食べたいと交換してしまう」そんな彼らは間違いなくラテン気質だ。
    今が暑いからといってシャツまで脱いで交換してしまう、その『何とかなる』という姿勢は、他の収容所文学では見たことがない。

    しかし、一見明るさに満ち溢れたこの作品も、著者が87年に自死した事実を知ると単純に見ることができなくなる。
    映画監督エミール・クストリッツァと同じく、「明るさと苦味」が共通しているように感じた。

  • 著者はアウシュビッツを生き延びたイタリア系ユダヤ人。解放後、イタリアに戻るまでの8ヶ月の記録を記した本著は『遥かなる帰郷』として映画化されました。

  •  ドイツ軍に捨てられたアウシュヴィッツ収容所から著者の故郷であるトリノに帰るまでの、長い旅がこの話の舞台となる。終戦間際(直後)の混乱期、著者は長旅の中でギリシア人をはじめとする多くの、様々な国の人たちと関わり合う。時には助け合い。時には騙し合いながら、幾多の苦難をひたすら耐え凌いでゆく。
     話の舞台とは対照的に、ところどころで以外にも笑いを誘うような場面があり、読んでいて楽しくなるところも少なくない。特に終盤で見られるユーモア溢れる場面は、前半に書かれている多くの悲劇を一瞬ではあるが忘れさせてくれるほどであり、旅を続ける中で著者がだんだんと生を回復しつつあるのだな、と読者を和やかな気分にさせてくれる。だが、このユーモアこそが収容所で一度生を奪われた著者が渇望していた喜びであり、生なのだと思うと、改めて著者が置かれていた状況に震え上がる。
     そして、物語は突然灯りが消されたかのように暗く静かに幕を閉じる。この部分に関しては、訳者により非常に丁寧な解説が付いているので割愛する。戦争について語ることすらできなくなるほどの、底の知れない恐ろしい闇が広がっている、とだけここでは書いておきたい。

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著者プロフィール

1919年、イタリア・トリーノ生まれ。トリーノ大学で化学を専攻。43年イタリアがドイツ軍に占領された際、レジスタンス活動に参加。同年12月に捕えられ、アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。生還後、化学工場に勤めながら作家活動を行い、イタリア文学を代表する作家となる。その円熟の極みに達した87年、投身自殺を遂げた。

「2017年 『周期律 新装版 元素追想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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