タタール人の砂漠 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2013年4月16日発売)
4.10
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784003271919

みんなの感想まとめ

孤独で無為な日々を過ごす主人公の姿を通じて、人生の虚しさや時間の流れを深く掘り下げた作品です。辺境の砦に配属された若き将校ドローゴは、いつか来る敵との戦いを夢見ながら、何も起こらない単調な日々に埋もれ...

感想・レビュー・書評

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  •  最近ブクログのおすすめなどで目にし、気になっていた一冊です。万城目学さんや森見登美彦さんが「おもしろい」と絶賛し、SNSで話題になり再評価されているらしいです。

     13年前に岩波文庫から出版されましたが、作品そのものは1940年の古典作品。著者はイタリアの作家ブッツァーティで、神秘的・幻想的な作風でカフカの再来と称されているようです。

     主人公の若き将校ドローゴが配属されたのは、無用の国境線上にある古びたバスティアーニ砦。砂漠の果てに立ち、かつては名誉だった国境守備隊も、いつか来ると信じる敵(タタール人)との戦いを待ち続ける、不毛で空虚な所でした。

     物語は、この隔離されたような辺境の地で、何も起こらない単調で退屈な日々を描きます。絶対来ないと思いつつ、いつか敵が攻めて来て武勲を立てるという幻想を抱き、兵士たちは現実から遠避かっていきます。

     人生や仕事の価値・成功を夢見ながら、単調な毎日の現実に埋もれ、時間の経過とともに可能性や若さを失っていくのは世の常です。人間の普遍的な心理が絶妙に表現され、歳を重ねた人にほどその哀切さが沁みる気がします。

     「諸行無常」とは真逆の、万物がまるで変わらず永遠に留まる世界…変わるのは自分だけ…。その情景と心理の寂寞で陰鬱な表現が秀逸でした。人生は選択の積み重ねで、過ぎ去った自分の姿と思わず重ねて読んでしまう、とても滋味深い一冊でした。

  • 士官学校を卒業して期待に胸膨らませながら赴任した先は辺境の砦だった。国境にはタタール人の砂漠と呼ばれる荒涼とした荒地がひろがる。国境警備に就いたドローゴ、砂漠の向こうからいつ敵が攻めてくるかもわからない。それを迎え撃つのが使命なのですが、何も起こらないと鬱になりそう。
    一般人の多くが夢を追いかけて経験するであろう人生の挫折や絶望、受動的に何かに期待して生きるってこんな感じなんだと思いました。
    どんな生きたかも選択できる社会環境の中、掴んだものは掌からこぼれ落ちてゆく砂なのか、多くのものを呑み込んでしまう砂嵐なのか、いつ攻めてくるかも解らないまま無駄に時間だけがすぎてゆく。
    映画のようにちょうど良いタイミングでラストがくるといいのだけど、エンドレスに流れる時間は4ヶ月が過ぎて2年、4年、15年、30年とあっとゆう間に過ぎてゆく。
    追いかけてする後悔か、諦めてする後悔のどっちを選ぶって問われたら。若い頃は呑気に構えていたのだけど、時間が有限だと感じるようになった今ではできる限りジタバタ過ごしてみたいと感じてしまう。

    余談ですが、
    何処の砂漠なんだろうってグーグルの衛星写真みてたらアフリカ大陸の北部は鮮やかな砂色、えっ子供の頃みたアフリカ大陸の地図より砂漠化進んでるような景色に唖然としました。

  • 主人公は辺境の地にある「砦」に赴任し、異国からの攻撃、戦が起きて活躍すること、何かが起きることを夢見ながら過ごすことになる。
    だが何も起こらないは日々が続いて…

    主人公と同じように、小説なのだから何か事件が起きるのではないか?と期待しながら読み進める。確かに事件はあるにはあるのだが、期待とは違うモノだった。

    読んですぐに普遍的な「よくある人生」を描こうとしているのが伝わり、主人公に自分を重ねてしまう。どうにも読むのが辛くてコレがまた「遅々として状況が変わらない感じ」にリンクしてしんどかった。だけど章ごとに時は残酷に、加速しながら進むのがまた…

    「諦めない」けど変わらない残酷さ、行動を起こせないと何も残らない。決断力の無さと不運が続く。

    「刺さった」と言う言い方をする方が多いけど、この本は「気づいたら刺し込まれていて、少しずつ刃が回転している」感じでした。


  • なにか価値がある出来事が起こるのではないかという期待を抱きながら、単調な無意味に思える日々をやり過ごす。そうして容赦なく時は流れ、終わりは唐突にやって来る。寓話的な作品。

    砦に引き止めようとする目に見えない力、それは自身の心の内にあるー
    憤りや抗うことなく、流れていく。静かな作品。
    最後のシーンがよかった。一時の陶酔だとしても。

  • 幻想小説の世界的古典といわれる一冊、そしてついに手に取ってしまった岩波文庫。

    本を読むなら岩波文庫だけを読めばいいと言われながらも、自分が手に取るのは10年位先で、その後会社勤めも終えてからゆっくり読んでいこうと思っていました。

    そう思っていたにも関わらず手にしてしまった。

    それ位、本書を読みたかったんだと思います。

    実に深い。

    会社の同僚が貸してくれた本を2冊間に挟んでしまい、平日の仕事を終えた後とはいえ、読み始めてから読了までに都合4日もかかってしまいましたが、実に静かなストーリーでした。

    そこには華やかな色味はさしません。

    主人公は辺境の砦を守るジョヴァンニ・ドローゴ。

    30章、全340Pからなる本作は章を追うごとに時間の経過する速度が上がっていきます。

    人生のうち30年もの時を辺境の砦でいつ襲ってくるかもわからない敵を待ち続ける人生。

    それが本作の本筋ですが、それは一般的な人の人生を写し出した鏡の中のような世界。

    歳を重ねる毎に時が経つのは早まり、孤独の中で夢を追い続ける。

    人の生涯(人生)について今までとは違った視点で考えるきっかけとなりそうです。

    読み終えたからこそ本書が世界中で多くの人に読み続けられている意味がわかったような気がします。


    説明
    内容紹介
    辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ――。神秘的、幻想的な作風で、カフカの再来と称され、二十世紀の現代イタリア文学に独自の位置を占める作家ディーノ・ブッツァーティ(1906―72)の代表作にして、二十世紀幻想文学の世界的古典。1940年刊。
    内容(「BOOK」データベースより)
    辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちつつ、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―。神秘的、幻想的な作風でカフカの再来と称される、現代イタリア文学の鬼才ブッツァーティ(一九〇六‐七二)の代表作。二十世紀幻想文学の古典。

  • 淡々としている中世の軍人さんの話。

    世界観やゆったりした時間の流れは秀逸です!なかなか話が進まないけど、進み出したらラストまでノンストップ!

    石橋を叩いて渡らない人には刺さる内容かなぁー。

    人の価値とは、、うーん。再加熱した理由も分かる昔の名作でした。

  • 士官学校を頑張って卒業した若き将校、ジョヴァンニ・ドローゴが最初の赴任地バスティアー二砦へ着任。
    軍に貢献する、武勲をたて出世すると、期待とやる気に満ちて配属されたその砦。なにもない。
    場所も辺鄙。近隣の村まで30キロ。そして砦が防御するは、北に広がる茫漠たる「タタール人の砂漠」。なにもない。なんの気配もない。
    攻められる気配など一切ない。
    そんな何もない場所、何も起こらない場所に配属された者たち。
    長い間そんな環境にさらされ、心理学の感覚遮断実験よろしく、無から有を生み出そうとしてくる。
    ほんのちょっとした変化が「戦争だ!ついに戦争だ!!」と兵士達をヒステリー的な歓喜に導く。
    すべては砂漠の蜃気楼のよう。
    その何もない、何も起こらない中でのジョヴァンニ・ドローゴの人生は果たして。

    というのがあらすじであり、基本何も起こらない。
    ただ、はっきり言っておく。めちゃくちゃ面白い。めっちゃくちゃ面白い。
    この物語は、人生に対する寓話である。
    何かがきっと起こる、自分は変わる、成功する、とその機会をひたすらに待つ。
    時間は気づかぬ間に浪費され、待っていた間に自分が十分に老いてしまっていることを知る。
    チャンスはいつか来るかもしれない。でもそれは、自分が若いときであるとは限らない。
    そしてチャンスを掴んだ者も、そうでない者も、必ず訪れる死。
    その死の間際にどう思うか。ジョヴァンニ・ドローゴはどう思ったか。
    そうそう、そういうことなんだよな人生って、と膝を打つ。

    また、情景の描写、とりわけ、人物の心情を反映した情景描写が圧倒的に素晴らしい。
    砦を取り巻く自然。砦を取り巻く大地。砦に差し込む光。
    文章で景色をここまで美しく表現できる作家はそうそういない。
    そして人々の気持ちが、この美しい描写の中に溶け込んでいるのだ。
    ブッツァーティはもともと新聞記者だったということもあるのかもしれないが、それにしても群を抜いている。

    私の筆力がなさすぎて伝えきれないのが残念なのだが、これはもう実際に読んで欲しい。
    本当に素晴らしい。この人生で出会えて良かった一冊。

  • 何ひとつ事件らしいことは起こらない。
    それを、これほどまでに、皮肉に、虚しく、残酷に、容赦なく、恐ろしく、なのに、悲痛な美しさで、しかも、ここまで面白く書くとは。 
    なにより、「身につまされる」とはこういう感覚のことか…とまざまざと体感してしまった。

    若い将校が、辺境の裏寂れた砦で来ることのない敵を夢想し期待しながら人生を浪費し続け、そして、その幻想がようやく現実になった時には…というお話。 

    訳者解説にもあるように、「この小説の主人公は人生というもの自体である。」

    基本的に本の趣味の合わない作家の万城目学さんと森見登美彦さんが、珍しく2人とも面白いと意見が一致した本、ということで話題になったことがある本書。
    確かに、多くの展開を繋ぎ合わせて物語を構築するのが作家であれば、何も起こらないことを、ここまで深く鋭く、面白く書いた物語なんて、心に残って仕方がないと思う。

    本書内の実質的分量比に、人生における時の流れの「感覚」までも落とし込んでいることには、もはや、参りましたと白旗を上げたくなる。
    ある程度の年齢になった人なら絶対共感するはず。
    「歳を取ると、一年経つのって早い」
    あれです。

    10年後に再読したい。
    でも歳を取れば取るほど、身につまされるどころか、恐怖が迫ってくるだろうな…。

    「まさしくその夜に、彼にとっては取り返しようのない時の遁走が始まったのだった。」

  • 歳をとるにつれて感じるものが増えるであろう作品。
    同じ日々を繰り返し、いつか何かが起こるのではないかと幻想を抱きながら、気づけば年老いて死ぬ。
    現実とはこうゆうものだ、というのを思い出させ、変に焦りを感じたり、これはこれで、淡々と日々が過ぎて死ぬというのも悪くないのではないかとも思う。


    そして、そうしたうわべは日常性に埋没しきったような暮らしの中で、〜いずれ未知のなにかが、運命的な出来事が起こるのではないかという期待を心に秘めながら、ただじっと待ち続ける。そして、彼らのそうした漠然とした期待から生み出されたのが、北の砂漠からの伝説のタタール人の襲来という幻想であり、あるいは、わずかに現実味を帯びたものとして、北の王国の軍隊による攻撃という期待である。

    こうした幻想、期待を抱く一方で、結局はなにも起こらないままに終わってしまうのではないかという不安、焦燥感に苛まれながら、神秘的な霧に包まれた、謎めいた北の砂漠の方をい続けて、砦から離れられない。

    結局、死によってはじめて、期待と不安と焦燥との間に宙吊りになったまま、むなしく人生の時を過ごすという苦しみから抜け出しうるのである。そして、死こそは誰にでも必ず訪れる未知のもの、決定的な、宿命的なものであり、死のみが生というものの不条理から人を解放してくれるのである。p344訳者解説より

  • 士官学校を出た若き将校ジョヴァンニ・ドローゴ中尉は北の果ての「タタール人の砂漠」がそこにひろがっているというバスティアーニ砦に任官する。北からの敵の見張りをするのだ。自宅での母から自由になりたいという思いもあり、馬に乗りひとり行く。描写から頭に浮かべたのは、茶色のごつごつした岩だらけの道。谷底に目がくらむような細い道。情景描写に魅せられる。

    人数も2,3人しかいないようなところか?と思いきや見張りの歩兵とか70人はいる、という描写もある。同僚アングスティーナのいる食堂では、
    「・・食堂にはもう夜のもたらす感情が重く立ち込めていた。不安が崩れかけた壁から忍びいで、不幸が甘美な情緒となり、魂が眠りに落ちた人間たちの上に誇らかに翼を羽ばたかせる時であった。・・」 修飾文にアイリッシュが頭をかすめるが、アイリッシュが都会の喧騒なのに対し、こちらはあくまで静謐な月明り、といった趣。その文体がとてもここちよい。

    砦では、料理人、軍服を縫う仕立て屋、などもいる。そして上官や同僚たち。ただひたすら敵に備え砦を守る任務。友は月明りだけ、のような印象。緑の木々も感じられない描写。驚くことに大尉や仕立て屋などゆうに20年はここにいる、というのだ。病気の診断書があれば4か月で帰れるというが・・ ドローゴはさてどうしたか? ふもとには婚約者もいるのだが・・

    最後はまったく予想もしない結末だった。
    深読みすれば、人生を「タタール人の砂漠」を介して描き出した、ともとれるが、最後には何ともいえない感慨が下りてくる。砦に虜われたドローゴと自分の人生を比べてみると、たいして違いはないのではないかという気がした。「タタール人の砂漠」の文体、静謐な修飾文に浸される、という小説を読むことの幸福とはこれだ、という思い。

    解説では、1976年に映画化されたとある。監督:ヴァレリオ・ズルリーニ ジャック・ペラン、ジュリアーノ・ジェンマなどが出演。映画では舞台は19世紀末のオーストリア・ハンガリー帝国の辺境の砦という設定だという。

    1940リッツォーリ社より刊行
    1992.1.15初版

  • 襲来するはずのない敵から砦を警備し続ける主人公を通して、運命的な出来事を期待し続けながら、単調な暮らしの積み重ねにより人生の大事な時期が過ぎ去ってしまう悲しさや不条理が描かれる。時の遁走の恐ろしさが共感できます。限られた人生の時間の中で、はたして何をすべきなのか…

  • とても突き刺さる本だった。仕事とは、人生における生きる意味とは、納得のいく人生とは。無用の長物と言われることの屈辱、悲しい、悔しい、虚しい、歯痒い、見返してやりたい。何かそういう切実な感情が強ければ強いほど後に引けなくなるのかもしれない。

    レビューで結末は知っていながらもドローゴや他の大尉達の心理描写が巧みで引き込まれるようにあっという間に読み終わった。


    幸福とは相対的なものなのではないか?もっと幸福そうに見えるものを知っていたり経験した事があるから惨めな気持ちになるのではないか?世界が元々砂漠の砦のようなものであればそのような惨めな気持ちになることもないのではないか?
    では幸福そうに見える街での生活に身を置けば惨めな気持ちにはならないのか?いや、きっとドローゴは街に帰っても幸せではなかったかもしれない。もっと相対的に上と思える人やものに会って結局は惨めな思いをしていたのではないかな?
    結局は今のFBとかインスタとかと同じで、他人の幸福そうな状況と自分の状況は比較する事での惨めさを感じるくらいなら比べない方が良いとも言えるのか。


    トロンクやプルズドチモの話はドンキホーテの話に似ている。風車を敵に見立てて騎士道を夢見る夢物語。違いは本作ではそれを痛いほどに本人達が痛感しているにも関わらずサンクコストバイアスのためか見返り(輝かしい名誉ある戦績など)を求めて抜け出せずにいること、そしてそんな夢物語に絶望している事か。
    しかし既に15年の歳月という高過ぎる代償を払ってしまい今更引くに引けず、その絶望的な状況を考えるととても正気でいる事ができない。また砦の外の世間からは役立たずの無能な人間と蔑まされていることに耐えられない。
    だから自分を納得させ、砦での生活に意味を見出すための口実として、あり得ない伝説としてタタール人伝説が生まれたのだと。

    最初は日本で言うと江戸時代の泰平の世の中での武士に似てるのかなと思っていたけど、これって普通に現代の生活や仕事とかにも当てはまるなと何となく感じてくる。
    単調でこの仕事に意味があるのだろうか、こんなことに人生の時間を費やしていいのだろうかと自問自答したくなる日々。
    そこに自分、自分達で納得のいくような理由をつけて意味付けをしていく。誤魔化しでも妄想でも自分を納得させないと正気を保てない事っていくらでもあるよなと思う。



    でも普段から鍛えたり努力をしたりしている事が一度も日の目を浴びる事なく使われる事なく、無為に廃れしおれ朽ち果ててしまうこと、世間から無用の長物と思われる事が、屈辱的で、悲しい、悔しい、虚しい、歯痒い、見返してやりたい。
    何かそういう切実さがあって引くに引けなくなったのだろうな。

    来もしない敵襲に備えて毎日規則正しく軍規を守っている事は滑稽でもあり悲しくもある。


    ドローゴが孤立してしまったのは、過ぎ去った月日のせいでもあるけど街にいる家族や恋人の事を考えたりしなかったせいじゃないのって思ってしまう。逆にマリアがよく4年も待ってくれていたよなと感心する。やはりドローゴは4ヶ月の段階で、名誉ある戦績などを期待せずに街に帰っていれば良かったのだろうか?4年経った所で一旦街で絶望を感じたとしてもそこから挽回を目指して遅れを取り返すべきだったのか?


    ドローゴから得られる人生の教訓というのはよく分からないが、自分にとって本当に大切なものとは何だったのかをよく考えてそれを優先して生きるべきである事と、もし誤っているかもしれないと思ったならそこに費やしてしまったコストを捨ててでも潔く退く勇気とでも言うものだろうか。

    バッツァーティの生まれ育ったというイタリアのベッルーノから見えるドロミテの山々もいつか見てみたいと思った。



    -------------
    以下自分用の備忘録
    ネタバレ含む


    タタール人 遠い昔の伝説

    1 ドローゴ 出発する
    2 砦に来て絶望する
    3 初めて荒涼とした砂漠を見て絶望する
    4 水槽の音で眠れない
    5 規則にこだわるトロンク
    6 ドローゴ母への手紙
    7 ドローゴ、ブロズトチモと老人
    8 去るラゴリオと残るアングスティーナ
    9 ドローゴ、軍医に残る決断を表明
    10 ドローゴ 砦に慣れてしまう
    11 ドローゴ 2年後、夢を見る
    12 規則を破ったラッザーリ撃たれる。トロンクに無言の圧迫を受けるモレット
    13 マッティとトロンク
    14 決断しないフィリモーレ大佐、測量隊だった
    15 アングスティーナ凍死
    16 ドローゴ4年経つ オルティスとの対話
    17 作者ドローゴに語りかける
    18 ドローゴの街に戻るが空回り
    19 マリアとの再会とすれ違い
    20 街の将軍との面談
    21 ドローゴ 砦に戻る、流刑地のはけ口としての造られたタタール人伝説
    22 シメオーニ、オルティスとの対話
    23 望遠鏡禁止の布告
    24 再び敵襲の希望と期待が駆け巡る
    25 15年の月日が流れた。無気力で人生の峠を超えて愕然とするドローゴ
    26 オルティス退職、まだ敵襲を期待する言葉
    27 ドローゴ 54歳 病床につきついに敵襲
    28 シメオーニに砦から追い出される
    29 馬車の中のドローゴ
    30 病床のドローゴ、最期の時



    ジョバンニ ドローゴ 中尉 主人公
    バスティアーニ砦
    フランチェスコ ヴェスコーヴィ 友達
    マリア ドローゴの婚約者、ヴェスコービの妹
    オルティス大尉 少佐 熱心に取り組む 手遅れだと諦め
    サンロッコ村
    マッティ少佐 第一副官 勿体ぶった上司 自分の徳性の完璧さを押し付ける
    カルロ モレル中尉 気さく
    フランチェスコ グロッタ中尉
    マックス ラゴリオ伯爵 2年で出る
    ピエトロ アングスティーナ中尉 2年で出ることを躊躇っている
    トロンク曹長 22年勤務 65 厳格な規則
    プルズドチモ 仕立て屋 15年いる
    フィリモーレ大佐 待ちすぎたのだ総司令官
    スティツィオーネ大尉
    フェルディナンド ロビーナ 軍医
    ジェロニモ 従卒
    ラッザーリ 規則を破って撃たれる148
    モレット ジョバンニマルテッリ ラッザーリを撃つ
    モンティ大尉
    シメオーニ 3年目の後輩

    32 不意に孤独を感じた。厳格無比の規律の他にいかなる栄光もない、甚だ拘束的な世界であった。

    41 自尊心と馴染んできたものと生活に戻りたいという思いが彼の中で交錯していた

    45〜47 砂漠の方面を見て絶望?する描写 少しわかりにくいが前後からしてそうなのだろう

    52 絶対的な静寂が砦の唯一無二の支配者に
    55 青春を虚しく費やさなければならないとしたら

    65 馬鹿げた規則にのめり込んでいる。22年間勤務して彼に何がなかったのだろう?

    81 15年ですよ。うんざりもしますよ。でも決してここから出ていくことはありますまい。早くここから出て連中みたいな病気に取り憑かれないように。

    85 大佐は重大事件が起こりつつあると言ってもう18年になる。ここは重要な砦なのに街では全く評価されていない、とそうお考えなのです。
    あなたは暗示にかかりやすそうだからここに居座ってしまいそうな気がしてなりません。あなたの目を見ればわかります。

    84 しんと静まり返った地下室の中でドローゴは急に激しく鼓動を打ち始めた自分の心臓の音を聞いた。穴蔵みたいな地下室に引きこもって帳簿をつけている老人も、みじめったらしい男でさえも元は兵隊として英雄的な運命を待っていたのだろうか?老人はほろ苦い悲しみを込めて微かに頭を振った。もう手遅れです、もう決して元に戻ることはないのですと言わんばかりに。

    北の砂漠からは運命が冒険が一度は訪れる奇跡の時がやってくるに違いない。時と共に怪しくなってくるこうした漠とした期待のために大の男たちがこの砦で人生の盛りを虚しく費やしているのだ。彼らは身を寄せ合うようにして同じ希望を抱いて暮らしているのだ。

    生きている間ずっとこうなのか?いやそんなことはありえない。なにか価値のあると言い得る事が起こるに違いない。
    94 人生の野心的な流儀に従った。彼らにはそれは馬鹿げた妄想に思えた。

    105 帰る場所もまた退屈、陰気、正気のない顔、退廃的。目には見えぬ北方から自分の運命が迫ってくるのを感じた
    高揚した気持ちが幸福にも似た奇妙な苦痛に変わるのを感じる
    107 彼の中で習慣のもたらす麻痺や軍人としての虚栄心、日々身近に存在する城壁に対する親しみが根を下ろしていたのだ
    110 こうして彼の知らぬ間に時の遁走が展開されていくのだった

    113 人生における良きことの全てが彼を待っているようにも思えたのだ

    117 月はゆっくりとだが夜明けを待ち侘びて片時も無駄にせず歩み続ける

    118 2年経った。いろんな事が起こりうる時間の中でまるで時が止まったようだった。同じ事が何度も繰り返され一歩も前に進まなかった

    子供に戻った夢を見る。貴重な品がいっぱい詰まった部屋がいくつも広がっていて館全体が裕福な幸せな人々のみが知っているサロン。あんな屋敷に住んで次から次へと新しい宝を見つけて歩けたらどんなに幸せだろう

    128 日暮になると一種の詩的な興奮を覚えるのであった。激しい戦闘場面の英雄的な空想である。何千というタタール人に包囲されるという想定にした。仲間の多くは戦死し自らも重傷を負うがなお指揮を取り続ける。援軍が来て敵は総崩れになる。国王に抱き抱えられ称賛される。決して実現することのない夢物語であったが人生を鼓舞するには役立った。控えめな空想をすることもあった。一度でいい、ただの戦闘であればいい。軍服に身を飾り敵兵に突進しながら、不敵な笑みを浮かべることさえできればいい。そうすればあとは一生満足する事ができるだろう。

    134 彼は運命の由々しい時がすぐそばを通りながら結局自分をかすめることもなく轟音と共に遠くに消え去り枯葉の渦巻く中一人取り残され恐ろしくもあるが、また大いなる機会を失ってしまったことを後悔するのにも似た一抹の漠とした幻滅さえ感じていた。

    150 マッティ少佐もきた。彼は自分の権威と権限を示したくてうずうずしているのだ。笑っているかのように見えた。直接叱責する事が苦手で冷ややかな尋問、書類の記入によ?調査というより仮借のない武器を弄ぶことの方が好きだった。軽い過失も恐ろしいほどに拡大されたいてい厳罰に処す事ができるからだ。

    169 運命の女神が妙に親しげな顔をして訪れてくるのをみた。フィリモーレはあえて近寄ろうとも思わず女神の微笑みにも応じなかった。これまで幾度となく欺かれてきたからだ。もうたくさんだ。かすかに会釈するだけで憧れを認めるだけで女神の姿は掻き消えてしまうのだ。かれは栄光の星の元に生まれたのではないのだ。
    フィリモーレはあまりに長く待ちすぎたのだ。ある年齢になると望みを抱き続けるのは大変な苦労がいるものだ。

    203 セバスティアーノ公の最期を描いた古い絵のように死のもたらす不快な肉体的な惨さの陰もなく画家がそこに気高さと優雅さを描きとどめていた。モンティはアングスティーナに対して羨ましさのような驚きの気持ちを抱いた。

    208 俺たちは戦さを好み好機を望みながら我が身の不運に腹を立てている。アングスティーナは死ぬ潮時を心得ていたよ。まるで銃弾でも浴びたような英雄のように。軍人らしい死に方をした。我々にだってなにか価値のあるものが常に巡って来ているんだ。アングスティーナはそれに高い代償を払う覚悟をしていたんだ。

    221 ドローゴなどなんら必要なかったように動いている。4年の間にみんなそれぞれの違う道を歩いていて互いに遠くかけ離れた存在になっていた。

    228 彼自身かつての彼ではなくなっていたのかもしれない。何かが二人の間を隔てていた。言葉では言いようのない漠とした決して消えることのないベールのような。
    かつての自分の居場所はやすやすと取って代わられ他人の世界になってしまった。そこに再び戻って来ても居心地の悪い見知らぬ顔、変わってしまった習慣、新しい言い回し、彼はそうしたものについていけないのだ。
    彼は別の道を行き引き返すことは愚かで無駄なことだった

    246 別に悲しそうでもなく反抗もせず辞表も出さず黙って不公平を飲み込んで元の場所に戻る。急激な変化を避けるこれまで通りの慣れた暮らしに戻ることを内心密かに喜んでさえいる。

    255 じゃああの熱狂は?タタール人の話は?ほんとうはすこしもきたいしていなかったのではないですか?   期待していた所ではない。心底信じていたのだ。ここらいささか流刑地に似ていて何かはけ口がいるのだ。なにか希望をつなぐもの。そこで誰かが考えついてタタール人のことを言い出したんだ。
    256 私はもうその歳ではない。もう出世の欲もない。静かな場所にいられたらそれで充分だ。

    267 将軍との面談で輝かしい出世は望みが薄いと気付かされたが一生砦の中に止まってもいられないという自覚もあり朝から早かれ何らかの決心をしなければならなかった。だがそのうち習慣が再びいつものリズムのようにドローゴを引き戻しいい潮時に逃げ出して行った仲間たちや財を蓄え名をあげた友人のことは考えずに流刑地同然のこの砦で彼と同じように暮らしている大尉などをみて彼らが弱者や敗者とは思わずに見習うべき最後の手本と考えて自らを慰めるのであった。

    多くの仲間たちが去っていき役にも立たない城壁での見張りをしなくてはならないという屈辱感があまりに生々し過ぎた。守備隊が半減されたことは参謀本部ではバスティアーニ砦などなんら重視していないことをはっきりと示していた。幻影を受け入れていたものも今では腹立たしい思いで払いのけていた。

    275 50を越えたオルティス少佐も月日の遁走に無感動に立ち会っていた。今では大いなる望みを捨ててあと10年すれば年金暮らしになるのだ、親戚のいる田舎の古い街に帰るのだと。ドローゴはそんな彼を理解できず同情の眼差しで眺めていた。街の人たちの中でもう何の目的もなくひとりぼっちで何をするのだろうか?年毎に望みを小さくしていくことを覚えたんだ。そのあとはもう待つだけだよ。義務を果たした満足感に浸りながらね。

    279 雪が溶けるとまた黒い斑点が往復運動を始めやがて確信が蘇ることを願っていたのだ。

    286 確信は次第に薄れて行った。人は1人っきりで誰とも話さずにいる時にはある一つのことを信じ続ける事は難しいものだ。

    292 階段を2段ずつ駆け上がる競争もしなくなった。肉体的には今まで通りだしその気になればできるに決まっているがそんなことを試すのは馬鹿げたことだ、余計なことだと。そんな気にならない、日向で居眠りをしている方が良くなったというのが由々しい事態なのだ。それが過ぎ去った歳月の証なのだ。
    今では人生の峠を超えてしまい自分はもう年寄りの部類に入るのだ。生まれてこの方40年経つのに何一ついい事はなく子もなくこの世で全くひとりぼっちのの彼は自分の運命が傾くのを感じて愕然として辺りを見渡した。
    爽やかな風が吹き抜け草は芳しく小鳥のさえずりがせせらぎの音に伴走している。自分の若かった頃の素敵だった朝と上べは全く変わっていないのに驚いた。

    301 ドローゴは若い頃からの運命的な深い予感が人生の良き事はこれから始まるのだというおぼろな信念を心に抱き続けているのだった。
    328 誰もが彼は去り行く人間でありもはや無に等しい存在だと知っているようだった。彼は世間から隔離された生活をして30年待ったのに追い払われた。一方で同僚は栄光を横取りしようと傲慢にも笑みを浮かべてやって来た。
    畜生めと口走ったがもうほっておこうとおもった。さもないと耐えきれぬ怒りが胸が張り裂けそうだったからだ。

    赤ん坊はまだ不安な夢も芽生えず望みも悔恨も知らず静かな澄み切った大気の中で無邪気にたゆたっていた。

    335 彼の人生は戯れに終わってしまったのだ。思い上がった賭けのために彼は全てを失ってしまったのだ。
    336 まだ若く健康な肉体を保ったまま死んでゆくのは美しく、親しい人の嘆きに囲まれて命を終えるのは哀れ。だが知らぬ土地で醜く誰1人として残す事なく死んでゆくほど辛い事はない。

  • 辺境の地で何十年も来るはずのない敵を警戒し、ただただ日々を空費する男の人生を描く。この物語に大きな事件は起きない。しかし男のつまらない毎日にある種の真理があると感じる人は多いだろう。読み継がれるべき名作だ。

  • 何事が起こるわけではない。ただ日々が過ぎて行き、気がついたら受け入れたくなかったものにさえ慣れ親しみ、軌道修正するには遅すぎた主人公の人生は、大方の人間のそれそのものといった感じ。
    若い頃は自分の人生は無限で、何でも出来ると錯覚を起こしがちだが、後半に入るとこんな筈ではないと焦りを感じ、結局はこんなものだったのかと自分の人生を受け入れるしかない。

    自分の希望を叶えるには、前もって準備が必要だったのに、主人公は怠ってしまったと気がついた時は後の祭り。しかも本意でなかったこと(場所)さえ、気がついたら安穏と受入れてしまっていたのに、そこさえ安住の地とはならなかった。何という無念。『転ばぬ先の杖』というシンプルな諺が浮かんだ。これって案外『言うは易し、行うは難し』なのだ。

    怖いのは、外からやって来る敵ではなく、内にある甘い見通しともいえそうだ。

    以下忘備録。
    読み終えて、安部公房の『砂の女』を思い出した。砂や砂漠に翻弄される主人公たち。いずれもストーリー展開が面白いわけではない。以前読んだ『砂の女』は、何を表現したいのか理解に苦しんだが、今なら少しは読みが深まっているだろうか? 要再読。

  • 面白かった!
    すごい。
    不穏で不気味な砦。
    そこにウン十年閉ざされる人々の心の霞がかった状態というか(むしろ本人は澄んでいる状態)、得体の知れない人間の心を描いた作品。
    面白い。
    怖い、と書かずにじわじわ忍び寄る時間の経過と身体の劣化。
    なんとも言い難い魅力のある本。

    (ふだんあまり本の趣味が合わないという、森見登美彦さんと万城目学さんが、ともに面白かった本、という紹介をTwitterで見たので、私も興味を持って読んでみた。
    はじめにブッツァーティの紹介を読む。
    なんかカルヴィーノっぽいな、と思ったら、そのジャンルの双璧だった人だ。
    カルヴィーノ愛読者を二十年以上やっているのに、今までこの人の名前すらろくに認識してなかったけど、これは期待できそうと読み始める。カフカっぽい、という紹介でやや警戒したけど読んで良かった。)

    最初に主人公が出会う、どこか不気味なオルティス大尉の心情は、のちに驚く形で明らかになる。主人公と大尉の間にはやや不思議な友情もうまれる。

    治外法権とでもいうのか、砦にある仕立て屋の世界が面白い。その兄はその後どうなったのか。

    のちに凍死する、友人の死を予感させる美しい葬列が印象的。

    後半、主人公が一瞬だけ地元に戻る際、彼は切望したはずの故郷に、何かちぐはぐな感覚を覚える。
    婚約者だった女性とも隔ったものを感じてならない。
    そのなかにも何度も修正するチャンスはあったのに、主人公は結局砦に戻ってしまう。

    読みながら読者は、早い段階で、たぶん主人公はずっと砦に留まるだろうとわかる。
    その世界から、逃れられない。
    孤立した要塞に、いつか来るかも知れない敵。
    敵の存在こそ、自分達を 居てもいい存在 にしてくれる。
    そんな敵を待ち焦がれるあまり、妄執に襲われる同僚。
    やがて…!
    しかし!
    そのとき、主人公はすでに…!
    …と、『何も起こらないが面白い話』と聞いていたけど、けっこうアレコレ大きいことが起こるではないですか。

    この小説の主人公は、砦であり、時間なんだろう。
    物理的に、心情的に、居場所を求めている男たち。
    それが叶ったとき、時間は既に過ぎている。
    そういう意味では恐ろしい話かも。

    砦も敵もないけれど、これに近い感覚は多くの現代の若者が持っているものだ。
    地元を離れて、閉ざされた場所(すべての人間関係が組織内で完結する場所=拘束時間の長いブラックな職場)で仕事についた人は、けっこうこんな心情になるのでは。

    (そういえば、前半の展開から『白い果実』を思い出したような。あれも凄かったなあ。あと敵を待ち望む矛盾した様子は菊池寛『恩を返す話』みたい)

    私は全然知らない小説だったが、ブクログでは登録数の多い本だったので驚いた。実は有名だったのかな。
    小学生だった私は図書室の本でロダーリにハマり、長じてからは、カルヴィーノ、ギンズブルク、タマーロ、ピッツォルノ、須賀敦子あたりが好きだった。いまも児童文学を含めてイタリア作家の作品に憧れている。
    この本と出会い、新たにブッツァーティを追いかける楽しみが増えた。

    イタリア文学が、日本でさらに多くの方に愛されますように。

  • 自分も主人公と同じく、なんだかんだで雰囲気に呑まれやすい性格で、抗おうとしても抗いきれず染まっていき、時間だけを無駄に浪費した経験が多々あります。それはそれでひとつの生き方としてありだと思いますが、後悔しても時は戻ってきません。

    希望や義務感はとても大切ですが、それらを信じすぎ自分に暗示をかけて動けなくなる前に手放すことも大切だと痛感しました。

    何か価値のある出来事は、待っていればそよ風が運んで来てくれるような物ではなく、自分で掴みとろうと行動して、初めて価値のある出来事になるんだなと感じます。

    本書を読んでこれからの生き方をどう運んでいくのか、何を選んでどう行動していくのか。
    自分の生き方を考えさせられる1冊になりました。

  • 滑稽な寓話であり、平凡な私の人生の物語でもある。存在さえ不確かなタタール人の侵攻に備えるためだけに築かれた砦、に配属された青年中尉。僻地勤めの失望、無為と停滞、延々と続くルーチンワーク。劇的な変化を期待しながら、抜け出そうとせず、過ぎ去っていく数十年。それが詰まらないかと問われれば、決してそんな単純ではなく…という摩訶不思議な一冊。

  • ・星4.2くらい。めちゃくちゃ面白いというより、本を通じて己の人生を見つめる一冊。
    ・とある一定社会的に地位のある方がSNSで「30代までは間に合う」と書いていたが、まさに。
    (とはいえ何歳からでも踏み出せるという信念は捨てずにいたい)
    ・新卒で入ったウルトラスーパーブラック企業のことを思い出した。ジュニアはこの会社に入った運命を呪い、ミドルが未来に全く希望を持たず、シニアは力がなくなり次第邪魔者扱いされ、内向きの会話がフロアを満たす、そんな場所だった。
    ・そこに囚われていた場合の私、仕事は出来るけどそれ以外の全てに負けてしまっている前職の先輩、色々な人が頭をよぎった。
    ・一方で「足るを知る」という側面も人生にはあるよな、と思ったり。動くべきか、今を愛すべきか、この判断は結構難しい。基準となるのは今の仕事(所謂労働だけでなくやっていること全般)と一緒にいる人との未来をある程度信じられるかどうかなのかな…?

  • 可哀そうなドローゴ
    なんとも空しい生涯なのでしょう
    砦の湿った埃っぽい空気感がすごく伝わってきました
    ドローゴは不運だったのか、幸せだったのか
    どうか幸せだったと思ってほしい

  • おい!人生かい

    「みんな望みをつないで居残っているんだ……うまく言えないが、君にもよくわかっているだろう」p.321

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著者プロフィール

1906年、北イタリアの小都市ベッルーノに生まれる。ミラノ大学卒業後、大手新聞社「コッリエーレ・デッラ・セーラ」に勤め、記者・編集者として活躍するかたわら小説や戯曲を書き、生の不条理な状況や現実世界の背後に潜む神秘や謎を幻想的・寓意的な手法で表現した。現代イタリア文学を代表する作家の一人であると同時に、画才にも恵まれ、絵画作品も数多く残している。長篇『タタール人の砂漠』、『ある愛』、短篇集『七人の使者』、『六十物語』などの小説作品のほか、絵とテクストから成る作品として、『シチリアを征服したクマ王国の物語』、『絵物語』、『劇画詩』、『モレル谷の奇蹟』がある。1972年、ミラノで亡くなる。

「2022年 『ババウ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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