タタール人の砂漠 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003271919

作品紹介・あらすじ

辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちつつ、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ-。神秘的、幻想的な作風でカフカの再来と称される、現代イタリア文学の鬼才ブッツァーティ(一九〇六‐七二)の代表作。二十世紀幻想文学の古典。

感想・レビュー・書評

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  • 士官学校を卒業して期待に胸膨らませながら赴任した先は辺境の砦だった。国境にはタタール人の砂漠と呼ばれる荒涼とした荒地がひろがる。国境警備に就いたドローゴ、砂漠の向こうからいつ敵が攻めてくるかもわからない。それを迎え撃つのが使命なのですが、何も起こらないと鬱になりそう。
    一般人の多くが夢を追いかけて経験するであろう人生の挫折や絶望、受動的に何かに期待して生きるってこんな感じなんだと思いました。
    どんな生きたかも選択できる社会環境の中、掴んだものは掌からこぼれ落ちてゆく砂なのか、多くのものを呑み込んでしまう砂嵐なのか、いつ攻めてくるかも解らないまま無駄に時間だけがすぎてゆく。
    映画のようにちょうど良いタイミングでラストがくるといいのだけど、エンドレスに流れる時間は4ヶ月が過ぎて2年、4年、15年、30年とあっとゆう間に過ぎてゆく。
    追いかけてする後悔か、諦めてする後悔のどっちを選ぶって問われたら。若い頃は呑気に構えていたのだけど、時間が有限だと感じるようになった今ではできる限りジタバタ過ごしてみたいと感じてしまう。

    余談ですが、
    何処の砂漠なんだろうってグーグルの衛星写真みてたらアフリカ大陸の北部は鮮やかな砂色、えっ子供の頃みたアフリカ大陸の地図より砂漠化進んでるような景色に唖然としました。

  • なにか価値がある出来事が起こるのではないかという期待を抱きながら、単調な無意味に思える日々をやり過ごす。そうして容赦なく時は流れ、終わりは唐突にやって来る。寓話的な作品。

    砦に引き止めようとする目に見えない力、それは自身の心の内にあるー
    憤りや抗うことなく、流れていく。静かな作品。
    最後のシーンがよかった。一時の陶酔だとしても。

  • 幻想小説の世界的古典といわれる一冊、そしてついに手に取ってしまった岩波文庫。

    本を読むなら岩波文庫だけを読めばいいと言われながらも、自分が手に取るのは10年位先で、その後会社勤めも終えてからゆっくり読んでいこうと思っていました。

    そう思っていたにも関わらず手にしてしまった。

    それ位、本書を読みたかったんだと思います。

    実に深い。

    会社の同僚が貸してくれた本を2冊間に挟んでしまい、平日の仕事を終えた後とはいえ、読み始めてから読了までに都合4日もかかってしまいましたが、実に静かなストーリーでした。

    そこには華やかな色味はさしません。

    主人公は辺境の砦を守るジョヴァンニ・ドローゴ。

    30章、全340Pからなる本作は章を追うごとに時間の経過する速度が上がっていきます。

    人生のうち30年もの時を辺境の砦でいつ襲ってくるかもわからない敵を待ち続ける人生。

    それが本作の本筋ですが、それは一般的な人の人生を写し出した鏡の中のような世界。

    歳を重ねる毎に時が経つのは早まり、孤独の中で夢を追い続ける。

    人の生涯(人生)について今までとは違った視点で考えるきっかけとなりそうです。

    読み終えたからこそ本書が世界中で多くの人に読み続けられている意味がわかったような気がします。


    説明
    内容紹介
    辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ――。神秘的、幻想的な作風で、カフカの再来と称され、二十世紀の現代イタリア文学に独自の位置を占める作家ディーノ・ブッツァーティ(1906―72)の代表作にして、二十世紀幻想文学の世界的古典。1940年刊。
    内容(「BOOK」データベースより)
    辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちつつ、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―。神秘的、幻想的な作風でカフカの再来と称される、現代イタリア文学の鬼才ブッツァーティ(一九〇六‐七二)の代表作。二十世紀幻想文学の古典。

  • 何ひとつ事件らしいことは起こらない。
    それを、これほどまでに、皮肉に、虚しく、残酷に、容赦なく、恐ろしく、なのに、悲痛な美しさで、しかも、ここまで面白く書くとは。 
    なにより、「身につまされる」とはこういう感覚のことか…とまざまざと体感してしまった。

    若い将校が、辺境の裏寂れた砦で来ることのない敵を夢想し期待しながら人生を浪費し続け、そして、その幻想がようやく現実になった時には…というお話。 

    訳者解説にもあるように、「この小説の主人公は人生というもの自体である。」

    基本的に本の趣味の合わない作家の万城目学さんと森見登美彦さんが、珍しく2人とも面白いと意見が一致した本、ということで話題になったことがある本書。
    確かに、多くの展開を繋ぎ合わせて物語を構築するのが作家であれば、何も起こらないことを、ここまで深く鋭く、面白く書いた物語なんて、心に残って仕方がないと思う。

    本書内の実質的分量比に、人生における時の流れの「感覚」までも落とし込んでいることには、もはや、参りましたと白旗を上げたくなる。
    ある程度の年齢になった人なら絶対共感するはず。
    「歳を取ると、一年経つのって早い」
    あれです。

    10年後に再読したい。
    でも歳を取れば取るほど、身につまされるどころか、恐怖が迫ってくるだろうな…。

    「まさしくその夜に、彼にとっては取り返しようのない時の遁走が始まったのだった。」

  • 自分も主人公と同じく、なんだかんだで雰囲気に呑まれやすい性格で、抗おうとしても抗いきれず染まっていき、時間だけを無駄に浪費した経験が多々あります。それはそれでひとつの生き方としてありだと思いますが、後悔しても時は戻ってきません。

    希望や義務感はとても大切ですが、それらを信じすぎ自分に暗示をかけて動けなくなる前に手放すことも大切だと痛感しました。

    何か価値のある出来事は、待っていればそよ風が運んで来てくれるような物ではなく、自分で掴みとろうと行動して、初めて価値のある出来事になるんだなと感じます。

    本書を読んでこれからの生き方をどう運んでいくのか、何を選んでどう行動していくのか。
    自分の生き方を考えさせられる1冊になりました。

  • 面白かった!
    すごい。
    不穏で不気味な砦。
    そこにウン十年閉ざされる人々の心の霞がかった状態というか(むしろ本人は澄んでいる状態)、得体の知れない人間の心を描いた作品。
    面白い。
    怖い、と書かずにじわじわ忍び寄る時間の経過と身体の劣化。
    なんとも言い難い魅力のある本。

    (ふだんあまり本の趣味が合わないという、森見登美彦さんと万城目学さんが、ともに面白かった本、という紹介をTwitterで見たので、私も興味を持って読んでみた。
    はじめにブッツァーティの紹介を読む。
    なんかカルヴィーノっぽいな、と思ったら、そのジャンルの双璧だった人だ。
    カルヴィーノ愛読者を二十年以上やっているのに、今までこの人の名前すらろくに認識してなかったけど、これは期待できそうと読み始める。カフカっぽい、という紹介でやや警戒したけど読んで良かった。)

    最初に主人公が出会う、どこか不気味なオルティス大尉の心情は、のちに驚く形で明らかになる。主人公と大尉の間にはやや不思議な友情もうまれる。

    治外法権とでもいうのか、砦にある仕立て屋の世界が面白い。その兄はその後どうなったのか。

    のちに凍死する、友人の死を予感させる美しい葬列が印象的。

    後半、主人公が一瞬だけ地元に戻る際、彼は切望したはずの故郷に、何かちぐはぐな感覚を覚える。
    婚約者だった女性とも隔ったものを感じてならない。
    そのなかにも何度も修正するチャンスはあったのに、主人公は結局砦に戻ってしまう。

    読みながら読者は、早い段階で、たぶん主人公はずっと砦に留まるだろうとわかる。
    その世界から、逃れられない。
    孤立した要塞に、いつか来るかも知れない敵。
    敵の存在こそ、自分達を 居てもいい存在 にしてくれる。
    そんな敵を待ち焦がれるあまり、妄執に襲われる同僚。
    やがて…!
    しかし!
    そのとき、主人公はすでに…!
    …と、『何も起こらないが面白い話』と聞いていたけど、けっこうアレコレ大きいことが起こるではないですか。

    この小説の主人公は、砦であり、時間なんだろう。
    物理的に、心情的に、居場所を求めている男たち。
    それが叶ったとき、時間は既に過ぎている。
    そういう意味では恐ろしい話かも。

    砦も敵もないけれど、これに近い感覚は多くの現代の若者が持っているものだ。
    地元を離れて、閉ざされた場所(すべての人間関係が組織内で完結する場所=拘束時間の長いブラックな職場)で仕事についた人は、けっこうこんな心情になるのでは。

    (そういえば、前半の展開から『白い果実』を思い出したような。あれも凄かったなあ。あと敵を待ち望む矛盾した様子は菊池寛『恩を返す話』みたい)

    私は全然知らない小説だったが、ブクログでは登録数の多い本だったので驚いた。実は有名だったのかな。
    小学生だった私は図書室の本でロダーリにハマり、長じてからは、カルヴィーノ、ギンズブルク、タマーロ、ピッツォルノ、須賀敦子あたりが好きだった。いまも児童文学を含めてイタリア作家の作品に憧れている。
    この本と出会い、新たにブッツァーティを追いかける楽しみが増えた。

    イタリア文学が、日本でさらに多くの方に愛されますように。

  • 幻想文学として捉えられてるんですね。
    主人公の感覚を通してみると確かに寓意に満ちた情景となる。遁走する時間を捕まえようとするが捕まえきれない。
    こうあってほしいと妄想をふくらますあまり現実を正しく把握できない。
    この先にきっと何か重要なことがおこると信じて判断を先延ばしにして時間だけが過ぎたあげく、重要な時が訪れた時には自分は年老いて役に立たず除け者扱い。残る敵は死と立ち向かうのみ。
    シニカルでやりきれなくなるけれど、主人公は最後の敵と向かいあって誇りと勇気を取り戻す。自分もこうありたいものです。

  •  本当に恐ろしい本だった。何も起こらない小説、というと、たいていは純文学を褒めるための枕詞なのだが、この物語は何も起こらないということについて描いている。

     主人公ジョヴァンニ・ドローゴ中尉は、士官学校を出たばかりの下級将校。立派な将校になるんだという気持ちを胸に配属されたのは、国境の砦。国境とはいえ広大な砂漠があるため、そこから相手が攻めてくることはまず考えられず、事実何も起きていない。何十年もそこで働いている古参は外の世界を知らず軍隊の形式主義を貫くためだけの人生を送っている。事実上の懲罰配置か隔離部屋なのだろう。
     当然すぐに出ることを希望し、4か月後の健康診断で不適扱いにしてもらう予定だったのだが、なんと残ることを志願してしまう。4か月の間に居心地がよくなってしまい、何かが起こるかもしれないという謎の期待をしてしまうのだ。
     しかし、そんな受動的な淡い期待は悉く裏切られ、その証拠に部隊が無価値だと言わんばかりの人員削減に際し、異動のチャンスを逃してしまう。去ってゆく同僚。自分を置いて変わってゆく友人や想い人。ただ老いてゆくだけの日々。気が付けば三十余年の時が流れている。
     そして、ついに砦に向かう敵が出現するのだが、ひたすら待ち続けたドローゴに、あまりにも悲しい仕打ちが待っている。そんな物語。

     一文でまとめるなら、自分で行動を起こすことなく何かが起こるのを期待するだけで、目の前にある幸せをすべて逃してしまう男の話、という感じだろうか。でも、ドローゴに対し抱く感情は、愚かだなというだけのものではない。
     この感想を書いているとき、私は今の仕事を始めて4年目だ。ドローゴは私にとって反面教師的な考え方をしているし、絶対こうはなりたくないと思う。4か月のタイミングで異動しなかったのは本当に愚かな愚かな選択であるし、彼の結末は自業自得だろう。
     だが、自分はこの砦から出たいと思うだろうか。平坦ならがも気楽な日々。いつか何かが起こるかもしれないという淡い期待。人生にまとわりつく不安という原罪をとりあえずは覆い隠してくれる(でも解決はしてくれない)。そんな気怠く甘い誘惑に、乗ってしまいはしないか。そして、自分は良い人生を送ることができたと自身に言い聞かせ、洗脳し、そして死んでゆく……そんな人生でもいいやと思ってしまいはしないか。傷付くことを恐れ、痛い思いをするくらいなら……と、思ってしまいはしないか。
     それに、傍から見たらこの瞬間だって、自分はたくさんの物を失っているのだ。年齢を重ねるということは、すなわち可能性を捨てるということでもあると思う。その中には、自分が捨てるべきでなかったものが必ず含まれている。そういった意味では、どんなに善く生きようとも、年を取った大多数の人にこの小説は刺さってくるのだろう。ドローグのような思いを抱いて死を迎えるのだろう。

     ただ、若いから大丈夫だという若かりしドローグの考え方は嫌いじゃない。というか、私はそう考えることができなかった。まだ大丈夫だ、という安心感を、今をスタートラインにするんだという「今でしょ」的な原動力に繋げれば良いのだと思う。
     ありきたりな言葉かもしれないが、悔いのない人生を送りたい、最期の時に自分を偽らないでいられる人生を送りたいと思えた。名作。

  • 何も起こらない。本当に何も起こらない。
    隔絶された要塞から出ることもせず、若さどころか人生も浪費し、待ち侘びていたイベントが起こったころには老いさらばえて何もできない。
    だいたいの人間の人生はこんなところなんじゃない?
    みんな同じなんだーと安心するうえに、生に意味ってあんまりないよねって穏やかな気持ちになれる。
    成し遂げるとか生を燃やすとかしなくても別にいいじゃん。
    誰が何を言おうが、熱い人生が世間で絶賛されようが、無為に生きることは悪くない。休日がYouTubeで潰れても別にいいよ。

  • 積読本が増えてきたので、少しあとに読もうかと思っていたところ、美しいカバーにやられて手に取った。

    「カフカの再来」と評されたイタリアの作家・ブッツァーティが、城砦に詰める士官・兵卒に材を取った小説。正直な話、冒頭から出オチ感に満ちているので、カバー裏のあらすじを読んでも読まなくても、大まかな流れはどういうものかはつかめてしまう。あとはディテール勝負。この不利な状況をやり過ごせば自分の人生に輝かしいものがある、そうじゃなくても意味のある何かがあると信じて、日々過ごす。ゆるゆると日は過ぎる。そして、手持ちの財産(心身も含めて)を、うっすらと振り返る。取り戻しはきくのかきかないのか。アーサー・ミラー『セールスマンの死』は、そのあたりを時速160kmの剛速球ストレート、あるいは絶叫マシン的に突きつけてくるような気がしたけれど、こちらは、「今考えることじゃないな」「そういうもんなんだ」という呪文にからめ取られて、どんどん身動きが取れなくなっていくさまがじわっと浮かび上がってくる。

    「幻想小説」とうたわれているが、主人公の置かれた状況は結構クリアな描写で、思考も明晰に、着実に積み重ねられていく。だからといって、彼には事態の好転を望むのか望まないのか明確にするのもためらわれる。このためらいが、嫌だけれど拭いても拭いてもきれいにならない壁のしみのように、読んでいるこちらの心に残る。しかも場面を追うにつれて、じわっと広がってくるような気がする。ポー『黒猫』の、胸に浮かぶ白い模様のように。

    「タタール(韃靼)」という言葉の持つ響きが、ヨーロッパ人にとってどれほどの異国感と最果て感をもたらすものなのかはちょっと不勉強でわからないのだけれど、個人的には、王維『送元二使安西』の「西の方陽関を出づれば故人無からん」や、岑參『胡笳歌』の「之を吹いて一曲猶未だ了らざるに 愁殺す樓蘭征戍の兒」と唱われる、本国の支配の及ばないはるか西域に赴く友を送る漢詩のイメージを感じた。日本文学・日本画では、井上靖・平山郁夫のイメージ。ずいぶん昔のドキュメンタリー『シルクロード』に毒されているな、私(笑)。たぶん、この小説や詩の登場人物の身になってみれば、最果ての地への赴任は不安と徒労感にあふれたものだろうけれど、はたから見るぶんには、高潔な輝きもちらっと見えたりする。そしてこの輝きに、送られる人間自身もひきつけられてしまう瞬間があるから厄介だ。その輝きを人生の糧にできるのか、していいのかと思わず考え込んでしまう。

    『セールスマンの死』のほうがインパクトも強いからか、☆がひとつ多くなってしまったものの、こちらのじわじわ感も、大人にとっては結構きます。海外文学を読みなれているかたなら少々のことには動じないかと思うけれど、そうじゃない場合には、心身ともに少々余裕があるときにお読みになるのがよいかと。

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